―海くんレベルあげはかどってます―・下
結局こたつで三人雑魚寝をしてしまい、翌朝を迎えた。
まなが目覚ましにしているスマートフォンのバイブで目覚めると、すぐ隣に陸が眠っていてどきりとした。
距離があまりにも近い。
これだけは知っているのが自分だけであって欲しいと、密かに願った。
眠る彼の手に指を絡めると、陸のまぶたが動き、そして開かれる。
「……ごめんね、起こしちゃったね」
まなが謝ると、ううん、と緩く首を振って陸が起き上がる。
「おはよう、まな。
ごめんね、ベッドにも案内せずにこたつで寝させちゃって」
「おはよう、陸くん。
さすがにベッドは使えないし、こたつ暖かいから嬉しかったよ」
絡めた手に少し力を込める。
言外に、あなたの隣で眠れて幸せ、という想いを乗せて。
それをきっと正しく拾って、陸の頬が緩んだ。
「朝ご飯、何か作ろうか。
留守にしていたから、あまり冷蔵庫に入っていないけど……ご飯炊いて味噌汁くらいなら作れるかな」
「あ、それなら私が作るよ。
泊めて貰っているわけだし、お料理は嫌じゃなかったらさせて貰えたら嬉しいな」
まなの申し出に、陸の顔が明るくほころぶ。
「いいの……?
実は、ちょっとだけ食べてみたいななんて思ってた」
「もちろん。
一応色々と学んでいるし、昔より更に上手く作れる自信あるよ」
陸が開けてくれた冷蔵庫の中を確認する。
使える材料は少ないが、それらを利用して何とかメニューを組み立てる。
だいたいが出来たところでこたつに並べた。
そのころには海も起きていて、キッチンに顔を出しては新妻だ!俺の嫁っ!とまなに絡もうとして陸に止められていた。
三人で食事を並べ、手を合わせて食べる。
食器洗いは海がしてくれ、まなは彼の洗ったお皿を拭く。
陸が二人ともありがとうと静かに後ろで感謝していた。
不思議な三人の生活が何だか楽しい。
「今日はどこか行きたいところ、希望ある?」
陸が尋ねてきたところで、海が問い返す。
「兄ちゃん、俺たち祝日までの一週間くらいいるつもりなんだけど……ここにいていいの?」
まなも、そっと陸を見つめる。
「もちろん、居てくれるのは嬉しいよ。
俺は五日から仕事だけど、その間海と観光する?」
「陸くん、本当にご迷惑じゃない……?」
「うん、俺は大丈夫。
逆に二人の方はいいのかな?
まなは、その……ご両親とか」
陸が迷惑と思っていないことを改めて確認してほっとする。
「うちの両親は大丈夫。
成人している大人だからってことと、海の名前出したら一発でおっけーって言われたよ」
まなが呟くと、なんで海?とちょっと不満げに海の方を見る。
「五年間の信頼がありますから。
まなのお父さんとは二十歳になったらお酒飲もうって約束していて、一緒に実際お酒飲んだ仲だしな!」
保坂家にすっかりなじんでいる海の様子は、まなもよく知っている。
「……俺は一度だけまなのお母さんにお会いしたことがあるけど、それっきりだもんな」
まなはいつのことだろうとちょっと首をひねる。
「……ほら、いつだったか、お姉さんがまなの傘を持って帰ってしまった雷雨の日。
学校まで迎えに来てくれたまなのお母さんが、俺まで家に送ってくれたことがあったよね」
言われて、確かに!と思い出す。
あの時陸は、遠慮して八王子駅まででいいと言っていたのだが、雷は危ないという母の言葉に押し切られて家まで送られた。
初めて見た浅瀬家の外観にドキドキしたのを思い出す。
「確かに、そう言われたら私は二人のご両親は知らないね。
海がうちに来ることは多かったけど、そっちにはお邪魔したことないもんね」
「普通の親だよ。
料理好きな母親と、海にそっくりな父親。
母はまなと同じ大学の出だったはず」
なるほど、先輩でしたか、とまなは納得する。
確かに、丁寧な卵焼き一つとっても料理に造形が深いのが頷けた。
「まなも母ちゃんと話してみたら案外盛り上がるかも?」
海が無邪気に笑うけど、まなには二人の……特に陸のお母さんと思うと緊張の方が大きい。
それを的確に理解して、陸も頷いた。
「俺も……まなのお父さんやお母さんと話そうと思ったら……絶対緊張して変になる自信があるよ……」
「えー。二人ともいい人だよ?」
海が無邪気にいう分、陸がうなだれる。
「お前がそう言うほど、俺はプレッシャーだ……」
二人の姿を見て、まなはふと既視感を覚えた。
陸の心が、手に取るように分かる。
――ああ、この人も、自分を“ハズレ”だと思っているんだ。
「陸くんは、誰がなんと言ったって、かっこいいよ。
私は、陸くんが好き」
はっきりと言い切ったまなの言葉に、陸がみるみる赤く染まる。
「あー、はいはい。
そういうのは二人きりのデートの時にしなよ。
今日は俺、兄ちゃんの家でゲームしてるからさ。
夜ご飯だけ、札幌の美味しいラーメンとか食べにいこうよ。
俺調べておくから、二人は今から楽しんでおいで」
海がこたつの中からひらりと手を振る。
今度は二人ともの顔が赤く染まる。
「海……せっかく北海道まできたのに、それでいいのか?」
陸が遠慮して尋ねるが、いいのいいのと軽く答える。
「俺の一番の目的は、まなが幸せなこと。
兄ちゃんが幸せだともっと嬉しい。
俺は五日の月曜日からまなと北海道を楽しむから、兄ちゃんは遠慮せずに今を楽しみなよ。
高校時代、遠慮ばっかしてぶっ壊れたんだから、もうそういうのナシ。
まなと自分を幸せにしてあげて」
海の言葉が、じんと胸に響く。
何度も彼に好きだと告白されているからこそ、軽く見える彼の言葉には見た目以上の重さがある。
「……ああ、ありがとう、海。
お前がいなかったら、俺たちの今はなかった」
まなも、陸の言葉に頷く。
「まぁたまたー。
兄ちゃんは、俺がいなくてもちゃんとまなを一人で幸せにできるよ。
だから、もう少し自分を信じようぜ?」
ばちん、と綺麗なウィンクをする海に、ふっと空気が和らぐ。
もう一度だけ陸がお礼をいうと、二人で出かける準備をして、ゆっくりと家の玄関を出た。
地下鉄で札幌駅に出て、それからそこそこの時間電車に揺られてたどり着いたのは小樽だった。
札幌近辺と違い、歩道にもしっかりと雪が積もっていて歩く度に真っ白な雪の絨毯に足跡というには深い穴が増えていく。
真っ白い息を吐き出して、マフラーを上へと引き上げながら改めて前方を確認する。
小樽の、レトロで異国情緒溢れる町並みが、そこにあった。
まなが思わず息を飲む。
名前がよくあがる有名なお店が建ち並んでいる交差点に来ると、足が勝手にそちらへと引き寄せられていく。
大きな通りは、歩道も歩きやすくなっていて、ようやく二人は手を繋いだ。
お店の中に入ると、光と音の洪水だった。
ランプの灯りがオルゴールをやさしく照らし、その光が幻想的に輝いている。
あちらこちらから聞こえてくるオルゴールの音が、違う曲を奏でているのに、どこか一つの音楽のようで、圧倒される。
まなが頬を上気させながら陸を見つめる。
言葉はないけれど、目がそれ以上に感動を物語っている。
陸は微笑んで頷くと、彼女の気が済むまでオルゴールを眺めた。
「陸くん! 最近の曲もオルゴールにありますよ!」
気になるものを見つける度に引っ張って、を繰り返してしまっていたが、彼はちっとも嫌がるそぶりを見せなかった。
まなと一緒にオルゴールを一つずつ覗き込む。
「まなは、どういうのが好き?」
陸が尋ねると、迷って、最初の方に見ていたツリー型の硝子細工を指さした。
「私なら。あのツリーがかわいいかな?
上に月が載っているのがかわいくて!」
「なら、それをまなにプレゼントさせて欲しい」
「え……! いいよ!
私なんかにお金使わなくていいんだからね?」
まなが慌てて両手を振って断ろうとする。
「プレゼントしたい俺のわがままだよ。
まなが受け取ってくれたら、俺は満足」
そう言われると、断ることにも罪悪感が沸く。
もちろん、まなが罪悪感を抱かないように言ってくれていることだとはわかっているので、これ以上遠慮する方が却って失礼だと思い、ありがとう、と静かに返した。
陸がその言葉に、嬉しそうに笑う。
レジで、家族用のお土産とまなへのプレゼントを包んで貰う。
丁寧に緩衝材の巻かれたオルゴールの入った包みを、宝物のように大事に抱きかかえた。
陸は、そんなまなの様子を、目を細めて眩しそうに見ていた。
次は硝子店へと入る。
陸はそこで運命の出会いを果たしていた。
彼が手を伸ばした醤油差しは、紫色から透明に掛けてのグラデーションを描き、そしてネコのシルエットが彫刻されている。
(陸くん、相変わらずネコ大好きだなぁ)
変わらない彼の好みがなんだか嬉しい。
それから、更に同じシリーズのペアグラスも買うらしい。
丸っこいデザインがかわいい。
「……まなと、一緒に使いたいなって思って」
言いながら、彼の顔がどんどん赤くなっていく。
そんな陸をみて、まなも鏡写しのように赤くなった。
買い物を終えて、二人で店を出ると、また少し雪がちらついてきた。
近くの喫茶店へと入り、二階でお茶とお菓子を頂く。
やっと座れたことに少し気が緩んで、まなの笑顔も柔らかく優しいものになる。
ゆっくりとコーヒーを頂いた後、陸が少し、指先をそわそわと動かしている事に気がついた。
どうしたんだろう、と見つめていると、真剣な表情で、この後のことについて聞かれた。
行きたい場所は今までのお買い物で満足だったので、特に希望はなく、陸の行きたいところでと答えた。
彼は、小さな声で、運河の方に行ってみようと思っているけど、どうかなと尋ねる。
運河に何があるんだろうと思いながらも、まなは小さく頷いた。
小樽の運河沿いまで手を繋いで歩いてきて、二人は早々に後悔した。
ロマンティックなのに、全部かき消すほど寒い。
「ごめん、まな……これは、無理っ!」
頷き合って建物の陰へ避難する。
耳が痛いほどの風に、まなはマフラーを引き上げ損ねて、手で塞いだ。
同じ仕草の陸を見て、思わず笑ってしまう。
「ふふ……っ。寒さ舐めてた!」
結局、防寒具を買い足すことにした。
お揃いのもふもふのイヤーマフが特にお気に入りで、恥ずかしそうにつける陸が“北海道限定”に見えた。
海の分も色違いで買って、今度はまなが支払う。
どちらかが寄りかかるような、そんな関係でなく。
しっかり地に足をつけて、彼と向き合っていけたらいいな、と思う。
さっきから、ほんの息が上ずっているような、心がここにあらずな陸の様子に疑問を抱きながら……。
今の彼なら、きちんと向き合って何を考えているのか話してくれると信じて待つことにした。
北海道の夜は早い。
気づけば運河は青い光に満ちて、揺らぐ水面が現実感を消していく。
言葉もなく見とれた。
隣に立つ陸の顔に、髪に、青い光の粒が降り注ぐ。
一緒にこの光景が見られて良かった。
一瞬だけ視線が絡み、微笑みあう。
とくん、と心臓が軽く跳ねる。
「――……っ」
陸は何かを飲み込み、手を引いて横道へ逸れる。
路地を出たすぐ先には人々が行き交う。
擬似的な二人きり。
立ち止まった瞬間、衝動みたいに抱きしめられた。
指先が震えているのは、寒さじゃない。
抱きしめられた腕の力は強く、簡単には振り解けなさそうで。
……ううん。
振り解く気など、最初から微塵もない。
この腕は、寒さから守るためだけじゃないと、もう分かってしまっていた。
――この日起きた出来事は、一生忘れられないものとなった。




