19 術式に抗う夜
私の予想は当たっていた。
広いダブルベッドに投げ出され、すぐにユリウスが覆いかぶさってくる。
「ユ……ユリウスっ」
名を呼んだ唇を塞がれて、思考に霞がかかりかける。
心臓がおかしいくらいに高鳴って、溺れる人のように必死で息をして――
「アナ……アナ……」
ユリウスも私の名を狂おしく呼びながら、襟に手がかかる。
彼の息も、私の息も、どちらも獣のように荒い。
そう、まるで獣のよう……
私もユリウスが欲しい。
嵐のように、本能のままに、抵抗を封じられて、彼の情熱に身を任せて――
――ちがう……こんなの私じゃない……
頭の隅で、違和感が警鐘を鳴らす。
私の胸元で、服をはだけようとしていた彼の手を、必死に両手でつかんで首を振る。
「ユリウス……待って……こんなの、おかしいよ……」
「アナ……」
ふっと、彼の目から、獣性が消えて、理性が戻ってくる。
それに安堵して、息を吐くと、その吐息にすら自身の身体が反応する。
私は何とかユリウスの下から這い出すと、サイドテーブルに備え付けられている紙とペンを取りあげた。
「今までだって色々あったけど……あなたがこんな風になるなんて、なかった。私も、こんな風に理性が吹き飛びそうになったこと、ない……」
言いながら、口に出すことで事で理性を保って、紙の上に契約の儀の魔法陣を思い出しながら書き写してみる。
後ろからユリウスが私を抱きしめて、荒い息をつきながら、首筋に顔をうずめてくる。
「アナ……」
「ユリウスっ、待って……絶対におかしいよ……ねぇ、ほら、これ、契約の儀の魔法陣……思い出せるだけなんだけど……って、はぁっ……ちょっと、手、動かさないで……止まって……」
左手で彼の手を押しとどめ、身体を反転させて彼に向き直る。
「み……見て……この構文……魔力と属性を共有するだけなのに……なんでこんなのが入ってるの……」
ユリウスはまだ火照ったまま、けれど目をこらして私の書いた図面に視線を落とした。
何度か瞬きをして、少しずつ思考が戻ってきたように見えた。
「……ごめん、わかんない。頭回らない……」
「私だって、ぐちゃぐちゃだけど……
でも、端的に言えば――この構文、私たちの身体を、交わる方向に誘導してる」
口にして、自分で顔が熱くなるのがわかる。
「ねぇ、ユリウス。これ……契約に、こんな機能が必要だと思う?」
一瞬の沈黙ののち、ユリウスがぽつりと呟いた。
「……“魔力の源”って、下腹部にあるって言われてるだろ……副作用、とかじゃないよな……?」
「……副作用なんかじゃない。これは……最初から制度の中に、組み込まれてる。
私たちを、そんなふうに動かすように――誰かが、意図して設計したものだよ」
震えたのは、声か、それとも心だったのか。わからない。
「私……嫌だ……こんな、こんな……仕組まれたものに、心まで、身体まで……支配されて……
そんな状態で……あなたとの初めてを、したくない」
みっともなく声に涙が混じる。
でも、魂が、熱に浮かされた肉体を、魔術に操られるままにさせることを、拒んでいた。
私は、なんだか自分がものすごく惨めに思えて、自分で自分の身体を強く強く抱きしめる。
ユリウスはしばらく微動だにしないで私を見下ろしていたが、やがてゆっくりとベッドから立ち上がると、その場を離れた。
――怒らせた?失望させた?呆れられた?
怖くて、目線を上げられない。
――彼だって、つらい状況に違いない。そして、私が許容すれば、それは全部解決するのだ……
私、一人になるの?
胸に、急に不安が込み上げた。
この火照った身体を抱えて、これからの長い夜を越えなければならないのか……
いや、でも、私が側にいたら、私が触れられる距離にいたら……彼は余計に辛いはず――
悶々と考えが渦を巻き始めたその時だった。
かすかにきしむ音がして、窓が開かれた。
目線を上げると、ふわりとカーテンが舞い上がり、その陰に彼がたたずむのが見える。
春先の夜風はまだ冷たく、室内にこもっていた艶めいた空気が一気に押し流されて、場の雰囲気まで清廉なものへと塗り替えてゆくようだった。
ユリウスはそのまま、今度は扉の前まで行く。
部屋を出て行くのかと思ったら、扉を半開きにしてまだベッドの方へと戻って来た。
「アナ……俺が出て行くんじゃないかって、不安だったんだろ……?」
「なっ……」
ちょっと意地悪そうなユリウスの表情に、思わず強がりが出そうになったが、少し間をおいてから素直に頷いた。
「うん……でも……それは当然、よね。一緒にいたらお互いつらいだけだし……」
私が視線を落とすと、彼は再びベッドの上へと上がってくる。
「アナってさ……表情隠すの、下手すぎ」
「……んな――」
反射的に言い返そうとして顔を上げると、穏やかに微笑むユリウスの視線とぶつかった。
彼の頬はまだ上気していて、耳まで赤くなっている。
首から少しはだけた鎖骨まで、玉のような汗がぷつぷつと浮いている。
表情さえ見なければ、彼がギリギリの状態で理性を保っていることは明らかだったのに、彼は穏やかな微笑だけを私に向けていた。
「なし崩しになるのはやだ、だけど、今一人になるのはもっとヤダ……そうだろ?そういう顔、してる。」
彼は私の横に腰を据えると、そっと触れるだけのキスをくれる。
「さっきはごめん……俺もちょっと流されそうになってた
……でも……アナの言うとおりだ。
俺だって、こんな得体のしれない魔術に流されて、その……アナとの“初めて”を迎えるなんて、絶対にいやだ。」
「ユリウス……ありがとう」
どうしようもない嬉しさが胸にこみあげて、頬を涙が伝うのを感じる。
私たちは、互いを固く抱きしめ合って、ベッドの上に身を横たえた。
「今夜は、このままふたりで、ちゃんと耐えよう。
王子として、君の騎士として――君の純潔も、君の心も、ちゃんと守る」
「……ごめんね、ユリウス……でも、うれしい……」
私は素直に言って、彼の胸に頬を擦り付けた。
彼の身体が、ビクッと跳ねた。
気が付いたら、晩餐もまだだったし、そもそもお互い神殿から帰ってきた盛装のままだ。
でも――、どう思い返しても、食事をとるのも、着換えるのも、そんなことをしている余裕なかったし、これからもそんな余裕は私たちに残されてなかった。
彼の身体も、私の身体も、まだ己を裏切り続け、火照り、本能に翻弄されている。
でも、この夜を抱き合って、たとえ一睡もできなくても、嬌声ひとつ上げず、清らかなまま朝を迎えることこそが――
魂を守り、愛を証明する手段だと、私は信じていた。
幾度、お互いの吐息に、鼓動が早くなったか、
幾度、お互いのわずかな身じろぎに、身体が跳ねたか、
幾度、焼き切れるような妄想に、足の指を丸めたか……
わからない。
けれども、窓から廊下へ開いた扉へと吹き抜けて行く冷たい夜風が、幾度も私たちを鎮めてくれた。
お互いの体温を、淫靡な熱ではなく、温もりとして求めながら、やがてウトウトと意識は夢の中へと漕ぎ出す。
寝室に朝日が差し込むころ、私たちは深い眠りへと完全に落ちて行ったのだった。




