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Red Rim 黒緋の乙女と円環世界  作者: 32➡1
灰色の車輪編
40/41

7.√ Ag to Au



 楼刻歴1661年、天蓋の円環節66日。2:00 p.m.


 鉱物輸送に用いられる一台の車両が、四足の車輪を嘶かせてマーテル・ナインを円周する大通りを反時計周りに猛進していた。


右腕(うで)は第六環区二時回廊の路地を北緯に向けて侵攻。侵食汚染拮抗値と対象より放出される輻射アストルム反応から換算してその距離1,300os(エーゼ)【約1,200m】の範囲内』


 ハンドルを切り捌きながらなだらかな曲線(カーブ)を描いて進んでいく。端正に舗装された都市通りとは言え、本来そこに似付かわしくもない旧時代沁みた輸送車両が、その剥き出しの車輪で走行することなど想定されていない。


 ガタガタと大きく車体を揺らし、いつ横転してもおかしくない鉄屑のじゃじゃ馬をクラヴィスは手慣れた様子で、鼻歌すら奏でて乗りこなしていた。


「腕のくせによく走るもんだ、このままだと第七環区到達は確実だな。ちなみに今のは……」


『分かっているから説明は必要ない。仕事中に笑えないポンコツ冗談(ジョーク)を訊かされる方の身にもなって欲しい』


 運転席に座したクラヴィスの顔の付近でぼぅ……と仄かに蒼く発光する結晶球体が呆れるように揺蕩っている。元来コンコルディア協会の回収員(ガンナー)は銃を介したアストルム反応による共鳴振動によって一定の距離での無線通信を可能としていた。が、全身が銃と同じ奏銀によって構成されている歯車人(ギアマン)回収員(ガンナー)であるクラヴィスは、そもそも銃を必要としない。自己そのものが銃であるからだ。


 クラヴィスが己の身体から抽出した通信専用の結晶球体。言わばナビゲーション・システムに協会本部にいる研究員(タルパ)……情報処理・分析の専門担当であるプラハ・ミラが直接アクセスして彼を対象まで導いていた。


「周辺の汚染状況はどうなってる?」


『方舟教団が機甲使徒(エーカー)を使って対応に当たってる。あと、カルネアデス・アーク中心からマーテル・ナイン全域をカバーするように大掛かりな封印処置を施してる。こんな広範囲の封印処置を一度に出来るなんて異常。だからたぶん禁収斂(きんしゅうれん)も使ってる』


 視界そのものがディスプレイとして機能するクラヴィスのインターフェースを介してテキストとグラフィックによる情報が出力される。マーテル・ナイン全域を覆うようにドーム状の見えない囲いが幾重にも重なっており、万にひとつにも外敵(エウロン)による異形化の汚染……奏銀による浸食を許さず、抑え込むための防衛トラップが張り巡らされていた。


「カルネア・システムを用いて(やっこ)さんらが言うところの絶対不可侵を象徴する神……D.R.Y(ドライ)を呼び起こしたか。流石にジオ・ハモニカを守るためなら方舟教団も円環奏府も、手段を選んでる場合じゃなくなってきたらしい……いや、自分たちの汚点を消すためなら、か」


『そっちはアタシ、専門外だからパス』


 方舟教団の使用した禁収斂なる技法。これこそ人類救世の神なる船、カルネアデス・アークに残された喪失技術……アーミット・アルケイテスのひとつである神々の力。人やものはおろか、空間そのものに干渉し、汚染地帯の浄化を一手に担うことすら可能とする奇跡の御業。無論、方舟教団が教え広める聖典にはそれ以上の情報などありはしない。


 神が民になにを与えられるかは語られても、その代償に民がなにを差し出せば良いのかまでは神と交わす契約書に書かれていない。


「何事にも見返りはついて回る。奴らはたとえ世界や、歴史を放棄(リセット)してでも自分たちの業を貫く腹つもりだろう」


『大した神様ね』


 封印処置の影響で数多の観測地点からなるアストルム反応だけでは獲物がどこに居て、どこを目指しているのか……その全容を把握することは不可能だった。殊更に奏銀自体で構成された歯車人(ギアマン)たるクラヴィスの視覚となるレンズ越しの映像にはその弊害が強く現れており、外敵(エウロン)の発するアストルム反応はもやがかかったように像がぼやけ、霧散し、輪郭を曖昧にする。対症療法的に外部の――封印処置のドームを掻い潜れる――眼となるものが必須だった。


 そんな彼の“眼”たる働きに応えるミラの視界≪禁収斂の影響を受けない実務的な情報処理と計算における算出≫に、件の怪物が姿を現した。


『見つけた。車両前方左側。30os(エーゼ)先にいる』


 すでに僅か目と鼻の先。そこまで来てようやくクラヴィスの視界にも獲物の姿が確かな実体となって映し出され、直接的な観測を可能とした。


 それはまさに、肩から指先まで揃った真っ白い右腕が、芋虫の如く地面を這いながら路地を爆進している様子だった。右腕の大きさは6os(エーゼ)【約5メートル】あるかどうかといった巨大に肥えたものであり、二の腕からは8対に及ぶ被膜の翼を生やし、腕の下には夥しい数の肢がぶら下がり、それらがさながらムカデのように交互に蠕動させて、掌を前方に向けて地を這っていた。


『きもちわるい』


「出方を見る。ミラ、対象に向けてクォーツ弾を射出してくれ」


 クラヴィスの指示を受けたミラは車両の荷台に積まれた速射砲のコントロールを開始する。


 ぴったりと腕の怪物を横につけるようにクラヴィスが車両を走らせ、照準を合わせたミラが石英輝(ラピスクォーツ)の弾丸を射出。およそ20秒。計30発近くの弾丸が雨となって怪物の横腹を穿った。が。


『ダメ、ビクともしない』


「奏銀弾、シルバー・バレットに切り替えろ」


『でもこれ、けっこう高いよ?』


「ツケといてくれ」


 速射砲の弾倉が左にスライドし、新たな弾倉へと換装される。熱された銃身がその間に冷却され、再度角度と照準が調整。すべての条件が整い、奏銀製の弾丸――シルバー・バレットが轟音をあげて発射された。


 耳をつんざめくような、甲高い発射音。それは銃身と弾丸が擦れる際に発生する微量のアストルム放射によるものだ。あらゆるものを喰らう奏銀の弾丸。それがあらゆるものを喰らう怪物へと間髪入れずに撃ち込まれていく。鱗のように外敵(エウロン)の外皮がぽろぽろと剥がれ、細かい粒子となってあたりをきらきらと飾っていった。


 だがしかし、依然と怪物はクラヴィスたちには目もくれずに、ひたすらに前進を続けるのみであった。


「オーライ、もういい。これ以上無駄撃ちしたら一文無しになっちまう」


『甲斐性無し』


 爆音をあげていた銃身が電源を落としたように固まり、とたんに大人しくなった。


 ハンドルを握ったままのクラヴィスの周囲に、蒼い光球がふんわりと浮かんでは寄り添った。


『どう、なにか分かった?』


 近付いてもこちらを襲う様子は無く、攻撃を加えても無視して爆進あるのみ。さながら狂信的な信仰者のようですらある怪物の行動に、クラヴィスはある確信をもって答えた。


右腕(こいつ)は、帰ろうとしているんだ」





 楼刻歴1661年、天蓋の円環節66日。8:45 a.m.


 マーテル・ナイン第六環区楼刻四時方面、聖マーテル教会聖堂(チャーチ)


 否。キリンジの眼の前で燃え盛るその建物は、数分前までたしかに聖堂であった。


 紅蓮に染まる炎の揺らめきにかき乱されそうになった理性を、キリンジは必至に手繰り寄せ、我に還る。


「ソムノール司祭(ファザー)!? 子供(あいつ)らは……!?」


 呼びかけ、頭を振っても、返ってくるのは建物が焼ける匂いと肌を焦がすような業火の熱気のみ。


 自然と脚が動こうとしていた。焼け落ちる自分の家をただ眺めていることなど、キリンジには出来なかった。


「あの」


 背後からのあどけない声が、ふらふらと歩みだしていたその脚を止めた。


「わたしはこれを知っています。きっととっても『熱い』です」


「そんなの見りゃ分かって……」


 声をかき消すように聖堂の天井が崩落し、地を揺らしたかのような振動がキリンジとヒュプノリアを襲う。


 とっさにキリンジの腕は彼女をかばうように拡がって、炎に背を向けてヒュプノリアを抱き飛びのいていた。


 ヒュプノリアの眼は肩越しに崩れた聖堂……その中心にうごめくものを見つめていた。


「お父さん……?」


 呟くように唇を揺らした彼女の反応に、キリンジもゆっくりと振り返った。


 巨大に膨れ上がった『腕』のような異形の怪物が、忌々しくも聖なる教会の中央に座していた。


 怪物の『掌』が咆哮をあげて牙を剥いた。それは確とキリンジ、ヒュプノリアのふたりを毒牙にかけんと見定めたものだった。


 ふたりが立ち上がるよりも先に怪物はその巨大な躰を支える細長い無数の肢で燃える瓦礫を踏み抜き突進してきた。


 一線の太刀筋が、怪物とふたりの間を切り結んだ。


「ぐぬぅ」


 漆黒の鎧に身を包んだ長身屈強な男。その手に抜き身の刃を構え、怪物の『掌』を一身で受け止めていた。


「シュナイダー卿!」


「こやつは先の研究施設の生き残りだ。ここは我自らが抑える。キリンジ、貴様はその少女を連れて早々に此処を離れよ」


 そう言って機甲使徒の長たるクロウゼン・シュナイダーは、外敵(エウロン)と化した右腕の怪物を振り払い、対峙する。掌の口よりだらだらと分泌する唾液をまき散らし、怪物は今なお二人を喰らおうと手首を縦横無尽に振り回す。それを許さずとしてクロウゼンは力で怪物を押し込めた。


 キリンジの表情から迷いは消えていなかった。司祭は……子供たちは……それにこのヒュプノリアと名乗った少女は……。自分が為すべきことはなにか。誰かに救って欲しかった。答えをくれた司祭の声は無く、子供たちの喧騒も無く、我が家同然の聖堂は爆炎に包まれ燃えさかっていた。


 そんなキリンジに、ヒュプノリアは立ち上がり、手を差し伸べた。


「いきましょう!」


 少女の金色の髪がたなびき、青々とした瞳には強く確かな信念が宿っていた。


 右手が少女の差し伸べた手へと向きかかる……が、寸でのところでそれを堪えた。忌まわしき己の力で、この少女を壊してはいけない。ならば己のやることはただひとつ。守ることだ。そのためにキリンジはただ壊すだけの存在から、人々を救済し、守るために生きることにしたのだから。


 自らの脚で立ち上がり、キリンジはヒュプノリアに向き直る。


「逃げよう、お前のことは必ず俺が守ってやる」


「はいっ」


 はにかむような笑顔を咲かせてから、ヒュプノリアは人差し指を自分の顎に当てて言った。


「『守る』って、なんですか?」




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