夫婦巫 三
翌日の早朝、また、イソラがスクナとククリを神前に呼び出した。
今日は正装ではない。
「天神様が二人をお呼びです」ひどく真面目な顔で言った。
しかし、疲れの翳りが窺える。夜中の神事で何かあったのだ。そのまま床に着いていないのだろうとスクナは勘繰った。
「正装して、すぐに裏山へ行きなさい」それだけを言って二人をせかせかと追い出した。
その後姿を、イソラが思いつめた様子で眺めていた。
裏山の天神様の赤い鳥居には、神主らしき翁が待っていた。
「よくぞ来られた夫婦巫よ。付いて来なさい」
奥へと続く階段を登る。
いつもはこんな階段はなかった。ここは木に覆われていた筈だが?
スクナがそう思っていると……開けた場所に出た。
奥には小さな社が見える。翁はそこに向かった。
「それでは、そこに座りなさい」社の前で命じる。
二人が座ると、「目を瞑って。頭を垂れよ」
二人が頭を下げると、すっと体が軽くなる。
「よいと言うまで決して目を開いてはならん!」
「はい」と同時に返事をする。
「そのまま立って、前へ!」
前には社があった筈だ。二人は躊躇する。
「いいから進め!」
二人は前へ身を傾けた。
「着いたぞ。目を開けてよい」
一歩踏み出しただけである。
そこは……
辺り一面が、花の咲いた木に囲まれた所だった。
木々の花の色は様々だ。赤、青、黄、白、紫、橙……皆、少しずつ違っている。
そして、その根本には……小さな石の祠が、八百万と置かれている。
ここは神が集う所か? そう思った時。
「そうだ」と返事が返ってきた。威圧感のある声が響く。
声のした方を見ると……
大木が聳えている。この世に存在しない程の。さっきまで無かった筈だ。
「こちらへ参れ」
大木へと吸い込まれた。根本の穴の中へ。
「畏まれ!」辺りを窺う暇も無く命じられた。
二人がひれ伏した。
しかし窺えたとしても、辺りには霞が立ち込めているので何も見えない。
その内に、周りに何かが集まってくる。天神達だ。
いや、元々そこにいた神達が、徐々に霞が晴れて姿を現したようだ。
顔が上げられないので、足しか見えない。
その足は人より二回りも大きい。
左に五柱、右に五柱、後ろにはもっとたくさん。おおまかに言って五十の神が座す。
最後に、ひときわ大きい足が正面に現われた。
「よくぞ参った。まずは名乗りをせよ」耳に直接声が届く。
スクナが名乗る「キリン党霊が長キビトとその妻イソラが後継ぎ、○○○○○○○○○○。父はシュクザ。母はテコナ」
続いてククリが「新たにキリン党霊にさせて頂きました、スクナが妻○○○○○○○○○。前の党霊は憶えておりません」
その時スクナは思った。
天神様は、ククリの党霊が何であったか知っているだろう……
しかし、教えようとはしないか。
スクナの憑神が眠っている事を知っているだろう……
しかし、覚ましてやろうとはしないか。
そして、スクナの父シュクザがどうなったかも……
「お前たちは、カタカムナギになってもらう」巨足の神が申す。
周りから神達のどよめきが起こる。
スクナは何の事か判らず、ククリを見ようとしたが、体が動かない。
スクナは考えた……
子供の時に、父がカタカムナギだから方を付けるとか言っていなかったか?
そうだ、旅立ちの時、母に言っていた。方を付ける巫。伝えるだけでない、始末をつける巫だ。
そして、何故どよめいたか……
方を付ける事は、神にしかできない業だ。しかし、二人には憑神がいる。あながち不可能な事ではないだろう。
それなら、ハヤイ様を起こしてくれても良さそうなものだが?
天神はそれには答えない。
どよめきが起こらなかった正面に脇持がいた。
左の脇持が小走りで前に進み出て、話し始めた。
「それでは、術を一つ授けるぞよ」男性的な声だ。
「術の名は、篭目封じ。神をも封ぜる強い技ぞよ」
「男巫。そちが使うが良いぞよ」
そして、説明が始まった。
「一つ、聖なる白銀でホ(竹甫皿)とキ(竹艮皿)の平皿を作る事。それは等しき三角の形でなければならないぞよ。
一つ、六つの聖なる獣を集める事。天なるホに三つ、地なるキに三つ、それぞれと式を執る事。その際は、ホをツル、キをカメと名付ける事。
一つ、ホとキを筋公いに重ね、篭目紋にする事。篭目紋に中る亀甲紋にモノを置くと封印となるぞよ。
一つ、月が映え給う夜に執り行う事。
一つ、依代は面とする事」
一気にまくしたてると、後ろを向かずに小走りで退いていった。
次に、右の脇持が小走りで前に出て、話し始めた。
「それでは、謳いの唄を授けるぞよ」女性的な声だ。
「篭目封じで歌うが良いぞよ」
「女巫。そちが歌うが良いぞよ」
突然、お囃子が始まった。
笛と琴の音色が響く。そのうち、鈴、太鼓、鉦が重なる。
そして、女脇持が歌いだす。
か~ご~め~ か~ご~め~
か~ごのな~かのと~りいは~
い~つ~ い~つ~ で~や~る~
よ~わ~け~の~ば~ん~に~
つ~るとか~めがす~べった~
うしろのしょうめんだ~あれ~
こちらも後ろを向かずに小走りで退いていった。
それと同時に「さらば!」と巨足が言った。
スクナとククリが、すうっと遠ざかる。
神が集う所に戻っていた。
そこには例の翁が待っていた。
「無事に戻れたな、夫婦巫よ」
「それでは送って行くぞ」
「目を瞑れ!」話す間も与えない。
「決して目を開けるな! 戻れなくなるぞ!」
二人が目を瞑って頷く。
「それでは、前へ進め!」
今度もあっと言う間だった。
「目を開けてよいぞ」
目を開くと……その場に座っていた。
すぐに、目の前に何かが置かれてある事に気づいた。
スクナの前には龍笛が、ククリの前には和琴が、その隣に対の拍子木があった。
「これは何ですか?」とスクナが翁を探して見回す。
翁はもういなかった。
ふと、目に入ったククリが、拍子木を見て微笑んでいた。
スクナが不思議な顔で覗き込む。
「これは、ヤス様への言伝です」とククリが言う。
「たぶん、後はよろしくと言う」
その拍子木は×の形に置かれてあった。
< 何日か後の事であるが、都にある怪異の噂が立った >
ある村人が……あまつかみさんのあけートリイをとおりかかった……時の事だ。
トリイのおくがきゅーにザワザワッとしただで、なんかいんのかとみとったら、かんなぎさんのかっこをしたわけーオノコとオナゴがわいてきた……そうだ。
それが、ただわいてきたのではねえ、すわったまんま、ちゅーにういとった……そうだ。
そのふたりは、フワフワッとじめんにとまって、はなからねむっとったみてーだ……と云う事だ。
その村人は、慌ててその場を立ち去った。
屋敷に戻ると、キビト、イソラ、テコナが安堵して迎えた。
そして、すぐさま話を聞きたがった。
スクナとククリが代わる代わる、隈なく話した。
すると、テコナの表情が変わった。
シュクザと同じだと険しい表情で言う。そのまま、何も話さなくなった。
スクナが皆に訊く。
「聖なる獣を六体集めるのですが、何か心当たりはありませんか?」と見回した。
真っ先にキビトが名乗り出て得意げに話し始めた。
「それなら、わしに任せなさい」と自信たっぷりに言う。
「まずは、我が党霊のキリンを挙げよう。これは間違いなく聖なる獣である。イソラから頼めば、すぐに力となってくれよう」と言ってイソラを向く。
「承りました」と快諾した。
「次が、北の河童族から聞いたのだが、東のタチの国にレイキ(霊亀)党霊の河童がおるそうだ。そのレイキが大きな亀で、聖なる獣と云うことだが」
「後は、北のエミシの国の土蜘蛛族にはミサキ(御先)が多くおるが、聖なる獣は何がおったか……そうじゃ、テコナが良く知っている筈だぞ」と言ってテコナを向く。
……テコナは答えようとしない。
「それと、同じく北の渡り族にシシ(獅子)党霊がおったな。どこだか定かではないが。後は、聖なる獣となると~、思ったより少ないかな?」話が曖昧になってきた。
「一つ確かな聖なる獣がおるが、ちとお薦めできないのだ。まあ、話半分に聞いてくれ」
薦められないときたのに、自慢話がしたいようだ。
「隣のヒタの国に、天狗がおる。コシと住み分けの取り決めができてる訳だが、これはわしが取り決めさせたのだ。何しろ天狗はお高いから、大変であった。しかし、安心はできない。何しろ天狗だからな。その中に、ホウオウ(鳳凰)党霊がおる。わしが話を付けた奴らだ」
スクナだけが、真面目に聞いていた。
「それより、聖なるか、邪なるかは、どのように断じるつもりだ」キビトがスクナに尋ねた。
スクナが困った表情をして、考えてませんと答えた。
当然、行き着く問題だが、そこまで到っていなかったようだ。体は敏捷なのに、頭の回転はそれほどでもないようだ。
そこにククリが、やっと話に加わった。
「私くしが断じます」テコナ以外が驚く。
「この左目で」……ククリがテコナと目を会わせた。
「ククリ! どうやるのか教えてくれ!」スクナが詰め寄った。
「見えるのです……この左目には……」自白するように言った。
「あらゆるモノのヒミタマ(霊魂)がです……その色と形まで……」
イソラが呟く。恐ろしい……しかも、頼もしい。
ククリが続ける。
「聖なる者は明るく、邪なる者は暗いのです……」
一同が沈黙した。
「それでは、わしはどうだ」キビトが恐る恐る訊いて沈黙を破った。
ククリが左目を向けると、キビトが身構えた。
「キビト様の魂は、薄く緑色。四つ魂の内のニギミタマ(和魂)が強い、親しみの色」
イソラに向ける。イソラが慄く。
「イソラ様の魂は、薄く青色。四つ魂の内のクシミタマ(奇魂)が強い、智しみの色」
テコナに向ける。テコナは既に知っている
「テコナ様の魂は、薄く黄色。四つ魂の内のサチミタマ(幸魂)が強い、愛しみの色」
スクナに向ける。スクナは興味津々だ。
「夫スクナの魂は、薄く赤色。四つ魂の内のアラミタマ(荒魂)が強い、勇ましい色」
そして、ハヤイ様が見える。真っ白で明るい――これは口に出さなかった。
また一同が沈黙した。
「叔父上ではなく、父上! 明日から早速、旅立ちます」スクナの決断は早い。
「それはまだならん! 桜祭りで皆にお披露目をしてからだ。旅立ちはその後でよい」
桜祭りは二日後だ。
皆が部屋へ下がる時に、ククリがスクナを誘った。
「笛を持って、部屋まで来てね」……スクナがまた溶けそうだ。
スクナは龍笛を取って付けると、瞬く間にククリの部屋へ……と思ったが。
今回は考えた。彼女はまず衣替えをするだろう。淑女に時を与えねば紳士とは云えない。
自分はあっという間に衣替えをすると、時間を持て余した。部屋の中をうろうろとする。
そうやって時間を潰して、部屋を窺うと……
「遅かったわね。あなたらしくないわよ」とククリにあっさり言われた。
ククリは衣替えをしていなかった。そして、スクナの格好を見ると……
「あのままで良かったのに、何を粧し込んでるのよ」と全く言葉に遠慮がない。
何故か大人気ない態度だ。
溶けそうな心が固まり始めた。
何が気に障ったのだろうか、思い当たる節はない。
ククリへ近づいてみると、そうではない事が解った。
ククリは、お気に入りのおもちゃを貰った七才児だった。
天神から下賜された和琴を愛しんでいる。
その形は人の背丈ほどで、六本の絹の弦が張ってある。本体は青桐でできていた。そこから馨しい香りが漂い、まったりとする。
ククリがぽんと弦を弾くと、素晴らしい神の音色がした。
そして、一調べ奏で始めた。
スクナは音色に感じ入って、聴いている。
調べが一区切り付こうと云う間合いで、龍笛を取り出した。
青竹で出来た横笛だ。こちらもいい香りがする。
頃合いから、相伴した。
琴の音色と笛の音色が共鳴し、屋敷の周りに末広がる。
琴の青桐と笛の青竹が共鳴し、屋敷の周りに木霊する。
屋敷中の人が魂振む。
部屋の中が共香する。
ククリとスクナの魂が、共振る……
突然、琴の音色が消えた。
「ねえ、スクナ!」
「名を付けましょう」琴の事を言っているようだ。
「名を付けて大事に大事に愛でていれば、その内ツクモ(付喪)神が憑きましょう。そうすれば、もっともっと素晴らしい音色になると思うの。だから、名を付けましょう」
スクナはそんなものかと頷いた。
早速、思い付いたのかすぐに名付けた。
「この笛の名は、シズネ」横笛を両手で掲げながら言った。
すると……龍笛が光を帯びる。
「あら! 女の子みたいな名ね? さぞ、可愛がってくれることでしょう」羨ましそうに言う。
「それでは、この琴の名は、ゴンタ」右手で琴を摩りながら言った。
和琴も光る。スクナが女の名を付けたので、意地を張っているのだ。
「そっちは男か」気に入らないようだ。
くすっとククリが笑う。
「付喪神の事だけではないのよ。名を付けた訳は……。今、名付けた時に光ったでしょう。それは言霊の力で式となったからなの。私達には憑神がいるから、言霊の力が強いの。シズネは、もうあなたの笛。ゴンタは、私の琴」
その時スクナは思い出した。
子供の頃、仲間に命令すると何故か素直に従ってきた。身分の低い大人でさえも。それは、単に国宰の子だから、そうだとばかり思っていた。
ククリの話が続く。
「それから、付喪神が付くとあなたのシズネは笛の精になるのよ。そして、私のゴンタは琴の精に」
その時、ククリは後悔した。琴の精ならやっぱり女の子の方が良かったと。
「だから、私達は言葉には気をつけないといけないのよ」自分の事は棚に上げている。
「とんだ所から災いが降りかかるか判らないわ」
スクナは解かったような顔をしている。
そんな側から……
突然、立ち上がり戸を開けた。
「雨よ降れ!」空を見上げて叫んだ。
……しかし、何も起こらない。
スクナは大きな勘違いをしている。
それを見ていたククリが……大笑いだった。
「それは、当たり前です」笑いを堪える。
「雨には、霊魂がありませんから。言霊は言葉の霊が他の霊を動かす力です。雨を降らせたければ、一粒一粒を式にして下さい」と言いながら、また笑う。
スクナが勘違いに気がついた。
しかし、ククリは追い討ちをかける。
「他の方法ですと、雨を降らす力を持った、神やら主やらを式とすることです。そんな力の強い神は、まず、式にはできないでしょうけど。まあ、雨乞いで神に祈るのが早道ですね。そうだわ、祈ってみましょうか」まだスクナをからかっている。
スクナはふて腐れた。べつに雨を降らせたい訳じゃないよと。
その時、にわか雨が降った。
「ヤス様もからかってるのか?」スクナがククリに訊いた。
ククリは何も言わなかった。
その夜、スクナはククリに頼んだ。
「篭目封じの説明なんだけど。よく解からないんだ。だから、解かるように教えてくれる?」
すると、突然ククリの顔が、七才児になった。
「お し え な い よ」
スクナがびっくりする。本当にびっくりしている。
「それは、困ったな……」
そして、泣きはしなかった。
「この間のお返しよ。刻が来たら教えるわ」
そして、ククリがスクナに抱き着く。
「大好きよ! スクナ!」




