15 遺書
霊獣管理協会本部──
手入れの行き届いた中庭に、涼やかな風が流れていた。回廊を歩いていたヤコブは、ふと足を止める。
視線の先。
場違いなほど華やかな衣をまとった男が、そこに立っていた。
「……ヤコブ。探したぞ」
「マルコ殿下……? なぜこのような場所に……」
思わず背筋が伸びる。
第一王子が協会本部を訪れるなど、異例中の異例だった。
「どうかされましたか?」
マルコは柔らかな笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄る。
「いやなに……君は随一の剣士だと聞いてね」
その視線だけは笑っていない。
「明日、ぜひ私に剣の稽古をつけてくれないか?」
「……稽古、ですか」
ヤコブは一瞬だけ言葉を止める。
「王族直属の指南役がいらっしゃるはずですが……」
マルコは小さく首を振った。
「いいや」
間を置いて、はっきりと言う。
「私は――ヤコブに頼みたい」
穏やかな声音。
ヤコブは静かに息を吸い、敬礼する。
「……承知いたしました」
「感謝する」
マルコは満足げに微笑む。
「では明日、夜。城内の訓練場で待っている」
それだけ告げると、踵を返す。
衣が揺れ、風とともに中庭から消えていった。
残されたヤコブは、しばらく動かなかった。
(……夜の城内で、王子自ら稽古……)
あり得ない話だ。
月が昇りかけた空を見上げる。
(……何かあるな)
胸の奥に、確かな違和感が灯る。
そして――
(……来たか)
それは、ほとんど確信に近かった。
数時間後。
ヤコブの屋敷の扉が、静かに開く。
「……ただいま帰りました」
灯りの奥で、春香が振り向いた。
「ヤコブさん」
「二人は向かいましたか?」
「えぇ。朝に出発したわ」
一瞬の沈黙。
「……そうですか」
それだけ言って、ヤコブは歩み寄る。
そして――
そっと、春香を抱き寄せた。強くはない。
春香は一瞬だけ目を見開き、すぐにその背に手を回す。
「……どうしたの?」
「いえ」
ヤコブは、わずかに笑う。
「少し、疲れただけです」
春香は何も言わない。
ただ、少しだけ抱きしめる力を強めた。
やがてヤコブは、ゆっくりと離れる。
「一度、書斎に寄ってから……本部に戻ります」
「……わかったわ」
ヤコブの書斎。
扉を閉めた瞬間、外の気配がすべて断ち切られる。
ヤコブは机の前に立ち、しばらく動かなかった。
やがて、胸元に手を入れる。取り出したのは、一通の封筒。
すでに書かれている手紙。
(……使わずに済めば、それが一番だ)
わずかに目を伏せる。
そして、引き出しを開け――
奥へと、静かにしまった。
封には、ただ一言。
――遺書。
引き出しを閉める。小さな音が、やけに大きく響いた。
ヤコブは目を閉じる。
(……さて)
覚悟は、もう決まっている。
扉へ向かい、歩き出す。その背に、躊躇はなかった。
夜は、静かに深まっていく。
続く




