湖と俺と昔話
昔々あるところにお爺さんが住んでおりました。
おじいさんはおばあさんに先立たれていましたが、山あいのきれいな湖に程近い小さな山小屋で貧しいながらも一人で暮らしていたのです。
ある日のことです。湖の湖畔に山菜を取りに行ったおじいさんは、誤って足を滑らせてしまい、湖に落ちてしまいました。
「ひゃー、わしは泳げないんじゃ。誰か助けてくれ~」
おじいさんは必死で助けを呼びましたが、辺りには誰もいません。お爺さんは手足をばたばたさせていましたが、次第に湖の中にズルズルと沈んでいってしまいました。
「もしもし、もしもし」
「う、う~ん、わしはいったい」
おじいさんがふと気が付くと、湖の中をふわふわと漂っていました。けれども何だか自分の体が変です。ふと自分の手を見ると半分透き通っているじゃあないですか。
「やや、これは一体どうしたことじゃ」
「もしもし、もしもし」
「だ、誰じゃ、さっきからわしを呼ぶのは。お、あんたかい」
「はい。私は、この湖の精です」
「わしはいったいどうなったんじゃ」
「あなたは今幽体離脱しているんです。と言ってもよくわからないかしら」
「何のこっちゃい」
「下のほうをご覧下さい。3人の人が横になっているのが見えますでしょう」
「おお、湖の中に面妖な」
確かにおじいさんのずっと下のほうに仰向けになって3人の人間が眠ったように横たわっておりました。
左には10代後半と思われるかわいい女の子。
真ん中は20代前半と思われる頑健な男性。
右には70代の男性、つまりおじいさん自身です。
「さあ、あなたの体はどれですか? まだ死ぬには少し早いようですよ、私が元の体に戻してあげますわ」
おじいさんは三人の姿を確かめると、即座に湖の精さんに答えました。
「右のじじいがわしじゃい」
「まあ、何て正直な。若い体を選べばこれからずっと元気に楽しく暮らせますものを」
「ははは、わしはわしじゃ。ばあさんもおらんし今更何を望もうぞ」
「わかりました。それではすぐに岸辺に戻してあげましょう。でもおじいさんのその正直さ、私好きですよ。帰りにちょっとしたご褒美を差し上げますね……」
おじいさんはそのまま気を失いました。
しばらくしておじいさんは目を覚ましました。そこは湖の岸辺。ふと気が付くとおじいさんの横にもう一人打ち上げられているではありませんか。
それは先程湖の中で見た女の子です。
「おい、しっかりしろ、生きているのか」
「う、うーん。私はいったい……あ! あなたは、もしかしておじいさんですか? 私、わたしですよおじいさん。でもまあ若くなりましたねぇ」
「うん? ま、まさかばあさんか! そう言えば確かにばあさんの若い頃にそっくりじゃ。じゃがわしが若いというのは?」
「おじいさんったら出会った頃のようですよ。湖に映して御覧なさいな」
おじいさんは湖水に自分の顔を映してみました。
「おお、これは真ん中の男。そうか、あれはわしの若い頃の姿だったんじゃな」
「はい、こうしてまた出会えるなんて夢のようですわ」
「そうじゃな……湖の精さんや、ご褒美ってこれだったのかい。ありがとうよ」
それから若返ったおじいさんと昔の姿で生き返ったおばあさんは、二人で幸せに暮らしました。
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「えっと、これがこの湖にまつわる昔話なんですよ」
「へえぇ、もしおじいさんが左の女の子や真ん中の男を選んだらどうなったんだろうね」
「さあ。多分ご褒美は頂けなかったでしょうけれど、そんなことわからないわ」
会社の休日、俺はバイクでツーリングしているうちに、ある山あいの湖の湖畔に来ていた。そして、そこで知り合った地元の女子高生に湖の話を聞いているうちに、変な昔話を聞かされることになってしまった。
「ありがとう、面白かったよ」
俺は彼女と別れると、湖を一周してみる事にした。
湖の方を見ると、青く澄み切った湖水が湖の精がいるという伝説に相応しい佇まいを見せている。
ところが湖を四分の三程周った所で路面の濡れた急カーブに運悪くスリップしてしまい、バイクから投げ出された俺は、そのまま湖に落ちてしまった。
「もしもし、もしもし」
「う、うーん」
「もしもし、もしもし」
「あ、あれ、俺どうしたんだ。え、あなたは?」
「あら、気が付きました? 私は、この湖の精です」
「いったいここは? 俺って湖に落ちて……一体どうなったんだ」
「ここは湖の中、あなたは今幽体離脱しているんです。と言ってもよくわからないかしら」
(何かどっかで聞いたような……)
「要するに、俺の心は今、俺の身体から離れているんですね」
「はい、その通りですわ。よくおわかりですね。下の方をご覧下さい。3人の人が横になっているのが見えますでしょう」
「お、確かに」
俺の眼下には仰向けに3人が眠ったように横たわっていた。
左に10代後半と思われるかわいい女の子。
真ん中に20代後半の頑健な男性、つまり俺だ。
右に70代と思われる年を取った男性。
「さあ、あなたの体はどれですか。まだ死ぬには早いようですので、元の体に戻して差し上げますよ」
俺は考えた。
(これってあの昔話と同じじゃないか。このまま自分の本当の身体を教えてもつまらないな。ちょっとからかってやるか)
「左の女の子が俺だよ」
「……そ、そうですか。……で、では元に戻して差し上げましょう」
湖の精は口元にひくひくと引きつった笑いを浮かべていた。その肩は、心なしかブルブル震えているように見える。
「え、ちょっと、冗談だよ、冗談。見ればわかるだろう」
「私に冗談は通じませんよ。正直に答えておれば良いものを。最近の人間ときたら……ああ、昔が懐かしい」
俺は急に身体が引っ張られるのを感じた。気が付くと、どんどん女の子の方に引っ張られている。
「わあ、やめてくれ、俺が悪かった」
「知りません。あなたはこれから一生そのか弱い体で暮らすのです」
俺の身体はどんどん女の子に近づき、やがて足が女の子の体の中にのめり込んでいった。
「ひやっ!足が入ってしまったぞ。変な感じだよう」
俺の身体は操り人形のようにひとりでに仰向けになり、ゆっくりと腰を落としていった。女の子の脚と俺の脚が重なった。すると重なった部分の感覚が無くなっていく。女の子の中に入っていくのを止めようにも、自分では全く体を動かすことが出来ない。脚が重なり、腰が重なり、腕が重なり、女の子の身体の中に自分の身体が少しずつ沈み込んでいく。
「あれ、身体の感覚が、あれあれ、感覚が無くなっていくぅ、いやだ、止めてくれ、ああ……」
やがて、俺は頭だけをかろうじて女の子の首の上に出し、身体は全部女の子の中に沈み込ませたような体勢になってしまった。でも、その頭も徐々に下がっていく。
「うわぁ、俺が悪かったよう、ちょっとからかっただけなのに、うっうぷぷ」
遂に俺の頭も女の子の頭にすっぽりと納まってしまった。そして、そこで意識が途切れた……
.ん ‥ちゃん …お嬢ちゃん、お嬢ちゃん、大丈夫かい。
「う、う~ん、あれ、ここは」
「あそこから落ちたのかい、こんなところに打ち上げられるなんて。でもよく溺れなかったもんだ」
頭の上からおじいさんが声をかけていた。
「え、えーと俺は、え? この声??」
俺の声は俺の声じゃなくなっていた。細く高い、これってまるで女の子のような……
がばっと跳ね起きると、何か様子が変だ。体にぴったりと密着していたはずの皮のバイクスーツがダボダボになっていた。いや、お尻だけはなんだかぴっちりときつくなっているのがわかるんだけれど、腕も脚も上半身もゆるゆるダボダボだ。胸に触ると、小さな二つの膨らみがかわいく盛り上がり、股間は……触らなくても判った。見ただけでピタッとしたスーツがそこに張り付いていてそこはのっぺりとしていた。
恐る恐るスーツの上から触ってみると、や、やっぱり何も無くなっていた。
見回すと、そこは湖岸の砂浜だった。体を起こして湖水に自分の顔を映してみると、そこにはまだあどけなさの残した高校生位の女の子が湖水を覗き込んでいるのが映っていた。
これって、あの子だ……俺本当に湖の中で見た女の子になっちゃったんだ。
「湖の精さん、ごめんなさ~い。許してくださ~い」
・・・・・し~ん・・・・・
誰も答える者は無かった。いや一人いた。
「どうしたんじゃ。おかしな娘じゃのう。そんな格好じゃ濡れて寒かろう。取り敢えず家に来なさい。孫の服を借りるとよかろう」
途方に暮れた俺は結局おじいさんについていった。おじいさんんの家には、さっき昔話を話してくれた女子高生がいた。
おじいさんの孫ってこの子だったのか。
「ほら、早くしなさい。風邪ひいちゃうわよ」
結局ずぶ濡れの俺は彼女に着ているものを全部剥ぎ取られ、代わりに彼女の下着を無理やりはかされ、半袖のセーターとミニスカートに着替えさせられる羽目になってしまった。
鏡に映った俺は、どこから見てもハイティーンの女の子に成り果てていた。
少しうつむいて両手を握り締めている姿はどきっとするくらいかわいいんだけれど、これって本当に俺なのか……腕の筋肉なんか全然ありゃしない。
「あなたよくバイクなんか運転できるわねぇ。とてもそうは見えないけれど。そう言えば、私とどこかで会わなかった」
俺の耳にはそんな彼女の言葉は入っていなかった。
ああ、あそこでからかおうなんて思わなければこんなことには……これからどうすりゃいいんだぁ~~~
(終わり)