争う事
千夏の頭には疑問が渦巻いていた。
こんな大切なものを欲しがる理由がわからない。そして正気の人間が言う言葉なのかも怪しい。
そんな千夏の様子を察してか、女医は申し訳なさそうに肩を落とす。
「ごめんなさい、嫌な事を聞かせて。でもこんな事をする人がいるのも事実なの」
「えっと……」
キャリアーとなった千夏の表情は読み取れない。だが想像は出来る。
声が震えている。もし人の姿だったら真っ青になっていただろう。
「正直凄く気持ち悪いし、恐いです。でも、それ以上にわからないんです。何故私の……欲しいのか」
「簡単な事よ。よく考えてみなさい」
千夏と視線を合わせ向き合う。
「さっきキャリアーの軍事利用について話したでしょ? でも今はそれを絶対に出来ない。理由はわかるわよね?」
「キャリアーが人と敵対しているから?」
女医は頷く。
「そう。人類がコントロール出来ない、敵対しているから使えないよ。でも貴女達は違う」
そう、自分と卓也は違う。だからここにいるのだ。
「抗体持ちのキャリアーを自由に操る。例えば……赤ん坊の頃から兵器として教育すれば、どうなるか想像つくわよね?」
「まさか……」
千夏は気付いた。自分の腹を求められた理由、その使い道を。あまりにもおぞましく、吐き気すら感じる所業だ。
「私を……キャリアーの製造工場にするつもりだったんですか?」
「その可能性は高いわ。まあ、あくまで想像だけど」
そう釘を刺すが、千夏の心には言葉にし難い嫌悪感が絡み付いていた。
知らずの内に子を造らされ、兵器として教育、利用する。こんな事が人間のやる事とは思えない。本当に恐いのは人間……とはよく言ったものだ。
だが一つ、一つだけ心当たりがある。自分がこんな実験動物や物として見られる理由を。
「……私が化け物だからでしょうか? 人間じゃないから、キャリアーだから。そんな風に考えて、物として扱おうって人がいるのかな……」
人ではない。たったそれだけの理由でここまで残酷になれるのだろうか。
答えはイエスだ。差別に実験動物、同じ人間にすらどこまでも非情になれるのが人間。歴史が証明している。
その現実が千夏に重くのしかかる。だがそんな彼女の気持ちを察してか、女医は今まで見せなかったような優しい笑みを見せる。
「心配しないで、大丈夫よ。少なくとも院長はそんな目に会わせはしないから。それに私やスタッフは貴女や藤岡君をそんな目で見ないから」
年の功と言うべきなのだろうか。母性溢れる笑みに千夏の心は温かく包まれるのを感じる。
「先生……」
「こんな状態でも懸命に私達に協力してくれて、藤岡君なんかグローバーと同じように戦ってくれている。まだ高校生なのにね。凄く立派だと思うわ。そんな二人を化け物だなんて私は言えない、口が裂けてもね」
そして千夏に聞こえないよう、小さな声で呟く。
「人間の方が化け物よ」
病院の裏口、人気の無いそこに一人の男性医師がスマホを眺めていた。気だるそうに姿勢を崩し、イラついたように顔をしかめている。
それもそのはず。本来今日は休診であり、院内にいるのも緊急外来の担当と入院患者の対応をする看護師だけ。今日は休日の予定だったのだ。
しかし急遽採取担当の医師が欠勤となり、彼が代わりに卓也のサンプル採取に駆り出されたのだ。予定もキャンセルとなり、文句の一つもあろう。
それでも彼はそれを口にするような事はしなかった。彼もまた、医療従事者としてヴィラン・シンドロームの脅威を知っている。そして今日の仕事も、その病と戦うのに必要だと理解しているからだ。
「……そろそろ戻るか」
スマホをポケットにしまい院内へと戻ろうとしたその時。
「あのー、すみません」
背後から声をかけられ振り向く。そこにいたのは初老の男性、しかも彼よりも長身でガタイの良い筋骨隆々の大男だ。
医師は男の姿に圧倒されかけるが、すぐに気を持ち直し微笑む。
「どうしましたか? ここは関係者以外立入禁止ですよ」
「そいつは失礼。実は外来の受付を探しいましてな。ここに迷いこんでしまったんですわ」
「ああ、成る程」
休診なので正面口は閉ざされている。だから緊急外来の受付がわからないのも無理は無い。
だが脳裏に疑問が浮かぶ。パッと見彼は健康その物。顔色も良く自分よりも体力がありそうな身体をしている。とても急患には見えない。
否、連れだ。彼が患者ではないのなら、きっと家族等の連れが患者なのだろう。
「えっと……患者はお連れの方ですか? 良かったら案内しますよ」
そんな彼の親切心を他所に男は笑っていた。
「いやいや、患者はワシじゃよ」
「おっと、これは失礼しました。どうもお元気そうに見えたもので」
「なぁに。普段は健康に見えるからなぁ…………ヴィラン・シンドロームは」
空気が凍り時間が止まる。この男の口から出た言葉、その意味を一瞬理解出来なかった。
世間には秘匿されているヴィラン・シンドロームの存在を知っている。普通ならばこんな言葉が出るはずがない。となれば男が何者か瞬時に察した。
「キャリアー……!」
報告にあった病気の知識を持っているキャリアー。自分が患者だと言っている以上間違いないだろう。
ただの人間である彼には絶体絶命の状態だ。一撃でも貰ったらその場でおしまい。良くて即死、最悪発症し奴らの仲間入り。
彼は直ぐにでも逃げようと後退る。だが……
「が……」
背中から何者かに押さえ付けられ、首に激痛が走る。それが何なのか理解した時、顔が一気に青ざめる。
医師の背後から巨大なネズミ、ベクターが噛み付いていたのだ。
「あ……ああ…………」
医師の頭に浮かんだのは死の一文字。
今この瞬間に彼は感染した。ベクターとなるかキャリアーとなるか……運良くウイルスに耐えグローバーとなっても戦闘訓練も受けておらず、アサルト・キュアも無い上にキャリアーが目の前にいる。抵抗も出来ずあっと言う間に殺されてしまうだろう。
絶望にうちひしがれた医師の顔を男……マスターは笑いながら見ている。
「いやはや、お医者さんも無用心だな。情けない、実に情けない。医者が病気になってどうする、予防は大事じゃぞ。まぁ、ワシが相手では無理もないか」
マスターはおもむろに医師の首からぶら下げられているパスケースを、引きちぎるように強引に奪い取る。
「さてと……」
そのパスケースに入っているIDカードをかざし扉を開ける。そして院内へと足を踏み入れた。
「臭う、臭うぞ。抗体の腹立たしい臭いがな。ここまで濃い臭いは初めてだ」
奥へと歩く彼を追い抜きベクターが走る。その数は二体に増えていた。奴らは本能とマスターの指示により動き、そこに心は存在していない。
マスターは一歩ずつ歩き、その足音は重く響く。既に彼の姿は人間の形をしていなかった。
黒光りする甲殻、額から伸びる角。カブトムシ型キャリアーへと変身していた。
「さて。ワシの出世の為、キャリアーの未来の為。ここで潰させてもらうぞグローバー、そして抗体持ち」




