―心の通知はオフらないで―・上
夏休みの猛暑日。
まなは立川駅で友人を待っていた。
約束の時間まで一時間もあるが、一人で色々見たくて、つい早く来てしまった。
スマートフォンが震え、通知が届く。
待ち合わせにはまだ早い時間。
まなは嫌な予感を抱きながら、画面を見た。
二人とも、発熱だと連絡してきた。
一人はインフルエンザが確定したらしい。
真夏のインフルエンザ、恐ろしい。
途端に、今日の予定が空いてしまった。
帰るか、一人で回るか迷いながら改札へ向かう。
せめて、なおかゆめは予定が空いていないかと思い、スマートフォンを取り出した。
ふと、開こうとしたアプリの隣にあった写真フォルダに指が触れる。
そこには最近撮った、「送れなかったたくさんの写真」が並んでいた。
スマートフォンを握る指が、滲んだ汗で少し滑る。
「送れない」という思いが、また胸の奥でつかえた。
(陸くんに、会いたいな)
「まな?」
心の声が、漏れ出したのかと思うくらい、聞きたかったその響きが、すぐそばから響いてきた。
「陸くん?」
会いたかった、という言葉が、あと少しであふれ出しそうだった。
「こんなところで会うとは思わなかったよ。
誰かと待ち合わせ?」
制服ではない、久しぶりの陸の姿。
言葉よりも、跳ねる鼓動の方が会いたかったと叫んでいた。
「はい、そうだったんですけど……来られなくなっちゃって。
どうしようって迷っていたところだったんです」
「どこに行く予定だったの?」
「昭和記念公園に。
期間限定で見られるひまわりが見ごろらしくて。
でも二人とも体調崩しちゃって……」
「そうなんだ。
お友だち、体調早く良くなるといいね」
「あ、はい、本当に……」
会話が止まる。
少しの沈黙が、騒がしい駅構内の周りの音を遠ざける。
何か、話さないと。
陸が”それじゃあまたね”と言ったら、それで終わってしまう、そんな関係だからこそ、陸と話す理由を必死で探す。
沈黙を破ったのは、陸の方だった。
「……まなが嫌じゃなかったら。
その……一緒に行ってもいい?」
予想外の言葉に、まなの目が零れ落ちそうなほど大きく開かれる。
陸の顔は、照れたように頬の赤みが増していたけど、でも、目は決して逸らさなかった。
「いいの?
陸くん、何か用事があってここにいるんじゃ……」
――嬉しい、一緒に行きたい。
心はとても素直なのに、言葉は自信のなさから素直になりきれない。
「夏休みの間、追加して午前中はこっちで夏期講習を受けているんだ。
今日は土曜日だし午前だけで終わり。
だから……息抜きも兼ねて、迷惑じゃないなら」
陸の方も、強くは踏み込んでこないけれど、まなとまだ一緒にいたいと思ってくれているような、そんな風に聞こえてしまった。
「行きたい、です。
私の方こそ、陸くんのご迷惑にならないなら……。
本当は、ひまわり、見たかったの」
まながそう言うと、陸の顔が安心したように強張りが緩んだ。
「そっか、よかった」
その声音が、表情が、あまりにやさしくて。
まなはまた一つ、惹かれる理由ができてしまった。
二人並んで、北口の方から公園の方へと歩いていく。
モノレールが駅に着き、立川駅の方へと反対に流れる人たちの波が押し寄せる。
ぶつからないように、さりげなく陸が立ち位置を変えたのに、まなはまた胸が跳ねた。
人の波が落ち着いてきたころに、リュックからピンク色の日傘を取り出した。
縁がフリル状になっていて可愛いそれを、ポンっと音を立てて開いた。
「陸くんも一緒に入って。
日傘、あるとないとでは違いますよ」
少しだけ腕を伸ばして二人入るように掲げると、その傘の柄をすっと陸が支えてくれた。
「俺が持つよ。大変そうだし。
日傘、普段使ったことなかったけど、確かに暑さが全然違う」
俺も買おうかなと笑う陸が近い。
雨は降っていないけれど相合傘の状態に、今更気が付いて少し照れた。
あの雷雨の日できなかった相合傘を、今している。
陸が、似合わないピンク色の傘を普通に持ってくれている。
「そうだ、陸くんお昼ご飯って食べました?」
「いや、まだ食べていないよ。
実はお弁当は持ってきているんだけど、塾では開く気になれなくて」
少し、空気が苦手なんだと陸が零す。
きっと三年の夏期講習の場はピリピリしているのだろう。
「よかったら、私とお弁当食べませんか?
余裕があればでいいんですけど、お弁当空にするお手伝いしてもらえるとありがたいです」
陸の顔にわかりやすく喜色が浮かぶ。
「食べたい、絶対食べる。
それ、まなの手作りってことだよね?」
「はい、恐れながら……手作りです。
普段から自分の分は作っているから、味は大丈夫と思います」
あまりにその顔が嬉しそうだから、まなは恥ずかしくなってしまう。
会いたいと思っていた人が、すぐ隣にいる。
その事実だけで、幸せだった。
入口で陸がチケット代を二人分払ってくれる。
申し訳ないなと思いつつも、お弁当代だからと言われると断りにくい。
ちょうど日陰になっているベンチを見つけて、そこに二人で座る。
夏の強い日差しが木陰で遮られ、横からは街中よりも涼しい風が吹いていた。
お弁当を鞄から取り出すと、緊張しながら蓋を開ける。
陸も弁当箱を開け、「よかったら」と差し出した。
そちらは、和惣菜が多めのお弁当。
ひときわ目立っていたのが、綺麗な焼き色に丁寧に巻かれて作られた、卵焼き。
「陸くんの卵焼き、すごくおいしそうだね」
照れつつも、この状況が嫌いじゃない。
ううん、すごく、嬉しい。
友だちに後ろめたい気持ちを抱きつつも、ちょっとだけこの偶然に感謝した。
「「いただきます」」
二人揃って丁寧に手を合わせ、お互いのお弁当に手を伸ばす。
取り皿の上に並んだふっくらとした卵焼きを口に入れると、絶妙な焼き加減と出汁の風味、そしてちょうどよい塩味に感動した。
「おいしい! すごいよこの卵焼き!」
思わず興奮して感想を伝えると、陸も嬉しそうに笑う。
「そんなに喜んでくれたら、母さんに伝えたら喜びそう。
実は、お弁当の中でそれが一番好きなんだ」
「わかる、これは好きになる味だよ!」
どうやって作られているのか、まじまじと観察してしまう。
「まなのお弁当もおいしいよ。
特にこのササミのおかず。
大葉が爽やかだし、この中のチーズも、お弁当で冷えているはずなのにとろけて感じるところが最高」
「ありがとう。
それね、実は冷めてもおいしいチーズ、色々試して見つけたの」
「へぇ、すごい!
研究成果を頂いているんだね」
陸の言葉が一つ一つ嬉しくて、褒められるたびに心が躍る。
なんとなくふわっとしか将来を考えていなかったけれど、こうやって喜んでくれる人のために、食に携わる人になれたらいいななんて少し思った。
お弁当も綺麗になくなり、リュックに片付ける。
荷物はすっかり身軽になり、お散歩もしやすい。
「エアコンの効いた室内みたいに快適ではないけれど、こういう天然の風が涼しいって思える瞬間っていいね」
陸が、木の葉の向こうに広がる青空を見上げる。
それに倣ってまなも見上げた。
入道雲が遠くに見えて、夏空そのもの。
「うん、気持ちいい。
日向に出ると暑いし日焼けしちゃうから、やっぱり嫌だなって思っちゃいますが。
でも自然の中でしかわからない心地よさってありますよね」
まなが軽く伸びをする。
鎖骨の下に、きらきらと光るネックレスが揺れていた。
陸が、まぶしそうに目を細める。
「今日、駅でまなを見つけたとき、デートかなってちょっと思ったんだ」
「まさか。私なんかが彼氏なんてありえないですよ!」
大げさなくらい手を振って否定するまなに、ううん、と陸が首を振る。
「”私なんか”じゃないよ。
今、お化粧しているよね。
髪の毛もいつもと違って、肩のところでくるんってしていて……。
まな、すごく……かわ……いや、似合っている」
どくり、と心臓が大きく音を立てた。
呼吸が少しだけ下手になって、ちょっと苦しい。
「……まな」
陸が何か言いかけて、喉の奥で飲み込んだ。
そのタイミングで、突然目の前に小柄な犬が飛び込んできた。
犬は飼い主のリードを引っ張りながら、陸に飛びつく。
飼い主は、小さな女の子だった。
「ごめんなさいっ!」
女の子が必死で引っ張るけれど、犬は離れない。
後ろからこちらの様子に気が付いた母親らしき人物が、慌ててこちらに走ってくる。
陸は笑って犬を撫でた。
「ううん、大丈夫だよ。
かわいいね」
ミルクティーのような柔らかい色をした毛皮を、陸の手が撫でる。
犬はちぎれんばかりにしっぽを振っていた。
「ナナ! もう……お兄ちゃんのこと好きすぎっ」
引っ張っても何しても動かない犬に、女の子はとうとう抵抗をやめた。
「ナナちゃんって言うんだ? 女の子?」
「はい……。
気に入った人見つけたらすぐに飛びついちゃう癖、やっと治ったと思ったのに……」
女の子がしょんぼりと肩をすくめた。
まなが撫でようとしたら、くるっと振り返ってナナは低くうなった。
どうやら陸にしか撫でられたくはないらしい。
相手は犬だが、一瞬だけまなの心はちょっとモヤっとした。
その様子が伝わったのか、ますます女の子が「ごめんなさい!!」と頭を下げる。
「気にしなくて大丈夫だよ。
よかったらおすそ分け。
アレルギーとかないかな?」
鞄からお菓子をいくつか出して、女の子にあげる。
まなの言葉に、ぱあっと女の子の表情に笑顔が戻った。
「ごめんなさい、うちの犬がご迷惑をおかけしました」
追いついてきた母親も頭を下げる。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、わたしのおやつもおすそ分けするね!」
小さなラムネや飴玉などの駄菓子がいくつか渡される。
懐かしいそれに、二人の表情も緩んだ。
「ほら、ナナ! 離れて!!」
母親がとうとう離れない犬を抱き上げると、犬はちらっとまなのほうをみて、フンっと鼻を鳴らした。
勝手にライバル認定されたみたいで面白くはない……。
ふと隣をみると陸の肩が静かに揺れていた。
「もう、陸くん!」
「ご、ごめん……! なんだかおかしくって」
くすくすと笑う陸に、女の子は少しきょとんとしている。
「このお姉さん、”まな”ちゃんって言うんだよ。
ナナちゃんと、名前も髪色も似ているのに、仲良しじゃないの変だなって思ったら……」
「ナナもまなお姉ちゃんも、お兄ちゃんが大好きだからライバルなんだよ!」
女の子はサラッとそういうと、ばいばーい!と元気よく手を振ってドッグランの方へと向かっていった。
後に残されたのは、少しだけ気まずい甘さ。
「ひ、ひまわり! 近くに見に行きましょうか!」
「う、うん、行こう!」
わざとらしいくらいの元気な言い方に、陸も乗って答えた。




