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 わたしは人間関係を築くのが苦手だ。

 東京の小学校に転校して、周りの話題についていけずに孤立しちゃってから、はっきりとそう自覚するようになった。

 わたしは、わたし自身の人生を生きていないのかもしれない。現実で得意なことなんてなに一つないから。

 勉強が得意な子、スポーツが得意な子、かっこいい子、かわいい子、友達がいる子……。みんな少なからず、自分自身のなかに現実で生きるための理由を持ってる。現実を生きるための武器が。

 わたしにはそれがなかった。だから自分の人生を生きられない。生きる自信がない。

 だからわたしにとっては、大好きな特撮番組のなかだけが現実だった。

 日常と同じ風景が映っているのに、怪獣や怪人、ヒーローという非日常が存在する世界。いつかわたしを現実から連れ出してくれそうで、夢中になって観ていた。

 直接的な原因があったわけじゃない。気がつけばわたしは学校に行くのをやめていた。中学に上がってからは一度も登校していない。

 わたしはそこにいるべきじゃないと思ったから。

 わたしはかっこ悪いわたしが嫌いだ。わたしのなかでは、わたし自身がどうなろうとどうでもいい。

 でも本当は、ほかの人たちみたいにかっこよく在りたい。

 ……萌音ちゃんは、わたしにとってはこの上なくかっこいい、理想を生きている人だった。

 イラストや漫画という形で、非日常であるはずの創作を日常の一部と捉えて、それを自分の武器にしながら生きられる人だった。



「——————『かっこよく死にたい』、ねえ」

 初めてパピオンに乗った翌日の朝。

 気を失っちゃった萌音ちゃんが寝そべる横で、わたしはひと足先にフォーチュンさんから界獣とパピオンの戦いに関する説明を受けたあと、自分自身が望むものを打ち明けた。

「生きる理由……それってそんなに重要?」

「わたしにとっては……そうです。界獣と戦うことが、選ばれた人間にしかできないことだとしたら……きっとそれが、いまのわたしが持てる生きる理由だと思います」

「生きる理由を持つために死にに行くって、矛盾してるだろそれ」

「そうだとしても、わたしが胸を張るには、それしかないから」

 お父さんとお母さんも、いまのフォーチュンさんと似た言葉をかけてくれた。「千優が元気に生きてくれるだけで嬉しい」「千優が嬉しいと、お父さんとお母さんも笑顔になれる」って。

 そのふたりは界獣との戦いに巻き込まれて、もういない。だからわたしはまた生きる理由を探さなくちゃならない。

 でないと、生きている意味がないから。

「……すまなかったな」

「え?」

 思いがけず、フォーチュンさんが申し訳なさそうに目線を下げた。

「お前の両親はアタシたちの戦いでいなくなっちまったんだろ。早期に決着をつけられなかったアタシの責任だ」

「……! や、いやっ……わ、わたしそんなつもりじゃ……!」

 お父さんとお母さんがいなくなってしまったことは、確かに悲しいことだった。

 けどそれは……決してフォーチュンさんが悪いわけじゃない。誰も悪くない。

 悪いものがあるとしたら、こんな理不尽を……運命を仕組んだ世界そのものなんだ。

「お前にその気がなくても、アタシに救えない人間が大勢いたことは事実だ。それはきちんと受け止めさせてくれ」

「……わたしは……」

 言葉に詰まるわたしを見かねるように、フォーチュンさんの口調が優しいものになるのがわかる。

 罪悪感を覚えさせてしまった。わたし、なんかが、かっこいい人の邪魔を。

「ともあれアタシがとやかく言えることじゃないな。界獣と戦う理由は自分自身で決める。どの時代のどの使い手もそうしてた…………って話だし」

 その言葉を聞いて、わたしはまた勝手な劣等感をこじらせる。

 パピオンと一緒に界獣と戦って世界を守ってきた人たち…………“使い手”。きっとその誰もがテレビのなかのヒーローみたいにかっこよかったんだろうな。

「あー、でもこれだけはおせっかいとして言っておきたいんだが」

「……?」

 俯いていたわたしの意識をフォーチュンさんは張りのある大人の声で戻す。

 フォーチュンさんはまっすぐにわたしの瞳を視線で射貫きながら、諭すように口にした。

「お前、そういうことで悩むには若すぎるぞ」

「えっ、えっ……?」

「まー、そこの女子高生が起きたら改めて話してみるといいさ。知り合いなんだろ? それが気まずいってんなら、アタシでよければいつでも聞くし、愚痴とかいろいろ」

 言っていることがよくわからなかった。

 若さ……いまの話と年齢にどういう関係性があるんだろう。

『パオン』

 横でずっと静かにわたしたちの会話を聞いていたパピオンが短く鳴く。

 フォーチュンさんの言葉はよく噛み砕けなかったけど、どうやら気にかけてくれているらしい。

 パピオンを通して伝わってくる感情がとても温かかったから、そう思った。





「おじゃまします」

「おじゃましま~す」

「どうぞどうぞ」

 東京での一件から帰ってきて、その次の週末。

 あたしとちーちゃん、チュンさんはまたささやかな祝勝会を開こうとあたしの家に集合していた。

 お母さんの退院もまだ先でなんか人肌恋しいから、あたしから二人をお招きした感じである。具体的に言うと盛大にジンギスカンパーティーをするのだ。

 他愛ない世間話のなかでウチにそれ用の鍋があるって話したら、チュンさんが食いついて自然とそんな流れになった。

 まだ午前中だけど、買い出しの袋にはしっかりとチュンさんが好きなビールの缶も詰まっている。こういう部分で遠慮がなくなってきてるのが垣間見えるけど、素直に喜んでいいものなのかな。

「ねえー、ちょっと買いすぎですよ。中高生しかいない場でひとりだけ呑んべえになるのってどうなんですか?」

「いいだろ飲み会のときくらい」

「いや飲み会じゃないし……」

「大人は酒が入らないと正直になれないんだよ。アタシと仲良くなりたいなら付き合いなよ」

「いけしゃあしゃあと……」

「あ、お前らは呑むなよ? しょっぴかれるのはアタシなんだからな」

「飲むか!」

 なんだろう、たしかに距離は縮まってるんだけど、怪しい大人を前にしているようなこの空気感はむしろチュンさんと出会ったばかりの頃の感覚に近い。どれが素なのかよくわからん人だなあ。

 何はともあれジンギスカンなんてすっごく久しぶり。お母さんが帰ってくるときも普通の食事で済ませちゃうし、さすがに一人で使うこともないから専用鍋も五年以上取り出してなかったかも。

 実を言うとあたし自身そんなにラム肉に惹かれないというのも理由のひとつだと思う。嫌いってわけじゃないから、こういう場では普通に食べるけど。

 ————そんなこんなで居間のテーブルを囲んで、あたしたちは早速宴を始めた。

「あ、ちーちゃんこれ焼けてるよ。食べな食べな」

「ん……ありがとう」

「ぶああああああ……っ! うんまっ!」

「酔っ払い……」

 あたしがちーちゃんにお肉をよそう横でひとりで勝手にお肉とビールを交互に楽しんでるチュンさん。真昼間から豪勢なことだ。誘ったのはあたしだけど。

 たしかに仲良くなりたいとは思ったけど、実際目の前でこうもくつろがれると間違えたかな?って気持ちになる。そうだ、最初にチュンさんと会ったときも、こういう人として怪しい存在感を漂わせてたから距離をとったんだった……。

「そーいや界獣って親玉を倒したら出てこなくなるんですよね? いつ出てくるとかはわからないんですか?」

「“核”のことか? 界獣が現れ始めた時点で、この世界のどこかには潜んでるさ」

「あっ、そういやそんな話だったね」

「うん」

 視線を飛ばすとがんばってお肉を噛み切ったちーちゃんが頷く。かわい。

 チュンさんはビールを勢いよく喉へ流し込んだあと、すこし赤くなった顔のまま冷静な解説を始めてくれる。

「核はほかの界獣たちと地球を繋げる役割を果たすために、いちばん最初に現れる。道標として働きながらたっぷり力を溜め込んで、けしかける界獣がいなくなったら重い腰を上げてくるってわけだ。当然、いままでの界獣とは比較にならんほど強い…………らしい」

「らしい?」

「アタシの代でも情報が伝わってるだけで、実際に交戦したことはない。だいたい遭遇すれば界獣とパピオンのどちらかが滅びるまで戦うことになるんだ。そうなってないってことは、核に相当する個体はまだ現れていないってことだろうよ。知らんけど」

「なるほど?」

 野菜を食べるのも忘れずに、あたしはお肉をつまみながら相槌を打つ。

 たしかちーちゃんは(正確にはチュンさんの受け売りだけど)……核を倒したら、しばらくは界獣が現れることもなくなるって言ってた。

 なんだかこわくてこの場では言葉にできないけど、もしそうなったら……あたしたちの関係ってどうなるんだろう。

 自然と集まらなくなったりするのかな。会う機会がなくなれば、疎遠になることもあるかもしれないよね。

 あたしたちは学校も、歳も、生きている世界もちがうんだし……。

「あ……飲み物きらしちゃった」

 ふとお茶のおかわりをグラスに注ごうとしたとき、買っていた2Lペットボトルの中身がスカスカなことに気づく。二本も用意していたのに。

 チュンさんがお酒を飲むペースにつられて、無意識にあたしとちーちゃんもグラスに手を伸ばす機会が多くなっていたのかもしれない。

「あ、わたし……買ってくるよ」

「あっ、じゃあ一緒に行こ。ついでにアイス買ってこようよ」

「アタシにも頼むわ〜」

「酔っ払い……」

 ぜんぜんテーブルの前から動くつもりがなさそうなチュンさんを放っておいて、あたしはちーちゃんと一緒にまた買い出しに向かった。

 チュンさんも東京では頑張ってくれたし、ここは先輩を立ててあげることにしましょう。

 目指すはマンションを出て目の前にあるセブン。

「祝勝会なんだし豪勢にいっちゃおうかな~、ハーゲンダッツとか。ちーちゃんなんにする? 萌音お姉さんが奢ったげるよ」

「あ……ありがと」

「一応チュンさんのも買っといてあげるかぁ。こっちはしっかり取り立てるけど」

 お会計を済ませて、車道を挟んだ目と鼻の先にあるマンションのほうへと戻る。

 マンションの横には昔からある公園。看板には公園って書いてるけど、滑り台とブランコと砂場だけがそれぞれぽつんとあるだけの小さな小さな遊び場といった感じだ。なんなら向かいのセブンの駐車場よりもこじんまりとしてる。

「そういえば昔はここでも何度か遊んだことあったよね。懐かしい~」

「うん」

 小さくて鬼ごっことかには向いてなかったから遊んだ回数は少なかったけど、なぜだかよく覚えてる。家の近くだからかな。

 アイスが溶けないようすぐ帰らなくちゃいけないけど、なんだか感傷に浸りたくなっちゃって、あたしはつい駆け寄ったブランコにとすっと腰を下ろした。

「あっは! ブランコせっま! ここってこんなに小さかったっけ」

 意味もなくはしゃぐあたしの横で、ちーちゃんもゆっくりとおしりを乗せる。

 その視線の奥には敷地の隅にあるこれまた小さな砂場。

「萌音ちゃん……あそこで一緒に、お人形遊びしてくれた」

「あったね~そんなこと。人形砂だらけで洗うの大変じゃなかった?」

「ちょっとだけ」

 そう言ったちーちゃんはパーカーのポケットからいつも持ち歩いてるソフビを取り出した。

 あたしが昔プレゼントした……なんだっけ。……そう、「ギガデラス」のソフビ。

 こうして見ると、やっぱり大きくなったパピオンと雰囲気が似てる。あの姿って本当にあたしたちのイメージが反映されてるんだなあ。

「ここ一ヶ月ちょいでいろいろあったよね~。まさかあたしたちが巨大ロボに乗って巨大怪獣と戦うことになるなんて。……いや改めて言葉にしてみると本当に信じられないね」

「うん……」

 界獣が出てこないうちは忘れる瞬間もある。ただの女子高生と中学生とフリーターのあたしたちが、世界を守ってるってこと。

 どうしてあたしたちがパピオンに選ばれたのかは未だにわからないけど、フツーの女の子なのによくやってるよね、ほんと。

「……ちーちゃんは、さ」

「ん……?」

 ふとちーちゃんの横顔を見て、あたしは言いかけた口を閉じる。

 最初にパピオンに乗ったときに聞いたちーちゃんの言葉は、今でもあたしのなかにこびりついていた。

「——————『かっこよく死にたい』って、いまでも思ってる?」

 迷いを振り切って、あたしは尋ねた。

 ちーちゃんが抱いている感情はきっと、ただの自殺願望とはちがう。

 自分にはなんにもないって嘆くちーちゃんが、自分自身を救える唯一の手段……と、ちーちゃんは考えてるんだと思う。

「……うん。いまでも、そう思ってる」

 あたしはすぐに否定の言葉を考えたけど、ちーちゃんにかけられるものは何一つ浮かばなかった。

「……そっか」

 ちーちゃんにとってその願望が自分を救うことに繋がるなら、あたしが無責任に口添えしても……ちーちゃんを傷つけちゃうことになるかもしれないから。

 だからそれならそれでいい。かっこよく死ぬのがちーちゃんの希望なら、それを抱いたままでも。


 あたしが死なせないから。どんな戦いでも、あたしがパピオンを勝たせるつもりだから。


 ちーちゃんもチュンさんも……あたしが守ってみせる。あたしが戦うことを決めたのは、自分を取り巻く世界を守るためなんだから。

「そろそろ行こっか。アイス溶けちゃう」

「うん」

 ブランコから飛び降りてマンションのほうに向き直る。

 どこかもやもやを抱えたままだけど、あたしはこの先も自分で決めたことをするだけだ。



「ああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜そゆことそゆことぉ」



 やたらとよく通る声が鼓膜を揺らして、あたしとちーちゃんは反射的に立ち止まった。

「なるほどぉ〜なるほどねぇ〜……」

「……えっ? みこっち?」

 公園の看板横に佇む人影の正体がクラスメイトだと気づく。

 綺麗に染めた金髪に、口元をいつも覆っている黒マスク。間違いなく漫画研究会幽霊部員のみこっちだった。

 知らない人の登場にちーちゃんはサッとあたしの後ろに体の半分を隠す。

「ヤッホー萌音」

「このへんで会うの珍しいじゃん。みこっちの家ってあたしん家の反対方向って言ってなかったっけ?」

「んー、まあね」

 にこにこといつも通りの笑った目元を見せながら歩み寄ってくるみこっち。

 そういえば最近パピ活の影響でみこっちと遊んだりできてなかったな、と思い出す。

「みこっちはどっか行った帰り? あ、そうだ紹介するね。この子はあたしの幼馴染の——————」

「萌音、ちゃん」

 みこっちに喋りかけていた最中、ちーちゃんは震える声であたしを呼びながら、怯えた様子で服の袖を握りしめてきた。

「この……人……」

「この人はね、『みこっち』っていうあたしのクラスメイト、友達だよ。大丈夫、ぜんぜんいい子だから」

「みこっちで〜す。よろ〜」

 みこっちのほうも緊張をほぐすように穏やかな調子でちーちゃんに声をかけてくれる。

「……だめ、萌音ちゃん……早く、逃げないと」

「ちーちゃん……? どうしたの?」

 それでも、ちーちゃんの震えは止まらなかった。

 最初はただの人見知りかと思ったけど、これは明らかに普通じゃない。本当に怯えてる。

 ——————みこっちを怖がってる? いままで話したこともないのに、ちーちゃんが?

「そろそろ動こうかと思って美味そうな気配を辿ってみれば……お前が一緒だなんてねぇ、萌音。どうりで最近付き合い悪いわけだ」

「なんの話……?」

 なんか——————こわい。ちーちゃんの感情が流れ込んでくる。

 以前から付き合いのあるクラスメイトと話してるだけなのに、みこっちの言葉の節々からは妙な威圧感というか、敵意みたいなものを感じた。

 じりじりと距離を詰めてくるみこっちに対して、あたしは自然とちーちゃんを庇いながら後退する。

 戸惑うあたしたちを見ても、みこっちはなにも感じていないみたいだった。

「そっちの子、ずいぶん界獣との親和性が高いみたいだね。よほどこの世界に対する恨みが深いのかな?」

「………………………………はっ?」

 いま、みこっちなんて言った?

 界獣? 界獣の名前を言ったの? 界獣を知ってるの? みこっちが? どうして?

「……みこっち?」

「はああああぁぁぁぁぁぁ……見れば見るほど美味しそうな衝動。界獣と守護者は紙一重とはよく言ったものだね。これなら今までにないくらい、お腹いっぱいになれそう」

 意図の汲めない発言を続けながら、みこっちはあたしたちに向かって手を伸ばそうとする。

『——————パオンッ』

 でもその直後、張り詰めた空気を裂くみたいに、あたしの目の前を白い影が横断した。

「……パピオン⁉︎」

 どこからともなく(これはいつものことだけど)現れたパピオンはみこっちの顔面付近へ突撃すると、そのままこれまであたしたちに見せたことのなかった攻撃性を剥き出しにして体当たりを仕掛ける。

 それをモロにくらったみこっちの耳元で黒マスクの紐が引きちぎれた。

 そのとき初めて、あたしは今までみこっちの素顔を見たことがなかったことに気づく。

 学校でいちばん仲のいい友達だったのに、あたしはみこっちの素顔すら知らない。みこっちについて「友達である」以上の情報をあたしは知らない。

 紐の切れた黒マスクが地面に落ちて、みこっちの口元が露わになったとき、

「っ…………⁉︎」

 現実にノイズが走ったような光景を目の当たりにして、あたしは目を剥いた。

 ——————傷だ。口のなかで大量の爆竹を炸裂させたみたいに、みこっちの口元は原型なくズタズタに引き裂かれている。

 でもその傷口もなにか奇妙だった。

 大きく抉れた唇やほっぺたのまわりには、人間らしい赤みとはかけ離れた銀色のバグがバチバチと弾けていた。電子上にしか存在しない3Dモデルが不具合を起こしているみたいに。

 特殊メイクでもなければ不自然なそれを晒しながらみこっちは嗤う。さっきまでと変わらない笑顔のはずなのに、もうあたしのなかには恐怖しか残っていなかった。

「みこっち、それ……」

「あ~ごめんネ変なもん見せちゃって。ただの古傷、古傷。————ずっと前にそのクソ犬につけられた、ね。ずいぶん見た目が変わってるけど、それもお前らの影響なのかな?」

 冷めた視線が、あたしたちの足元で唸るパピオンに突きつけられる。

 怖がっているちーちゃん。駆けつけてくれたパピオン。口元の不自然な傷。飛び込んできた要素ぜんぶが、みこっちの正体を遠回しに明かしているみたいだった。

 これまでの界獣とはちがう、擬態する個体。チュンさんが言っていた。

「みこっちが……“核”の界獣なの……?」

「核? ……あー、そうやって呼ばれてんだウチら。まあ正解でいいのかな?」

 そっけない調子でそう口にしたみこっちに、あたしの頭はすっかり真っ白になっていた。

「『ヌシ』、『通り道』、『コア』、『神獣』、『大ボス』……呼び名はいろいろあったみたいだけどさ、どれもちょっと安直すぎない? ま、わかりやすくていいけど」

「なん、で……いつから…………?」

「最初からだよ、萌音。お前にはずっといい汁吸わせてもらってたから、感謝しないとね」

 掲げられたみこっちの指先から閃光が奔る。

『パオン!』

 界獣が口から吐くような光線があたしとちーちゃんを呑み込もうとした矢先、今度はその場で巨大化したパピオンが盾になってくれた。

 パピオンはそのままみこっちを手で叩き潰そうとするけど、向こうは人間ではありえないくらい軽い身のこなしで公園の外まで跳躍。簡単に避けてみせた。

「——————お前ら! 大丈夫か⁉︎」

 安心する大人の声が後ろから聞こえてきて、すぐにあたしは振り返る。

「チュンさん! ……大丈夫ですか⁉︎ お酒抜けてます⁉︎」

「すっかり覚めたわ! チッ……急にパピオンが飛び出して行ったかと思えば」

 あたしとちーちゃんを庇って先頭に立ってくれながら、チュンさんは視線の先にいる標的を睨んだ。

「覚えてるぞ、お前……書店で女子高生と一緒にいたギャルだな? あのときパピオンが反応してたのは後から現れた界獣だけじゃなく……お前も含まれてたわけか」

 チュンさんの問いかけを聞いてハッとする。

 いちばん最初、ツタヤ書店であたしたちと会ったとき……パピオンはもうみこっちの存在に違和感を覚えてたんだ。だからチュンさんはそれを探して、わざわざあたしたちの近くに……。

「パピオンがここまで反応するってことは、黒で間違いなさそうだな。意思疎通できる擬態型……お前が話に聞いてた“核”か? 金髪ギャルの姿なんか騙りやがって」

「そういうお姉さんは……どっかで見た顔だね。——————ああ、いつだったかウチが呼び出した子に相方を殺された人間だ。……アハッ、老けたね」

 瞬間、チュンさんの瞳に静かな怒りが灯るのがわかった。

 核——————界獣を手引きしていた黒幕。数年がかりで戦ってきたチュンさんにとっても、因縁の相手。

 自分を鼓舞するために両手を力強く握りながら、あたしも負けじとみこっちに向ける視線を鋭くさせる。

「ずっと前からあたしを騙してたの? どうしていま正体を明かしたの⁉︎」

「ウチらはこの世界にやってきた瞬間から、人間たちの破壊衝動を食べて成長を始める。思春期の学生なんかはいろいろとマイナス感情が溢れてくる時期だから、大抵は教師とか生徒に紛れてそれを摂取するんだ。……なかでも萌音、お前は中学の頃から格好の餌だった。自分でも気づくことのできない、決して満たされることのない承認欲求に飢えていたからね」

「はぁ……⁉︎」

 覚えのない言いがかりをつけられて顔がひきつる。

 確かにあたしは漫画家を目指して創作してるけど、それのどこが悪いの? 界獣の餌になる破壊衝動なんてマイナス感情と一括りにされるのは嫌だ。

「お前の隣にいるだけで新鮮な衝動が食べ放題……とりあえずはそれで満足だったんだけど、なんだか様相を変えた守護者がバンバン界獣を倒してくれちゃうんだからもー大変。そろそろウチが直々に始末しないとヤバいかな〜って思ってたら——————萌音のボンクラとも比べものにならない逸材を見つけちゃって大・興・奮!」

 みこっちのにやけ面がちーちゃんのほうを見る。

「急に守護者が強くなったのもそいつが原因でしょ? 界獣との相性が異様にいいみたい。まさに逸材だね」

 さっきも言っていた「親和性」ってやつだろうか。あたしやチュンさんも、日頃からちーちゃんの“使い手”としての才能に驚かされていたから……みこっちが惹かれた理由も、たぶん同じなんだろう。

 界獣とパピオンは表裏一体。界獣の力を真似て、地球が生み出した抗体がパピオン。

 ならパピオンと繋がりの強いちーちゃんは、界獣にとってもこの上ないご馳走になり得るってこと……なのかもしれない。

「……アタシからもお前らに聞きたいことがある。どうしてこの世界を壊そうとする? 人間の感情がないと成長できない奴らが、なんで人間の世界をめちゃくちゃにしようとする!」

「いやなんでって……お前さ、腹が減ったら食べるだろ? ムカついたら殺すだろ? 人間にも本能ってもんがあんだろ〜が? ウチらはそれに正直でいるだけ」

「普通の人間はムカついてもすぐ殺そうとはならねえんだよ」

「そうなの? 息苦しそうなヤツら。……まあ、ともかく」

 チュンさんの問いかけに対してみこっちは一切含みのない調子で答える。

 悪意は感じない。ただ相入れない思考回路がふたつ、あるだけ。

「守護者は“使い手”の感情を糧に強くなる……それってさ、ごく少人数でも界獣を成長させられる高品質な人間揃いってことでしょ? いままで君たちの言う“核”の役割を果たしてきた界獣たちはどうして気づかなかったんだろうねぇ〜————————その“使い手”を取り込んじゃえば、手っ取り早く力が手に入るって」

 みこっちの瞳の奥で怪しい光が灯ると同時に、あたしたちが居る公園全体の地面が黒く染まった。

 それは影だった。地中————いや、世界の奥底から何かが迫り上がってくる。

 瞬きの間に現れたのは公園を丸ごと覆い尽くしちゃいそうな巨大な顎と無数の牙。

「クソッ!」

「どわっ⁉︎」

「う……っ」

 咄嗟にあたしとちーちゃんの背中を突き飛ばすチュンさん。

 あたしたちが振り返って状況を確認しようとしたときには、すでにチュンさんは地面から突き出た界獣の口にみこっちと一緒に飲み込まれてしまっていた。

「そんな……チュンさん!」

『逃さないよ〜』

 界獣からみこっちの声が聞こえてくる。たぶんこの大きな姿がみこっちの本当の体なんだ。

「やっ……⁉︎」

 公園の地面を突き出てきた界獣の長い首が空中で折り返して、真上から迫ってくる。

 いや、狙いはちーちゃん——————すぐにそう悟ってあたしは手を伸ばすけど、指先が触れるよりも先に界獣の大きな口がちーちゃんを頭から丸呑みしてしまう光景が目に飛び込んできて、あたしはその場で力なくへたり込んでしまった。

 這い出てきた界獣の体はみるみる肥大化していって、せいぜい五十〜六十メートルそこらだった今までの界獣よりも何倍も大きな巨体になる。チュンさんとちーちゃんを取り込んで成長したんだ。

「チュンさん……! ちーちゃん!」

『パオン』

 巨大化する界獣の体に潰されそうになる直前、背中のブースターを吹かしたパピオンが口を開けてあたしのほうに向かってくる姿が見えた。

 そのままあたしを内部に匿って飛翔。成長する界獣の体から距離をとる。

「……いくらなんでも、大きすぎるでしょ……!」

 視線を戻して見えたのは、端的に言うとケンタウロスみたいなシルエットの要塞。

 ちょっとした山脈と見紛うほど……冗談じゃなくて、東京で一目見たスカイツリーよりもずっと大きくその界獣は育っていた。ぱっと見で九百メートル以上はある。

「助けてくれてありがとうパピオン。でもどうしよう、ふたりが界獣のなかに……!」

『パオパオン』

「う〜! なに言ってるかわかんないよ〜!」

 励ましてくれているのか、相変わらず読み取れない鳴き声が短く白い空間に反響する。

 どうしようって————————オロオロしてる場合じゃない。早くふたりを助けないと。

 でもどうやって? 界獣を切り裂いてお腹から引っ張り出す? そもそも界獣の体のなかってどうなってるの? パピオンと同じ感じ?

「……あーもうっ! 考えても仕方ない!」

 初めてひとりでパピオンと意識を重ねて、あたしは全身を力ませながらその巨体を駆動させる。

 大丈夫。もう何度もやってきたから、最低限戦うだけだったらあたしだけでもなんとか……!

「救命変形! ギガントパピオーーーーーーーーンッ!」

 ハエとライオン。それくらい体格差のある敵に向かって獣人騎士に変形したパピオンへ突撃。もちろんあたしたちがハエだ。

「絶対、助けるッ!」

 すると、みこっち——————巨大要塞みたいになった界獣の足先から頭のてっぺんまで、全身から砲身みたいなものが飛び出してきて、一斉に光の砲弾を射出してきた。

 まるで容赦のない、こっちを寄せつける気が一切ない全力の拒絶反応。

「ううっ……!」

 右腕の盾でパピオンの体を守りながら付け入る隙を探るけど、三百六十度絶え間なく放出される文字通りの全方位絨毯爆撃をかいくぐるのは、ただの女子高生には無理だった。

 こんなのを回避して接近するなんて、熟練のパイロットだろうが凄腕ゲーマーだろうが不可能だ。

『思ったとおり、凄まじい破壊衝動だねぇ』

「みこっち……⁉︎」

 あたしがいるパピオンの内部まで巨大要塞の声が届く。

 恍惚としていて、あたしたちを蹂躙するこの状況を心底楽しんでるような弾んだ声だった。

『界獣の力は蓄積された破壊衝動がそのまま反映される。これだけ強力な破壊力を出せるんだもの……世界を守る使い手なんて言っても、所詮は負の感情にまみれた人間風情ってことだよね。いまお前たちの世界を壊してるのはお前たち自身が生み出した破壊衝動——————身から出た錆ってことだよ萌音!』

「……ちがう!」

 向かってくる禍々しい光を剣で叩き落として、あたしは全力で否定する。

 この先に続く言葉はまだまとまっていなかったけど、あたしは自信を持ってそう答えることができた。

『ちがわないよ萌音。なんならお前だって例外じゃないんだぜ?』

「はあっ⁉︎」

『誰にも期待されていないのに健気に空想を描き続けるお前と出会ったときに思ったよ、コイツは使えるって。誰かに認められたい、誰かと繋がりたい、そんな漠然とした欲求を常にたぎらせてたお前も、知らぬうちに界獣の養分になっていたのさ』

「ッ……!」

 ……界獣の性質を考えれば、みこっちの言ってることもすこしは理解できる。

 あたしだって漫画の一度新人賞で落ちただけでひどく落ち込んじゃうし、まわりに当たりたくなるときだってある。

 界獣が人の破壊衝動を食べて成長するなら、あたしだって……今までの人生でその糧になっていたこともあったかもしれない。

 ——————でも、なんか、それだけじゃない。あたしの中にある衝動の正体は。

 誰かと繋がりたい……ひとりになりたくない。思い返せば、あたしは何度かそんなことを心のなかで考えていた。

 初めてパピオンに乗ったときも、ちーちゃんが戦う理由を聞いたときも、あたしは「ひとりでいなくなるのは寂しい」って、ずっと考えてた。

 どうして? どうしてあたしは寂しいの? なにが悲しいと思ってるの?

 あたしは——————————

『パオン!』

「あっ…………」

 パピオンの呼びかけで思考の波から帰ってくると、あたしの視界は真っ黒な光で覆われていた。

 すぐ目の前に光の砲弾。回避、防御、間に合わない。

 ああ、きっとチュンさんとちーちゃんがいれば対応できたのに。

 直撃する。

 墜落する。

 あたしの意識が、消えて、





『迷い犬か?』

『綺麗な白色〜。戦場に似つかわしくないね』



 …………ん?

 真っ暗なところで目が覚める。いや覚めてはいないのかな。ぼんやりした夢みたいな場所。

 あたしの体はどこにもなくて、意識だけになった状態で流れてくる映像をただ眺めるだけ。

 視界には高校生くらいの男女がいて、あたしを囲んでなにかを話し合っている。なんか、服装が古いっていうか…………時代劇風味?



『私たちで飼えないかな?』

『ウチは世話する余裕ねえよ。ま、とりあえず連れてくか! 腹の足しになるかも!』

『ちょっと、食べちゃダメだからね⁉︎ ほら、刀とったらすぐ帰るよ! 見つかっちゃう!』



 しばらくして、いま見ているこの風景がなんなのか……なんとなく理解できた。

 これはたぶん、パピオンの記憶なんだ。

 眠っているときにパピオンを介して夢に見る界獣の感情と同じ。きっと現実のあたしは気を失っていて、その間にパピオンがあたしに何かを見せてくれている。

 パピオンも界獣と同じ性質の存在だから。

 だからこれは……きっとぜんぶ、パピオンが過去に見た景色。



『捨て犬かな? かわい〜』

『私が連れてくよ! 前からワンちゃん欲しいって思ってたの!』



 小学生くらいの子ども……今度は割といまと近い感じ…………平成レトロ特集で見たことある服装だ。

 橋の下にいるあたし……じゃなくてパピオンを見つけてくれたんだ。



『なんでパピオンって呼んでるんですか? どっちかというとオオカミみたいですけど』

『昔飼ってた犬がパピヨンだったんだよね〜。俺の家に写真あるから今度持ってくるよ』



 次は普通のOLと会社員っぽい人たち。お昼休み中なのかな? 上司の悪口からヌルッと界獣とかパピオンの話題になるのがなんかシュール。



『なんで俺が! 俺たちがこんなことしなきゃならないんだよ!』

『今さら弱音吐いてんじゃねえ! 一緒に守るって決めただろうが!』

『そうだよ。……タクもマリンも、わたしも…………パピオンだって付いてる。怖いことなんかなにひとつない。ユウマを独りになんかさせないから!』



 ……これは、いつの光景だろう。制服を着てるけど幼い、たぶん中学生くらいの子どもたちが言い争っている。

 心に余裕なんてない、ただの中学生なのに、世界を守るために戦ってくれている。

 ……あたしたちの知らない間に、あたしたちの知らない未来を、守ってくれた人たち。



『こいつ、なんでパピオンって名前なんすか?』

『んー、なんでだろうね。私の代よりもずっと前からそう呼ばれてたらしいよ』



 次は女子高生っぽい人がふたり。先輩と後輩の関係っぽい。

 ……って、あれ? 後輩らしき人の顔立ちに見覚えが……。

 ——————もしかしてチュンさん⁉︎

 髪の長さはボブくらいになってるけど、赤のインナーカラーを入れててぱっと見の印象で気づくことができた。当時から赤く染めるのが好きだったんだ。



『……アタシなんかが、このまま戦っていいんですかね』

『どうして?』

『だって…………いや、なんでもないっす』

『え〜? 気になるじゃ〜ん』



 清楚で優しそうな先輩が笑いかけてくれる光景を、パピオンは女子高生のチュンさんの横で眺めている。

 チュンさんはこのとき……自分が戦う理由を先輩に打ち明けることができなかったんだ。ずっと言えないまま、先輩は……。



『なんでアタシが生き残ったんだ……! アタシが……アタシなんかが! アタシが死ねばよかったのに! しょうもない理由で戦ってるアタシより、先輩のほうがずっと……ずっと……!』



 ——————そんなこと、言わないで。

 先輩にとってはきっと、チュンさんがどうして戦っているのかは重要じゃなかったんだ。

 理由がなんであれ、一緒に並んで戦ってくれる。それだけで先輩はきっと嬉しかった。一緒に命をかけてくれるチュンさんが優しい人だって、気づいていたから。



 昔の農民に会社員、小中学生とあたしたちみたいな高校生も。

 これまでパピオンと一緒に世界を守ってくれていた“使い手”の人たちは、きっとその時代、その瞬間に道端ですれ違っても目に留まることのない普通の人ばかりだった。

 当然、いまのあたしたちだって。



『このあいだ産まれたばかりなんだ。可愛いだろ?』



 ————————あれ、また時間が遡る。

 いつの時代だろう。JKチュンさんのときと同じくらい……いや、もうすこし前?

 場所はどこかの雑居ビルの屋上。男の人がパピオンに対して語りかけている。

 幸せそうに一枚の写真を見せびらかして笑ってる。写っているのは……赤ちゃんだ。かわいい。この人のお子さんかな。



『界獣はパピオンに惹かれてやってくるって話は本当だったみたいだな。……ああ大丈夫だ、パピオンを責めてるわけじゃない。俺がふたりから離れればいい話だからな』



 その人は家族を戦いに巻き込まないために、遠く離れたところに移り住むことを選んでいた。家族の人たちには単身赴任だって伝えて。

 聞いたことがあるように感じるのは、チュンさんと似たような境遇だからかな。



『……あれが“核”ってやつか? この前やったヤツよりデカいな……』



 いや————————ちがう。それだけじゃない。



『見てくれよパピオン、娘が描いてくれたんだ、俺の絵。かわいいだろ? きっと将来は画家かイラストレーターかアニメーターか漫画家になる』



 親バカ発言とともに懐から取り出したのは赤ちゃんの写真じゃなくて、折り畳まれた画用紙。そこには小さい子どもが引いたようなぐちゃぐちゃの線で、親子の絵が描かれてた。

 お父さんと、お母さんと…………………………あたし。

 覚えてる。そうだ、覚えてる。思い出した。

 あたしが描いたんだ。あたしが。お父さんのために。離れても悲しくないようにって、あたしが。

 ひとりじゃないよって思えるように。



『戦い続けてるとつらいこともたくさんあるけど、これを見るたびに元気がわいてくるんだ。大丈夫、きっとうまくいく。……萌音の未来のためにも守り切らなくちゃな、この世界を』



 失踪なんかじゃない。ただ黙っていなくなったわけじゃ。

 お父さんがいなくなったのには、ちゃんと理由があった。

 ちーちゃんが初めてじゃなかった。あたしの絵を褒めてくれた人は、ちーちゃんと出会うずっと前にも確かにいたんだ。

 あたしにとっての、繋がりの原点。

 いまのあたしが形作られたきっかけ。

 あたしがいちばん最初にもらった——————————生きる理由。



『いくぞ、パピオン』



 街に現れた界獣に向かって、パピオンと一緒に走り出す。

 対峙しているのが“核”だとしたら……この戦いで倒し切ることはできなかったんだ。お父さんはパピオンと一緒に攻撃を仕掛けて、界獣の口に傷をつけて撃退するけど……。



 そうだった。あたしがちーちゃんを好きなのは、ただ絵を褒めてくれるからじゃない。

 消えかけてたお父さんとの繋がりを思い出させてくれる人だったから、あたしはちーちゃんに惹かれたんだ。

 ……ちーちゃんの後ろに、お父さんの面影を見てたんだ。





『パオン』

 耳元でそう声が聞こえたとき、ようやく自分の体の感覚が戻ってきた。

 慌てて目を開けて上体を起こすと、周りには一面の緑。駅を飛び越えて、いまは使われていない田んぼや畑が広がっているところまで落ちてきたみたいだった。

 元いた場所からかなり飛ばされたけど、要塞みたいなみこっちの巨体はここからでもよく見える。

「不思議だな…………顔も名前も、声も、ぜんぜん覚えてない……もうほとんど他人同然なのに…………あたしたちの前からいなくなったとき、お父さんがなにを考えてたのか……はっきりわかる」

 軋む体に鞭を打って、ゴツゴツした地面から立ち上がる。

「ありがとう。……ずっと、あなたが持っててくれたんだ」

 足元で心配するように見上げてくるパピオンと目を合わせて、あたしは自然とそう口にしていた。

 ずっと思い出せなかった大切なものは受け取った。

 きっと同じ気持ちなんだ、あのときのお父さんも、いまのあたしも。


「いこう、パピオン」

『パオン』


 言葉に応えてくれたパピオンが巨大化しながらもう一度あたしを呑み込む。

 戦わなくちゃ。守らなくちゃ。あたしの世界で、これからも生きるために。





『懲りずにきたみたいだねェ!』

 獣人騎士の姿の状態でまた空からの接近を図る。

 当然みこっちはまた全身にある大砲から光の弾幕を展開して、あたしたちを牽制してきた。

 あたしとパピオンも盾を使って必死に身を守りながら少しずつ、少しずつ距離を縮めていく。

 嫌になるくらいの轟音と衝撃が押し寄せてくる。これはきっとあたしたちを仕留めるまで止まらない。

 だからあたしたちも、止まったらダメだ…………ッ!

「ごめんパピオン……一か八か!」

『パオン』

 思いきり背中と足裏のジェットを噴射させて界獣へ突貫。

 うろうろ空中を彷徨ってても押し負けるだけなんだ。

 だったらいっそ、一直線に——————————全力で突っ込む!

「どりゃあああああああああああああああああああああああああああああ‼︎」

 飛行機雲みたいな軌跡を空に刻むパピオン。

 避けるのをやめたから時折真正面から光の砲弾を受け止めることになっちゃったけど、それにさえ身構えていれば大丈夫。着実にみこっちに近づいてる。

 狙うは界獣の大きな頭の大きな口。

 中身がどうなってるのかは知らないけど、口から体内に侵入してチュンさんとちーちゃんを引っ張り出す!

 ……消化とかされてないよね? 人の感情が主食なんだし、体は大丈夫だよねたぶん? ていうか今はそう信じるしかない!

『まったく醜い感情を発露する人間は行動まで見苦しい! 界獣が成長して暴れるのはお前らの自業自得だって話がわからないのかなァ? お前らの苦しみに終わりなんてないんだから、おとなしくウチらに食われときなよ!』

「………………ッ!」

 ムカつきすぎて噛んだ奥歯が痛い。黙って聞いてれば勝手なことばかり。もうみこっちとは絶交だ。界獣だとわかった時点でこれからも仲良くできるなんて思ってなかったけど。

 身から出た錆? 自業自得?

 ちがう。

 ちがう!

 ちがうッ!

 そりゃ、人のなかにあるのは綺麗な感情ばかりじゃないよ。

 打算的で、利己的で、自分勝手で見栄っ張り。自分から背伸びを始めたはずなのに、最後には小さなことで理想と現実の差に打ちのめされて勝手にショックを受けるような地に足がついてない高慢ちきな奴らばっかりだ。

 パピオンが記憶を見せてくれたからわかる。

 これまでの“使い手”の人たちだってそうだ。あたしと同じであの人たちは特別な力を持ったヒーローなんかじゃない、普通に悩んで普通に苦しんで普通に笑い合う普通の人間だった。

 ちーちゃんはあたしを…………もしかするとチュンさんのことも、テレビのなかにいる憧れのヒーローみたいな存在として見ていたのかもしれないけど、やっぱりそれは大きな間違いなんだ。

 テレビはテレビ。あたしたちとは違う。

 どんなに大きな力を与えられたって、世界の命運を背負わされたって、あたしたちは等身大で生きていくしかなかった。等身大に苦しむしかなかった。

 でもその苦しみから逃れる方法がなくったって、あたしたちは自分の世界を守るために必死にならなきゃいけない瞬間があるから、苦い顔のまま立ち上がるんだ。


 そうだ、いまなら断言できる。


 手に入れた感情のままに暴れ回る界獣なんかと同じなわけがない。

 あたしたちは他人に迷惑をかけて、心配をかけて、ぐちゃぐちゃな感情に振り回されて死にたいくらい苦しみまくって、独りじゃ生きていくこともできない優柔不断な生き物。

 でも……そうだとしても、どんなに辛いことがあって迷いまくっても、最後には壊すんじゃなくて、守ることを選べる優しい人たちだから、

 だからパピオンはみんなを選んだんだ。

 あたしたちと一緒に、戦ってくれてるんだ——————————!

「づぅ……⁉︎」

 頼みの盾が光弾の直撃を食らって半壊する。

 もう界獣の顔は目の前まできてるのに。

「…………パピ、オン!」

『パオン』

 思考が繋がる。

 あたしの苦肉の策を瞬間的に理解して、パピオンは大きく開いた口から界獣の口元めがけて勢いよくあたしを射出した。

 すこしだけ空いてた牙の隙間から、要塞みたいなデカさの体へダイブする。

 体のなかへの侵入は成功した。あたしだけ入って大丈夫だったのかな?って心配はあるけど、今はとにかく一刻も早くチュンさんとちーちゃんに会いたくて仕方がなかった。

 会って、改めてちゃんとみんなを励ましてあげたかった。

 中はパピオンとは対照的で真っ暗。だけど体が落下していく感覚だけはずっと続いている、奇妙な感じ。

 この空間のどこかにいる二人に向けて、あたしは声を裏返しながら懸命に叫んだ。

「チュンさんっ! ちーちゃんっ!」

 見つからない。でも叫び続ける。

 パピオンが繋いでくれたこの縁を、絶対に手放したくないから!

「——————チュンさん! やっぱり間違いなんかじゃない! あたしたち、間違ってなんかいないんですよ!」

 暗闇のどこかにいるはずの先輩に向けて目一杯の励ましを送る。

 この先後悔とかしたくないから、ちゃんと言葉にしなくちゃ。

「あの夜は否定してましたけど、チュンさんはやっぱり優しくてかっこいい人です! チュンさんが自分を認められなくてもいい! でもあたしはずっとそう思い続けますから! チュンさんの先輩にとってもチュンさんは、最高の後輩だったと思います! あたしにとってもチュンさんは最高の先輩ですから! チュンさん万歳! 今度はちゃんと指名料払いますからねーーーーッ!」

「わかったからちょっと黙れ‼︎」

「いったぁ⁉︎」

 突然後ろから頭を引っ叩かれて咄嗟に振り返る。

 いつの間にかそこにはチュンさんが浮かんでいて、あたしを追うように黒い空間をまっすぐに落ちていた。

「あれっ? 意外と近くにいたんですね……?」

「あれだけデカい声出してたらすぐ見つかるわ。チッ……恥ずかしいことをベラベラと。パピオンのなかで変な記憶とか見てないだろうな?」

「もしかして……照れてます?」

「茶化すな! ……ぜんぶ聞こえてたよ、お前の心の声も」

「え?」

「ここはパピオンと同じ性質を持つ界獣の体内だからな。ここでもあたしたちの心は同調するんだろう」

 うっすらとほっぺたを赤く染めたチュンさんが、珍しくしおらしい態度で言う。

「わかってるさ……パピオンの力はきっとこういう人間のままならない部分を反映してる。アタシたちはひとりで生きているんじゃない。誰かが集まって、折り重なって…………そのギャップに苦しみながらも自分たちの世界を形作っていく」

「はい。それはたぶん、あたしたちが一生背負っていくことなんだと思います」

 あたしたちはもっと胸を張って生きていい。

 いままでチュンさんがそれに気づく勇気がなかったのは、同じくらいみっともなく燻っている人が隣にいなかったから。

「最後には守ることを選べる優しい人……か。この期に及んでパピオンの買い被りとは言わないさ。実際、アタシたちはよくやってる方だからな。……でもなんか、この先も苦労しそうな響きだ」

「ですね。でも、ひとりじゃないですよ」

 ため息まじりに微笑みを交わす。

 あたしとチュンさんのなかには、もうなんの迷いも後ろめたさもなかった。

「じゃ、次はあっちだ」

「!」

 肩をすくめたチュンさんが指し示した背後を振り返る。

 視線を移した先にはぐったりとした様子で真っ暗な底へ沈んでいこうとしているちーちゃん。

「ちーちゃん!」

 あたしとチュンさんはすぐに泳ぐように足をばたつかせて落下スピードを上げてちーちゃんのそばまで寄った。

「……萌音ちゃん、フォーチュンさん……」

 いつもと変わらない眠たそうな声であたしたちを呼びながら、ちーちゃんは薄く瞳を開ける。よかった、意識はあるみたい。

 でも正面にいるあたしたちと視線を合わせようとはしなかった。

 申し訳なさそうな顔のまま、ちーちゃんは細い声をこぼす。

「わたし……ここに残る」

「え?」

「パピオンと同じ要領でいけるなら、内側から強引に意識をシンクロさせて界獣の動きを止めるくらいのことはできると思うから。……萌音ちゃんとフォーチュンさんは、その隙にパピオンを動かして、わたしごと————————」

「バカちーちゃん!」

「おむっ?」

 急にとんでもないことをくっちゃべり始めたちーちゃんのほっぺを両手で挟む。

 ぱちり、といい音が鳴ってちーちゃんは驚いた顔でフリーズした。左右の手のひらがもちもちに包まれて喜びの声をあげてる。

「それでいいって本当に思ってる? それがちーちゃんのなりたいかっこいい自分ってやつなの?」

「……わっ、わらひは……もぬっ、萌音ちゃ、しゃべれな……」

「あっごめん、柔らかすぎてつい……」

 ひとしきりもちもちを堪能したあとで手を離すと、またちーちゃんの表情に影が差すように見えた。

「…………わたしたちを呑み込んだこの界獣が“核”なら、わたしたちの代ではこれが最後の戦いになるかもしれない。ぜんぶが終わったパピオンのいない世界で、かっこよく生きる手段がないなら……いっそ、ここでわたしの命を使ったほうが」

「『使う』とか言っちゃダメ。そんなおどおどしながら命を投げ出したって、なんにもかっこよくないよ」

「っ……で、でもっ、だって、わたし……普通に生きてたって……なにも……」

「ねえ、ちーちゃん」

 淀んだちーちゃんの瞳をまっすぐに見据えながらあたしは語りかける。

「あたし……ちーちゃんが言ってくれたようなかっこいい人じゃないよ。小さい頃に身近な人から褒められただけで才能があるかもなんて舞い上がって、薄っぺらい練習しかしてないヘタクソな漫画で本気で賞がとれるかも、なんて勘違いしちゃうおめでたい奴。……落選してからは、まともに漫画を描こうともしないヘタレ野郎になっちゃうし」

 ……そうだ、あたしはずっと逃げてる。

 パピオンの活動が忙しいからってもっともらしい言い訳をして、あたしはろくに「次」の可能性を探ろうともしなかった。そのくせ絵を描くってアイデンティティを手放すこともできずに、適当なところに座って適当なスケッチをして。

 ぜんぶ惰性で、ぜんぶみっともない。

「でも……そんなしょうもないあたしでもさ、これからも生きたいって思うよ。あたしたちの知らないところで世界を…………あたしたちが生きていける未来を守ろうとしてくれた人たちがいるって、わかったから」

 複雑そうに視線を泳がせているチュンさんを一瞥してから、また俯いているちーちゃんに向き直る。

「かっこ悪くても、意味なんかなくても、ちゃんと自分のために生きようよ。せっかくいろんな人からそのための時間をもらったんだから、じゃないと損だって」

「…………でも」

「それでもやっぱり意味が必要なら、あたしがちーちゃんの生きる意味になるから」

「…………え?」

 未だ浮かない顔をしていたちーちゃんが、おそるおそるではあるけどようやく上目遣いであたしと目を合わせてくれる。

「小さい頃と……前にあたしの部屋でお話ししたとき、ちーちゃんあたしの絵を褒めてくれたよね。あれ、すっごく嬉しかった。あたしの中にしかなかったものが認められて……どんどん輪郭ができていく感じっていうか。描いてよかったって思えたの」

 ここから先は、あたし個人にとっても決意表明に近かった。

「あたし……諦めないっていま決めた。これから先も漫画の賞には応募し続けるし、いろんな方法でプロを目指していく。……ちーちゃんはあたしが描く漫画の、最初の読者になってもらうから」

「わたし、が……?」

「うん。そのときは面白いかどうか、感想が欲しいな。……いっぱいダメ出ししてくれてもいいけど、でもできれば優しい言葉多めが希望かな〜!なんて! ——————そうやってひとまずは、あたしのために生きてくれるんじゃ、ダメかな?」

「……わたし、なんかが……」

「ちーちゃんだからいいの。あたしのことをよく知ってる、ちーちゃんにしか出せない感想があると思うし。ひとりで完結するんじゃなくて、そういう他人任せなかっこよさもあるんじゃないかなって」

 こんな言葉しかかけてあげられないけど。

「……一緒に生きよう、ちーちゃん。もう二度と寂しい思いはさせない。絶対に独りにしないから」

 気がつけばあたしの両手が、ちーちゃんの両手を包み込んでいた。

 必死に言葉を探すように喉から音を掠れさせたちーちゃんは、やがていろいろな感情が混ざった震える声で返してきた。

「本当は……ごめんなさいって、思ってた。お父さんとお母さんがいなくなってから、投げやりになってる自分が……嫌だった」

「……うん」

「ちゃんとしなきゃって思ってたけど、でも、わ、わたっ、わたし…………昔から、みんなに合わせるとか、できなくて……」

「あたしの前なら、合わせなくてもいいんだよ」

「勉強も運動も、ダメダメで……趣味も話題も……みんなと、ちがうし」

「ヒーロー番組が好きなんでしょ? ちゃんと夢中になれるものがあるなら、あたしとぜんぜん変わらないじゃん」

「へ…………変な趣味だって、言われたことも、あって」

「まさか! それを言うなら、あたしのほうがよっぽど変わってるって。サブスク入ってるって言ってたよね? 今度観せてもらってもいい? ちーちゃんが好きなもののこと、あたしちゃんと知りたい」

「………………〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜‼︎」

 涙目になったちーちゃんの体が大きく震える。

 たぶん喜んでくれてるんだよね? 感動したときにそうするの、癖だったもんね。

 ああ、話してみれば本当に些細なことばかり。

 ぽわぽわして変わってるように見えるかもしれないけど、ちーちゃんだってあたしたちと変わらない、等身大の女の子なんだ。

 こうやってすこし言葉を交わしただけでも、自分の世界が変わることだってある。結局は小さな出来事の巡り合わせなのかもしれない。

 ほんと、あたしたちって面倒で単純。

「話はまとまったみたいだな」

「はい」

 やれやれと息をついたチュンさんにあたしがウインクを送っていると、ちーちゃんはおもむろにパーカーのポケットから赤いお人形を取り出した。

 あたしが小さい頃にあげた、無双守護鉄神ギガデラス(バーニングロードバージョン)のソフビ。

「…………わたし、決めた」

「うん?」

「今夜は……萌音ちゃんのこと、寝かせない!」

「……はえっ⁉︎」

 またしてもとんでもない爆弾発言をしたちーちゃんがずいっ、と詰め寄ってくる。

「無双守護鉄神ギガデラス、テレビシリーズ全五十話……夜通し一緒に観よう! 萌音ちゃんの家で!」

「あ、ああ……そゆこと……。べつにいいけど、さすがにその話数は夜通しじゃ終わらないんじゃないかな……」

「よければ、フォーチュンさんも一緒に……!」

「えっ、アタシも?」

 ちーちゃんの矛先が向いて微妙に嫌そうな顔を浮かべるチュンさん。さすがにここは断るとこじゃないってわかってますよね?と視線で訴える。

「ま、まあ…………いいかそれくらい。ちょうど家に邪魔してたしな」

「となると夕飯のことも考えなくちゃですね〜」

「そうと決まれば、こんなところにいる場合じゃない……!」

 ソフビを握りしめるちーちゃんの手に力が入る。

 今まで見たことないくらい輝いている目には、もう涙ひとつなかった。

「————いますぐ帰して! わたしたちの生きる世界に!」





『うっ————————————! げあぁぁアアアアッ!』



 ゲロっちゃうような勢いであたしとちーちゃんとチュンさんが界獣の口から空に放り出される。

 ちーちゃんが界獣との同調を強めて、あたしたちを外に排出するよう促した……のは理解できたんだけど、この脱出の仕方はどうなんだろう。

「ほんとに界獣を操りやがった……! 相変わらず凄まじい才能だな!」

「うまくできるか不安、だったけど……」

「ていうか落ちてる! あたしたち落ちてますよ⁉︎」

 ただでさえ桁外れの体長で高い位置に頭があったのに、そこから勢いよく吐き出されたことでもっと高度のある場所まで飛んできちゃった。

 生身で空を飛ぶってこんな感じなんだ! いや飛んではいないんだけど。

 とりあえず、はちゃめちゃに寒い。

「なに喚いてんだ。アタシたちにはもう一匹、頼りになる仲間がいるだろ?」

「……! そうでした!」

 チュンさんの言葉で気がついて、ハッと真下に目を向ける。

 全身にぶち当たる突風のせいでまともに目が開けられないけど、待ってましたと言わんばかりに背中のジェットを吹かせて迫ってくるワンコの姿がうっすら確認できた。

「ここが正念場だ。——————いくぞ千優! 萌音!」

「……! はい!」

「はいっ……!」

 三人で並んで円を描きながら、真下で口を開けて待ってくれているパピオンに手を伸ばす。

「わたしも変わる……変わりたい……! この世界で生きる勇気をもらったから! だから——————!」

 あたしの横にいたちーちゃんは思いっきり息を吸い込んでから、あたしよりも、チュンさんよりも大きな叫びで、世界に対して宣言した。



「——————生存変形! ギガントパピオォォォォォオオオオオオオオオオンッ‼︎」



 パピオンの眼に赤い閃光が奔って、加速したままあたしたち三人を丸呑みにする。

 始まったのはお馴染みの二足歩行獣人騎士への変形——————と思いきや、これまで雪像みたいに真っ白だったパピオンの装甲が燃えるような真紅に一瞬で染まっていく。

 界獣の攻撃で半壊していた盾剣もしっかり修復されて右腕に装着。

 パピオンはちーちゃんが大切してくれていたギガデラスのソフビを思わせるような、真っ赤な戦士に様変わりした。

「ギガントパピオン——————————バーニングロードッ‼︎」

 初めて聞く用語にあたしとチュンさんはしばらく間の抜けた顔でぽかんとしてた。

 これが吹っ切れたちーちゃんの発想力かぁ……! ぱっと見た感じ赤くなったようにしか見えないけど!

『まさか自分たちだけで脱出するとはね……! けどお前らの力は十分いただいた! 今さら新しい姿になったところで遅いんだよッ!』

 昂った破壊衝動のままに、界獣の背中から無数のホーミングレーザーが噴火する。

「遅く……ないっ!」

 一点に集中する数百発の光の矢。

 絶好調のちーちゃんの意識を反映させた赤いパピオンは、元いた場所から予備動作もなしにものすごい加速を発揮して追尾してくるそれらを悉く避けてみせた。

「どぅぉぉぉぉおおお速い速い速い! また酔っちゃいそう!」

「機動力の向上がハンパじゃないな……!」

「はいっ!」

 イルカショーみたいにあちこちを動き回る攻撃を回避しながらちーちゃんが声を張る。

「バーニングロードは……無双守護鉄神ギガデラスが仲間たちの想いをエネルギーに変えて進化した姿。スピードもパワーも、通常時とは桁違い……!」

「……いまこれなんの話してんの?」

「あ、ちーちゃんが好きな番組にそういうのがあるんですよ」

 炎の残像を残しながら縦横無尽に空を翔けていたパピオンが、やがて弾道の隙間をくぐり抜けて界獣の体表に迫った。

 全身についている砲身みたいな器官。それを右腕のブレードでひとつずつ、だけど尋常じゃないスピードで斬り落としていく。

『……ッ……! 舐めるなァ!』

 すると切断された分、界獣はさらに追加で砲身を体内から生やしてきた。

「なんて往生際の悪い……! これじゃキリがないですよ!」

「ハッ、こんなもの! 速度で上回ればいい話だろ! ちょっと借りるぞ、千優!」

「はいっ!」

 砲撃を避けながらパピオンの主導権をチュンさんへ移す。

 飛ぶ速度と同じくらいのスピードで変形したのは、東京で見た対物ライフルを掲げた姿。

 豪速で飛び回る移動砲台と化したパピオンは、界獣の周囲を旋回しながら正確な射撃で次々と増殖した砲身を撃ち抜いていった。

『ッッ……クソがぁぁぁああああああああ‼︎』

 図体からは想像できない身軽さで全身を捻った界獣の頭部が正面にやってきて、その大顎を開ける。

 足がすくんじゃいそうになるくらい真っ暗な穴。喉の奥でとんでもない熱量が集束して、次に目を開けたときには何もかも蒸発させちゃいそうな光の津波が眼前までやってきていた。

「——————させないっ!」

 回避は間に合わない。

 あたしは瞬間的にパピオンを騎士の姿に戻しつつ、そのまま盾を前に構えて踏ん張る。

 尋常じゃなく熱い。絶体絶命のピンチっぽいけど、不思議とここから負ける気はしなかった。

 守る。守る守る守る、守る! 絶対に‼︎

「……もっと大きく……!」

「ちーちゃん?」

 メキ、と鉄か何かが膨張するような鈍い音が聞こえる。

「もっと……!」

 あたしたちの視界が高くなる。

「……もっとッ‼︎」

 徐々に、徐々に、目の前にいる界獣がちっぽけになっていく。

『なんっ……っだとォ……⁉︎』

 山よりも大きくて要塞よりも堅牢な界獣。それを超える勢いで巨大化を始めたパピオンの体は、千メートルに迫る体長にまで相成った。

「こ、こんなこともできるの……⁉︎ でもべつに意外じゃないか……今までもそうだったし」

「アッハッハッハ! いいじゃないか! 新しいよ!」

「萌音ちゃん、フォーチュンさん、このまま決めよう!」

 すっかり大きくなった小さな背中が勇猛にそう呼びかけてきた。

 パピオンは使い手の想像次第でどこまでも変化する。

 あたしとチュンさんも面白がるように笑ったあと、自分たちの力を分け与えるイメージでちーちゃんの背中に手を添えて意識を重ねた。

 もはや素麺みたいに弱っちくて細くなった界獣の光線を難なく振り払って、盾に付いたブレードを天へと掲げる。

 必殺の光の刃が伸びて、延びて、どこまでも拡張していく。

 雲を越えて、空を越えて、地球を越えて、はるか先の宇宙までも越えるような長さの光がパピオンの右腕に宿った。

「必殺技……『マキシマムギガント・パピオンブレード』でいこう……!」

「えっ、叫ぶの?」

「こういうのやってみたくて……」

「あーわかったわかった! 打ち合わせは頭のなかで済ませろ!」

 チュンさんの一声で意識を界獣へ引き戻したあたしたちが同時に踏み込む。

 準備はいい? 誰がなにを叫ぶか決まった?

 それじゃあ、本番!


「マキシマム……!」


 チュンさんがパピオンの右腕を大きく旋回させて、


「ギガント……!」


 遠心力を伴ったそれを、あたしが全身を連動させてさらに勢いづける。


「パピオンブレーーーーーーーーーーーーーーーードッッ‼︎」


 最後にちーちゃんが思いきり刃を振り抜いて、真横から界獣の体を叩き斬った。

 規格外に分厚い界獣の体が規格外以上に長い光の刃で簡単にスライスされる。

『ウソだろ……こんな……! こんな、ふざけた連中に————————————!』

 全身から火花を散らしながら、界獣が真っ二つに分かれていく。

 上下の巨体が左右にズレて真っ黒な断面を露わにしながら、みこっちは掠れた悲鳴を轟かせて大爆発とともに消滅した。



「——————はうぁぁ……」

「萌音ちゃん!」

「大丈夫か?」

 界獣を倒してまっさらな元の景色に戻った月山の町に降り立って、地上の感触を噛みしめる。

 すぐにヘロヘロとその場で崩れ落ちそうになったあたしをチュンさんとちーちゃんが左右から支えてくれた。

「ちょっと体張りすぎたかも……」

「若いんだからしっかりしろよ」

「スカイダイビングの疲労は若さじゃカバーしきれませんよ〜……」

「…………あ」

 不意にちーちゃんが前のほうに目をやって固まる。

 あたしとチュンさんもつられて顔を上げると、柴犬サイズに戻ったパピオンがじっとあたしたちのほうを見つめていた。

「……お別れを言いにきたみたい」

「はっ?」

 ちーちゃんがつぶやいた言葉に素っ頓狂な声をあげちゃう。

 でも……そうか。“核”の界獣を倒したら、また次の“核”が現れるまでほかの界獣が出てくることもなくなるから、パピオンとはこれで……。

『パオン』

「悲しむことはないってさ」

「でも……」

「本当は界獣もパピオンもいないほうがいいんだ。アタシたちがこの先しっかり自分の人生を生きるためにもな」

「それはそうだけど……」

 単純に時間とか経験の問題だろうけど、結局最後までパピオンの言葉がわかるようにはならなかったことだけは、ちょっぴり心残りかな。

 ていうか、チュンさんがいちばんパピオンと付き合い長いはずなのに、そんなドライなのはどうなの?って思う。

「アタシもパピオンも、今さら改まって話すことなんてない。アタシの気持ちなんて、もう十分すぎるほど食べただろうしな」

 心配そうに横顔を見つめていると、チュンさんはそう小さく笑い飛ばした。

 あたしにはまだピンとこないけど、大人になるとこういうときも割り切れるようになるのかな。

「大丈夫だよ萌音ちゃん」

「ちーちゃん?」

「言葉を交わさなくても……わたしたちはパピオンと繋がることができる。パピオンは地球が生み出した白血球みたいな存在だって、最初に言われたでしょ? 姿は見えなくなっても……この世界で生きていく限り、パピオンは近くにいるから」

『パオン』

 同意するようにちーちゃんの言葉に続いて短く鳴くパピオン。

 なんか最初と同じ。あたしだけお別れの覚悟が決まってないみたい。

 いやでも……直前までそれどころじゃなかったんだし、仕方ないよね?

 必死に頭をぐるぐるさせて、あたしはいま伝えたい気持ちをぎゅっと詰め込んで、パピオンに言った。

「改めてありがとう、パピオン。あたしたちを…………この世界に繋いでくれて」

『——————パオン』

 次に瞬きをした直後、パピオンの姿はあたしたちの前から綺麗さっぱりいなくなっていた。

 最後に発してた鳴き声の意味はたぶん「どういたしまして」とか、そんなところだと思う。

 でも……本当のことを言うと、界獣が現れなくたって、役目を果たすためじゃなくったって、またあたしたちに会いにきて欲しいな。


 だって意味なんかなくったって、あたしたちはここに居ていいんだから。





「あっ、ふたりともも〜ちょい詰めて! うんそんな感じそんな感じ! はい笑顔でピース!」

「いぇーい」

「い、いぇ〜い……」


 二回くらい季節がめぐって、春。

 ウキウキでスマホを構えたお母さんが「入学式」の看板前に並んだあたしとちーちゃんを連写する。

「じゃあお母さんこのあと仕事あるから、ごめんだけどこの辺でね。写真スマホに送っとくから!」

「うんわかった。お仕事がんばってー!」

「あ……いってらっしゃい」

「はい行ってきます。ちーちゃん、今度おじいちゃんに挨拶しに行かせてね!」

 若干名残惜しそうに言い残して、お母さんは駐車場のほうへ走っていった。

 看板のそばから離れつつ、あたしはまたちーちゃんに視線を戻す。

「ちーちゃん制服似合ってるね〜」

「あ……ありがと」

「でも髪のほうはもうちょっと変化つけたいな〜!」

「か、髪……?」

「せっかくのJKデビューなんだし、今までと同じじゃ寂しくない? ほら、ヘアピンあげるから。こっち側もうちょい耳の後ろに流す感じでさ〜」

 戸惑うように固まるちーちゃんの前髪に触れる。

 パピオンがいなくなってからすぐに完全復帰とまではいかなかったけど、あたしと同じ高校に入学を決めたちーちゃんは、この春からは頑張って毎日登校するって言ってくれた。

 もうあのときみたいに自分を蔑ろにするちーちゃんじゃない、一歩踏み出せるちーちゃんだ。

「あとはそうだな……姿勢を正して言葉遣いもくだけた感じにして、スカートも短くすれば完璧かも」

「す、スカートも……?」

「だいじょぶだいじょぶ、みんなやってるから」

 ちょぴっと恥ずかしそうに身を縮めるちーちゃんに悪い笑みを——————じゃなくて微笑みを向ける。

 ちょうどいい機会だし、これからはあたしが先輩としても幼馴染としても導いてあげて、ちーちゃんを最強の美少女JKに育て上げると決めた!

 なにもしなくても顔はいいんだし、ちょっとメイクとか覚えれば高校デビュー成功間違いなし。そうすればお友だちどころか恋人だって自然とできちゃうはず!

「…………いやまぁ、恋人はまだ早いか。うん、それはなし」

「なんの話?」

「ううん、こっちの話」

 首を傾けたちーちゃんはなにかを思い出したように「あ」とこぼす。

「そういえば萌音ちゃん、今回の賞どうだった?」

「あ〜それが…………二次落ち」

「二次……そっか。受賞はないだろうなとは思ってたけど……そこで止まっちゃったか」

「い、言うようになったよね〜ちーちゃん……」

「え?」

 いや、わかってるよ? 悪意なんか微塵もないって。

 二年前のパピ活を経たちーちゃんは何事にも真剣だから、漫画にまつわるアドバイスのときとかズバズバ言ってくれるし、内容の話になるとかなり理詰めしてくる。

 プロの編集者の人もこんな感じなのかな……。事前に体感できるのはいい経験……かも。

「まずファンタジー世界が舞台だけど主人公の悩みが妙に現代的というか、あまり舞台設定と繋がってないのが気になってた。あと、ヒロインも主人公と同じ暗いタイプなのがどうしても華やかさに欠ける印象を持っちゃうというか……」

「わ、わかったわかった! 今度改めて話そう? 今日はほら、せっかくの高校デビュー?なんだし⁉︎」

「————お、いたいた」

 そんなやりとりをしていると背後から意外な声が聞こえて、ちーちゃんとあたしは笑顔満開で振り返る。

「チュンさん! 帰ってきてたんですね」

「有名人きた〜!」

「んだよ有名人て……まだそんな大層なもんじゃない」

 赤色が抜けて黒髪ロングになったチュンさんがそこに立っていた。

 ビシッとしたスーツ姿の上にジャケットを羽織るかっこいい雰囲気で。

 パピ活が終わってから東京のご家族とすこしずつ関係を修復していくなかで、チュンさんはなんとお父さんが経営してる事務所にスカウトされるかたちでモデル業を開始。

 着々と雑誌の表紙なんかを飾るだけでなく女優としても活動していて、この前なんか土曜朝のヒーロー番組にも脇役で出演してちーちゃんが狂喜乱舞してた。

「結局身内のコネありきだしな」

「そんなことないですって。チュンさんがちゃんとご家庭と向き合ったからこそじゃないですか」

「そういうこと……なのか? でもまあ、いろいろやれて楽しい環境ではあるよ。今度ロボアニメの声優もやるんだ」

「めっちゃ適任ですね」

「わ、わたし絶対観ます……!」

「ありがとう。……ていうか千優、制服似合うな」

「あたしは? あたしは?」

「オメーのは前からさんざん見てるだろ、受験生」

「うっっわ嫌な響き! ちゃんと名前で呼んでくださいマジで!」

「はいはい。漫画を頑張るのはいいけど、あんま親御さんに心配かけるなよ? 萌音先生」

「あっははは、懐かしいですねそれ。てか、先生ってのもまだやめてください、マジ、恐れ多いんで」

 そんなこんなで、なんだかんだ二人との交流は続いている。

 パピオンと界獣の戦いを覚えているのは、あたしたちだけ。

 いや正確にはどこか……あたしたちの知らないところで素質を開花させてた“使い手”の人はいたのかもしれないけど、あのときあの場所で、一緒に肩を並べて戦ったあたしたちだけが、同じ思い出を共有できている。

 決して消えたりしない、大切な記憶を。

「このあと、時間あるか? 一緒に飯でもどうかと思ってたんだが」

「あたし行けます! ちーちゃんはお友だちとの約束とか、大丈夫?」

「あ……うん。まだ、その……そんなに話せる人、いないから」

「ま、まあまだ初日だからね。……よしっ! ごはん食べながら作戦会議しましょう! ちーちゃんのお友だち百人製造計画! あ、もちろんチュンさんの奢りですよね?」

「当たり前だろ」

「うひゃー! かっこいー!」

 スキップを踏みながら校門へ向かう。

 さっきのチュンさんじゃないけど、漫画制作に受験勉強……界獣がいなくなってもやることは山積みだ。

 楽しいことばかりじゃない。

 でもあのとき必死で戦ったから、それと同じくらい明るくて楽しい未来が期待できるんだ。



『パオン』



 春風にまぎれて、空耳が聞こえた。

 ここには居なくて、でもずっとどこかに居るあたしたちの仲間の声。

 あたしたちの、生きている場所。


「ぱおーーーーーーーーーーんっ‼︎」


 あたしはどうしようもなく嬉しくなって、あのときみんなで飛んだ青空に、世界に向けて叫んだ。

 相変わらず言葉は通じないけど、気持ちは繋がってるはずだから。



 ああ、あたしはあたしの世界を生きてる————————って感じがする!


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