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歴史転換ヤマト  作者: だるっぱ
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仏教の歴史とチョコッと善信尼

 フランスの仏教学者ジャン=ノエル・ロベール著作「仏教の歴史」を読んでみました。著者は、インドでも中国でも日本でもなく、仏教と縁が遠かったフランスの学者なのです。客観的な先入観のない視点が面白い。仏教の歴史を、分かりやすい読み物にしていました。


 古代インドは、バラモン教の教えであるカースト制度によって国を統治していました。カーストとは身分制度のことで、宗教的祭司者のバラモン、国を統治する王族のクシャトリヤ、平民のヴァイシャ、奴隷民のシュードラという四つの身分が厳格に分けられており、その身分は生まれによって決まりました。


 紀元前6世紀ごろ、インド北東部の現在のネパール周辺にあった釈迦国に、後に仏教を創始することになるゴータマ・シッダールタが誕生します。シッダールタは釈迦国の王子で、結婚をして跡継ぎを設け、安逸な日々を暮らしていました。ところが、生老病死といった四苦から逃れられない現実の苦しみに思い悩んだ末に、出家を決意します。29歳の時でした。


 四苦から脱却するために、インド各地の様々な聖者に教えを乞いますが、どの教えにも限界を感じました。命を賭けた断食の修行でも悟りに到達できません。その後、菩提樹の下で瞑想に耽り、苦悩からの脱却にそうした修行は必要なく、真に大切なことは悟りを得ることだと達観しました。そんなシッダールタの元に多くの人々が教えを求めて集まりはじめ、仏教が誕生します。


 仏教は、紀元前3世紀ごろのインドのアショーカ王の時代に隆盛を極めました。紀元前後になると、上座部仏教から分裂して大乗仏教が誕生します。大乗仏教の特徴は、出家者に限らず在家を含めた一切の衆生の救済を掲げていました。また初期仏教の仏典である三蔵を再解釈して、釈迦の真意を汲み取ろうとして、法華経、般若経、浄土三部経、華厳経、涅槃経、大日経、金剛頂経といった八万法蔵ともいわれる多くの経典が誕生していきます。


 西暦6世紀に、日本に大乗仏教が公伝されました。その後の日本では、仏教が独自の進化を遂げていきガラパゴス化していきます。そうした日本の仏教史だけでなく、インド、中国、朝鮮、チベット、タイ、スリランカ、更には欧米といった世界での仏教の歴史も、この書籍では紹介されていました。ただ、あくまでも歴史なので、仏教の中身にはあまり触れていません。俯瞰的な内容でした。


 仏教の世界では、大切な宝として仏法僧がありました。聖徳太子の十七条憲法においても第二条において、「篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり」と提示されます。それぞれの意味について簡単に紹介します。


「仏」は仏陀、つまり悟りを開いた人。

「法」は仏陀の教え、つまり真理のこと。

「僧」は仏法を広める人、または仏教徒の集まり。


 仏は直接的にはお釈迦さんになりますが、ポイントは「悟りを開いた人」になります。つまり、お釈迦さんだけではないという解釈が、その後の仏教分裂に大きく起因しました。例えば、上座部仏教においては修行はしますが、現世においては仏に成ることは出来ません。輪廻転生を経て来世での成仏に期待します。対して大乗仏教における仏は、お釈迦さんや阿弥陀仏、56億7千万年後の成仏が約束された弥勒菩薩や大日如来等が挙げられます。どれも仏ではありますが、教義的なつながりはありません。客観的に、大乗仏教の仏に対するそれぞれの独自解釈が面白いと思いました。


 初期仏教において法とは、律・経・論の三蔵だけでした。大乗仏教では多くの経典が生まれ複雑化していくのですが、その多様化の原因はお釈迦さんが作ったのです。お釈迦さんは、法が多くの方に口伝され、多くの言語で翻訳されていくことを望みました。この動きは一神教の世界では考えられません。聖書はラテン語で、コーランはアラビア語で書かれています。当時、聖書やコーランを読めるのは聖職者のみで、読めるということが特権でした。教えを固定化するのなら言語を一つに絞った方が効果的ですが、お釈迦さんは悟りが伝播していくことを望みました。ここに仏教の懐の広さを感じます。


 宗教の始まりはアニミズム的な多神教から始まりました。それぞれの部族がそれぞれのトーテムを中心にコミュニティを形成します。部族から国家へとアップデートしていく段階で、一神教的な宗教的権威が必要になりました。この動きは農耕とリンクしています。また人々は自身の幸せを神に祈るようになりました。実は、このような神と人間という関係性にメスを入れたのが仏教になります。仏教は、各個人の悟りによって幸せになると説いており、ここに神は介在しません。また悟りを得る為に、人々が縁しあう関係性を重要視しました。だから、悟りの伝播に言語を特定することはしません。


 三つ目の宝は「僧」なのですが、これは出家者の集まりのことで僧伽サンガといいました。出家者は、サンガという組織の中で皆と協力して仏に成ることを目指します。サンガでは、仏教に帰依する証として戒律を守ることを約束させられました。これを受戒と言います。戒律は「戒」と「律」に分けられ、戒とは悟りを得るためのルールであり、律とはサンガという集団行動において守らなければならないルールになります。戒の代表格に五戒がありました。


 ①生き物を殺さない

 ②他人のものを盗まない

 ③不倫や浮気をしない

 ④嘘をつかない

 ⑤お酒を飲まない


 僕的にはお酒を飲まないが引っ掛かりますが、難しい内容ではありません。仏というよりも人間としての最低限のモラルをルール化しているだけでした。初期の仏教や、日本の奈良仏教は、この戒律に重きを置いていて、出家することはサンガに入り戒律を守ることになります。また当然のこととして、仏典を研鑽しました。当時のサンガは、現代でいうところの全寮制の寄宿学校のようなもので、現代の仏門とは少しイメージが違います。赤の他人が一緒に生活をするので、戒律が必要だったのでしょう。


 ここからはこの本を読んだ僕の感想になります。著者のロベール氏は、そうした仏教の変遷に対して、それぞれの教義に対して優劣は付けません。事実のみを紹介していました。しかし、大乗仏教は、自身の悟りのみを求める初期仏教に対して小乗仏教と揶揄してきた歴史があります。現在では、小乗仏教とは言わず、上座部仏教とかテーラワーダ仏教と表現しているのですが、これは上座部仏教に対する配慮でした。ただ、現代と比較して考えるとき、上座部仏教が全寮制の寄宿学校だとしたら、大乗仏教は学生が卒業して社会進出していく姿とダブるのです。単純化しすぎかもしれませんが……。


 人を貶めるような差別はいけませんが、僕は思想に対して相対的な優劣を付けることは必要だと考えています。分裂が生まれるときは、そこに時代的な問題や背景があるからです。例えば、初期の仏教においては女性は悟れないとされました。大乗仏教の法華経において、やっと女性の成仏が約束されるのです。これはなぜでしょうか?


 インドのバラモン教の世界では、女性は穢れた存在だと考えられていました。この思想はとても根深く、悟った人にとっては男女平等であっても、女性蔑視の現実世界はそれを許しません。これは出家した人々であっても同じだったと思うのです。女性が出家してサンガを形成する時、お釈迦さんは周りに配慮をしながら、かなりの時間を掛けたとの記述がありました。思想は、時代と共に優劣が変わります。絶対の優、つまり真理を見つけるのは難しくても、相対的な優劣はその時々で人々に判断されました。支持されない思想は少数派になるか、消えていくしかないのです。これは、思想にもダーウィンの適者生存の法則が働いているからだと考えます。


 このような仏教の歴史を俯瞰しながら、僕なりに考えてみました。そもそもの仏教の目的は何だったでしょうか。それは、仏に成ることです。仏とは悟った人の意で、悟るためにサンガを形成したり、戒律を守ったり、研鑽を重ねたり、修行をしてきたのです。ところが、仏教の歴史の中でこの目的と手段が逆転してしまいました。サンガを護るために全体主義に陥り、戒律であるルールを守ることが絶対視され、学問的上位者が権力を握り、お釈迦さんが否定した修行が復活するのです。現代もそうですが、本来の目的が見失われ、手段が目的化する事例は数多く散見されます。


 ――なぜそのような逆転が起こってしまったのか?


 つまるところ、誰も悟りの何たるかを実感できなかった。仮に悟ったとしても、それを誰かに伝えることが難しかったことがあげられます。法華経では「仏の知恵は、信じることが難しく、理解することが難しい」と何度も繰り返されていました。悟りの云々は、その人にしか分からない。実感ができない。証明することが難しいのです。ここに悟りを定義できない難しさがありました。


 サスペンス劇場などで、殺された被害者が「お釈迦さん」と表現されたりします。これは禅宗の影響でした。禅宗では断食の修行がありますが、やりすぎて死んでしまう事例がありました。煩悩を滅する究極の姿として、歴史的にこの殉教が美化されていくのです。特に、戦に赴く武士は死がとても近い。この禅宗という思想が、心の支えになっていきました。


 日本に渡ってきた大乗仏教は、お釈迦さんが驚くほどに変化をしました。一応は、仏とはお釈迦さんのことになります。ところが、真言宗ではお釈迦さんの更に上を行く大日如来が想像されたり、念仏ではこの世ではない西方に住んでいる阿弥陀仏を想像してみたり、禅宗においては不立文字といってお釈迦さんの経典すら使用しません。


 また思想のタイプも変わりました。初期仏教においては、幸せになるためには悟ることが大原則になります。ところが、神仏習合の影響から観音様に幸せをお願いするようになったり、真言宗では国家鎮護が宗教の目的になったり、念仏では悟るという教えそのものが無くなったり、禅宗では死ぬことで成仏が完結する風潮が生まれました。現代においては、仏教は葬式でしか活躍する場がありません。このような仏教の歴史を俯瞰してみると、まるで時空を超えた伝言ゲームのようです。極端な言い方をすると、仏教の歴史とは「悟る」ということが分からなくて右往左往してきた迷いの歴史だったのです。こんな風に一刀両断してしまうと、多くの方に怒られそうです。


 日本の仏教で最初に出家した人は、嶋という女性で出家して善信尼と名乗りました。バラモン教の影響から、初期仏教は女性に対する差別意識がありました。ところが、日本においては最初の出家者は女性だったのです。これは特筆に値します。キリスト教においても、イスラム教においても、仏教においても女性は差別されてきました。これは、古代において女性が商品だったことと無関係ではないと考えます。


 このような宗教が形成される以前のアミニズム的な信仰世界では、信仰の対象は女神でした。日本の縄文時代でも、土偶は女神が多い。弥生時代になり古墳時代になっても、祭祀は女性が受け持ちます。つまり、日本における宗教的中心者は女性でした。そうした日本の風土だからこそ、最初に出家した人が女性だったと考えられます。この事実は飛鳥時代を考えるうえで、僕にとっては非常に大きな鍵になります。

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