5-1
ちょうど森が途切れたと同時に長かった山道が終わり、そこから先は視界いっぱいの平野が広がっていた。
獣の群れの襲撃を受けてから二日ほど経ったが、結局襲われたのは先の一回きりだった。幸運にもそれからは野盗の類に出くわすこともなく見晴らしの良い場所へと出ることができている。
現在、隊商は国境から南に大きく下った位置を進んでいた。戦場跡から離れたためか、ここまで来ると街道もある程度整備されている。竜車は山の中とは比べ物にならないほど快適に進んでいた。護衛の身分からしてみればやや不謹慎な感想だったが、いささか退屈といって差し支えなかった。
平原の中に度々現れる田畑を僅かばかりの慰みにしながら、眠気を堪える。そのまま何事もなく次の目的地が見えてきた。西側にある小高い丘を含む形で円形に城塞が築かれた、小規模な都市。
後ろでは珍しくアシュレイが起き上がっていた。森を抜けてしばらくは牧歌的な風景を眺めていたようだったが、それにもすぐ飽きたらしく、道中は幌を取り去った荷台で寝るか、外に足を投げ出しながら本を読んでいることがほとんどだった。
今はしげしげと行く先にあるレイヤンという名の都市の外壁を眺めている。
「そう変わった都市でもないと思うんだが」
手綱を握って前を見ながらゲインが言った。
「ああ。だが、初めて訪れる」
「俺もだ。名前は聞いたことがあるがな」
ほう、とアシュレイが声を上げる。
「どういうところなんだ? 賑わっているのか? 寂れているのか?」
「さあな、知らん。ただ、軍の次の侵攻予定地のひとつだったから聞き覚えがあるだけだ。それが実行される前に辞めたがな」
「軍人だとか言っていたな」アシュレイの視線が都市の方へと戻る。「無傷のようだ」
その発言通り都市の外壁はきれいなもので、欠けたところや焦げ跡などは見られなかった。
「攻められる前に停戦までいったんだろう」
何の気なしに放った台詞にアシュレイが食いつく。
「地図を見る限りカルマムルに割譲されたハルマーからここまで障害になるようなものは見当たらない。ついでに攻め込んでもよさそうなものだが、何故、そうなった?」
「お前さん見た目の割にお喋りだよな」
「外見に関してあんたにどうこう言われたくはないな」
アシュレイの憮然とした声。顔は見えなくてもどういう表情をしているかは想像がついた。中身は人食いの獣なんぞより余程おっかないというのに、気を張っていない状態では年齢相応の反応を見せる。
「理由は、ある。聞きたいか?」
「もったいぶるな」
「じゃあ教えてやる。そもそもカルマムルとサルタナの戦争は八百長みたいなもんだ。表面上別の国になってはいるが、一番上の神様が一緒なのさ。同一の存在。つまり、自分で造った駒同士で模擬戦をやってるようなもんだ。本気で攻め滅ぼそうなんて考えるわけがないだろう?」
沈黙。目を白黒させているのだろう。やがてアシュレイは鼻で笑った。「初めて聞いたな、そんな世迷い言は」
「そうだろうな。極秘中の極秘だ」
「あんたの辞める前の階級は?」アシュレイの小馬鹿にしたような声。
「中尉だよ」
「下っ端だな。何が極秘だ」
荷台に横たわる音。やがて本の頁をめくる音も聞こえてきた。
到着した隊商の一行は大いに歓迎された。
街を囲む石壁とつながった門の手前で竜車を止め、にこやかな顔で歓迎の挨拶をする門番に、先頭の車両に乗り合わせていた商人が貿易許可証を提示する。
身分証明が終わると、商人は目録と手数料を門番に渡した。目録には死んだ人間の名前と番号が記載されていて、遺体を包んだ布には対応する札がぶら下がっている。聞いた話では、それらは城塞の中にある共同墓地に葬ってもらう契約になっており、これも都市の貴重な収入源のひとつになっているとのことだった。
門番に見送られながら隊商の列は城壁の中へと進む。前の竜車が動き始めたのを見て、なりゆきで御者を続けさせられていたゲインも竜を蹴り、強く鞭を入れた。並みの獣と違い、竜は表皮が硬すぎるせいで軽くやった程度ではびくともしない。
久しぶりの街。休戦中とはいえ前線にほど近い都市であるためさぞや意気消沈した様子だろう、そう思っていたが、城塞の内部は思いのほか賑わっていた。いち早く戦争の影響から抜け出したのか、それとも戦時中もこうだったのかは分からないが、都市を縦横に分断する街路は人でごった返していた。
御者台から身を乗り出して大通りを眺める。とてもではないが竜車が通れるような隙間は見当たらない。先頭の車両が交差点を曲がったのが見えたので、ゲインは慌てて座りなおし、手綱をそちらに向けて思い切り引っ張った。
中央からは二つ、三つ外れた通りを進む。住宅街に面しているようで、路地の脇には洗濯物を干している恰幅のよい婦人や、大工作業に勤しむ禿げた中年の男の姿があった。隊商を目ざとく見つけた元気の良い子供がどこからともなく飛び出してきて竜車に併走する。珍しいのか竜の身体をぺたぺたと触っていた。
「どけ、危ねえぞ」
ゲインは手を振り、語気を強めて子供を追い払った。もし足でも踏まれようものなら骨折どころか潰れて二度と使い物にならなくなるだろう。子供の体力であればそのまま死ぬ可能性もある。治癒の奇跡を起こせる使徒に伝手でもあれば話は別だろうが。
前の車両が木製の二階建ての建物に向けて右折した。ぶつかるのではないかとぼんやり考えるが、そうはならなかった。どうやらその建物は一階が柱と上階への階段だけの空洞になっているようで、そこに車両が格納できる構造になっていた。
「あんたらはあっちだ。二階がそのまま宿泊施設になっている」
先に降りて後続を待っていた隊商の人間に言われて向かいに目をやると、そちらの建物も同じような造りになっていた。ゲインは手綱を思い切り引き、騎竜に蹴りを入れ、そちらを向くよう促した。
「着いたぞ」
「ああ」
アシュレイが荷台から飛び降り、階段を上っていく。その肩には自分の分の荷物しかない。
「こいつはそのままでいいのか?」竜を指差して隊商の人間に尋ねる。
「ああ。近くに厩舎代わりの小屋があるから、そこまで俺が連れて行く」
ゲインは御者台から降りて伸びをし、凝り固まった背筋をほぐしてから礼のつもりで竜の頭を軽く叩いてやった。それが返事なのかどうかは分からなかったが、数日ほど世話になった竜は目を細めて喉を鳴らした。
二階に上がると、簡素なものだったが寝台が並んでいた。数は明らかに利用者より多い。おおかた雑魚寝だろうと考えていたので少し気分が上向いた。
アシュレイは大部屋の隅を陣取っている。ゲインはその隣の寝台に腰を下ろして装備の留め具を外した。どうせ他の連中も同じ竜車に同乗していた者同士で集まるに違いない。
隊商の護衛として受けた依頼は国境からサルタナに入り、首都まで繋がる街道の入り口であるディリヤに辿り着くまでの間だった。道程としては半分を過ぎたことになるが、この街で何日かは足を止める予定になっていた。
部屋に新しい人物が入ってくる。湯気の出る桶を抱えているのを見て、ゲインは手を上げて声をかけた。
「よう。そいつはどこで貰ってきたんだ?」
「少し先に行ったところにある食堂だよ。いい匂いがしてたぜ」男が言った。
「借りてもいいかい?」
男が無言で手を差し出した。そこに銅貨を一枚乗せると、場所を空けてくれた。
「助かるよ。五日は水も浴びてないからな」
ゲインがいかにもうんざりした調子で言うと、男が笑った。
「ツラの割りに繊細だな。多少汚れたって死ぬわけでもないだろうに」
「習慣なのさ。俺の故郷は温泉が取り柄でね。まあ、ひなびた田舎の数少ない娯楽ってやつさ」
上着を脱ぎ、寝台の上に投げ捨て、手ぬぐいを湯につけて体を拭く。
「お前さんも使わせてもらえよ」
ゲインは背中を向けて装備の手入れをしているアシュレイに声をかけた。
「いや、いい」
アシュレイは振り返らずに言った。矢をくるくると回して一本ずつ羽の具合を確認している。
帷子を仕込んでいそうな厚手の上着を脱いでいるためか、その身体の線は細く、やけに頼りなく見えた。荒くれ者の多い護衛の中でもひときわ異質だ。その中身は異質などという言葉ですら生温い。これほどの加護を授かった信徒には、そうそうお目にかかれるものではなかった。
できれば友好的な関係を築いておきたいところだ。
あの恐ろしい冷気の短剣は鞘ごと腰から外されて寝台の上に投げ出されている。改めて見てみると、ありきたりな拵えのものだ。とんでもない値打ちものだと言われて信じる人間は少ないだろう。
体を拭いている最中、隊商側の人間が部屋に顔を出した。
「これで全員か?」
答える者は誰もいなかった。そもそも途中で数が減っている。雇用された側に分かるわけがない。
「ここの三軒隣にある大百足亭という食堂を貸しきってる。食材が無くなる前にさっさと来いよ。最後の奴は鍵を閉めるのを忘れるな。もしそんなことになったら契約を即座に打ち切って罰金を払ってもらうからな」
入口のそばにある金具に鍵をひっかけると、隊商の人間は扉を開け放ったまま下りていった。
腹を空かせた男達が我先にと出入り口に殺到する。ゲインと一緒に身体を拭いていた男も木桶を指差し、終わったら捨てておいてくれとだけ言い残してさっさと行ってしまった。
顔と頭を洗い終えて服を着る。アシュレイの姿を探す。ちょうど、点検の終わった弓と矢筒を抱えて立ち上がろうとしているところだった。
「もしかして待たせたか?」
「偶然だ」
アシュレイはぶっきらぼうに言って短剣を腰に差す。ゲインも同様に、槍にしては少し短いそれを肩に担いだ。穂先は布でぐるぐる巻きにしてある。商売道具を手放す気はない。部屋に残していっている間抜けもいない。
「そりゃよかった。さっさと行くか。腹が減って仕方がない」




