11-7 予定外
――アビゲイルの予測通り、通路を抜けた扉の先――眼前に広がる雲海と、それを照らす血のように紅い月。そして月へと誘うかのようにそびえたつエレベーターを前にして、ベアトリスは殊更にこのダンジョンの異様さを感じ取ると共に、本当に自分はあの古井戸からここまで来たのかという錯覚にすら陥っていた。
「こんなダンジョン、見たことない……それに、これも……」
この時代に人力、あるいは水力式の荷物を持ち上げる道具等はいくらでも見た事がある。しかしこれほどまでに天高く上るほどの大規模なものを、ベアトリスは見た事が無かった。
恐らくこの世界の誰もがこのような光景を目の当たりにした事が無い筈と、ベアトリスは息をのみながら鳥かごのようなエレベーターへと乗り込もうとした。
しかし――
「――あれ? 動かない?」
常人の道はここで終わりといわんばかりに、備え付けてある鳥かご型のエレベーターはうんともすんとも動く気配など無い。呼び鈴のように備え付けてある鈴を鳴らしても、一向に上に伝わる気配など無い。
「……行き止まりかしら」
ならば仕方がないというほんの少しばかりの安堵感に肩をなでおろし、そして残りの不安をも取り払うため、ベアトリスは騎士団としての誇りや副団長との約束以外の、三つ目の偶像とも言うべきものを取り出す。
「……叔父上が下さったこの剣」
最初の凱旋の際に、現皇帝から褒美として貰った、真っ直ぐな直剣。それはまるで彼女のまっすぐな信念を表しているかのように、美しくも鋭い剣であった。
「……私をお守りください」
両手で祈るように握りしめ、剣を目の前に掲げてじっと見つめる。それだけで彼女にとっては勇気が湧いてくるのであろう。それが虚構であったとしても、一時の仮初めの安寧でしかなくても、今の彼女にとっては充分だった。
そしてそれを今までは待っていてくれていたかのように、突如として鳥かごはガコンと音を立てる。
「えっ?」
歯車が回り、運命が廻る。そしてそれら全てが、ベアトリス=エーカーを死地へと導く序曲として届けられる。
「……動いた」
それはつまり、この先に立つ者がベアトリスを迎えているということ。エレベーターに乗ってしまえば、もはや後戻りはできないということ。
「……私は、負けない」
そうして長い長い死出の旅路を旅立つように、ベアトリスは上へ上へと昇っていくエレベーターの中、長い時間を過ごすこととなった。
◆◆◆
「主よ! これは一体――」
「元々リーパーの部屋で絶望へと突き落す予定だったが仕方がない。こうなったら代わりにアリアスにやって貰おう」
玉座の間にて、アビゲイルは膝をつきながらも主の言葉を仰いでいた。しかしこればかりは、異を唱えざるを得なかった。
「何故私が向かわなければならないのです! そのための犬笛のはずでは――」
「いやすまない、どちらにしてもレベル60程度の“番犬”ではリーパーですら止めることはできないからな。お前が出ることは決まっていたことだ」
「しかし何故それを黙っていたのですか! 私に何か落ち度でも――」
「落ち度があるとすればそれは貴方が殿方の意図を汲み取れずに吼えている所ではないかしら?」
今回の防衛戦では出番がなかった“樞屋敷”のフロアボス、ヤマブキが玉座の間の隅にて編み物をしながら一人嗤う。足元には編み物用の糸を供給する大型の蜘蛛を三匹従えて、人としての両手で器用に二本の棒をより合わせ、蜘蛛としての前足二本が供給される糸を上手く手繰り寄せている。
「ヤマブキ! 貴方も何故持ち場に――」
「あら? 殿方の命令に従って貴方が居ない間、誰が殿方を守るのかしら?」
「貴方とアリアスも、今回のようなことがあるかもしれないというのに、フロアで待機するよう指示されている筈では――」
「何を言っているのかしら」
そこから先、ヤマブキはとぼけた様子で殿方であるエニグマの元へと忍び寄り、そしてアビゲイルを挑発するかのごとく、わざとダンジョンの一番の権威であるエニグマに媚びるようにその妖艶な肢体を密着させる。
「本来ならば殿方を守るべき人がいないのだから、私だけでもお傍にいて差し上げるのが従者として行うべきことではなくて?」
「しかしそれではアリアスは――」
「あの子は素直すぎるからフロアに戻っただけ。しかもそれで結局貢献できているのだからいいでしょう?」
そもそも事の発端としてはアビゲイルに最後まで作戦を言いそびれていたエニグマが原因となるのだが、それをダシにヤマブキは上手く殿方の傍を勝ち取ったということになる。従ってヤマブキの言う意図など何もなく、かといってここで下手に物事を言えないエニグマは、頬にあたる胸の感触に心音を高めるだけで何もできずにいる。
「主よ、今一度命を! 貴方のお傍にいるべきは、常にこのアビゲイルだということを!!」
「……残念だが、今回はアビゲイル無しではこの作戦が成り立たない。すまない」
「ッ……」
必要なのは自分。しかし傍にいるべきも自分。アビゲイルは悔しさに歯ぎしりをするとともに、主から直々に受けた命を遂行するべく、その場を翻って姿を消していく。
「……アビゲイル!」
「……何でしょう」
その場を立ち去ろうとしたアビゲイルの背中に、エニグマの声がかけられる。
「きちんと遂行せよ。そうすれば、お前にも褒美をやることができる」
「ッ……! このアビゲイル、必ず主の命に報います!!」
一度は足を止めたアビゲイルであったが、その後は殊更に足早にしてその場を去っていく。
「褒美……それはこのヤマブキにもいただけますでしょうか?」
「既に好き勝手やっていることに目を瞑っているだけでは不満か?」
「いえ……出過ぎた真似を、申し訳ありませんでした」




