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異世界転生したら、弟が婚約者になりました  作者: くなぎ八重
第二章 赤き竜とオアシスの街
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96話   砂漠の迷宮④


 大きな石レンガで囲まれた空間に、ふたつの足音が響いていた。

 通路の幅は馬車がすれ違えるほど広く、床には古びた車輪の轍が刻まれている。

 天井からは、円筒状の構造物がいくつも垂れ下がっていた。おそらく照明の名残だろう。今はすでに壊れて久しいが、かつては昼夜を問わずこの道を照らしていたに違いない。

 滅んだ文明が、これほどの技術を持っていたとは。

 ルナリスは、思わず息を呑んだ。

 いま、彼女たちの足元を照らしているのは、そうした遺物ではない。

 遺跡や迷宮の暗闇を好む微光虫と呼ばれる微生物たちが、踏みしめられた床の衝撃に反応して青白く光を放つ。淡い輝きが波紋のように広がり、通路の先をぼんやりと照らしていく。

 ルナリスの愛読書「さすらいの冒険者」には、この微光虫をランタンに閉じ込めて迷宮を旅する話が描かれていた。

 いつか見てみたいと思っていた幻想の光。だが、いざ目にしてみると、想像以上に美しかった。まるで夜空を閉じ込めたかのような幽かな輝きに、思わず目を奪われる。

 けれど、その光は同時に危険も孕んでいた。

 微光虫の発する光は、暗闇に潜む魔物を誘い出してしまうのだ。

 吸血蝙蝠やスケルトンといった、次々と現れる影を、ゼファーは鋭い牙と爪で蹴散らしていく。

 しかし戦いが続けば疲弊もする。二人はときに敵から逃げながら、どこまでも続く地下の通路を進み続けた。

 やがて、ゼファーがぴたりと立ち止まった。

 鼻をひくつかせ、空気の匂いを探る。そして、何かを感じ取ったかのようにルナリスを振り返ると、軽やかに駆け出した。

 

「ゼファー、どうしたの?」

 

 ルナリスは慌ててその背を追う。

 大通りから枝分かれする小道を曲がり、ゼファーはそのうちのひとつへと進んでいった。

 そこは、かつて商店か住居だったのだろう。崩れた壁の向こうには、微かな水音が響いている。

 炊事場と思しき部屋に入ると、壁面には太陽と人とを合わせたような意匠のレリーフが刻まれていた。その口の部分から、細い水流が滴り落ちている。

 石をくりぬいて作られた流し台には、澄んだ水が溜まっていた。溢れた水が地面に落ちて、石畳の亀裂へと流れていく。

 ゼファーはその水に顔を寄せ、匂いを確かめる。

 

「これ……飲めるの?」

 

 不安げな声を上げるルナリスの横で、ゼファーは赤い舌を伸ばし、水をすくって飲んだ。

 

「ワン」

 

 短く鳴くその声は、まるで「大丈夫だ」と言っているようだった。

 ルナリスも両手を水に浸し、なみなみと掬い上げた。

 そっと唇に運ぶと、ひんやりとした清水が喉を潤す。

 おいしい。

 生き返った心地がする。

 久しく忘れていた感覚に、思わず目を閉じる。


「この辺りに水脈が通ってるのかしら……」

 

 フェニアの地下には、西の山脈から流れる水脈が走っていると聞いたことがある。だとすれば、ここはオアシスの街からそう遠くないのかもしれない。

 水を飲み終えると、ルナリスは深く息をついた。ようやく頭が冷えてくる。

 リヒトが、自分たちの生存を信じてくれていれば。

 きっと、助けに来てくれる。

 だから、それまでなんとしても生き延びなければならない。


「ここは安全そうだし、少し休んでいきましょう」

 

 傍らのゼファーにそう告げると、彼は短く鳴き、静かに腰を下ろした。

 ルナリスも座り込んで、黒い毛並みに身を寄せる。

 崩落に巻き込まれてから、どれほどの時が経ったのだろう。

 ここへ辿り着くまでの道のりを思えば、すでに夜明けを迎えている頃かもしれない。気を失っていた時間が分からないので、実際にはもっと経過している可能性もあった。


「……ごめんね。こんなところまで付き合わせて」


 隣で丸くなっている狼の背を、そっと撫でる。

 ゼファーは、フンと鼻を鳴らした。まるで「気にするな」と言っているようだ。

 その反応に、ルナリスは小さく笑みを漏らす。

 不思議と、ゼファーの言いたいことが伝わってくる気がした。リヒトほどはっきりとは分からないけれど。


「あなたにも、リヒトにも……迷惑ばっかりかけてるわね、私」


 彼を信じ切れず、逃げ出した。

 そして、心に響く声に唆されるまま、感情を爆発させた。

 その結果がこれだ。

 情けなくて、恥ずかしくて、心がちくちくと痛む。

 こんなに手のかかる自分が、果たして彼の婚約者でいていいのだろうか。


(リヒト……きっと、心配してるだろうな)


 思い浮かんだのは、愛を告げてくれたときの彼の姿だった。

 まっすぐで、誠実で、少し照れたような微笑み。

 面影が浮かぶと、愛しさとともに胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 彼は一度、「理沙」を失っている。

 喪失の痛みを知っている彼に、同じ苦しみを与えてしまった。

 その事実が、ルナリスの心に重くのしかかっていた。




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