古代史自説①はじめに
まだ記憶に新しいと思いますが、コロナは世界中に大きな影響を与えました。多くの国民が外出を自粛したことで、町はゴーストタウンのようにひっそりと静まり返っていたのを覚えています。そんな最中、20年近く乗り続けてきたスーパーカブを、初めて自分で整備することにしました。それまでは、オイル交換ですら整備士の友人に頼んでいたので知識はありません。全くの手探りでした。消耗品であるタイヤ、スプロケット、チェーン、マフラーといったスーパーカブの基幹部品の交換だけでなく、白色のレッグガードを黒色に交換したり、ヘッドライトをLEDに変えたりと素人にしてはかなり大掛かりな整備を行ったのです。
やってみるもんですね。スーパーカブに対して、これまでは便利な足くらいにしか感じていなかったのに、整備をしたことで強い愛着が湧きました。このスーパーカブに乗って、どこか遠くに出かけたくなりました。二十歳の時、自転車に乗って3か月間くらい野宿の旅をしていたことがあります。大阪から北海道まで自走し、北海道をグルッと回って大阪に帰ってきました。その頃のキャンプ道具が使われないまま押し入れに仕舞ってあります。これを引っ張り出しました。登山家だった従兄の登山道具の遺品も仕舞ってあります。これも引っ張り出しました。旅に出かける装備は揃っています。パッキングした荷物をリアキャリアを積み込んで飛び出しました。
大阪の北部に広がる北摂の山を越えると、京都の亀岡盆地に至ります。この亀岡を流れる渓流に沿って山の中に分け入りました。スーパーカブで林道を走るなんて初めての経験です。深い森の奥は静寂に包まれており、誰もいません。スーパーカブのエンジンの音だけが賑やかに木霊していました。テントを張れる手ごろな場所を探します。林道から少し外れますが、渓流沿いの平地を見つけました。疎らに杉が立ち並び、足元の倒木は苔生して緑色に染まっています。テントが張れる場所は、渓流から一段高台になっていて、万が一の豪雨でも水に流される心配はありません。早速、荷物を解いて宿泊の準備を始めました。テントを張り、炭を熾して、三脚に腰を下ろします。その日の晩は、焼き鳥をアテにして酒を飲みました。深い山の中に僕一人。この時の体験談を、回想を交えた自伝的な小説に仕上げました。これが、僕の小説第一号になったのです。
日記を書くことが好きだった僕ですが、この作業で日記と小説の違いに気づきました。テキストで表現された文章の集まりという意味では、どちらも同じようなものに見えます。しかし、性質は全く違いました。最も大きな違いは、日記はマスターベーションで、小説はセックスなのです。小説を書くという行為は、常に読み手のことを意識しなければなりません。時に優しく時に激しく、読者に快楽を感じさせようと頭を捻ります。しかし、だからといって相手の言いなりではいけません。こちらの世界に惹き込む必要がありました。相手は見えないけれども、これは駆け引きであり、ゲームだと思いました。
調子に乗って何本か小説を書いてみました。2021年の第9回ネット小説大賞の最終選考に「逃げるしかないだろう」という作品が残ります。確か15,000作品ほどの応募の中から、最終選考に残ったのは120作品ほどでした。
――もしかして、入賞するの?
結果発表まで本当にドキドキしましたが、奇跡は起きませんでした。入賞を逃して、かなり落ち込んだことを覚えています。ただ、このことをきっかけにして小説に対する問い掛けが、次々と湧いてきました。
――物語の構成とは?
――物語のテーマとは何なのか?
――キャラクターの個性とは?
――そもそも面白いとは何なのか?
――いったい僕は何を書きたいのか?
様々な問いをテーマにして、次々とエッセイを量産しました。僕にとって「文章を書く」という行為は、考えることです。自分なりに答えを探しました。そうした中「賞レースに残るために小説を書いているわけではない」と考えるようになりました。つまり、「何のために小説を書くのか?」という根本的な命題に直面したのです。これはとても重要でした。
現在の僕の年齢は54歳です。人によっては僕のことを若いと言う方もいますが、それでも人生の折り返し地点は過ぎました。今後、病気や事故でコロッとあの世に行くかもしれません。とても元気ですが、それでも確実に死に近づいています。そこで一つの目標を立てました。
――還暦までに大作を完成させる!
60歳なら、まだ生きているでしょう。現在、NHKの連続テレビ小説で登場している「やなせたかし」は50代から大成しました。僕だってまだまだ頑張れます。しかし、大作と言っても漠然としています。
――僕にとってのテーマとは何なんだろう?
僕は創価学会三世です。創価学会は、日蓮大聖人の仏教を根本にした宗教になります。小さな頃からこの仏教に親しんできたわけですが、仏教と一口に言っても様々な宗派があります。始まりはインドの釈尊ですが、中国を渡って日本に伝来されるまでに、大きくは上座部仏教と大乗仏教に分かれました。日本に渡ってからも、律宗、真言宗、禅宗、浄土宗、日蓮宗と分裂していきます。どうして分裂していくのでしょか?
分裂する現象は、仏教に限ったことではありません。キリスト教も大きくはカトリックとプロテスタント、それにキリスト正教会に分かれました。日本の神道にしたって、宗派は様々にあります。そんなことを俯瞰しながら、人類にとって宗教とはいったい何なのか? と考えるようになりました。
結論から申し上げると、「宗教とは、同じ思想を共有する集団」と定義して良いと思います。この定義の中に、「思想」と「集団」という要素が含まれています。この二つの要素が、ホモサピエンスの七万年に渡る歴史を作ったと言っても過言ではない。そのように考えるようになりました。
思想とは、コンピューターで言うところのプログラムに該当します。ルールや命令系統の集まりです。思想は様々な種類があり、様々なタイプに分類することが出来ます。僕たち人間は、何を信じるのかによって行動が規定される生き物です。何かの問題に直面した時、何を信じているかによって行動は変わりました。
例えば、「お金を儲ける」という行為においても、起業家は投資に対するリターンを期待しますが、アルバイトは時間給を気にします。泥棒であれば人からお金を盗むことを考えますし、親から譲り受けた土地を使って家賃収入にアテにする方もいます。
「食べる」という日常的な行為においても、イスラム教はコーランによって豚肉とアルコールの摂取は禁じていますし、仏教の戒律でも肉や酒を口にすることを禁じていました。騎馬民族は羊の肉を食べますが、それ以上に羊の乳が大切でチーズや酒を造り食文化の中心に据えています。
こうした思想の違いは、歴史的な背景や地理的な影響とかなり密接で不可分な関係にありました。同じ地域で同じ思想を共有し合う人々は、コミュニティを形成します。古代においてこのコミュニティとは血の繋がりを意味し、この血の繋がりの源流はご先祖様でした。死して山に還ったご先祖様は、神として一族の繁栄を見守ると考えられていたのです。このことから、宗教的な始まりは多神教が一般的でした。何故なら、それぞれの一族にそれぞれの神々が存在したからです。
またご先祖様を神として尊ぶ行為は、コミュニティの結束にも重要でした。その思想的な構造には、人間は特別なものではなく、この世界の一部と考えられていたようです。一族が生き延びるために、神から食物を分けてもらい、感謝のしるしとして神に貢物を捧げました。そうした繰り返される行為から儀式が生まれ、宗教的なものが形成されていったと考えています。
僕が描きたい「聖徳太子の世界」は、記紀によると宗教的な対立から丁未の乱という戦争が起こったとされています。しかし、これは余りにも単純な解釈でしょう。宗教のもう一つの要素に「集団」がありました。思想がプログラムなら、集団は実行部隊になります。実行部隊にはリーダーが必要で、その責務とは集団を存続させることでした。
丁未の乱が始まる前、蘇我馬子と対立した物部守屋は自身の本拠地である河内に戻り軍備を整えます。大和王権と戦争をする理由を、物部一族の末端にまで説明する必要がありました。戦における大義名分は、一族のプライドを鼓舞するものでなくてはなりません。理由が強ければ一族の結束力が強まりますし、弱ければ指揮が下がります。宗教的な大義名分は、人々を戦に向かわしめる旗印に使いやすかった。程度の差はありますが、プロ野球における阪神巨人戦をイメージしていただければ、分かりやすいかと思います。構造は同じです。
宗教における「思想」と「集団」は、正義の話にも発展します。戦争において高らかに正義が叫ばれますが、正義はどちらの陣営にもありました。何故なら、「正義は仲間を守ること」だからです。正義の話に詳しい方は、「トロッコ問題」をご存じかと思います。一人を助けるために五人が死ぬのか、それとも五人を助けるために一人を犠牲にするか……という究極の選択を考える問題になります。内容については割愛しますが、歴史の舞台で多くのリーダーが、この正義の問題に直面したでしょう。物語を通して、その苦悩を表現できたら良いなと考えています。
次回から、僕が考える古代史をご紹介します。僕は学者ではないので、真実を語るわけではありません。ただ、嘘を書くつもりもありません。現在理解されている情報から、僕なりの推測を述べるだけです。なぜこの作業が必要かというと、世界観を確定しなければ物語が描けないからです。僕にとっては避けては通れない道でした。もしご興味があるようでしたら、僕の戯言にお付き合いください。宜しくお願いします。