4-3
目に入った光景にゲインは辟易した。
乱入してきたものと同じ人間大の茶色い体毛の四足獣が、雨の向こうに群れをなしていた。見える範囲だけでざっと二十はいる。雨の中、隊商の一団は獣の群れ──レンディアの信徒どもと交戦状態に入っていた。
雨足は更に強くなっていく。この雨が良くなかった。唐突に襲ってきた豪雨に幌をかけたせいで獣の接近を許し奇襲を食らうという無様を晒した。地形も悪い。山間の中腹の一本道であるため、前後に分かれた他の護衛隊と集結することも難しかった。
まるで狙い済ましたような状況。
襲撃を受けた竜車の列は立ち往生している。合わせて十台、その半分には護衛が四、五人ずつ乗り込んでいるはずだったが、それで足りるかどうかは疑わしい。他の号車でも似たような状況であれば、ろくでもない結果が待ち受けているのは目に見えていた。
「おい、先頭に向かうぞ!」
叫ぶような呼びかけ。同じ荷台に乗り合わせていた髭面のものだった。雨のせいで姿は見えない。
相手は物資を狙った物取りではない。隊の指揮官でもある先頭車両の隊商長の元に駆けつけるべきかどうかについてはゲインも真っ先に考えたが、目にした敵の数が多すぎたため即座に断念した。隊商なんぞで生計を立てている人間がそうそう無様にやられることはないだろうという公算もある。
「道が狭い、それにこの数を見ろ!」
ゲインが否定の意見を、どこにいるともしれない男に向かって叫び返した。その最中にも獣は容赦なく爪を振りかざして襲ってくる。それを槍の柄の部分で受け、流し、鼻っ面を切り裂いて押し戻す。
頬から血が流れ落ちた。完全には受けきれておらず、爪が顔を掠っていた。
「雇い主の安全が最優先だ!」
「そのために無駄に数を減らしても意味がねえ!」
臆病者。そう言い捨て、水しぶきを上げてどこかへ遠ざかる足音。ゲインは胸中で罵声を浴びせながら、目の前の獣の前足を狙って槍を払った。
獣は少し退いてそれを避けると、振り抜いた隙を狙って飛びかかってきた。ゲインは慌てて後ろに下がろうとするが、足がぬかるみにとられて背中から地面に倒れる。すかさず覆いかぶさってきた獣の顎が首に届く寸前、ゲインは槍の柄を口に差し込み、両手を使って全力で押し返した。
生臭い獣の呼気が顔にかかる。息を止め、槍を捻って力を逸らし、何とか隙間を空けて下になった状態から渾身の蹴りを入れた。
ゲインは転がって起き上がり、荒い息をついて槍を構える。獣は先ほどの蹴りなどまったく効いていない様子で地面を踏み鳴らしていた。護衛側の頭数が減ったせいで敵意がゲインに集中し始める。獣は三方から唸り声を上げてにじり寄ってきていた。頬の切り裂かれた部分が出血で脈打ち、鼓動が強く耳朶を打つ。
逡巡している余裕はなかった。ゲインは腹を決め、肺の中のものを全て吐き出し、槍を持ち直して石突きの部分を前に向けた。
回収機能を動かそうとした次の瞬間──ゲインと睨み合っていたレンディアの信徒うちの一頭が、横合いから飛んできた矢に頭を打ち抜かれて絶命した。その死体が横たわるよりも早く、さらにもう一本が二頭目を仕留める。ゲインは三頭目の狼狽を見逃さず、槍を反転させて喉首を刺し貫いた。
矢を放った存在を横目で確認する。小型の弓を片手に持った小柄な人影が、通りを右から左に走り抜けているところだった。
泥でぬかるんだ山道をものともせず、人影は尋常でない速さで及び腰の一頭に接近すると、腰から抜いた短剣で逃げる暇も与えずに切りつけた。
その一撃で付けた傷自体は浅いものだったが、そこから見る見るうちに氷が広がっていき、獣の長い体毛に覆われた体が凍り付いて固まった。見れば、短剣の刃の周りには冷気が漂っている。うっすらと白く光り輝いていた。
「お前さんは行かなかったのか?」
小柄な人影の正体は同じ荷台に乗り合わせていた少年だった。雨に濡れて端正な顔に張り付いた灰色の髪の奥には、髪と同じ色をした瞳がこの視界の悪さでもはっきりと見えるほど鋭く光っていた。
少年は答えない。また何か言おうとしたゲインをよそに、獰猛な笑みを浮かべながら走り出していた。
獣の群れを迂回するように動き、走りながら矢を抜いて弓を引き絞る。不自然な体勢で放たれたにも関わらず、矢は正確に獣の急所を射抜いていた。
獣どもは追いすがろうとするが、驚くべきことに少年の足はそれより速かった。速度を全く落とすことなく急激な方向転換を何度も繰り返す。走り回り、獣との距離を引き離しては、思い出したように振り返って矢を放つ。
勘の鋭い何頭かは動き回って矢を避けていたが、それらが無理な動きで体勢を崩すと見るや、少年は懐に飛び込んで短剣を振るった。斬るというよりは、掠らせるような動き。たったそれだけで獣どもは凍りついて死んでいく。
足だけでなく地形も活用していた。少年はときおり山道から外れて木々の中に飛び込み、その間を蛇のようにするすると移動することで追跡の足並みを乱れさせる。そうして集団からはぐれたものから一頭ずつ殺していく。決して囲まれないように前後左右へ自由自在に動き回り、翻弄した後に走りながら狙撃、怯んで二の足を踏んだ相手には強襲して凍らせる。
見惚れる、といった華麗な動きではない。思わず笑いがこみ上げてくる類のものだった。身体能力を奇跡で高めるのはありふれたものだが、いま目の前で繰り広げられているこれは度が過ぎていた。
状況は一転していた。目に見える獣の数はそれと分かるほど減っている。このままなら押し切れると判断したゲインは、少年に気を取られて後ろを向いた敵だけを狙って突き殺していった。
こちらに注意を向けてきたものは積極的に相手をせず、できるだけ防戦に徹して時間を稼ぐことに専念する。すると、申し合わせたように少年が死角から飛び込んできて、一撃でそれらを屠っていく。
どこか離れた場所から遠吠えが聞こえた。
次の瞬間、獣の群れが一斉に身を翻す。一頭残らず森の中へと走り去っていった。残ったのは人間と、動かなくなった死体だけ。
思わず手を叩いて褒め称えたくなるほどの見事な撤退。草木を踏み荒らす足音が止んでからも、暫くの間ゲインは呆然として構えを解くのを忘れていた。奴らの引き上げに応じたのかのように雨足の方もいつの間に弱くなっている。
山林の奥から少年が歩いて戻ってくる。一頭、虫の息だった獣がいたが、それに短剣を突き立てて止めを刺した。そして、あろうことかその死体を損壊し始めた。
凍りついた獣の死体を蹴り砕き、踏みつけ、粉々にしてなおすり潰すように踏みにじった。表情には喜悦が滲んでいる。
「さすがにそこから蘇ることはないだろうよ」
声をかけると少年が振り返った。ぎらつく眼光で射すくめられ、ゲインは思わず身構える。次の瞬間には襲いかかってきてもおかしくないような様子だった。少年はかぶりを振ると、今度は適当な木に近づいてその幹を殴り始めた。
「何をやっているか聞いてもいいか?」
「僕だってやりたくてやっているわけではない」
少年は殴りながら答えた。凛とした響きの、落ち着き払った声。気が触れているようには思えない。
「まあ、人の趣味に口を出す気はないんだが」ゲインは気を取り直した。おかしな奴など、どこにでもいる。会話ができるだけ上等の部類だと考えた。「しかし、ああいうもんなのか? 統率が取れてる、なんてものじゃないぞあれは」
「レンディアのことを言っているなら、そうだ。あれくらいはやってのける。集団で襲ってくる上に隙は見逃さないし、不利だと思ったらすぐ逃げる。しかもここは戦争で人気がなくなった、狭く、人数が集まりにくい隘路、まさに狩場としてはうってつけだ。まさか初めて見たわけじゃないだろうな?」
少年はようやく木を殴るのをやめる。出血した拳の具合を確認していた。
「直接やりあったのは、まあ、初めてだな」
見たことのある個体といえば、せいぜいが村に迷い込んできたはぐれ程度で、あとはもっぱら家畜用だった。ゲインの生まれ育った田舎などでは一家に数頭ほど飼っているところもあったが、いずれもおとなしい性格をしていた。頭を叩いても、耳を垂れて首を竦めるくらいの反応しかしない。今の見事な襲撃をやってみせた動物とは、外見的特長が一致する以外は似ても似つかない。
「授かった加護が違えばああもなる。僕たちと同じだ。その体たらくでよく山道の護衛を引き受けようなどと思ったな」
「いやなに、相手は物取りの類だって話だったからな。ああ、さっきは助かったよ」
「仕事だ。ぼんくらと組まされるようなこともあるさ」少年は獣の死骸から矢を引き抜いてまだ使えそうかどうかを確認していた。
「俺は報告に行ってくるから、悪いが荷物を見張っててくれよ」
背を向けたところで独り言のように呟く声が聞こえる。「暫くの間、奴らは戻ってくることはないだろうがな」
死屍累々。
荷物はほとんど荒らされていなかったが、先頭車両に向かう途中、やはり隊商側に少なくない被害が出ていたのが嫌でも目に付いた。ところどころ、レンディアの信徒のものに混じって人間の死体が転がっている。途中で離脱した男たちの姿もあった。血まみれで泥水の中に突っ伏して倒れていた。後ろから首筋を爪で切り裂かれたような跡がある。
先頭車両付近では、この辺りでは見ない質感の皮鎧を着けた男たち──隊商側の人間が輪になって話し合っていた。状況が思ったより悪いのか、なにやらゲインには理解できない抑揚のきつい言葉で語気荒くやりあっている。
どう声をかけたものかとまごついていると、腕を組んで議論に耳を傾けていた隊商の長が厳めしい面をゲインに向けた。
ぴたりと声が止んだ。そして全員が一斉にゲインの方に顔を向ける。
その様子に面食らっていると、隊商長が流暢な公用語を発した。見た目を裏切らない低く重い声。「マラティアの信徒と接するのは初めてか?」
「あそこの信徒か、あんたら」
半島と大陸の境を越えてすぐの所に位置する国家。信徒間で優に十を超える位階が存在し、高位の信徒は低位の相手に対してある程度の強制力を持っている。
「説明はしたはずだが」
「半島を南下する途中だってのは、聞いたような気がする」疲労と長い不摂生からくる体調不良で契約時の記憶がおぼろげだった。
「存外いい加減な男だな、中尉どの」呆れたような声音。「状況を報告しろ」
「俺の乗ってる四号車だが、荷物は無事だ。ただ五人中三人死んだ。ああ、竜は生きてる。あと、中尉どのはやめてくれ」
荷車を引く竜は襲撃してきた獣より二回りは体が大きく、固い鱗に体表を覆われている。獣の爪や牙程度では滅多なことでは負傷すらしないだろう。相手もそれを分かっていたのか、そちらには見向きもしていなかった。
「あんたのほかには誰が残っている?」
「もうひとりはガキだ、灰色の髪をした。悪いが隊商の人間は死んじまったよ」
「そうか」
隊商長は動揺した素振りもなく、ままあることだとでも言いたげな顔をしている。歴戦の古強者といった具合だった。
「護衛の続行に関して問題はないか?」
ゲインは手で口元を覆って考える。少年の顔を思い浮かべた。「問題ないね、多分。もう一度同じ規模の襲撃があってもなんとかなると思う」
「馬鹿なことを言うな。二人しか残っていないんだろう」
軽く請け負ったゲインに部下と思わしき別の男が苛ついた様子で噛み付いてきた。隊商長がそれを手で遮る。
「御者の経験はあるか?」
「一応、やったことはある」一通りは軍で仕込まれた。
隊商長は顎をしゃくって来た道を示した。「では戻れ。すぐに出発する。欠けた人員の代わりをやってもらう」
端的な命令が下される。実に妥当な判断だった。こんな場所で立ち往生していても何も得るものはない。
了解の首肯をしたゲインに隊商長が付け加える。「ああ、それと、目に付いた遺体は収容しておけ」
「身に着けてるものでも剥ぐのか?」
「契約内容についてもすっかり頭から抜け落ちているようだな」相手はつまらない冗談には取り合わなかった。「身元が分からなければ補填のしようがない。家族、一族、国、いずれかに遺品を送ってやらねばならないし、遺体は埋葬してやらなければならない。魂が至尊の御許に還れるかどうかは、まさに神のみぞ知るところだが」
「手厚いな。足が出るんじゃないか?」
「積荷次第だな。命知らずや食い詰め者はどこにでもいる」
身につまされる話だった。顔に出ていたらしく、隊商長は岩に入った亀裂のような笑みを口元に浮かべる。ゲインは手を振ってその場から離れた。
戻る途中で、間抜け、あるいは勇敢さを持て余した者達の死体を手近な荷台に投げ込みながら、元いた場所、四と番号付けられた竜車に戻る。その頃には足だけでなく、死体の回収作業で全身が泥まみれになっていた。
「すぐ出発だ。忘れもんはないか?」
ゲインは荷台を覗き込んで声をかけた。少年は荷台の隅、血に濡れていない場所に胡坐をかいて、短弓と矢の手入れをしていた。
「問題ない」
「そうかい」
ゲインは竜の頭を撫でながら異常がないかを確認する。外傷は無く、鞭を入れれば問題なく歩き出すだろう。深い緑色の表皮と鱗をしており、小柄な部類だがそれに見合わぬ太い四肢は見事なものだ。それに加えて騎乗用や輓竜として用いることができるほどの穏やかな気性となれば、それなりの値段がするはずだ。それを証明するかのように、竜どもには後生大事に体格に合わせてあつらえた金属製の鎧が着せられている。
御者台には一応屋根が付いていたが、今は横風が強く、雨に打たれ放題だった。荷物の中から獣脂で防水された外套を引っ張り出して羽織った。幾分か血塗れだったが、幸いにも我慢できる程度だった。
「残りはどうした?」少年が作業をしながら聞いてきた。
「途中で死んでたよ」
「そうか」
そう言って少年は指で印を切って目を伏せる。何かしらの祈りだというのは分かった。恐らくは死者に対する。これから彼らが歩む回帰の旅路への。先ほど死体を嬲っていたのと同じ人物だとは思えず、その整った顔をまじまじと眺めていると、半分ほど瞼を上げた少年と目が合った。
「何だ?」
「知り合いだったのか?」
「いいや」少年は首を横に振った。「あんたと同じで、この仕事で顔を合わせたのが初めてだ。特に深い意味はない。習慣だ」
そういうことにしておくかと納得して、ゲインは御者台に腰を下ろした。
「あんたが動かすのか?」少年の意外そうな声。
「やったことはある」
「見かけによらないな」
「そうか? どう見えるんだ?」
「ごろつき、与太者だ」
的を射ている。ゲインは思わず声を上げて笑った。予想外の反応だったのか少年は眉をひそめ、やがて興味を無くしたように作業へと戻った。
「そういやお互い名乗ってなかったな。ゲインだ」
暫くして呟くような声が聞こえた。「アシュレイ」




