107話 魂鎮め①
立ち昇る朝靄のなかを、一台の馬車が静かに進んでいく。
砂漠の地平は、夜と朝が溶け合ったような紫のグラデーションに染まり、空に瞬く星がひとつ、またひとつとその光を失っていった。
ルナリスは馬車の揺れに身を預けながら、小さくなってゆくオアシスの街へと想いを馳せていた。
灼熱の砂漠。
地下遺跡での冒険。
影を孕みながらも、美しかったフェニアの街並み。
本当に、色々なことがあった。
ノクティリカにいた頃には、想像もできなかったほどの出来事が。
そして何より、ルナリスがいちばん嬉しく思っていたのは、仲間との絆が確かに深まったという実感だった。
「ねぇ、宿のおじさん、なにくれたの?」
向かいの席に座るベルが、ふとそう尋ねてくる。
視線の先にあるのは、ルナリスの足元に置かれた布包みだった。
フェニアを発つ前、早朝であったにもかかわらず、青の雫亭の主人は見送りに来てくれた。そして別れ際に、そっと手渡してくれたのがこの包みだった。
「“朝ごはんに”って言ってたから、食べ物でしょうけど……」
「へぇ。気が利くわね」
ベルの隣で暗器の手入れをしていたグレイスが、肩越しに言う。
「ま、代金の分はしっかり働いてもらわないとね」
ベルは、なぜか得意げに胸を張るものの、ひと呼吸置いて呟いた。
「……あたしのお金じゃないけど」
「ふふ、そうね」
ルナリスは微笑みながら、あらためて足元の布包みに目を向けた。
ほんのりと伝わってくる温もりに、その中身だけでなく、宿主の精一杯の心尽くしまで包まれているように感じられる。
「別行動になる前に、皆でいただきましょうか」
そう言って顔を上げると、昇りつつある太陽が、一行の影を長く砂の上に焼き付けていた。
振り返ると、フェニアの街はもう見えない。
だが、その記憶の彩りは、確かに胸の奥に残っていた。
国境へと伸びる街道の途中で、一行は二手に分かれることとなった。
秘密の洞窟を抜け、谷底にある赤竜の巣へ向かうのは、リヒト、オズ、ティオ、そして黒瑪瑙の杖を持つザヒール。
一方、正規の手続きを経てウォルフワーズへ戻り、預けていた馬を引き取る役目を担うのは、アイゼンとマシューだった。
一時は核の欠片の宿主となっていたルナリスは、どうしても赤竜の魂鎮めをその目で見届けたくて、迷いなくリヒトへの同行を願い出た。主が行くのであれば、とサフィナも名乗りを上げ、さらに騎士を代表してラセルも列に加わる。
ベルは、
「砂漠も洞窟も、しばらくはもう十分」
と、馬車に残ることを選んだ。
グレイスも同じく国境から戻る組だ。冒険者である彼女たちにとって、通行手形は必需品である。問題なく国境を抜けられるだろう。
「じゃ、また後でね~!」
馬車の上から、ベルは相変わらずの軽やかさで手を振る。
遠ざかっていく仲間の姿を見送れば、リヒトたちはここから徒歩での帰路となる。
合流できるのは、赤竜の魂鎮めを終えた後。ウォルフワーズ側の崖上で、再び落ち合う手筈となっている。
「今日は、砂虫の姿が見えないな」
炎天下の砂漠を進みながら、リヒトが周囲を見回す。
フェニアへ向かう道中で幾度となく苦しめられた巨大なミミズだが、今のところ、その気配すら感じられない。
「この杖の効力が、魔物を遠ざけているのかもしれませんね」
オズは額に玉のような汗を浮かべながらそう答えた。
行軍を続け、ようやく洞窟の入り口へと辿り着いた頃には、夜の闇が砂漠をすっかり覆い尽くしていた。
一行は崩れた遺跡の影に身を寄せ、周囲を警戒しつつ、ひとまず休息を取ることにする。
赤竜の巣へ至る道は、もうすぐそこまで迫っていた。




