餓鬼
一行は隣のシナの国に入った。時はサツキ。その名の通り、向こうの山肌には皐月の薄紅色の花が咲いている。近くの道端には、花アヤメやアジサイの花が見える。
ククリが周りの景色を眺めながら、花を探していると。馬上から何かを見つけた。
近づくにつれ、それが人であると判った。
「あそこに人が倒れています」前方を指し、皆に告げる。
スクナが走って行く。ククリもオコナを急かせ近づいて行ったが、スクナに追いつけない。
それは若い男であった。旅装束である。そして大きな剣を帯びていた。
「まだ生きているぞ」スクナが胸に顔を当て言った。
ククリが間近に迫ると、異変に気づいた。
「これはヒダル憑きです。すぐに何か食べ物を! このままだと死んでしまいます」
ヒダルとは、餓鬼の姿をした亡者である。
ククリが辺りを見回しグミの木を見つけると、その実を一つ摘んだ。
すぐさま、男の口に押し込んだ。
すると、ヒダルの餓えが満たされて、男が意識を取り戻した。
「突然……腹が減って……動けなくなりました……」と弱々しく話す。
「ヒダルはまだいます。今は満たされておとなしくしていますが、まだ安心はできません」
ククリが緊張の面持ちで男を伺っている。そこにだんだんと、悲しみの色が浮き上がってきた。
たまらずに、見守る一同へ声を漏した。
「このヒダルは子供です。そのグミの実が食べたくて、ここで一生懸命取ろうとでもしてたのでしょうか。そんな時にこの男が通りかかったのかもしれません。かわいそうに、取り付いた男がだらしなさ過ぎて取ってもくれなかったのね。なんと哀れなことでしょう……」
そう言った途端に、突然ククリが首を廻らして、辺りを気にする素振りを見せた。
「ヒダルに囲まれました。数えきれない程います」
皆が一斉に怯んだ。しかし、周りには何も見えない。
満足したヒダルに釣られ、我も我もと集まったのだ。
そこは亡者の巣食う所だった。
「スクナ、すぐに鎮魂をしましょう」
ククリが準備に馳せる。
その内に、周りに黒い影が見えだした。どんどん形をなして、下腹の膨れた餓鬼の姿となった。
姿が見え初めて、下女のミヤキが悲鳴をあげた。
それが近づくにつれ輪がどんどんと縮まっていく。その後ろからも、うじゃうじゃと続いている。逃げ場がなくなった。
ククリの琴の準備ができると、早速、琴と笛が鎮魂を奏でる。
ヒダルの輪が間近まで迫った時、やっと餓鬼の姿が薄くなってきた。黒い影となり見えなくなる。しかし、まだ気は許せない。
琴の音が止んだ。続いて笛の音も。
消えたようですとククリが言う。
そこでやっと、皆がどっと汗をかく。倒れていた、だらしない男も元気になったようだ。
緊張が解れた処で、突然スクナが動かなくなった。スクナのまわりだけ時が止まったようだ。瞬きひとつしない。
この時、スクナに何が起こっていたのか――スクナはスネの言葉を聞いていたのだ。
(これから現れる敵を倒す術を授ける。今のおまえならできる筈だ。名を三面祓いと呼ぼう。その術を発するには、まず祓いの気を充分溜めなければならない。それには、遥か西の国の火の神アフラの舞が適している。そして、火、水、雷の禊ぎで邪を祓う陣を見舞う。こう云う流れだ。細かい件はこうだ……)
ククリがスクナへと近づき、様子を窺った。すぐに、大丈夫ですと皆に微笑んだ。神入りですから、と言ったその直後、ククリも止まった。こちらは一点を凝視している。
皆がククリの視線の先を追った。そこに黒い大きな影が見えた。皆に嫌な予感が走る。先ほどのヒダルを巨大にしたものだった。案の定、大ヒダルだった。ヒダルは消えたのでななく、一つに纏まったのだ。それが形を成すと、大きな餓鬼がはっきりと現れた。それがこちらに向かって歩いてくる。
またもやミヤキが悲鳴をあげた。今度はあの倒れていた男も一緒に。
その時、スクナが戻った。ちょうど目の先に大ヒダルが向かってくるのが見えた。敵とはこいつのことかとすぐに三面祓いを試す。
まず三面を着けた。正面に鬼、右に天狗、左に河童だ。
そしてアフラの舞に入る。
鬼の面で正面を向き、両手を合わせ胸の前へ。この形から始まるようだ。
左を向く。すると天狗面が前に来る。両手のひらを上に向け、右手を高くあげる。左手は脇を締め胸の辺りだ。これが二つ目の形だ。
右を向く。すると河童面が前に来る。手の位置は左右反対となり、天狗面と対称になる。これが三つ目の形だ。
この三つを順番に延々と繰り返した。そしてその速さがどんどん増す。
スクナにしかできない速さに到達した時……三面六臂となった。
そしてぴたりと止まる。面は天狗。右手が前に人差し指が指す。
「ひ(太字)」と大きな声をだすと、人差し指に火が付き、指が上から下へ動く。
「ふ」と小さな声をだすと、指が下から上へ戻り、火の縦線の残像が残る。
そこで一回転した。
また、ぴたりと止る。面は河童。左手が前に人差し指が指す。
「み(太字)」と大きな声をだすと、人差し指に水が付き、指が左から右へ動く。
「よ」と小さな声をだすと、指が右から左へ戻り、水の横線の残像が残る。
また、一回転した。
そしてぴたりと止る。面は鬼。両手が前に人差し指が指す。
「い(太字)」と大きな声をだすと、右手人差し指に雷が付き、指が右上から左下へ動く。
「む」と小さな声をだすと、指が左下から右上へ戻り、稲妻の斜線の残像が残る。
「な(太字)」と大きな声をだすと、左手人差し指に雷が付き、指が左上から右下へ動く。
「や」と小さな声をだすと、指が右下から左上へ戻り、稲妻の斜線の残像が残る。
そして、目の前にできたのが……三色の八方陣だった。
「祓え~!」スクナが叫ぶと八方陣が飛んだ。
それが大ヒダルに向かう。それが当たると思った時、直前で避けられた。
間合いがありすぎたのだ。初めてで焦った余りの失敗だった。
大ヒダルがそれに怒り、速さを増してきた。
スクナが二回目の三面祓いに入った。
しかし大ヒダルの動きが速い。間に合うかどうか微妙な処になった。
その時、大ヒダルが突然止まった。獣が網に掛かったように。
その隙に八方陣ができあがった。
二回目は見事命中し、大ヒダルは霧散した。
今度こそ方が付いたのだ。
ククリが飛んでくる。
「すごいスクナ。カタカムナギだね」
続いてアギバがくる。
こんな物を見つけました、と大きな針のような物をスクナに渡す。
「大ヒダルが突然止まった術に憶えがありましたので調べました。これは天狗の秘術の影踏みに使う大蜂の針です」
「誰が使ったか、心当たりはあるか?」
「ありません」
「それは私です」スクナの目の前に男がいた。声が若そうだ。
頭からつま先まで真っ黒な衣に包まれているので顔が見えない。誰も近づいた事に気づかなかった。ククリでさえも。
その男が衣を脱いだ。その顔は二十才くらいの若者だった。どこかで見たことがある。しかし、思い当たらない。
「お久しぶりです。スクナ様。ククリ様。十年の修行を終え、ただいま戻って参りました。ショウキです」
アギバ以外が驚愕している。
スクナは計算した。
預けたのが十日前。その時は七才。十年の修行をしたから十七才。すると、一日辺り……
「アギバ! これはどういうことですか!」ククリに先を越された。
「何も嘘はいってません。預かるのが数日間、尚且つ修行も終らせる。全て約束通りでございます」
確かにその通りである。
「それと、ショウキ殿が到達した修行は大蛇の段、私でも到らなかった最高の部です。あの黒き衣はオロチノヒレ(大蛇比礼)、大蛇を倒した証しです」
「仰る通りです」ショウキが応える。
「倒した大蛇の皮を母上が仕立ててくれました。他に大蛇の牙と尾が、それと大蜂を十匹。修行は天狗の聖地まで到達しました」武功を報ずる体裁になった。
喜んでいいのか解らないククリが言った。
「それはすごい事なのですね。さすがショウキです。しかし……ムゼンに何と言ったらいいのでしょう」ククリが嘆く。
「それは何とかなるさ」スクナが気楽に言う。
その時、「あの~、お話中失礼します」知らない男の声が割り込んできた。
ヒダルに憑かれ動けなくなっていた男だ。皆、この男の存在を忘れていた。
注目の中、男がスクナに話し掛けた。
「私くしは、彷徨いの剣士、ブトーと申します。こたびは危ない処を助けて頂きかたじけのをございます。スクナ様は霊験あらたかな巫とお見受けします。どうか私くしの話をお聞き下さい」
スクナの名は抜かりなく聞き覚えたようだ。そして長々と話し始めた。
それはかなり誇張された話だった。この男は故郷を捨て彷徨っている剣士、それも自称天下一の剣士だと言う。しかしそれは実体を持つ物が相手の場合で、今回のように妖かしや物の怪の場合では、てんで歯が立たないのだそうだ。そこで霊魂を切る剣を求めて旅立ったのだが、散々探し回っても今だ見だせないと云う。どのくらいの散々だか判らないが。余分な処を省略すると大体こんな話であった。
スクナはブトーを値踏みした。話は大袈裟だが嘘は言っていない。自称天下一は欲張りすぎだが腕は立ちそうだ。そして言った――
「霊を絶つ剣なら俺が作ってやろうか?」
ブトーは虚を突かれた。こいつは表情も大袈裟だ。思わぬ面白い顔に一同が笑った。ミヤキが殊の外、笑っている。
「俺はお前ほど大口を叩かないぞ。今すぐには無理だが、式を剣に依代げばできると思う。それでよいか?」
「宿願が果たせるのであれだ、何卒お頼み申し上げます」とひれ伏した。
そして上げた顔は、泣きそうである。これがまた、上をいく面白さであった。しかし、ここは笑う処ではない。一同が必死に堪えている。ミヤキが殊の外、耐えている。
しかし、スクナだけは違った。宿願には何か訳がありそうだと見抜いた。
ブトーが改まった。
「今より、このブトーは、スクナ様にさぶらいます!」
この時からブトーは、モノノフの道を歩んで行くのであった。
ショウキがここに来る前に、この先で村を見たと言う。一行はそこに寄る事にした。
何故かククリが率先する。
そこは廃村であった。ヒダルは元々ここの村人ではないだろうか。その村の奥には祠があり、その前で女が一人祈っている。ククリより若そうだ。
近づくと足音に気づき振り向いた。異形を含む一行に目を丸くする。
私達は神楽の一行の者です、とククリがこの村の事を訊いてみた。
娘が話し始めた――
去年の暮れに村のほとんどが飢え死にしたそうだ。それが特別に不作であった訳ではなく、村長達が貯め込んでしまったからだと言う。そして若い女と一族だけを連れ、山へ篭ってしまったそうだ。この娘はそこを抜け出して、今ここに居ると云う訳だった。
「そちらの巫女様にお願いします。氏神様は何があったのか語ってくれません。どうかサニワ(審神者)をお願いします」
ククリがすぐに頷く。祠の前へ馳せ、目を閉じた。
スクナは勘繰った。ククリが娘の祈りに呼び寄せられた体裁である。さてはヤス様が聞き遂げたのか。それとも氏神の叫びか。
ククリが目を開いた。後ろを振り返ると左目が輝いていた。
ククリが語った。
「ここの氏神が告げてくれました。長と年寄二名が、昨秋の実りを全て横取りしました。後はその娘の言った通りです。そのでたらめな行いの理由ですが、邪神ドンコに取り憑かれています。たぶんその三名には隙があったのでしょう。ドンコは人の邪な気を喰らっている邪神です」
それが今回の悲劇となった理由だった。
「村人はそれを黙って見ていたと云うのか?」スクナが訊く。
「邪神とは云え力が強ければ、人の手に余ります。ドンコは三本の指に入る邪神です。私達でも太刀打ちできません」
一同が唸る。
「そして悪い事に、神がそれを知って裁きの使いが……皆殺しにくるそうです。それが……今夜」
村の娘が泣き出した。何か助かる術はないのかとククリにすがる。
「止めさせる事はできないのか?」スクナが訊く。
「はい。神の使いですから……逆に止めてはいけません。だから、これから伺います」
ククリが神入りした。
皆が黙って見守る。
そしてすぐに戻ってきた。ヤスも心得ていたようだ。
娘を見つめて言った。
「助かる手立てがあります」と娘を安堵させた。
そして、神の御加護にすがる方法を教えた。
裁きの神の使命とは、裁きを行う事で殺すか生かすかの問題ではないそうだ。もちろん殺す事が目的だがそれを逃れれば助かると云う事だ。そして肝心な逃れる方法だが……紅で助けたい者の額に×と印す事。紅がない場合は鍋墨で代用できる事。それだけだった。
「これはヤスコと云う神の御加護の印です。これがあれば神の裁きが過ぎ越せるでしょう」
その話を聞いてスクナは思った。これはククリの入墨の事ではないか。そして使いの神はヤス様より神格が下なのだろう。そうでないとヤス様の御加護は働かない筈だ。そしてヤス様は使いが誰であるか知っている。
娘は山へ飛んで行った。スクナ一行は村を離れ近くで野宿する事にした。
アギバとショウキが交代で見張りに赴く。しかし、残った者も誰一人として眠れない。
夜明の晩(真夜中)の時である。神事は大抵この時間に起こる。
娘が立ち去った方向の山の上空に雷雲が集まりだした。それが渦を巻き、たちまち雷雨となった。
裁きが始まったのだ。
その内に、断末魔の悲鳴が、ここまで聞こえた。
翌朝、村に戻る。
若い女が十人ばかり固まってうずくまっていた。
ククリが走り寄る。
娘達が怯えた顔を一斉に向けた。
その額には全員×がある。
しかし……
その中にあの娘がいない。
「あの子はどうしたの!」目がもう一度探す。
中の一人が誰の事か判ったようだ。
あの娘は、真っ先に囚われた娘達に話したそうだ。
そして、長達の身内までをも助けようと伝えに行った……
告げ口され、捕まったそうだ――そこまでしか、知らなかった。
ククリはその姿を想像した――
そのまま、閉じ込められたのだろう……
そこには、印すものなど何もなかったであろう……
こんな事になるとは……思いもしなかった……
あの子の魂は……聖かった。
あの子の魂は……聖すぎた。
それが……邪な魂に……道連れにされた……
やるせない気持ちが……心に広がる……
ククリは泣いた。
涙を拭おうともせず……
止め処なく頬を伝わる。
私のせいです……
ククリは手を会わせ祈った――
(どうかあの聖き魂に平安あれ……)
(あの子が身代わりに残した――あの子が救った娘達に平安あれ……)
周りも全員泣いている。
スクナは滲む視界の中でククリを見た。
その美しい涙を……
そして……ククリを抱き寄せると……
聞こえた!
ヤス様の号泣が…………
突然、スネが語った――
(スクナ! その娘が捕まった所を検めてみろ!)
スクナが突然、走り出した。
山へ向かうその足は、神速であった。
しばらくして、スクナが戻った。
肩で息をするスクナの腕の中に……あの娘が居た。
その口から……血が流れていた。
そして……その額には……
血で印したヤスコがあった!




