2.銃を持たない回収員
都市の中央に坐するのは大地に突き刺さった巨大な船。かつての大崩壊において、星を渡り人類を救ったその方舟を、人々はカルネアという名の神として崇め、信仰した。それが方舟教団の起源であり、楼刻暦1661年の現在――教団の設立から1661年続く支配体制の、盤石なる起因のひとつである。
中央マーテル・ナイン市を軸にして、円を描く様に広がる街並は、その建築物のどれもが奏銀、または石英輝と呼ばれる鉱石を使用しており、さながら水晶で構築された渓谷のように美しく、光り輝いていた。気候の影響から、円環節に左右されず年間を通して降雪が見られることも合わさり、故にジオ・ハモニカは結晶星都と呼ばれていた。
だが、そう煌びやかに持て囃されるのはあくまで中央市のマーテル・ナインを代表しての物である。
東部のオルフェア市は広く穏やかな高原地帯であるし、南西のネーヴェ市では、三分の一を深い森が占めている。北部外縁、『嵐の地平線』に面したアノニケンス市に至っては永久凍土となった土地がほとんどで、人類生存圏――『エウゴ』と呼ぶのも甚だ疑問に感じるほど過酷な地域だった。
ジオ・ハモニカ中央市マーテル・ナイン第八環区二十三時通り。同心円状に波紋する都市群のマーテル・ナインでは住所を時計の時刻に重ねて表記する。『第八環区』は都市の中心――つまり救世の方舟――から8番目の環に位置し、『二十三時通り』は16方位の北北西にあたる。
絢爛豪華な大都会であっても格差はたしかに存在し、第八環区のさらに北緯に位置する土地となれば、いかに結晶星都と云えど人々の喧騒雑多はまれだった。
時刻はとうに夜更け。空気も心持もすっかり凍える降雪の下を、仰々しいまでに全身を黒く鎧った長身の男が歩いていた。
常に一定の歩幅で歩く男の所作は、機械染みたようにすべてが調和していた。
男を取り巻く大気の一原子にすら、隙はない。不自然なほどに完璧。
付着した銀白の雪を気にするそぶりもなく、男は黒兜を被ったままの頭を傾けた。
頭上にちかちかと点滅する広告板。アストルム粒子の反応によって一定の間隔で光度を放つように加工された石英鉱の粉末を散らした電燈管である。
切れかけた石英鉱が示す矢印は地下へと続く階段を差し、その下に『Eiswein』の表記。鉱山労夫御用達の地下酒場というわけだ。マーテル・ナイン市では市内路上での飲酒と酒の販売は方舟教団聖典と円環奏府憲法の二重で規制されている。より中央市街に近い上流階級層の人間ならば自宅に大規模なワイナリーを所有する者もいるだろうが、使役される側の人間にとっては持ち運ぶのにも苦労する代物だ。
それだけに、こうした地下酒場は場所を問わず、いつの時代であっても需要は存在した。
狭いくせにやけに高い天井をした入り口の横に、この場所に到底似つかない影があった。
子供だった。肩まで伸びた金色の髪を覆い隠すように、黒ずんだ紅の帽子付外套を頭から被っている。
無論、子供が酒場に出入りしているのを発見されれば、すぐさま円環警備局の調査が入り、家族、営業店ともに罰せられてしまう。
だからこうして店先に子供を放置したまま、保護責任者たる者は扉の向こうでよろしくやっている図式が完成してしまった。今のところ罪を犯した愚かな羊はどこにもいない、そういうことになっている。
子供の視線が自分に注がれている事に気が付いて、男は視線を交らせた。
――紅い瞳と、口許からちらりと覗く鋭い犬歯。子供は渾沌種の少女だった。
そして、「ポンコツのお人好しはこの中だ」と苦々しく吐き捨てた。どうやら彼女は男の目的に関与する人物のようだった。
それを聞き流して黒黙の男――クロウゼン・シュナイダーは酒場の扉を開けた。
店の中は芳醇な葡萄の香りが充満していた。
結晶酒。ジオ・ハモニカを代表するアルコール飲料。
結晶製飲器を光源に近付け、光の屈折を確認する店主。彼が取り仕切るカウンターの奥にある棚には、色彩豊かな容器に収められたアイズヴァインがインテリアの一部となって敷き詰められていた。
「いらっしゃいませ。当店の結晶酒はどれもオルフェア産の葡萄を使用した一級品のみとなっております」
店主が取り出したラベルに、ふたつの糸が絡まる螺旋を象ったコンコルディア協会の徽章が印刷されている。このルチア・アクシス世界においてアルコール飲料の製造法を一手に担うのが、件のコンコルディア協会だった。
グラスを受けたクロウゼンは黒兜の奥から曇った低音を響かせた。
「クラヴィス・アルゼント……『銀の鍵』に用がある」
声を聴いた店主がぴくりと眉を吊り上げ、眼前の貌のない漆黒の男を睨めつけた。
周りの客に気付かれないよう顔を近づけた店主は小声で囁いた。
「あんた、名前は」
「クロウゼン。クロウゼン・シュナイダー」
低く、重たい波動となって鼓膜に伝わる言霊に店主の心臓が止まりかけた。
額に珠となった汗を拭い、店主は畏れるように十字を刻む。
「し、シュナイダー卿……っ。これはとんだご無礼を」
店主はすぐさま『割り物が混ぜられた』グラスを引き下げ、別の容器を抱えて戻ってきた。
注ぎ口を封切ろうとする店主の手を、クロウゼンはせき止めた。
「酒は不要。必要なのは『銀の鍵』だ。奴はどこに」
「そう焦り為さんな旦那。『鍵』はひとりでに歩いてったりしないさ」
がきん、と鈍い鉄の音が傍らに腰かける。中折れ帽と黒緋の薄汚れた外套を纏った無骨な鉄塊――歯車人の男が、鮮血のように紅い液体をグラスに注いだ。
黒黙たるクロウゼン・シュナイダーは視線も向けず、そのグラスに手をつけることはただの一度もなかった。
「相変わらずの鉄面皮だな。その黒兜の下は頭無しかい?」
油の切れかかった関節をぎしつかせたクラヴィスの指が、甲冑の側面をノック。
甲高い金属音が不快感を催すにも関わらず、クロウゼンは態度を揺るがさない。
「センデルス教授を引き渡してもらいたい」
「ちなみに今のは表情の無い『歯車人』である俺が言う事で成立する、機械仕掛けの皮肉だったんだが」
「此度の事件に協会の関与は不要だ」
ふたりの会話はあらゆる方向で破綻していた。
先に折れたのはクラヴィスだった。
「おーけい、あんたとは階層都市事変からの付き合いだ。マスター、奥の部屋を」
「ああ、いま鍵を持って来よう」
「いや」
プライベートルームに続く扉の鍵はひとつしか用意していない。
制止するクラヴィスの背に店主は自らの落ち度を思い出した。
「必要ない」
席を外しカウンターの奥へと向かう歯車人を黒兜の底より伸びる視線が追っていた。
石英鉱製のドアノブにクラヴィスの手が伸びると、ほうっと仄かな青白い光が瞬き……消える。
がちゃり、と錠の外れた音がした。
部屋の中は極寒だった。壁面には霜が張り、天井からきらきらと結晶の粉が吹き宙を舞っている。
中央に彼はいた。
ジョン・フィリップ・センデルス伯爵。
円環奏府直属の研究員でもあり、教授の位を得ている方舟教団の心神深い信徒だった。
しかし現状の姿を見て、その名残は惨たらしく摩耗していた。
中央の堰座に奏銀――ハーモニー・シルバーを加工して精製された超々高次アストルム反応を相殺する鎖によって全身を拘束された光景は、さながら鉄の格子をヒトの姿に形成しただけの、中身のない甲冑のようであった。
クロウゼンは一歩を踏み出し、センデルス教授より放たれる身を穿っていくかのような侵蝕波動に耐え、重たい口を開いた。
「お元気そうでなによりです、教授」
「……」
センデルス教授はなにも答えない。そもそも意識があるのか、自我があるのか……肢体がそこにあるのかどうかも、分からない。
だがクロウゼンは確信していた。この愚かしいまでに囚われた鎖人間こそが、自身の探していた渦中の人物であると。
「クラヴィス、教授の引き渡しを」
「悪いがそいつは困る」
再度密閉した部屋のドアを封じるように背中を預け、クラヴィスは断ずる。
「いまここで教授を表に出すのは、街ひとつをまるごと消し飛ばすのと同じだ」
「そのために私がここにいる」
「あんたら機鋼使徒は正義のヒーロー部隊ってわけじゃない。無論、悪の秘密組織ってわけでもない。教団直属の、単なる刃に過ぎない。専門は怪物退治だろう? 人助けなんて、柄でもないと思うがね」
「協会が」
ゆらり、と。陽炎のようにクロウゼンは顔を向ける。
「協会が救えると云うのか、人々を」
「少なくとも」
ちいさく、区切る。
「……少なくとも、『一度吹き飛んだ街をそっくりそのまま似せて作り直す』よりは、マシだろうさ」
笑う口角など持ちもしない鉄の表情を、それでもなお笑って見せようとクラヴィスは声音で嘲笑した。
「コンコルディア協会に神はいない。そんなもんは今頃、奏銀炉心のど真ん中で永劫の分裂と融合を繰り返しながら小躍りしてるだろうよ」
「神すら持たぬお前に、果たしてなにが残る?」
重圧に重圧を重ねたプレッシャーを、クロウゼンは注ぐ。緩慢な所作で持ち上がった右腕の手首がごきり、と反転、腕を筒の様に開口すると、その内から刃がスライドした。仕込み刀と機鋼腕部。全身をあらゆる武装で機鋼化した、教団の最終兵器。それがクロウゼン・シュナイダーだった。
中折れ帽のつばに届く切っ先に、クラヴィスの指が触れた。
「なにも。なにも残せない。それが俺だ。それが、クラヴィス・アルゼントの武器になる」
霞んだ電子音声に呼応するように、指と刃の接触した箇所がぼうっと発光する。
右腕に埋め込まれた神経因子の接続に『影』を観測したクロウゼンは、すぐさま己の肩より先を切り離す。離別した腕は吸い込まれるようにクラヴィスの手許へ収まり、胎児の如く淡い胎動の光を瞬くと、それは掌にしっかり馴染んだ『銃』の形に変形した。
向けられた銃口は、しかとクロウゼンのアミュラダルム機核を打ち抜ける位置を指し示している。
――武装火器練成。
歯車人の身体を構成する鉄屑の半数以上は、高濃度奏銀によって成り立っている。
奏銀……ハーモニー・シルバーの持つ感応性はあらゆる物質に及び、感応を受けた物質の構造論理を尽く掌握する。いわば、感染する金属。
奏銀のコントロールは万物のコントロールに等しく、その技術は『旧世界の喪失技術』のひとつとされ、コンコルディア協会の独占保有する幻の技となっていた。
これこそがコンコルディア協会の真の目的。ルチア・アクシスに残された、すべての喪失技術の収集。
この世界で使われているすべての『結晶化技術』によって生成されたものは、酒であろうと煙草であろうと、薬であろうと家であろうと、食器であろうと武器であろうと例外なく、コンコルディア協会の力無くして存在たり得なかった物だった。
そんな協会の持ち得る、喪失技術の最先端がここに居た。
クラヴィス・アルゼント。銃を持たない回収員。
彼に兵器は通用しない。それが『文明』であり、『技術』である限り。
彼は兵器を使用しない。彼にとって『文明』こそが武器であり、『技術』こそが盾である。
ゆえに、彼はなにも産み出せない。
形あるものを、また別の形に変えるのみ。
永い沈黙を挟んで、クラヴィスは銃を降ろした。瞬きの合間に、それはもとよりあった『右腕』へと姿を変えていた。
「失礼。借りていた腕を返そう」
ふたりの機械仕掛けが、顔を見合わせる。
一方は歯車人。灰色の車輪で駆動するポンコツ。
一方は改造ハモニカ人。禁忌の技術によって爆誕した異形の怪物。
そんな二人が追う存在もまた、まともな案件でないことは明確だった。
「フライメア計画だ」
腕をはめながら呟いたクロウゼンに、クラヴィスは瞳代わりのレンズをキュインと鳴かせた。
「では、先日の第四環区で起きた火災事故は」
「統制が敷かれている。流される情報は誤った物になる。センデルス教授の身体はすでに『外敵』へと変質している可能性が高い。階層都市事変――四年前と同様に。しからば、浄化せねばならない」
ふたりの横で物言わぬ肉塊にされ、鎖で繋がれた哀れな研究員に慈愛の言葉が降り懸かる。
教団は自分たちの巻起こした不祥事の火消しに必死という訳だ。そんな極上の付け入る隙、コンコルディア協会が見逃す術もない。
「センデルス教授は生きた証人だ。彼と協会の取引では、新しい身体を用意する代わりに技術提供の契約がすでに行われている。ここでアミュラダルム機核を潰されるわけにはいかない」
「そうして協会はまた、救われぬ魂に偽りの生を与えるか」
悪鬼の顕現とでも言うような重圧が氷壁の室内をひび割らせた。ぱらぱらと、氷の屑が輝き落下する。
だが、クラヴィスは決してレンズを逸らさない。彼が長年追い求めたものをセンデルス教授は知り得ている。その確証があった。
フライメア計画。多くの人々の未来と運命を捻じ曲げた、恐るべき研究の一端。
4年前の楼刻暦1657年、西方のアイオルビスで巻き起こった階層都市事変。トワイライト・メルビム。
その裏に座する者を引きづり降ろさねば、事件は解決しない。
だからこそ。脳だけを切り取ってでも、この男を殺すわけにはいかない。
「好きにするがいい」
張り詰めていた寒気の糸が、ようやく溶けだした。
反転し、部屋をあとにしようとしたクロウゼンに向けて、軽く帽子を持ち上げる。
ふと立ち止まり、黒兜の男は言った。
「だが、災厄は防がねばならん」
とっさに顔を持ち上げ、禍々しく縁どられた漆黒の背を見遣る。
「どういうことだ?」
「私が浄化せずとも、ジョン・フィリップ・センデルスは死ぬ。円環を守護する神々の摂理は、彼の生存を認めない」
今なおして生きているとは言えないセンデルスだが、この悪あがきが無駄であるわけではない。物理的にも論理的にも、二重三重の侵蝕相殺法によって封印されたセンデルスの身体は、時を止められた状態と変わらない。
だから、外的要因以外によって彼が死亡するはずなど、万に一つもない。
「金剛なる拳を持つ男、キリンジ・ゴールドフィストは辿り着く。自らが望むと望まざるとに関わらず。……その役目を担うために」
言い捨て、機鋼使徒の男は去っていった。
クラヴィスの思考と自我を司る中央演算機関、オルガノ機関は迷っていた。
答えはすぐそこにある。センデルスの口より語られる真実さえあれば、フライメア計画の首謀者に辿り着けるのだから。
だが。クロウゼンの『予言』染みた話をあてにするのなら。
クラヴィスは迷っていた。始末しなければならない者がいる。
3秒にも及ぶ演算の結果、ようやく彼は動き出した。
地下酒場の扉を抜けると、そこに仏頂面をした少女がひとり突っ立っていた。
「なんだ、まだ居たのか。家に帰っていろと言っただろう?」
その言葉に少女の眉間はさらに酷く歪む。なにか文句のひとつでも言おうと口をぱくぱくさせるが、彼を納得させられるだけの理由が彼女にはない。
ようやく出たと思った言葉が、
「忘れないように待ってたんだ。お前は……ポンコツだから」
体温など微塵も存在しない、冷たい、無骨な掌が乱雑に少女の髪を乱した。
そこから先になにもない。狡猾極まりないと少女は心房の奥底で憤慨する。――ヒトデナシめ。語るに及ばず、そもそも人ではない。
だが、人でない彼の随一な不器用さを一番よく知っているのは、他でもない少女本人なのも灼然たる事実だった。
「忘れないさ、明日はクオンの誕生日だからな」
機械仕掛けの声は言う。
仔犬のように耳を垂らし、そっぽを向いてクオンは白い息を吐いた。
明朝、窓より白む天を仰ぐ。傍らのクオンが寝静まったのをみて、クラヴィス・アルゼントは独り家を出た。




