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第二節二章

 クリームヒルトの朝は早い。

 まず最初に、流水で身を清める。

 異世界に来訪した竜の皇女にとって幸いだったのはそこが彼女の父が治める国と遜色(そんしょく)がないほどに技術が発展していたことに尽きる。望めば温かな湯水が自由に手に入るのはどんな魔法を使っているのか気になったが、そもそもこの異世界には魔法そのものがないと聞き、

 「どうやって生きているんですの?」

 今も温水に身を(ひた)しながら疑問は尽きない。

 この世界では、科学と呼ばれる学問が主流らしい。

 彼女は思う。自分は知らねばならないと。

 敵を知らねばならないと。

 浴槽を出て、髪を乾かし整えてそれからは朝食の時間である。

 「おはようございます、お父様」

 「おはよう、クリームヒルト」

 数日前にこの異世界で再会した父──ジークフリートへ欠かさぬ朝の挨拶を済ませてから用意された食事を口にする。

 「どうだい、お米にはなれたかな」

 「はい、とても美味しいですわ。もぐもぐ」

 ご飯を食べながら、クリームヒルトはいずれ自分が支配するであろうこの異世界の、この日本について所感を述べる。

 「実に豊かな国ですわ。お父様が懇意(こんい)になされるもの頷けますわ」

 クリームヒルトの考えは、父によるこの異世界の征服である。

 彼女にとって当たり前なので口にしないが、この世の全ては父たる竜の騎士王に頭を垂れるのが当然なのだ。

 きっと父も同じ考えの筈。

 しかし、つい最近そのクリームヒルトの世界(にんしき)に異変が起こった。

 父がなんと妻を(めと)ったのである。

 つまり自分に母と呼ぶべき女が出来た。

 実に不愉快であった。

 煮えたぎる思いは一度は腹に納めたが、現在も(うめ)くようにクリームヒルトの臓腑(ぞうふ)を重くする。

 「ところでお父様」

 「なんだい、クリームヒルト」

 朝食の最中に、クリームヒルトは自らの疑問を口にする。

 「お父様はあの女のことをどう思っているのですか?」

 「好きだよ」

 誰とも聞かずに、真っ直ぐな気持ちを告げた父にクリームヒルトは続く言葉を思わず噛み殺した。

 それなら、私とあの女のどっちが?

 父親に決して悟られぬようにドス黒い感情と噛み殺した台詞を口の中の白米と共に飲み込むクリームヒルト。

 そんな自分の娘にジークフリートは、

 「あとクリームヒルト」

 「はい、何ですの?」

 「服を着なさい。今日は外に出るのだから」

 シャワーを浴びてから生まれたままの姿であったクリームヒルトは朝食後に父親の言う通りに渡されたこの世界の一般的な衣類に袖を通す。

 そして鏡の前で身なりをチェックするクリームヒルトは眉をしかめる。

 「う~~ん、イマイチですわねえ」

 パチンと白魚のような指先が鳴らされる。

 「竜気転装(ドラゴニック・ドレス)

 するとクリームヒルトの全身が一瞬、光に包まれるとそこに美しいドレス姿の彼女が存在していた。シルクの生地に華美な装飾が施された異世界(ラ・グース)の王族の姿がそこにはあった。

 「うん、やっぱり私はこうでなくちゃ」

 自身の身支度を一通り楽しんだ後に、クリームヒルトは時計を確認する。

 「そろそろ良さそうですわね」

 クリームヒルトは玄関へ向かう。

 外界へ繋がる扉に手を掛けて、

 「行ってきますわ、お父様」

 娘の出掛けの一言に、父たる竜の騎士王は笑顔でその背に言葉を送る。

 「行ってらっしゃい、楽しんでくるといいよ」

 そうして開かれた扉から日の差す外界へ竜の皇女は一歩を踏み出した。



 (どうしてこうなったのかな?)

 私服姿の晶子は、雑踏とした人波の中で自らに疑問を(てい)したがその答えは見えない。今こうしている間にも約束の時間が来るという事実を駅前の備え付け時計の秒針が刻一刻と伝えてくる。

 その場所は、かつて晶子が兵庫と共に歩いた葦原のショッピングストリートの一角である駅前広場。待ち人を待っている間に、晶子は人通りの多い周辺を見渡す。

 この場所で、晶子たちを襲ったワイバーンが周囲一帯を破壊して間もなく一年近くになる。見渡す限り、そこに傷ついた街路や人々の木霊する叫び声の面影はない。完全に復興を果たしていた。かつての事件の当事者として、晶子はそんな人々と都市の持つ活力(バイタリティ)の高さに心を撫で下ろす。そして今日はこの見事に復活した流行の最先端で、これから晶子は自分の娘(・・・・)と一時を過ごすのだ。

 (──ちょっと複雑です)

 晶子はまだ子供を産んでいない。

 しかし娘はいるのだ。

 つまり義理の娘である。

 所謂(いわゆる)夫の、ジークフリートの連れ子であった。

 竜の騎士王との関係にまだ戸惑っている晶子にとってまるで目の前に現れた綺羅星のような少女。

 今回の発端はその義理の娘──クリームヒルトが出会ってすぐに口にした言葉で。


 「ちょっと貴女!! 私のお義母様!! この世界を案内して下さいまし?」


 ジークフリートの娘など初耳で動揺していた晶子をクリームヒルトの台詞があっという間に飲み込んだ。そうして今日の約束は取り付けられたのだ。

 (別に嫌じゃないけど……どうしよう。どうやって接したら……)

 戸惑っていても時間は来る。

 その証明に時計の針が約束の刻限を示す。

 「あら、約束の時間ぴったりですわね」

 背後から声をかけられて振り向く晶子。

 そこに、

 「クリームヒルト、さん」

 「あら嫌だわ、お義母様ったら──呼び捨てで構わないですわ」

 数日前と変わらぬ美貌の少女が、その銀髪をたなびかせていた。

 「クリームヒルト、ちゃん」

 「むう……まあ、それでもいいですわ」

 「……ここに来るまでに何か不都合はなかった?」

 「ああ、あの電車という鉄の箱のことでしょう。全然、問題ありませんでしたことよ、おほほほ~~あの程度、私にとって雑作も」

 そこでクリームヒルトの肩が叩かれる。

 肩を叩いたのは駅員と思われる初老の男性。

 固まるクリームヒルトへ柔和な笑顔で一枚のIC乗車カードを手渡して、

 「お嬢ちゃん、改札に置きっぱなしじゃいけないよ」

 そう言って去っていく駅員の背中を見送りながらプルプル震えるクリームヒルトが顔を真っ赤にして、

 「べ、別にわざとじゃないんですのよ。そう!! 私ぐらいになればこのぐらい」

 「……わざとじゃないのではダメなんじゃ?」

 「きいいいいいい~~!!!!」

 恥ずかしそうに両手を振るクリームヒルトを見て晶子は、

 (あ──この子、普通だ)

 肩の荷が下りたと言うか、余計な重石が胸の奥からなくなるのを感じた。

 そうだ、何も緊張する必要はなかったのだ。

 「~~~~っ何を笑っているんですのををを!!?」

 晶子は、今日一日が平穏無事に終わることをなんとなく直感したのだ。



 晶子とクリームヒルトが顔を会わせた同時刻。

 恥ずかしがる少女を微笑み見守る少女、その二人をそこまで離れていない距離から見つめる視線が二つ。

 「いいねいいね~~ファアアオ~~きゃわいいね~~」

 「悪趣味か」

 晶子たちの姿をカメラ機能で携帯端末(スマホ)に収めるのは変装した兵庫であり、そんな彼女に面倒臭そうに付き従うのは同じく変装した伊織であった。

 「だってこんなの、記録しとかないと勿体ない!! イッチーだってアイラビューな晶ちんの新しい表情を見られて眼福っしょ?」

 「アホが、惚れた女の顔は俺一人が独占するに決まってるだろ」

 「でも(ちみ)、晶ちんのこと束縛しないじゃん」

 「当たり前だ。自然の成り行きこそが俺と晶子には相応しい」

 「なんだか、ケッコー清く正しいよね。イッチーは」

 二人がこんな真似をしているのは無論のこと晶子たちの今日一日の行動を遠巻きに観察するため。言い出したのは兵庫であり、二人っきりで話があると珍しく伊織を呼び出した彼女の口から本日の二人の行動は決定された。

 「ところでおい」

 「なにさヤンキー殿下」

 伊織がギョロリと兵庫へ疑わしそうな目付きをする。

 「なんでこんな面倒なことをする」

 「えー別にフツーじゃねえ?」

 「お前以外なら、な」

 伊織は今の兵庫に感じる違和感を断言する。

 「お前なら、あのジークフリートの子供が口を開いた段階で自分も混ぜろと言うに決まってる。なのに──」

 「まあ、ちょっと離れようと思ったのさ」

 誰とは、言わずとも伊織には分かっている。

 だからこそ不可解だと、伊織は携帯端末から顔を上げない兵庫に言葉を連ねる。

 「なにかあったのか、晶子と」

 「いいや~~別に~~」

 「じゃあなんで」

 「だからいいでしょう。この話は」

 「………………」

 伊織にとってよく分からない兵庫の印象が、より判別がつかなくなる。

 この女は、一体何を考えているのか。

 「──ほら、そうこうしている内に」

 ようやく兵庫は携帯端末から顔を上げて、ニシシと笑う。

 「動き出したよん」



 晶子の予想通りに、クリームヒルトと合流した後の行動はつつがかく進んだ。

 それは晶子が思っていたよりもクリームヒルトが突飛な行動をしなかったことに加えて、晶子が抱いていた無用の緊張が(ほぐ)れた結果でもあった。

 「あれ、何?」

 クリームヒルトが興味深そうに指を差す度に、それに答える晶子はこの竜の少女が持つ未知に対する敬愛の念を感じた。

 普通、人は初めて見るモノを警戒するものである。

 だがクリームヒルトにはそれが薄い。

 ほぼ皆無と言っても構わない。

 少々の独断専行の気が強いが、それでも触れる物や見る物に対するクリームヒルトの対応は繊細で柔らかであった。

 「あはは、何よこれ」

 その身の振り方に、晶子はどことなく子供が自分より小さな動物に接する様子を垣間見た。

 「クリームヒルトちゃん、楽しい?」

 買い物の最中に、一抱えの犬のぬいぐるみを抱き上げているクリームヒルトに晶子が楽しいか聞くと、クリームヒルトは気恥ずかしそうに一度だけコクリと頷く。

 ──この子、可愛い。

 この時、晶子のクリームヒルトに対する印象は感激の頂点に達した。

 あ、この子が私の娘になるのか。

 (でもそうなるとジークフリート先輩と……)

 午前のショッピングモールでの買い物を終えて、同じモール内にある料理店で少し遅れた昼食を取りながら晶子は、

 「あのね、私、まだクリームヒルトちゃんのお母さんじゃないの」

 思わず抱き締めたくなる目の前の竜の皇女に対して、抱く気持ちを我慢して晶子は正直に事実を伝える。

 自分は、まだジークフリートの伴侶ではないのだ。

 だが、

 「そのぐらいのこと、わかってますわ」

 クリームヒルトは注文したトマトクリームのパスタをフォークで巻き取りながらそれを頬張り、対面の晶子に己の理解を告げる。

 「そんなことよりも重要なことがありますわ」

 「重要なことって」

 「私の母でなくても、我が父が貴女に懸想(けそう)しているのは事実なのですから。私は聞かねばならない……いいえ、聞きたいですわ」

 金色の竜の瞳が、晶子の眼と重なる。

 「晶子さん、貴女は──これからどうしますの? 貴女と、父の世界(ラ・グース)の、今後について」

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