4.福音響き降りたる星都の鐘
発見されたセンデルス伯爵の身体に右腕は無かった。
取引予定時刻きっかりに到着したクラヴィスを出迎えたのは、身内である検閲官の青年だった。
「貴方が彼の担当者でしたか」
「ジェダ、どうしてお前が」
代わりに血の様に紅い瞳をした少女、クオンが応えた。
「口を慎みたまえリム・リンガルム・クオン。この場において私はキミたちの上司だ」
純白の愛銃――クルシスを懐にしまい込み、ジェダ・ブレイズ・アダムは衣服についた埃を払った。
警戒する番犬の如く、今にも噛みつきそうなクオンを嗜める。地面に横たわる男を見てクラヴィスは無機質に問うた。
「こりゃ迂闊だったな。機鋼使徒のみならず協会にも伯爵の始末を働きかけていることは予測するべき事案だった。察するに、依頼主はアルディッソン卿ってところか」
「彼とは旧友です。その潔癖ぶりにはほとほと困ってはいるのですが」
白々しくジェダはかぶりを振った。
方舟教団の実権を担う枢機卿たちが、神の名を隠れ蓑にして行われる異常な実験など認めるはずもない。信仰そのものを揺るがしかねない伯爵の存在を疎ましく考えるのも、推察ながら無理はなかった。
「ではアルディッソン卿に伝えて欲しい。間違いなく、センデルス伯爵の処理は完了したとさ」
中折れ帽の影から屈折する光がジェダの視線と衝突した。
機械仕掛けの人形だが人間以上に人間らしい。ジェダはこの歯車人を気に入っていたし、敬意すら抱いていた。
「なるほど、そういう事にしておきましょう」
ジェダの足跡がひとつ下がる。同時にクラヴィスの背後に停車していた反動炉式輸送車より『タルパ』と呼ばれるコンコルディア協会の現地研究員たちが数人、隻腕となり俯せたセンデルス伯爵を取り囲んだ。
タルパたちは皆、重装甲の防護服と感応拒絶処理を施された金属メッシュ加工の手袋を何重にも装着している。これでも尚、取扱いには細心の注意を要する積荷だった。
「封印処理を行う。素体は第八環区の拠店に運べ。おっと伯爵の身体には触れるなよ、汚染はすぐに感染するぞ。奏銀の『水源』と同じだ、化物になりたくなかったら丁寧にな」
的確に指示するクラヴィスの指がリズミカルに揺れる。その揺れ幅がクオンを捉え、
「さて、今日の仕事は終いだ。俺は運搬に立ち会うが、クオン、お前は先に帰っていいぞ。途中で降ろそう。おーい、ルートは第七環区時計回りで経由してくれ」
「んなっ」
素っ頓狂な声と共にクオンの毛が逆立つようにざわついた。
「か、帰るもんか!」
「もんかって……お前は店に入れないだろう?」
纏わりつく様に後ろを追う仔犬にクラヴィスは諭す。だがクオンは納得しない。
「それでも帰らない! 私はいっしょに行くからな!」
小柄な体躯で少女は噛みつくように吠えた。
困惑を意味する紫の電光をレンズに表示し、クラヴィスは首を傾げた。
「何で怒っているんだ?」
背後で含み笑うジェダがその疑問に解答することはなかった。
15分に及ぶ逃走劇の末、キリンジはようやく盗人たちの共犯者を聞き出すことに成功した。
聖堂の裏手にある雑木林を越えたさらに先。そこに設けられた人工貯水池――品良く言えば湖の畔、すっかり伸びきった草場をクッションにして、共犯者は寝床としているらしい。
飢えた者が後を絶たない世相とはいえ、徹底的なまでの管理を敷くマーテル・ナインにおいてホームレスとなる者は稀有だった。外部からの侵入はもちろん、没落した者はすぐにでも市外へと追放される。教皇の住まう清浄な土地を闊歩するには、それなりの肩書が必要となる。
迷子か、はたまた浮浪老人か――だいたいはこの雛型に当て嵌まるのが常だった。どちらにせよ家族は心配するだろうし、事が大きくなれば市警備隊の出動にも発展しかねない。
教団に殉ずる者の使命として、善行を積む信徒の一員として、早期解決に尽力するのがキリンジの務めでもあった。
子供たちとしてはせっかく出来た新しい友人を失くすことに少々がっかりすることだろうが、解決した後は信仰深き信者として聖堂に通ってもらえば良い。廻ってそれは世話になっている司祭への恩返しにもなるはずだ。キリンジはそう信じていた。
証言のあった畔は静かだった。水面は鳥たちの滑走によって波紋し、人通りは無かった。
少女はそこに打ち上げられていた。全身びしょ濡れのまま、頭には今朝方まで降り続いた雪が積もっている。夜の内に湖へ落下し、溺れて座礁したことは明白だった。
無我夢中でキリンジの脚が駆けた。少女の身体を抱き起すとひどく冷たい。
当たり前だった日常など空想だと言わんばかりに景色は一転し、残酷な現実を見せつけられた気がした。
――間に合わなかったのか。
寒空の下、薄絹一枚を身に纏い眠るように瞳を閉じた少女。苦悶に堪えるようにキリンジは唇を噛んだ。
金色の髪は純血たるハモニカ人の証拠だ。精巧な人形のように整った目鼻立ちは、深窓の令嬢を彷彿とさせる。歳はキリンジと同じか近いくらい、十代中頃からその前後だろう。好奇心から箱庭を飛び出し、足を滑らせて天に落ちたのだろうか。そんな感傷が泡沫のように湧いた。
壊すことしかできない男が、壊れた少女の亡骸を腕に抱き、己の無力を嘆いた。
彼の嘆きをよそに、少女は大きなあくびと伸びをして、くりんとした蒼眼を瞬かせた。そして。
「おはようございましたぁ」
間延びした声が透き通ると、膝の上で丸まる猫のように二度寝の準備。
立ち上がり、揺り籠代わりだったキリンジの腕が解放され、少女は再び水面へと叩き落とされた。
「ひゃあちめたい!」
尻から入水した少女は飛び上がり藁をも掴むようにキリンジの身体に組み付いた。
「元気そうだな」
「えっえっ?」
状況を把握できないのか、少女は左右の瞳を頻りに瞬かせ目前にいる男の貌を見つめた。
見下ろすキリンジの顔色に呆気と安堵が七対三の割合で灯る。しぶきを浴びた顔に、濡れた前髪がべったりと引っ付いていた。
少しのタイムラグを経て、少女は応える。
「なるほど! 元気とはつまり生命活動の健常性を指すのですね! はい、元気ですよ! でも寒いです!」
「そりゃそうだろうよ」
「はい、そうなんです!」
完璧とも云える笑顔で少女は両脚をじたばた、ばたつかせる。先ほどまで戯れていた子供たちとまるで変わらない。
見た目に比べ稚拙な言動。それでいてどこか世間ズレした表現。よほどの箱入り娘なことは明確だ。
「お前、名前は? ……それと一応、歳も教えてくれ」
「はい、わたしはヒュプノリア=クラウン=ノーナンバーと言います。歳、とは年齢を指すのですね? わたしの年齢がわたしという自我をアミュラダルム神経機核に同期させてからの経過時間とするならば、わたしの歳は8時間と33分、暦年に変換するなら約0.0009歳って感じです!」
両手を拳にして顎の下に設置、抜群の相乗効果で以ってはにかむ。
キリンジの推理はずばり正しかったが、実際のところ遥かに超越していた。
結局は子供たちの目論み通りとなったことに、キリンジは些かの不満を感じていた。
祭服の外着を羽織った眠り姫は、湖岸の淵に足を投げ出しご機嫌な鼻唄に興じている。サイズは当然不釣り合いだが、黒いジャケットが透明度のある白い肌によく映えていた。
真横から見るヒュプノリアの貌は人形のように整っていた。初等教育中から美術は万年『壊滅的です』と通知表には酷評されてきたキリンジだったが、それでも少女の顔立ちがそんじょそこらの人物に当て嵌まるものでないことだけは理解出来た。
妙な既視感があった。彼女とは、どこかで会ったことがあるだろうか。
社会科見学で観賞した美術館の彫刻か。はたまた寂れた教会に描かれた聖女の肖像画か。
……古臭いナンパ文句のような事を考えている自分に、キリンジは頭を抱えた。
「どうかしましたか? あ、もしかして『寒い』ですか?」
緊張感の欠片もなく、笑顔を保ったヒュプノリアの瑠璃色をした瞳が見上げていた。
「いや、なんでもない」
そうだ。もともと他人の顔をじっくり鑑賞したことのないキリンジが、年頃の少女たちの顔を見分けられるはずもない。きっと今上層の連中には、『こういう顔』が流行っているんだろう。
湖岸に腰を落ち着け、遠くに霞んだ尖塔の連峰を望む。第五環区に代表される高層結晶ビル群。透き通る氷山の連なりにも想えるそれらは正しく、結晶星都の名に相応しい。それらを超えた向こうにぼんやり像を為す規格外の巨大構造体が、マーテル・ナインの中心地、救世の方舟――カルネアデス・アークだ。
ジオ・ハモニカの各地にカルネアデス・アークとよく似た遺構は数多く残されていた。星々を渡ってきたとされる大規模船団はこのインジェニー=円環パルログへと辿り着き、生き延びた人類=ハモニカ人たちがジオ・ハモニカを建国したと聖典には記載されている。
それほど優れた技術を持ち得ながら、再び下り立った大地がこんな氷と雪に塞がれた極寒の大地とは彼らもツいていない。そもそも墜落した原因は、よほど不器用な機関士の致命的な操作ミスによるものじゃないのかとすらキリンジは考えていた。
まるで自分のことのように思えてならなかった。
「そっか、こうすればいいんだ!」
隣で弾けるような声がした。
少女は立ち上がり、キリンジの前まで歩く。今さら気付いたが、彼女は裸足だった。
そしておもむろに反転、脚間に割り込むように座り込みすっぽり背中を預けて収まった。
得意げな表情でヒュプノリアは言った。
「ほら、こうすれば『寒く』ありません!」
そりゃお前はな、と言いそうになって言葉を呑込む。
こんな些細なことでも誰かの役に立てるのは良いことだ。誰かの役に立ちたい。
キリンジは、必要とされることに飢えていた。
「お前、いったいどこに行こうとしてたんだ」
「はい、ちょっとお父さんのところまで」
父親の仕事先におつかいへ行くにはかなり無理のある時間帯だ。
ともすれば事態は複雑化を極めるものかも知れない。単なる家出以上の事情を仄めかしていた。
「親父さんとは同じ家に住んでいないのか?」
「家ってなんですか?」
あどけない問いが注がれた。想定外の応酬だった。
「家ってのは……その」
家とはなにか。漠然としたイメージが靄のように広がった。明かりすらない石棺の如く閉じた世界。無限とも思える茫漠な時間をただひたすらに過ごした空間。
そう言えば、自分にも家なんて呼べるものは無かったっけ。
……いや、でも今なら。灰色に霞がかった意識の奥底にソムノール司祭と子供たちの顔が浮かんだ。
ひとつの結論を出して、言葉にした。
「自分が、帰る場所だ」
「分かりません、というより、思い出せないって感じです」
即答がかえって悲愴的に通り過ぎて行った。
記憶喪失。内か外かはさだかでないが、何かしらのショックによる一時的な記憶の混乱。
少女は言っていた。自分が生まれたのは8時間前だと。それはつまり、今の彼女の意識が芽生えてから経過した時間という意味だ。
失った記憶を補うための、かりそめの人格。傷付いた心をこれ以上壊さないための、防衛機構。
「昨夜より前のことはなにも覚えてないのか」
「音が聴こえました。……そう、ちょうどこんな感じの音が」
拡聴するジェスチャーでヒュプノリアは両手を耳に添える。
りぃん、りぃん、りぃん。
石英鉱製の鐘が鳴り響く。聖堂の屋根に取り付けられた鐘だ。
午後の鐘の音には幾ら何でもまだ早い。水鳥たちが慌ただしく飛び立っていった。
ハッと気付いて、キリンジは立ち上がる。その鐘は時刻を報せる以外に警鐘の役割も担っていた。
振り返りざまに殴り込んできた景色に、現実を疑う。自分を疑う。世界を疑う。
馬鹿な。
どうして。
嫌だ。
認めない。
認めたくなど、ない。
無情な彼の瞳は、変えようのない実態のみを映し出している。
鬱葱と木々に囲われた隙間から、黒煙が立ち上っていた。
実時間にして3秒が経過し、ソムノール司祭と子供たち十数名を収容した聖マーテル教会聖堂は爆炎に包まれた。




