後処理
誰もがこの状況を纏められずにいた。卓也は興奮に浮き足立ち、美咲も呆然としたままだ。
『あのぉ……』
美咲のバイザーから女性の声が聞こえる。少し警戒するようなオドオドとした声だ。
『なんだか状況が特殊で混乱しているのはわるけど、美咲ちゃんもしっかりして』
「え? あ……すみません」
『それで、美咲ちゃんに確認してほしい事があるんだけど』
「わかっています。これですよね」
しゃがんだ美咲の足元には緑色の水溜まり、先程までネズミ型怪人だったモノがある。
「間違いありません。反応で融解したベクターです」
『と言う事は……』
「はい、彼は抗体を持つキャリアー……いや、抗体がある時点でキャリアーって呼べるのかな?」
卓也もその声に我に帰る。先程までの興奮に少し恥ずかしくなるが、誤魔化すように咳払いしながら駆け寄る。
「高岩さん、落ち着いて話せそうだし……ね? 詳しく聞きたいんだけど」
「それはこっちもよ。何者なの藤岡君は」
ため息をつきながら刀を拾い上げる。足取りは少しふらついているものの、それを卓也に向ける事は無かった。
卓也に向けられる困惑した視線。抗体? キャリアー? 一体それは何を意味するのか、言葉の意味すらわからず卓也はただ首を傾げるしか出来なかった。
その時、サイレンの音が街に鳴り響く。それはこちらに近づいているようだった。
『院長の指示で、藤岡君……だっけ? 彼も一緒に来てもらって。こちらで調べるみたい。あと、ウイルスの確認は今お願い』
「わかりました」
相変わらず置いてきぼりな状態にため息が出る。しかし美咲の本拠地……らしき場所に連れて行かれるのは解った。おそらくそこなら詳しい話を聞けるだろう。
「それでこの声の人誰?」
「うちのオペレーター。とにかく手、出して」
「え? あ、うん」
有無を言わさぬ強い口調に驚きながらも、右手を美咲に差し出す。
彼女は刀を鞘に納め卓也の手を取ると、自らのバイザーを外した。
「あ……」
前髪を上げているので、美咲の素顔が現になる。
彼女の顔をまともに見たのは初めてだ。何時もは長い前髪と眼鏡のせいでわからなかったが、美咲の風貌に驚きを隠せない。
正直に言おう、かなり美人だ。二葉のような可愛いとは違い、綺麗に分類されるタイプだろう。
夜空のような瞳、真っ直ぐとした鼻先、うっすらとした紅色の唇。
思わず見とれていると、美咲はいきなり卓也の指を咥えたのだ。
「…………え?」
始めは何が起きたのかわからなかった。しかし指から伝わる柔らかな温もり、唇の感触が状況を教える。
「あ……う……」
顔が熱い。もし人間の姿だったら耳まで真っ赤になっていただろう。官能的な光景に頭が沸騰しそうだ。
そんな刺激的な体験はすぐに終わる。時間としては四、五秒くらいだろう。美咲は口を離すとじっと指を観察する。
「反応無し。とりあえず安全そうね。…………って、藤岡君?」
硬直している卓也に声をかけるが返事は無い。先程の自分の行いを考え、美咲はやれやれといった様子でため息をつく。
「……変な事考えてないでしょうね?」
「へ? あ……いや、ソンナコトナイデス」
我に帰り即座に否定した。焦りながら、自身に僅かながもやましい気があった事に罪悪感を感じる。
卓也も年頃の男の子だ。こんな事をされて想像を膨らませたりと思う所もあるだろう。しかしそんな事を考えている場合ではない。
「てかさ、なんでこんな事を?」
「…………後でまとめて説明するから。ちょっと疲れてるの。あ、あとその指舐めたりしないでよ」
「俺は変態か! 流石にそんな事しないっての!」
言葉通り美咲の顔には疲労が見える。このやり取りもそれを誤魔化す意味もあったのだろう。
その時、周りに人影が見え始める。この姿を見られるのはまずい。きっと美咲も同じだろうと狼狽えたように彼女を見る。
「大丈夫。処理班が来たから」
そう言っている間にサイレンの音の主、救急車とパトカーが公園を囲む。
警察と白い防護衣を着た人々が作業を始める。集まってきた近隣の住人に対応し、公園をブルーシートで囲み消毒液を撒き出した。
「……うわっ」
一気に騒がしくなった公園に驚きを隠せない。
素人目でも手際の良さが解る。しかしそれはあまりにも大袈裟で、必死な空気を醸し出していた。
「高岩君、これが報告にあったキャリアーか?」
「はい。院長も彼の確保を……と」
「嘘だろ? 信じられん」
美咲が防護衣の男と話している。彼の表情は伺えなかったが、明らかに卓也を警戒している。
「藤岡君、こっちの救急車に乗って。私も同乗するから、変な事はしないようにね?」
「お、おう」
彼女が何を言いたいのかは解る。逃げるな、暴れるな、敵意を見せるなといった所だろう。そんな事卓也も重々承知。折角対話に持ち込め、自身の、この怪人と化した身体の事が解るのだ。それを潰すなんて絶対にしない。
案内された救急車の前で美咲の身体が光ると元の姿に戻る。そして傍にいた別の男性に消毒液を吹き掛けられ救急車に乗った。
「藤岡君も乗る前に処理してから乗って」
「解った。じゃあ、お願いします……」
同じように男性の前に立つが、卓也が近づいた瞬間男性が身構える。
「うっ…………」
怯えている。それもそうだ、いくら敵意が無いとはいえ見た目は植物の化け物。怖いはずだ。
どうした物かと考えた。せめて人の姿に戻れたらと、そんな言葉が頭を過る。
その瞬間、卓也の身体が蔦にくるまれた。
「な……?」
男性が驚き身構えるが、まばたきする間に蔦が崩れ、卓也の姿が元のヒトへと変わってしまった。
卓也は自分の変化を最初は解っていなかった。だが己の手を見た瞬間、喜びに胸が沸き上がる。
「やった、戻った! どうしてだ? ああ、何だかわかんないけど助かったー!」
ガッツポーズをしながら喜び叫んでいたが、頭上からかけられた液体に止められる。
消毒液だ。匂いが強く、むせ返り鼻が曲がりそうになる。美咲が男から消毒液のタンクを奪い取り、中身を卓也にぶちまけたのだ。
「何で最初からそうしないの?」
「すみません。今初めて戻れました……」
彼女の言う通り、人の姿に戻れば先程までの争いは回避できたかもしれない。テレビの中でも、ヒーローが戦う意思が無い事を示す為に変身を解いたシーンを思い出す。
もっとスマートなやり方があったかもしれない。争わず美咲の信頼を得る方法があったかもしれない。今更と思ってはいるが、自らの軽率な行動に呆れる。
それは美咲も同じだった。
「…………ごめんなさい。そうだよね、発症したばかりみたいだし、当たり前か」
「いや、そっちも事情があったみたいだし…………お互い様って事で」
これだけ混沌とした事態だ。誰が悪いかは決められないだろう。お互いの見識、目的のすれ違いが原因だからと卓也は自身に言い聞かす。
そしてこのすれ違いを正しに行くのだ。
「ありがとう。じゃあ早く乗って」
「おう」
救急車に乗り、美咲は卓也の対面するように座る。本来患者を乗せる為のベッドが無いせいか、中は意外と広い。
サイレンを鳴らしながら白い車は街中を走り出す。人を街を突き放すように、速く、道をひたすらに走る。
「で、何処に行くんだ?」
「石川総合病院。この辺りじゃ一番大きな病院だから藤岡君も知ってるでしょ?」
「ああ。と言うより、今日行ったし」
今日早退した後、母親に連れて行かれた病院がそこだった。
インフルエンザと疑い検査したが結果は陰性。ただの風邪と診断されたのを覚えている。
「それなら話しが早いわ。報告しておかなきゃ」
携帯を取り出す美咲の左腕、そこに着けられた腕輪がライトの光を反射する。所謂変身道具に分類されるその腕輪には模様が描かれていた。
蛇。地球儀と重なるように、棒に巻き付いた蛇の模様だ。
(何だっけ? 何処かで見たような……)
思い出した。アスクレピオスの杖。医療のシンボルマークとして漫画で見た事がある。
彼女の言動、ウイルス、先程の大規模な消毒作業。辻褄は合う。
そんな事を考えながら、サイレンの音を聞きながら救急車が止まるのを待つのだった。