セリナ
「なあ! いるんだろ!? 【闇に堕ちた天才】、【至高の魔術師】ボルフ・ベイルフ君がさあ!」
夜が明ける頃、外から声が聞こえた。天幕内の寝床から起き上がろうとすると、芸人のペルペ氏が押さえつけた。
「追っ手が来ているらしい。入口のところで止めておくから」
「わかってんだぞ! 入口の角度から二時の方向に五聖歩の距離だ! 起きてんだろ! 出てこい!!」
一聖歩はだいたい手の先から他方の腕の付け根ぐらいの間隔だ。今の僕がいる場所は、まさに入口の角度から二時の方向に五聖歩の距離だった。
「げっ、ぴったりだよ。やばいな……なんとか逃す策を……」
「いや、心配ないよ。組織じゃない知り合いだ」
僕はペルペ氏を引き剥がして立ち上がり、入口に歩み寄る。この快活な声は聞き慣れていた。そのフリをして来たとしても、霊的直感力までは真似できない。
「久しぶりだな、セリナ」
哲学ギルド付属総合学院の同級生、ギルドでは地学を学んでいた友人のセリナ・ネビアだ。結ばれて馬の尾の形をなす、水のように流れる髪が美しい。
「ああ! ボルフ! ボルフだね!! 悪い奴らと縁を切ったらしくて安心したよ! ……って」
彼女の目線が上から下へ動いて僕の体を見る。その体は下穿き一つしか身につけていなかった。
「はー、またかよ。君はいつも乙女に裸体を見せつけるのに躊躇しないよね。よくないよそういうの」
今さら恥じらいがあるような仲でもない。ごく自然な動きで乳首を突こうとしてくるのを躱す。
「いやいつもじゃないだろ! そっちこそ、いつも乳首突きすな!」
「冗談はさておき、家をぶんどられたんだって? 賢いけどバカだよね君は。そういう時こそ知らないお笑い軍団じゃなくて私やハルクを頼ればいいのに」
ぐうの音も出ない正論だった。裏のない人物のようだったし、「寝る場所がない」と「仲間を増やしたい」を一度に達成できると思ったのだが、危険がないわけではない。悪の組織【アナスタシス】に目をつけられ旅芸人たちに累が及ぶ可能性も無視できない。最初に考えていたように、かつての学友を頼るのが最もよかった。
「だいたい話は把握しているよ。悪党を懲らしめてやるって?」
セリナは真面目な顔になる。どこでそういう話を知るのかわからないが、彼女はとにかく噂とかに耳ざといのだった。
正義や信念よりも実利を重んじるタイプの彼女は、巨大な組織と戦うことを止めるだろうか。僕は止まるつもりはないが。そう思っているとセリナは言った。
「私も力になるよ。君は賢いけどバカで、両生類っ娘の助手君も常識には欠けるだろ? 多分できることがあると思うんだよね」
「意外だな。利益にならないからやめろって言うと思ったんだけど」
すると彼女はしばし目を閉じ、また開いた。
「あのさ。私、地学を極めて祭官になりたい、って言ったことあるよね」
言ったことがあるどころか、ことあるごとに言っていた。しかし、それにもかかわらず、彼女は道半ばにして地学の学びを止めてしまう。今何をやって生計を立てているかは知らないが、祭官ではないようだ。
セリナは、直接何かされたわけじゃないけど、と前置きをして言った。
「私は、【アナスタシス】のせいで地学を諦めざるを得なかったんだ」
あとがき:一聖歩は一メートルと思ってもらって構いません。次以降メートルってルビ振ります。