ギフテッド一寸法師の家庭教師
子供の頃のあだ名は「天才」だった。学校の勉強は特に努力しなくても出来たし、音楽や運動もできた。メディアの取材を受けたこともある。全部、過去の話だ。
「だからね、君は数学だけできたってなんにもならない。それよりも学校では英語も国語も歴史も平均点を求められるよ」
そんな俺、五十代になってもバイト生活だ。バイトの家庭教師として子供をみていた。一寸法師のように小さく、数学だけが異様にできる生徒だった。あだ名も一寸法師という。
「先生、なんで? 数学だけできるのじゃだめ?」
「だめ。今の日本は、加点主義じゃなく減点主義だからね。尚且つ新卒カードも上手く使えないと」
そういうと、一寸法師くんは不貞腐れていた。露骨だった。この素直さ、オレは嫌いじゃないが、生きる上では苦労しそうだなぁと思う。
実際、オレもそうだったから。天才だと言われたのは高校生までだ。それ以降は伸び悩み、一番得意な数学でもろくな成果が出せず、大学で非常勤もやっていた。そもそも成果が出たとしても、オレは人に好かれる性格でも無い。むしろ嫌われやすい。はっきりとものを言いすぎるし、出世はしなかっただろうなと思う。
「まあ、いいや。とりあえず、この数学の問題だけやろう」
「はーい、先生!」
それに一寸法師くん、数学の時間だけは目がキラキラとし、素直だ。うん、別にこの子は嫌いじゃない。嫌いじゃないんだが……。
他の教科は絶望的に悪い。アルファベットも全部言えるか怪しい。そもそも静かに座っていられないし、ちょっと注意しただけでも癇癪を起こしたこともあった。
ざらっとした違和感。次第に降り積もる。もしかしたら一寸法師くん、生きづらい何かを抱えているかもしれない。実際、登校拒否中と聞いていたし。
余計なお世話だと思った。いくら家庭教師といえども、生徒の個人的な事情に立ち入っていいかわからない。だが、なんとなくオレみたいになる未来が見える。いや、オレより酷い未来が。早いところ支援に繋がった方が一寸法師くんの為になるはずだ。前、怒りに任せてはっきりと言ってしまったし、今回はやんわりとオブラートに包んで言うしかないだろう。
「失礼ですが、お母さん。やはり息子さん、このまま放置していたら、将来大変になるかもしれません」
障害があるかもしれないなんて言えない。逆効果になる。今回は言葉を選びつつ、他の道を提示したが。
「本当に失礼だわ。うちの息子に障害があるとてもいいんですか?」
この母親も慣れているのかも知れない。今回は逆上はせず、苦いため息をこぼした。
「みんな勝手よね。そういう特性のある子は福祉に繋がればハッピーエンドみたいに言う。うちの母もそう。単に臭いものに蓋しているだけじゃないの。専門家に押し付ければ全部解決ですか!?」
母親は話しながら肩を振るわせていた。
「単に社会から排除したいだけじゃない。臭いものに蓋だけよ。誰も息子の未来など責任なんて持てないのに。じゃあ先生は責任とってくれるんですかね?」
言葉に詰まってしまった。現時点で最善の道を提案したつもりだが、反論できない。所詮他人だ。いくら先生でも、一寸法師くんの人生に責任は取れない。誰も一寸法師くんの人生の答えは持っていないのだから。数学の問題より難しい。
「うちの息子はギフテッドなのよ。そう、天才なの。普通の子と違うだけ」
天才にも賞味期限がある、なんて口が裂けても言えない。オレだってかつては天才だったとは、この母親、想像もしていないらしい。
だめだ。この母親になにを言っても無駄だと悟り、一寸法師くんの姉とちょっと話してみることにした。中学生の割に大人びているし、もしかしたら伝わるか……。
「そうですね。でも、今更母を説得するのもなぁ。弟も中途半端に病院とか福祉に頼っても、しんどくなりそうで。知ってます? 福祉に頼って高校とか出ても、あんまり良い雇用先はないみたい。多くは作業所で福祉漬けですよ。ええ、自力で生活できないレベルの給料です。その福祉を受けるのだって才能と知恵が必要です。怠けていない。努力もしている。それでも社会に居場所がない人っているんですよ」
また、言葉が出てこない。姉は母親とは違う面をみている。医療も福祉も薬にはなるかもしれないが、打ち出の小槌ではないらしい。
「だったら、自称ギフテッドで好きなことするのも、一つの案かなって思うんです。どうせあの子が福祉に頼ったところで、そういう才能もないですし、普通には生きられないでしょう。子供の頃ぐらいは夢見てもいい気もする」
「そ、そうかもしれない……」
「ええ。いいじゃないですか、ギフテッド。天才。好きな事。やりたい事……。あの子の人生ですよ。私は本人の自由意思を尊重してもいい気がします。あの子が幸せだったら私はなんでもいい」
もう反論する言葉が見つからない。オレもこんなバイト生活とはいえ、他の道も選べたはずだった。そうしなかったのは、結局、オレの自由意思だ。そうだ、自分で選んだんだ。だとしたら誰のせいにもしちゃいけない。
「一寸法師くん、数学の問題、解くの好きか?」
「好き。大好き。僕はママの言う通りギフテッドだし」
次の家庭教師の日、一寸法師くんは大学生レベルの数学の問題をあっけなく解いていた。確かにそう。彼は全く才能がないわけじゃない。お金に交換できないだけで。世間に需要がないだけで。ギフテッドであるのは間違いない。
「そうだな。君は天才だよ」
今だけは、そんな言葉も優しい気がする。




