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歴史転換ヤマト  作者: だるっぱ
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造詣が深い

 最近は、鳥取氏や七星刀などニッチでマニアックな内容を連投しました。これらの内容は、今後、聖徳太子の物語を紡いでいくうえでは必要なパーツになります。そうした情報は、ネットだけでなく専門的な学術書を読んでいます。例えば、最近お世話になったのは谷川健一氏の「四天王寺の鷹」という書籍で、非常に勉強になりました。物部氏や秦氏といった、謎に包まれた古代豪族の足取りを紹介してくれます。ただ、少し専門的な内容が多く、読み手にある程度のインテリジェンスが必要でした。僕は短い期間ではありますが少なからず古代史を勉強してきたし、知りたいという欲求があったので、辛うじて読み進めることが出来ました。ただ、ここに歴史小説と歴史の学術専門書の違いがあると思いました。


 美術や音楽、歴史や文学、更にはワインといった一つのジャンルに対して「造詣が深い」……といった表現をすることがあります。造詣が深い方は、普通では知りえないような情報を保持していて、知っているからこそ更に理解が深まるという好循環の中で快感に酔いしれます。たぶん、オタクと言われる人々も、そうした造詣が深いことによる快楽に身を委ねているのではないでしょうか。


 例えば、日本の法律では二十歳になったら飲酒が出来ます。まぁ、昭和世代の僕は18歳で大学生になったころから、ガンガンにビールを飲んで、いや先輩に飲まされて、「イッキ、イッキ」と叫んでいたわけですが、あの頃はビールが美味いというよりもノリで飲んでいました。その後、父親との晩酌で日本酒の利き酒を楽しむようになり、友達とバーでウィスキーを嗜むようになり、その時は心底美味いとは感じていなくても、少しずつ自分の舌でお酒の味を覚えていきました。


 あれから30余年。毎日のように酒を飲んできました。ランニングをしていたおかげか、肝臓は悪くない。毎日の晩酌では、お酒が持つ個性と合わせるアテの相乗効果を楽しんでいるのですが、これも造詣が深いと言えます。最近は、不味いとされるようなお酒に対しても、その個性を楽しむような余裕がありました。


 ――アルコールだったら良いんか~い!


 そんな声も聞こえてきそうですが、知れば知るほど泥沼に落ちていくような「造詣が深い」という世界は、ある意味、その世界を極めた限られた人だけが楽しめる世界でもあります。歴史の専門的な学術書は正にそうした世界の住人向けの書籍であり、普通の人では楽しめない仕様になっています。


 対して歴史小説は、造詣が深くない方であっても楽しめなければなりません。小説ではありませんが、NHKの大河ドラマは歴史小説と同じ類になります。歴史を知らない方でも楽しめるような構成が求められました。ある歴史の専門家が、昨年の大河ドラマ「光る君へ」に対して、次のようなコメントを残していたのが印象深い。


「僕はね、あの大河ドラマは見ていないの。だって、見れば腹が立つと思うから」


 これは造詣が深いからこその言葉だと思います。史実に忠実でないことが気に入らない。ネットでは、大河ドラマが史実に対してどれだけ忠実かということを話題にしている記事が散見されます。でも、これは大河ドラマに対して何を求めているのかという点において、視聴者と認識のズレがあります。大河ドラマは歴史を扱いますが、それ以前にエンターティメントなのです。面白くなければ価値が無い。この物語の面白さと歴史の忠実性は、イコールではありません。面白さと忠実性が相反関係にあるとは思いませんが、時に史実を曲げることで面白さがアップデートされることはあります。


 例えば、僕が子供の頃「戦国自衛隊」という映画がありました。自衛隊が戦国時代にタイムスリップするという、歴史の忠実性どころか転生物なのですが、自衛隊の描写と戦国時代の描写はリアルに迫るものがありました。極端な例ですが、注目すべきは丁寧に史実をトレースしているからこそ面白いのです。


 今後、聖徳太子の物語を書く上で、僕も「面白さ」は一番に追求したいと考えています。ただ、面白くするためには正確な史実理解も必要でした。でないと説得力がない。説得力とは、作者と読者の間で共有される共通の認識はいじってはいけないということです。例えば「光る君へ」で、紫式部が筆ではなくて鉛筆と消しゴムで物語を書いてはいけないのです。押さえるべき歴史認識は曲げてはいけない。曲げると読者の中に違和感が生じるからです。ここはセンスが求められます。ただ、狙ってる場合は別です。江戸時代の蔦谷重三郎を描いた大河ドラマ「べらぼう」において、第一回にスマホが出てきました。あれは構いません。


 ここで物語における「面白さ」について考えてみたいのですが、面白さとは心が動くことです。人間の喜怒哀楽に訴えかける時に、人は面白いと感じます。歴史の専門学術書とは違う歴史小説の存在意味は、歴史という舞台をお借りして人間を描くことだと考えます。今後、僕は史実を通しながら、飛鳥時代に生きた人々に憑依していきます。厩戸皇子は勿論のこと、蘇我馬子や穴穂部間人皇女にも転生する必要がありました。転生するために必要な行為として、正確な史実の理解が必要なのです。まだまだ勉強が足りません。どこまで勉強すれば良いのかも分かりません。今のやり方で良いのかも分かりません。ただ、聖徳太子に対する興味はますます深まっているので、造詣は深まっているのでしょう。

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