セリナの動機
「私は、【アナスタシス】のせいで地学を諦めざるを得なかったんだ」
セリナは語る。
役に立たない空理空論を弄ぶ、と揶揄されがちな哲学ギルドの諸学の中で、地学はわかりやすく役に立つ。
測量なしには掘っ建て小屋一軒まともに建てることはできない。地形学なしには人間の住む街は荒れ狂う河に蹂躙されてしまう。大気操作なしには食料生産は激減してしまう。
そうした古典的な応用のみならず、最先端の地学にも実生活への豊かな応用がある。
セリナの主専攻である地質学で言えば、地霊の分布を、地質の傾向を、地形の変化を調べることで、さまざまな自然災害や精霊災害への対策や対応を進めることができる。
非常に「実用的」な学問である。
では潤沢な予算が与えられているのか。
与えられない。
民を災害から守ることに、貴族や豪商は関心を持たないというのか。
そうではない。
実用的な地学が発展すると、困る者たちがいるのだ。
土地の取引や建設の計画と実行を生業とする人々である。
土地の価格やブランドを操作できず、学説に左右されるというのは、彼らにとって非常に不都合なのだ。
かといって大工や石工の組合が発言力や武力を持って地学への投資を妨げることはなかった。
地学は十数年前まで順調に発展していた。
様子が変わったのが、【アナスタシス】の台頭以降だ。
彼らはどこから武力を得たか、暴力を背景に資産階級を威圧して地学を衰退させようとしているという。
「それっておかしくないか? 資産っていうと、農地をどれだけ持っているかって話だよ。金持ちってのは土地持ちのはずだ。そこで畑を耕す人も貴族は守ろうとする。財産だからな。それに暴力だって備えている。騎士なんていうのは飾りじゃない。なんで新興勢力なんかにいいようにされるんだ」
「わからない。ただ、組織も貴族の勢力図に食い込んでいるのは確かだよ」
彼女は続ける。
「この論理は、利益のために知識の探求をやめるっていう考えはさ、私は否定できないんだ。私はなにも、人類が知っていることを増やすために地学を学んだわけじゃない。むしろ知識に基づく祭祀権を独占して祭官として王侯貴族から金を取ろうとしていたんだ。この口では非難できない。ただ、私の利益とあいつらの利益が対立してるだけ。私の夢と利益を追うことと、一人で大きな組織と戦うこと。これじゃ天秤が合わない。そう思って、私は諦めてたんだ。けど、大きな組織と戦うのが一人より多くて、さらに私の側に、君との友情という重りが乗るなら」
セリナは、僕の目を見据えて決然と言った。
「十分に釣り合う」
彼女は、セリナは正義や信念よりも実益を重んじる。しかし、熱い心の持ち主でもあった。そうだ、この人はそういう人なんだった。
「先生、おはよーございます……」
懐かしく思っていると、メイメイが起きてのそのそと僕の後ろからやって来た。目を瞬かせ、セリナを認識して驚愕した。
「先生!? その女の人誰ですか!? 恋人!? なわけありませんよね!?」
「はーい私ボルフの恋人でーす」
セリナがふざけて腕にしがみつく。メイメイが大きな衝撃を受けたような顔をした。
「あーうそうそ! 違う! この人はセリナって言って友達!!」
「えー傷つくー。ボルフって私みたいな美人抱えておいて、そのエキゾチック美少女も侍らせ続けたいんだあ」
「なにが私みたいな美人だ! この人はふざけ癖があるだけ! メイメイ! 大丈夫だから!!」
その後セリナも虚偽を認め、二刻ほど宥めすかしてなんとか誤解を解いた。
一刻は一日の五十分の一。三十分と思っていい。
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