旅立ち
短編として作ったのでいったん終了です。長編として書き直すのもありかなと思います。
咲は手を後ろに伸ばし、背負った琵琶の弦を一鳴らしする。
急に琵琶を弾いた咲に、男たちは一瞬あっけにとられたがやがて大声で笑い始めた。
悲鳴をも吸い込む林に囲まれた街道では、音が響くことも木霊することもなく、ただ弦の音が木々と土に染みわたるように消えていく。笑い声も、同様に。
弦の音が止んだ時には、笑いを止めた男たち全員が地面に倒れていた。
あやかしであろうと生きた人間であろうとも、魂魄は必ずある。
現世に存在する以上、その理から逃れることはできない。
咲の琵琶は陰陽の気の源である魂魄に干渉する術。
あやかしは魂魄だけの存在であるから現世に留まれなくなり、生きた人間は肉体と魂魄の結びつきを一時的に止められて心失す。
「流石やねえ」
下生えを踏み分けて、咲の元へ近づく足音。
今の音を聞いていたはずなのに、効いた様子がなかった。
山からの道を咲よりもやや大きな足幅で歩いてくる。
咲と同じ白い装束だが肩のあたりを大きくはだけ、咲より遥かに大きな胸の持ち主の少女。夕闇の時分とはいえ、初夏の陽気を歩いてきたせいかうっすらと汗をかき、豊かな胸の谷間には小さな溜まりさえできていた。
「……藍」
咲の声に驚きが混じるが、少女は気にした風もない。
「今度のお務めはどないやった?」
そっけなく話す咲とは対照的に、藍と呼ばれた少女は親しげに話しかけてきた。
「別に。いつも通り」
「そか」
咲の返答に藍は軽く笑って、隣に並んだ。
「次のお務めは、海沿いの町。そこに出るあやかしを祓う」
「まじめさんやねえ。少しくらい町で遊ぼとか、思わへんの?」
京ほどではないだろうが、この瑞穂国は大きい町は海沿いにできることが多い。大陸に比べ山地が多く、まとまった平野が海沿いにあること、他国との貿易で栄えやすいのがその理由だ。
人が集まれば物も集まる。人と物が集まれば娯楽も集まる。
「思わない。そもそも遊ぶという感覚が、よくわからない」
「そか」
咲の過去を知っている藍は、ふたたび軽く笑った。
相手に合わせるという話術にこれほど長けている他人を、咲は藍以外に知らない。
自分と違って人好きのする性格で、この容姿にこの色香。だが不思議なことに浮いた話一つ聞かない。
藍はこの道の先達で、目が見えなくなり自棄になっていた咲の資質を見出し、面倒を見てくれたのだ。時期になっていた頃きつく当たってしまった負い目もあり、咲は未だに藍に対して頭が上がらなかった。
「次の仕事は?」
「あいかわらずのまじめさんやなあ。そんなんやから浮いた話の一つもできひんのや」
「それはお互い様」
なれなれしく肩を組んできた彼女を振り払うこともせず、咲はされるがままになっていた。自分より遥かに大きな胸が頭に押し付けられ、敗北感を味わう。
「そもそも藍が、なぜこちらの方へ?」
「本宮からの指示や」
咲や藍といった渡り巫女は、本宮という彼らをまとめ上げる神社の指示で動いている。国ごと、神社の系統ごとにいくつかの本宮が存在し、彼女たちが属する本宮は貴船海神社といった。
「今度のお務めは大きめや。一人やと手に余るかもしれんから、ウチと二人で行くことになるんやて」
それを聞いた時、咲の胸に暖かなものがこみ上げる。
「久しぶりやな。ウチと仕事するんは」
「ああ」
言葉こそそっけなかったが、声音が変わったのを咲は自分でも感じていた。




