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アメ降るホシの黎い空  作者: ペーはぁど
22/22

一人目 これはいつの――?

 ―ピーン―ポーン……


 ガランとしたエントランスに音響案内の音が響く。小春日和の昼下がりはとても穏やかだった。


 食欲が満たされたあとのためか、なかなかやって来ないエレベーターを待つのも苦ではない。

 やってくるまで時間がかかればかかるだけ、仕事を後ろに先送りできるからかもしれないが。



「ところで先輩、どうでした? ビーフシチューの味は」



 エレベーターを待つ間はどうしても手持ち無沙汰で、やれることは限られている。

 そんな中、後輩が選択したのは先程の昼ごはんの話題だった。

 ニヤニヤとした顔が少しだけ鬱陶しい。



「思った以上に美味かった。通ってもいいなって思うくらいには」



 ごまかすことも考えたが、それは喫茶店に失礼な気がした。だから正直に答えた。



「そうっスよねー。美味かったっスよねー」



 してやったりと言わんばかりの後輩。自信はあったのだろうが、それでも嬉しそうな顔をしていた。



「でも周りには言わないでくださいね。マスターはのんびりやりたいらしいんで」


「わかってるよ。あの雰囲気が壊れたら嫌だからな」



 ひっそりとたっていた喫茶店の中は、耳に響かない程度にかけられたジャズとサイフォンの不規則さがミックスされ、思わず眠くなる空間だった。

 仕事の疲れを癒やすのにはもってこいだろう。



「あそこ、夜はやってないのか?」


「残念ながら、夕方で終わりなんスよ」


「そうか……せっかくならディナーも食べてみたかったんだけどな」



 夜もやっていれば、きっと昼間とは違ったメニューを出していただろう。

 少し期待していただけに声のトーンが下がってしまう。



「昼だからいいんじゃないっスか」


「……それもそうだな」



 従業員は少なく、料理はマスターが一人で作っているように見えた。

 それで夜営業までしていたら体が持たないだろう。



 ポーン――



 会話が途切れたところでちょうどエレベーターが来た。

 乗り込んで九階のボタンを押す。エレベーターはすぐに動きだした。



「? おっと……」



 エレベーターが上るときの独特の重量感に思わずたたらを踏んでしまった。



「どうしたんスか? 先輩ってエレベーターに弱い人でしたっけ?」


「いや……そんなことはない」



 エレベーターの浮遊感が苦手な人はいると聞いたことがある。一気に顔が青くなる人もいるらしい。

 だが、自分は今までそんなことになったことはない。


 足元に視線を向けていたからそのせいだろう。

 少し頭が重い気もするが、それも多分そのせい。



「そうっスか? 顔色、よくないっスよ?」


「そんなにか?」


「気のせいかもしれないっスけど……お昼食べすぎました?」


「そんなことないんだがなぁ……」



 後輩は若干呆れたような視線を向けてくるが、満腹感はむしろちょうどいいくらい。

 エレベーターのことがあったとしても気持ち悪さなどは全然なかった。


 強いて言うなら少し頭が痛いくらいで。



「っつ……」



 ドクンとこめかみが脈打った気がした。

 軽くこづかれたような衝撃。それは片側だけにとどまらず、頭全体に響いた。



「先輩? 本当に大丈夫っスか?」



 顔をしかめたのを見られたのだろうか。しきりに後輩が訊ねてくる。



「……ちょっと頭痛がしただけだ」



 オフィスに戻れば手持ちの頭痛薬がある。それまでの辛抱だ。

 わざわざ後輩に心配かけるほどじゃない。



「大丈夫だ。薬ならあるし」



 それは後輩に向けて言ったのだろうか。それとも自分に言い聞かせたのだろうか。

 目の前に後輩はいる。それは事実だ。



「……仕事するにしても少し休んでからにしてくださいよ?」


「ああ、わか――」



 それは後輩の言葉に同意しようとした瞬間のことだった。

 突如、全身を浮遊感が包み込んだ。



「!? 先輩!?」



 後輩の声に驚いて視線を向けると、後輩の顔が驚愕に彩られている。



(何がどうした……?)



 次の瞬間には身体が床に叩きつけられていた。



「いっ……てぇ……」



 倒れたときに後頭部を打ったようで、頭がガンガンと痛む。

 手を当ててみるが血がつくようなことはなかった。どうやら出血はしていないようだ。タンコブくらいは出来ているかもしれないが。



「だ、大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫大丈夫」



 後輩しかこの場にはいないが、盛大にコケたような格好になってしまったのが気まずい。


 恥ずかしさを我慢しながら起き上がるために腕に力を入れた。

 しかし、体を持ち上げるはずだった腕が床を滑った。



「先輩!?」



 視線が空を泳いだ次の瞬間、ガタンと大きな音を立ててまた頭を床にぶつけていた。

 完全に油断していたせいで一瞬、視界がホワイトアウトする。



「痛ってぇ……なんらんら……」



 今度こそ床に大の字に転がる。愚痴をこぼしたところで舌がもつれた。



「先輩……?」


「だいりょううら……あれ?」



 視界の端で後輩の顔色がサッと変わるのを見た。青ざめるという言葉の、教科書通りの反応だった。



「きゅ、救急車!!?」



 慌てた後輩が携帯を取り出す。言葉の通り、一一九にかけようとしているのだろうか。



「そんらおおげさらっれ……」


「先輩は喋らないでください!! 起きようともしないで!!」



 今度こそちゃんと起き上がろうと腕を動かしたのを見ていたらしい。ものすごい剣幕で静止された。


 仕方がないので持ち上げた腕はそのまま下ろすことにした。



「……あの頭を打ったあとに呂律が回らなくて! はい、動かしてないです! ……はい! あの、場所は……」



 狭いエレベーターの中に後輩の声が響く。焦った様子がありありとわかるほど声が大きくなっていた。



(もう少し小さくしてくれないか……頭痛いんだけど……)



 後輩に伝えようと頭を少し傾けるが、



「!? 動いちゃだめです!! ……あ、すいません。はい……」



 未だ顔の青い後輩に見咎められてしまった。


 何もできることがない。そう気づくと頭の痛みが強くなった気がした。多分、意識が向いてしまったからだろう。

 身体も先程までより重い気がした。



「……はい。このままもう一度……はい」



 顔を青くした後輩はまだ電話で何かをやり取りしている。


 目だけを動かしているとエレベーターの表示が目に入った。

 七階。



「はい……わかりました。はい、お願いします」



 八階を過ぎる。エレベーターの中の空気は変わらない。後輩の声も変わらず荒々しい。



「先輩、救急車呼びましたからね。九階で降りずにもう一回下まで降りますからね」



 膝をついて覗き込んでくる後輩にそう言われた。無理に笑顔を浮べようとしているのか口角が震えている。



「らんれ……」


「だから喋らないでって! 突然倒れて呂律がおかしくなった人をそのままにできるわけ無いでしょうが!?」



 反論しようにも後輩に遮られた。切羽詰まった顔色はやはり青いままだ。


 エレベーターの表示が九階に変わる。速度を落とすと、ポーンと音を鳴らしながら扉を開いた。



「おお、篠崎くん、戻ったのかね。ちょうどいい。ちょっと頼みたいことが――」


「課長!? 先輩が!」



 ぼやける視界の向こうには見慣れた顔があった。いつもと変わらない様子の課長。

 焦り散らかす後輩とのあまりの落差にコントみたいだな、とぼんやり思った。



「おお、秋野くんもいたのか……なんで床に寝ているんだね?」


「そんなことはいいんです! 早く下りないと!!」


「? 今上がってきたところじゃないのかね?」


「それどころじゃないんス!!」



 後輩は勢いよく立ち上がると、閉めると一階のボタンを連打した。

 すぐにエレベーターの扉が締まり始める。



「ちょっと!? 篠崎くん!?」



 焦った様子の課長の声。視線だけ動かしてみるが、ボヤけた視界では課長の表情は見えなかった。



「説明は後でしますから!!」



 扉が完全に閉まった。間を置かずにエレベーターが下り始める。

 独特の浮遊感が横になった身体をほんの少し重力から開放する。



「うえっ……」


「先輩!? しっかりしてください!!」


「らいりょうぶ……」


「だから喋らないでくださいってば!!」


(……理不尽な)



 後輩はまだ混乱のさなかにいるようだ。反論しようにも少しでも言葉を発すればすべて喋るなと言われるのだろう。


 上がってきたばかりのエレベーターがゆっくりと下がりっていく。



「先輩、話しかけますけど、返事は手を握る回数で。はいは一回、いいえは二回。いいですね?」



 後輩が右手を握ってくる。

 言われたとおり、一度だけ握った。



「先輩、保険証あります?」



 何かあったときのため、持っているようにしていた。一度握る。

 後輩の手がじっとり汗ばんできている。



「デスクのカバンとかじゃないっスよね? 財布の中ですか?」



 財布の中に入れてあった。一度握ることで答える。


 後輩の顔ははっきりとは見えないが、まだいつもより青い気がする。きっと眉根を寄せて心配そうな顔をしているのだろう。



「今持ってますよね?」



 さっき喫茶店で会計したから持っていた。後輩もそれを見ていたはずだ。

 動揺しているのだろうか。



「持ってますよね? 先輩!?」


(怒鳴らなくても聞こえてるよ……)



 返事がないと思ったのだろうか。後輩の声に焦りが混じる。

 後輩の手をそっと握る。

 ちゃんと伝わっただろうか。後輩の肩がゆっくり下りたのが見えた。


 その時、後輩の背後がゆっくりと開いていった。思ったより早く到着したらしい。



「お、すぐに来た……えっ!?」


「すみません! 受付の人を呼んでもらえませんか!? エレベーターを止めたいんです」


「え? あ……わ、わかりました!?」



 声からして男性だろうか。扉の前にいた影が遠ざかっていく。



(悪いことをしたなぁ……)



 体を動かしたら怒られるので、届かないと知りつつも心の中で彼に謝る。


 彼の影は受付嬢と思しき影と戻ってきた。

 後輩が事情を説明するとエレベーターに乗り込んできた。恐らく一旦止めるのだろう。



「救急車はまだですか!?」


「まずは落ち着いてください。音はしてるのでもうすぐだと思いますよ」



 後輩は受付嬢に諭されるが、顔色は変わらない。

 耳をすましてみると確かに救急車の音が聞こえた。よく聞こえる音には違いないが、今は頭に響いてつらい。



「ゔぁ"っ……」


「先輩!? もうすぐですからね!!」



 視界だけでなく意識にもモヤがかかり始める。


 遠くの方からガチャガチャと音がする。



「…が人……ど…ですか!?」


「!? ここです! ここ!!」



 誰かの声に後輩が反応する。だが、誰の声かはわからない。


 徐々に増える足音がうるさい。耳を塞ぎたいが左腕に力が入らない。



「先輩! きゅうき……まし……もう……」



 後輩はなんと言ったのだろうか。ちゃんと聞き取れなかった。


 瞼が重い。目を開けていられない。



「……ぱ……っか…てくだ……」



 言葉が耳に届いているはずなのに、意味が理解できない。



「……!?……!…!!」


「…!……!?……」



 なにを言っているんだろう。わかるのは騒がしいということだけ。



「…んとう……そ…だけ?」



 最後に聞こえたのはどこかで聞いた気がする声。

 でも、どこで聞いたのかは思い出せなかった。


 



お読みいただきありがとうございます。

いかがだったでしょうか。お楽しみいただけたなら幸いです。

不定期ですがゆっくりと更新していきます。

よろしくお願いいたします。

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