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ヤドリギ姫と錆犬の双王  作者: 根占桐守
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第1話 千年の終わり、始まりの百年

 アルシャの齢(よわい)、およそ一二〇六の頃。アルシャは千年にも亘(わた)る生において、おそらく生まれて初めて、人生の岐路にあった。




 遠くから、たくさんの人間たちの怒号が轟いてくる。激しく交わる剣戟の金属音。血と共に吐き出される断末魔。

 目を閉じれば、そんな光景がありありと目蓋の裏に創り出される。その悪夢の如き現実から目を逸らすように、アルシャは「こうであったらいいな」と思う事象を口に出した。


「……春のおとないをお祝いする。蟲出しのいかずちが、うたっているみたいね」

「黙れ、エルフ!」


 ぱん、と。乾いた音が鳴って、アルシャの白くて丸い頬が叩かれた。

 痛い、とアルシャは叫びそうになったが、ぐっと歯を食いしばって堪える。打たれた頬だけでなく、何故だか目の奥も熱くなったが、アルシャは唇を嚙んで耐えた。少しでもアルシャが苦しそうにしたら、人間たちは怒る。その末には、アルシャを置いて、アルシャから離れて行ってしまう。

 それだけは絶対に嫌だ、ひ(・)と(・)り(・)ぼ(・)っ(・)ち(・)にはなりたくないと、いつもアルシャは思い至って耐える。アルシャは小さく息を漏らして、目の前に立つ人物を見上げた。

 アルシャを叩いたのは、ここ半年ほど、アルシャを管理する人間の男。今のアルシャをひとりぼっちにしない、今のアルシャにとって大切な人間だ。

 打たれた頬が赤くなったアルシャにも構わず、男は親指の爪を噛みながら、目を血走らせて何やらぶつぶつと呟いている。


「くそっ……帝国め、ついに我が国を攻め滅ぼしにきたか!」


 男がちらりと、屋外の方を睨む。アルシャと男は現在、巨大な森の入り口にひっそりと隠れ立つ小さな砦の中に居た。砦の外には平原が広がっており、その平原は今まさに、戦場と化している。アルシャにわかる現況は、それだけだった。


「ようやく……ようやく亡国より、最(・)後(・)の(・)エ(・)ル(・)フ(・)を奪い取り! 我が国の永遠(とわ)の繁栄が約束されたも同然だったというのに! 何故だ……何故だ何故だ何故だ何故!」


 男が、がりっと歯で親指の爪を砕く。


「渡すか……誰にも渡すものか。我々の、最後のエルフを」


 男の虚ろな目が、ぎょろりとアルシャを振り向く。アルシャは思いがけず、ひゅっと短く息を吸い込んだ。嫌な予感がしたのだ。


「帝国に渡すぐらいならば。今ここで、この手で――殺してやる」


 男が佩(は)いていた剣を引き抜き、アルシャへとその切っ先を向けてくる。

 アルシャは首に付けられた首輪をじゃらじゃら鳴らして、ゆるゆると頭を振った。


「あ……まっ、て……人間さん。そんなこと、しないで……!」

「安心しろエルフ。お前は誰にも渡さない。お前は永久(とこしえ)にこの国の……私の物だ」


 男が一歩、一歩と近づいてくる。一方、アルシャは後退ることすらできない。何故なら、アルシャは――太(・)腿(・)か(・)ら(・)下(・)の(・)両(・)足(・)が(・)、失(・)わ(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)。

 千年もの間、様々な人間のもとで転々と飼われてきたゆえか、アルシャの過去の記憶は朧げなのだが――いつのことだっただろうか。もう霞がかって鮮明には思い出せない、数百年くらい前のこと。


 当時アルシャを飼っていた人間に「『ふろうふし』に成りたいから、その足を食べさせてくれ」とお願いされて、アルシャは己の足を差し出してしまったのだ。

「ふろうふし」とか、アルシャの足を食べたいことはよくわからなかったが、足をあげれば、アルシャをひとりぼっちにしないからと、そう人間が約束してくれたから。

 しかし結局、足を食べた人間たちがアルシャを売り飛ばしたことで、その約束は果たされなかった。


 そんな思い出に現実逃避しても、アルシャの現状は、生命の危機は何も変わらない。

 動けず固まっているアルシャへと、男が容赦なく剣を振りかぶる。

 アルシャは声も出せず、ぎゅっと固く目を閉じると、その身を抱いて縮こまらせた。


(やっ……や、だ……しにたくな、い……!)


 そう心が、絶叫を上げた時。

 アルシャの身体が、目もくらむような光を迸らせた。

 光と共に、アルシャの全身から蔦のような植物――黄金の寄生木(ヤドリギ)が瞬く間に生え伸びてきて、寄生木(ヤドリギ)は男が振りかざした剣を絡め取り、枝をしならせて男をアルシャから吹き飛ばす。

 そこでようやくアルシャは己の異変に気が付き、目を開ける。


(いけない……! わたくしの〈ヤドリギ魔法〉が、かってに……)


 アルシャから生え伸びる黄金の寄生木は、アルシャの魔法だった。

 アルシャだけの、特(・)別(・)な(・)魔(・)法(・)だった。

 アルシャがはっと我に返って、己が無意識に吹き飛ばした男の方を振り向く。倒れて、上体を起こしていた男と、目が合う。男の目は、この千年で何度もアルシャが見てきた目と、全く同じものをしていた――アルシャを酷く恐れる、怪(・)物(・)を(・)見(・)る(・)目(・)だ。

 アルシャは咄嗟に男へと手を伸ばす。「まって」「いかないで」と。そんなアルシャの想いに呼応するかのように、黄金の寄生木も、たちまち男に向かって伸びて行った。

 男がずりずりと後退り、歯をがちがちと鳴らして、悲鳴を上げる。


「う、うぅ……ああああああ! このバケモノ! 寄るな、近づくんじゃない!」


 黄金の寄生木を払いのけ、悲鳴を上げ続ける男が何度も転びながら、砦の外へと走り去ってゆく。アルシャは思いがけずその背中へと、必死に手を伸ばした。


「あっ……や。いや、よ。まって、まって……まって……! わたくしを、ひとりにしないで……!」


 手を伸ばすアルシャは、どんどん己の全身から生え伸びてくる黄金の寄生木に、呑み込まれてゆく。そうして遂には、アルシャは巨大な球体状となった黄金の寄生木の中へと閉じ込められてしまった。

 アルシャは己を閉じ込めた黄金の寄生木を掻き分けて、何とか外に出ようとする。しかし、寄生木はビクともしなかった。アルシャは薄く唇を嚙む。


(やっぱり……これは、ヤドリギ魔法の封印結界……〈揺り籠〉。〈揺り籠〉は、真(・)実(・)の(・)愛(・)がないとぜったいに解(と)けない。わたくしでも、解けない魔法……)


 アルシャはよろよろと、己を包む〈揺り籠〉の寄生木に縋りついた。


(きょうにかぎって、どうして……じょうずに魔法をつかえなかったのかしら。しかも、そのせいで……)


 また、大切な人間に置いて行かれてしまった。もう何百回目だろう。

 そして、〈真実の愛〉とやらがなければ、アルシャを閉じ込める魔法〈揺り籠〉は解けない。つまり、アルシャはこれからずっと――ひとりぼっち。

 その果てしない絶望が、アルシャの脳を痛いほどに焼き、アルシャの心をぐちゃぐちゃの真っ黒に染め上げて、アルシャの肉体を徐々に冷たくしていった。


「……真実の愛って、なあに……そんなもの、きっとないわ。だってわたくし、千年生きてきて……いちどもみたことがないもの。かんじたこと、ないもの」


 アルシャは弱々しく独り言ちる。


「たすけて……だれか、たすけて。わたくし、ひとりぼっちは、いや。なによりもいたくて、おそろしくて、こわいわ……」


 アルシャは小さなふっくらとした手で、己の顔を覆い隠す。幼子のような小さな手は、アルシャの顔を覆い尽くし切れない。

 鼻の奥がツンと痛い。

 目の奥が熱く燃えて、痛い。

 冷え切った指先が、今はもう無いはずの両足の先が、痛い。


「おいて、いかないで……だれか、だれ、か……わたくしの、そばに……」


 心が、魂が、肉体が、どこもかしこも寒くて寒くて、堪らない。冷たくて、痛くて耐えられない。

 ひたすらに苦しい。ひとりぼっちは苦しい。

 誰でもいいから、傍に居て。

 そんな血を吐くような想いを、声にならない声で振り絞った後(のち)。

 アルシャは耐え難い寒さと、冷たさと、苦しみを忘れるため。気が付けば、深い、深い――深淵よりも深い、眠りについていた。




 千年エルフの女の子、アルシャの物語。

 彼女の物語は、これよりおよそ百年後。

 金枝(きんし)の下(もと)にて、再び動き出す。

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