後編
「セフレにだったらしてあげるけど。どうする? 藤堂さん?」
情事が終わったあと、事も無げに蒼にそう言われて栞は自分の耳を疑った。
もちろん、こんなことで蒼の気持ちが収まるだとかこれで全て水に流してもらえるだとかそんな風には思っていない。
「蒼くん……あのっ、あのね」
「悪いけど、もう友達には戻れない」
切り捨てるように言う蒼の表情は、厳しいものだった。栞はそれ以上何も言えなくなってしまい、無言のまま俯いた。
*****
あの出来事から、数日が経っていた。
担任から幾度となく、自宅に連絡が入り。ついには家にまで押しかけられそうな勢いだったので担任に少し顔を見せる為に蒼は仕方なく学校へと足を運んだ。
校門をくぐり、足早に昇降口へと向かった。
そして下駄箱に手を伸ばそうとした時、何者かに腕を掴まれた。
「長瀬くん、おはよう。上履きとりたいんだよね? 俺がとってあげるから、ちょっと待ってて。なんか……、色々大変だったみたいだね? 大丈夫?」
声の主は、散々蒼を罵ってきた同じクラスの男子生徒だった。思えばこの生徒から噂が広がっていつしか皆に相手にされなくなったのだ。蒼が驚いて何も言葉を発せずにいると、今度は後ろから女生徒に優しく声をかけられる。
「おはよう、長瀬くん。今まで素っ気無くしてごめんね。長瀬くんが嫌じゃなかったらこれからは、一緒に行動しようよ」
クラスメイトの突然の手のひら返しに、蒼はただただ困惑していた。それと同時に胸騒ぎがして職員室とは真逆の方向へと足を向ける。
蒼は、四組と書かれた教室の前に来ていた。
ガラガラと音を立てて引き戸を開ける。
「藤堂栞さんはいる?」
少し大きな声を出して、教室内にいるであろう生徒たちに問いかける。栞の名前を出した途端にざわめきが起こった。
「藤堂? そんなやついたっけ?」
「ああ~、あの殺人鬼の娘のことじゃない?」
「よく今まで平気な顔して皆に接してこられたよね、信じられない」
口々に言う生徒たちの声を聞いて、蒼は何も言わずに扉を閉めた。
嫌な予感は的中した。
*****
そのあとすぐに蒼は、屋上へとやってきていた。
「藤堂さん?」
「蒼くんっ……、やっと学校復帰したんだね」
いるかどうかは、賭けだったが予想通り栞は屋上にいた。
「君のクラス大変なことになってるみたいだけど、何あれ?」
「皆にも正直に全部話したの。でも、これできっと蒼くんの事を悪く言う人はもう、いなっ……」
「余計なお世話なんだよ、そういうの。俺はそんなことしてくれなんて、一言も頼んでない」
「……ごっごめ……」
あの日以来、蒼に対する栞の態度は怯えたものになった。もちろん、そうさせたのは蒼自身だ。乱暴に抱いて、酷い言葉で罵って、思ってもいない事を造作もなく言ってのけて。
「まあ、どうでもいいけど。やらせてよ。セフレなんだよね?」
「……うん、わかった」
栞は、嫌がる素振りも見せずにすぐに蒼のもとへと近寄ってきた。
目の前に来たことを気配で認識すると、蒼は栞へと手を伸ばす。制服のブレザーを脱がせにかかるとその違和感に蒼は眉を顰めた。
「何かびしょ濡れなんだけど」
「……えっと、水飲もうとして蛇口ひねったら頭からかぶっちゃって」
今度は、空いた方の手で栞の頬を撫でる。やはり違和感を感じ、目を細めた。
「……? 腫れてる」
「ちょっと、転んじゃったときに……」
歯切れの悪い返答に、蒼は何かに勘付いたようで「あっ」と声を上げた。
「もしかして、クラスの連中に……。虐められてるの?」
「……」
黙りこんでしまった栞に「やっぱり」と納得すると、言葉を続けた。
「だから、おとなしく黙ってたらよかったのに。俺にしたようにさ」
「……あの。蒼くん、今日一緒に帰れないかな?」
唐突に栞から切り出されて、蒼は目を見張った。
「……なんで?」
「蒼くんにどうしても渡したいものがあるの」
「別にいらない」
「どうしても受け取ってほしいの」
「……」
「今日の3時に公園で待ってるね」
「……」
「来るまでずっと待ってるね」
栞は念を押すようにそう言って、その場を立ち去った。
*****
例の約束の時間から、じつに4時間は経過していた。
誰もいない薄暗い公園には、しとしとと雨が降り注いでいた。
「もうさすがに、いないだろうが。一応声をかけて返事がなかったら帰るか」
独り言のように蒼が、ボヤくとその声を聞きつけたのか栞の嬉しそうな声が聞こえてきた。
「蒼くん!」
水溜りをバシャバシャと蹴り上げてかけてきた栞が、思い切り蒼に抱きついてきた。
「まだいたの?! というか、また濡れてる……。傘はどうしたの? ……ん? おいっ」
蒼に抱きとめられて、安心したのか栞はそのまま意識を手放した。蒼は急いで栞を横抱きにすると自宅へとかけだす。この公園からなら家は目と鼻の先なので目の不自由な蒼でも点字ブロックを頼りに走ることもできる。
「なんで、そこまでして……俺に」
息を切らしながらついて出た小さな声は、雨音によってかき消されてしまった。
*****
栞が目を覚ますと、そこには見慣れない天井があった。どうやら栞は今、ベッドの上に横たわっているらしい。顔をずらして辺りを見回すとすぐ傍に蒼の顔を見つけた。
「蒼くん?」
「目が覚めた?」
「蒼くんの家?」
「うん、起きなくていい。熱がまだ下がっていないから」
「……ありがとう」
「……うん」
蒼は、力なく頭を垂れて吐息を落とす。その様子に栞が「ん?」と首を傾げた。
「ここまで俺が冷たくしてるのに、何でまだ俺に執着するの? 殺人鬼の娘だという罪悪感から? 親を亡くして失明した俺に可哀想だと同情したから? 何が栞をそこまでさせるの。普通セフレなんて言われたらその時点で諦めて引かないか?」
「それは、蒼くんを好きだから……だけど、罪悪感も……同情もしてる……。お父さんがしたことは最低なこと。娘の私は家族として一生一緒にお父さんと同じ罪を背負っていかないといけない。でも、蒼くんを諦めるのは無理だった。この気持ちは蒼くんにとっては迷惑なものでしかないってわかってた。だけどこの際、嫌われてもセフレとして傍においてくれるならそれでもいいと本気で思ってた。ごめんなさい……黙っていたことも、ご家族のことも、目のことも全部、全部ごめんなさい……」
栞の声は震えていた。まるで、泣いているかのように。
耳を塞ぎたくなるかのような、栞の悲痛な言葉。謝罪。
この子をこんなに悲しませたの誰だ?
ああ、俺か。俺が酷いことをしたんだ。
悲しませるようなことを言ったんだ。
なんでこうなった?
俺の家族が死んだのも、俺が失明したのも全て栞のせいなのか?
――違うだろう?
「馬鹿だな……ほんとに、馬鹿だ」
蒼は切れ切れにそう言って、栞を優しく抱きしめた。
「蒼くん……?」
「栞を責めたって仕方ないのに……何も解決しないのに。俺は、……馬鹿だ」
抱きしめる腕に力をこめて、蒼はそう言った。
「明日、約束やり直そう。いや、やり直させてくれ。お願いだ」
「……うん、うんっ」
栞が何度も頷くのを肌で感じた。そうだ、やり直そう。もう一度。
「明日病院に行くんだけど、その後会って話そう。そのとき伝えたいことがある」
「……うん」
最後に聞いた栞の返事は、とても幸せそうで嬉しそうな声だった。




