―チキン先輩、たまごからひよこにジョブチェンジ―・下
和室では大忙しで準備が進められていた。
「間違えても知らんぷりね。
堂々としていればそういう手順だって勝手にお客様は思ってくれるから」
先輩の雑な励ましに、まなは笑って頷いた。
約束通り、典伽とたかちゃんが来てくれて軽く手を振ってくれた。
そして、その二人の後ろには背の高い一年の男子と三年の男子――陸が並んでいた。
「まな、お招きありがとう。
二人にちょうど入口で声を掛けられて、ご一緒させてもらったところ」
陸が丁寧に頭を下げたあと、説明をする。
一つ前の席のお点前が終わり、お客様の入れ替えが行われる。
いよいよまなの番だ。
「ほら、逃げんな兄ちゃんっ」
弟に背中を押されながら、陸が一番先頭に並ばされる。
「……わかった」
陸は涼しい顔を装っているが、手にした手順書が小刻みに震えていた。
炉の前に座り、袱紗のパンッと乾いた音を響かせる。
茶道具一つひとつを丁寧に扱う。
指先まで意識して動きを滑らかに。
満足のいくお茶が点てられたことに、内心ほっとしながら右手の畳へ置く。
最後に棚に道具を綺麗に飾り付け、すべての手順が終わったところで、まなは大きく息を吐いた。
「お疲れ様。ばっちりだったわよ」
「ありがとうございます」
「それにしても、あの弟くん……野点の時も思ったけれど、やるわね。
陸上部でなかったら誘ったのに……残念だわ」
本気で悔しがる先輩に、まなは小さく笑みをこぼした。
それから、数回お茶席に立った。
丁寧に、を心掛け、すべてそつなくこなせたと思う。
交代の一年生に引き継ぎ、まなは保冷バッグ入りの鞄を持って、和室を抜けた。
和室を出たところで、陸が待ってくれていた。
廊下は和室に比べると、ひんやりとしていて風が冷たい。
「お待たせしました。
陸くんは、クラスの方は大丈夫ですか?」
「うん、さっき店番やったからもうないよ。
さっき……お点前、かっこよかった。
まなのこと、綺麗だなって……見惚れてた」
小さいけれど、はっきりと言い切る陸の言葉が、胸の奥にじんわりと沁みていく。
頑張ってよかったと心から思えた。
(だめ……ちょっと泣きそう)
「……ありがとう。
陸くんも、慣れないのにお客さんになってくれて……かっこよかった」
二人して、照れ顔で笑いあった。
「さて、どこから回る?」
「陸くんのクラスは駄菓子屋さんだっけ」
「外のテントでね。
その辺り回って食べ物確保しようか」
行き先が無事に決まったところで並んで歩き始める。
手を繋ぎたいなと思うけれど、こんなたくさんの人の中ではさすがに無理だった。
教室棟の最上階、一年生の階から非常ドアを開けて外へ出る。
非常階段は校舎の裏側にあるからか、祭りの喧騒も遠く、また日陰になっていてあまり目立たなかった。
屋上前まで登ると誰も通らない別世界のよう。
階段に二人で腰掛けた。
(ここなら……)
まながリボンの掛かった箱を鞄から取り出し、そっと差し出した。
「……陸くん。お誕生日おめでとうございます」
「え……、なんで知って!?
……いや、ありがとうございます」
陸が目を丸くしてこちらを見ている。
差し出した箱は無事に受け取ってもらえた。
「開けても?」
「はい、どうぞ」
中には、ブッククリップが二つ。
持ち手のところがネコの顔になっている。
「か、かわいい……。
これ、テレビで見たけど教科書挟むのに便利なやつだよね」
「はい、ページが閉じずに開いて見やすくなります。
お勉強のお供にしてくれると嬉しいです」
「うん、もちろん。
早速今日から使うね」
喜んで貰えてよかった。
そう思いながら、今度は鞄の中から保冷バッグを取り出す。
本命のプレゼントは、こっちだ。
「前に、お点前のチケットを渡したときに、生徒手帳のお誕生日がちらっと見えたの。
知ったらプレゼント用意したくなって……。
勝手にごめんなさい」
「ううん、嬉しいよ。
彼女なんだから、そんなこと気にしなくていい。
むしろ、気を遣わせちゃってごめんね」
陸がニコニコしながらクリップを開いたり閉じたりして遊ぶ。
まなは、緊張しながら保冷バッグのファスナーを開けた。
「……もう一つ、あるんです」
小さなケーキの箱を差し出す。
一緒にプラスチックのフォークも手渡した。
「まさか……」
震える手で、陸が受け取る。
ごくっと、息を飲む音がまなのところまで聞こえた。
小さなハート型のショートケーキ。
上には、イチゴまでハートにカットされて並べられていた。
覗き込んだ陸の顔が、喜色満面になる。
「え、本当……やばい……顔が、ニヤける……」
腕で真っ赤な顔を隠しながら、それでも心から嬉しそうで。
渡したまなの方まで熟れた林檎のように赤くなる。
「もったいなくて食べられない」
箱の前で、はぁぁぁと深いため息。
舞い上がる気持ちを深呼吸して少し落ち着けると、徐にスマートフォンを取り出す。
カシャッという音と共に、画像が保存されていく。
「まな、こっち向いて」
陸が腕を伸ばして、シャッターを押す。
撮った写真を確認したら、陸は半分ほど頭が切れている。
「自撮り、あまりしたことなくて……下手でごめん」
撮り直して、ようやく納得したようで満足気にスマートフォンを下ろす。
ケーキの箱を横に置くと、ぎゅぅっと強く抱きしめられた。
「……どうしよう……嬉しくて、めちゃくちゃ嬉しくて……死にそう……」
(わ、私も、どきどきで死にそうだよ……!)
制服越しに温もりが伝わる。
鼓動の音が重なって溶け合うんじゃないかと思ったころ、そっと離された。
「……まな、ありがとう。
あー……マジでもったいない……」
「食べないほうがもったいないですよ」
「うん、わかってる……いただきます」
手を合わせると、フォークをまなの方へ渡してくる。
どうしたんだろうと思っていると、小さな呟きが聞こえてきた。
「……食べさせてって言ったら……引く?」
ほとんど意味をなしていない予防線にクスッとまなは笑うと、フォークを受け取った。
「引かないですよ。
……はい」
あーんはさすがに恥ずかしくて言えなかった。
スポンジをクリームと一緒に掬うと、陸の口元へ運ぶ。
パクリと消えていくそれに、まなの方もたまらなく恥ずかしかった。
陸は小さく息を吐いて、ほっとしたような表情で笑った。
「すごく美味しい。
……手作りだよね?
あーやばい、幸せすぎる……」
天を仰ぎながら、心の底まで沁みるような声色で零れ落ちた言葉に、まなの方が恥ずかしくて俯いてしまう。
嬉しくて、恥ずかしくて、でもやっぱり嬉しくて。
「……次は、まなの番」
「え?」
フォークで、イチゴと一緒にスポンジとクリームを掬う。
「食べさせても……いい?」
小さいけれど意志のはっきりした声は、まっすぐで逃げ場がない。
まなは、ゆっくりと頷いた。
鼓動の音が、耳元で鳴る。
イチゴの甘い香りがふわっと漂ってきて、甘いクリームと一緒にフォークが唇に触れる。
(こ、これって……!)
「美味しい……?」
「……ひ、引きました」
陸の顔が一瞬固まった。
「……ごめん、嘘。
……美味しいです。すごく」
ふるふると震えながら言うと、陸の目が細くなり、笑うか泣くか迷っているような表情になる。
そして、ケーキを横に置くと、もう一度、まなを抱き寄せた。
さっきよりも、もう強く。
「……こんな、嬉しい誕生日初めて。
まなと出会えて、まなが隣にいてくれて……よかった」
まっすぐで、飾らない言葉。
泣いてしまいそうなくらい、胸が詰まった。
まなも陸の背中に腕を回す。
トクトクと、聞こえてくる鼓動が速い。
しばらくして、ゆっくりと二人は離れる。
残りのケーキと買ってきた食べ物を、一本のフォークで分け合う。
そっと伸ばされた手がまなの指をやさしく包む。
その触れ方はいつもより大胆で。
陸が、ひよこになっていく。
その変化が、くすぐったいような愛しいような。
胸が温かくて仕方がなかった。
階段の下の方から、文化祭を楽しむ人々の声が聞こえてくる。
その喧騒に戻る前の、ほんの数分の静けさ。
この時間だけは、二人だけの秘密だった。




