6.『危機』
じわじわざまぁの回。
アクセラ王国サイドです。
この日、クリストハルト侯爵領の領主の邸前には、領地内から集まった多くの仕立て屋が列をなしていた。
領主の一人娘であるエリーゼの婚約が調い、その17歳の誕生日に結婚式を挙げたいからとドレスを仕立てることになり、そのため最も魅力を引き立てるドレスのデザインをと、領主であるデミオンが広く公募をかけたからである。
「お母様、見て!あんなにたくさんの人が並んでるわ」
「あら、本当。すごいわねぇ、どんなデザインがあるのかしら。いい、妥協なんでしちゃだめよ?もしいいデザインがなかったら、またお父様にお願いして他に声をかけてもらえばいいんだもの」
「そうよね。だって、幸せな花嫁はやっぱり一番綺麗でなくっちゃ!」
予想以上の反響にすっかり舞い上がってしまった母と子は嬉しそうにはしゃいでいるが、実際のところ公募をかけたのは、領地運営に行き詰まったデミオンの苦肉の策だった。
このところ領地内で不作が続き、領民たちからたびたび何とかして欲しい、このままでは税を納めるのも命がけになるから、と訴えが寄せられている。
そのたびに領主であるデミオンがその地に出向いて土地に魔力を流してはいるが、我も我もと訴えを起こす領民は後を絶たない。
本来であれば当代領主のみならず奥方や場合によっては隠居した先代、分家なども協力して魔力を流して回るものなのだが、クリストハルト侯爵家の場合まず妻や子は殆ど魔力を持たないし、高い魔力を誇っていた先代夫婦も不幸な事故で亡くなってしまっている。
本家の言葉がけひとつで動いてくれるはずの分家にも片っ端から連絡を入れたが、分家の中でも最も力を持っている元妻の実家が睨みを利かせている所為か、なんだかんだとのらりくらり言い訳を並べて断られ続けていた。
重い腰を上げたのは子息の婿入りが決定しているフリード伯爵家のみだが、侯爵家の領地内を間借りした立場のフリード伯爵領も例にもれず不作続きのため、侯爵家の他の領地にまで回せるだけの魔力の余裕がないらしい。
不作が続けば、当然領民の暮らしの質は下がる。
訴えを起こしても何も状況が変わらなければ、それは領主への不満に繋がる。
領民達は考える。
侯爵家に対し強硬に抗議をしたところで、もし当代領主が『前領主が事故にあうように仕組んだ』『本妻との間の一人娘を追放し、愛人とその娘を迎え入れた』というまことしやかな噂通りの人物なら、邪魔だと処分されてしまう危険性すらある。
それなら、いっそのこと住み慣れた土地を離れて豊かな土地に移り住んでしまえばいい、と。
不作を理由にして、一人また一人と他の領地へ去って行く領民達。
商売を営んでいたり移転できない理由がある者達は残らざるをえなかったが、彼らの中に領主に対する忠誠や尊敬の感情など既になく、あるのは呆れと諦め……そしていつかやってくるだろう次代の領主への淡い期待、それくらいだった。
税収入が激減したこと、そして領地内で最も賑わっていた繁華街がひっそりと静まり返っていること、それらの異変に領主が危機感を抱いた頃にはもう遅い。
前領主から当主の座を引き継いで10年、テレーズのこともあって邸の使用人をはじめとした周囲を全てイエスマンで固めてしまったことで、彼に対し苦言を呈する者がいなかったのが気付くのに遅れた原因のひとつだろう。
最もたる原因は、彼自身が愛する妻子のことばかりにかまけるあまり、領主として抱える様々な問題点に向き合おうとしなかったことにあるのだが。
そんなわけで、彼はまず王宮に現状を訴えてみた。
このまま税収が下がれば当然国に納める税金も自己負担で穴埋めしてやらなければならない、だが自分達の生活水準を落としたくない、そんなジレンマに悩んでいた頃他領からの噂で『王宮に訴えたらいいアドバイスをもらえた』と聞いたからだ。
妻子を連れて王都の中心にある王宮を訪れたクリストハルト侯爵は、しかし先立って送ったはずの面談申請書が郵便事故にあってアポイントが取れていなかったらしく、王都の別邸で数日待たされた。
イライラしながら待っていたところにようやく王宮から召喚状が届き、担当官に彼は切々と領地の現状を訴えた、のだが。
「では農地改革を行ってみてはどうでしょうか?他の領地でも既に結果を出したと報告が上がってきておりますよ」
以前のように魔術師を貸し出して魔力を巡らせる方法では、いずれまた不作の年が訪れる。
それならいっそ、魔力に頼らない農地作りから始めてみることで、数年後の収穫高アップを目指してみるのもいいのではないか。
その方法を書いた説明書をざっと読んだデミオンは、しかしそれを担当官に返した。
彼が欲しいのは今すぐにでも領地が潤って領民が戻ってくる策だ、少なくとも数年はかかる農地改革などちまちま行っているうちに蓄えは底をつくだろうし、そうなれば領主として国に納めるお金もままならなくなる。
彼は憤慨しながら領地へと戻り、そして数日かけて冷静さを取り戻すと今度は己の置かれた現状に絶望した。
戻ってきた彼を待っていたのは山のように積まれた未決済の書類と、最近は数が減ってきた嘆願書、そして邸の使用人達の退職の知らせなどだ。
それだけならまだどうにかなったが、追って届けられた郵便は妻と娘が王都で散財した品物の請求書の数々。
彼はさすがにこれはと不安に駆られ、妻と娘に買物を控えるようにと事情を説明した。
しかし妻は
「結婚を控えた一人娘にいろいろ買い揃えてあげたいと思うのは当然でしょう?」
と取り合おうとせず、娘も娘で
「だってお父様、前に言ってくれたでしょ?お前たちにもう不自由はさせない、って。欲しいものが欲しいだけ買えないなんて不自由だわ」
と、かつて子どもの頃交わした口約束を持ち出してくる始末。
いくら妻と娘を愛しているといっても、これにはさすがに彼も頭を抱えたくなってしまった。
そこで彼は、こう考えた。
農地収入は現時点では諦めるしかない、魔力を流して回るのは入り婿となるヴェゼルが来てからでも構わないので、まずは閑散とした繁華街をどうにかしよう、と。
そのための一番の近道は、何か大きなイベントを起こすことだと彼は思い立った。
祭りのようなイベントがあれば、他領からでも多くの集客が見込める。
人が集まればその分店は繁盛するし、他からやってきた商人などには通行税や場所代などを払ってもらうことで、効率よくお金を回収することができる。
では何をするか?…………決まっている、愛娘の結婚披露パーティを繁華街を中心にして開催するのだ。
出店や小さな企画イベント、そして豪華なお披露目パレードを行って、その後お茶会や夜会で他領の貴族達をおもてなしする。
それを企画、準備するだけでかかる金額は膨大なものになるだろう、ことによっては借金する羽目になるかもしれない、だけど。
(人が集まれば、金を落とす。とにかく使った分だけ金を回収できれば、まだ望みはあるからな)
「ふぅん……フリード伯爵令息とクリストハルト侯爵令嬢の結婚披露パーティねぇ。そんな招待状をわざわざ王宮に送りつけてくるってどんな神経してるんだろうね?」
侍従から渡された封筒をしっかり手袋を嵌めた手で摘んで、ひらひらと目の前で振って見せる王太子。
彼はまだ10歳の幼子に思えないような老成した、皮肉たっぷりな嘲りの表情を浮かべ、小さく「燃えろ」と発火の呪文を唱えた。
空中で、ぼうっと一瞬にして炎に包まれたそれは、あっという間に灰も残さず燃え尽きる。
「そもそもさ、あそこの領地って今どうなってるの?パーティなんてやってる場合?」
「……面接担当官を通じて殿下から農地改革の提案書を渡されたというのに、彼はそれをつき返して帰ったそうですから……彼は少なくとも、経済に関しては素人だと言ってもよろしいでしょう」
「だろうね。きっとそのパーティも、何か大きなお祭りごとでもやれば勝手に人が集まるとでも思ったんでしょ。自分達が社交界でどんな噂を流されてるか、知りもしないで」
提案書は、王太子からの最後の温情だった。
クリストハルト侯爵家の醜聞には彼も嫌気がさしていたし、そう簡単に立ち直られては面白くないなとも思っていたが、だからといって潰れてしまえば一番困るのは残された領民達だ。
だからこそ、彼は賭けに出た。
もし侯爵が提案書を受け取り、それを死に物狂いで実現させようとしたなら、納税を待ってやるなり醜聞がこれ以上広がらないように口を利くなり、してやってもいいかな?とは思っていたのだが。
(簡単に潰しちゃったら、ヴァイスクロイツ殿に恨まれてしまいそうだしね。けど……うん、ボクのせっかくの温情をつき返したんだから、それなりの辱めは受けてもらおうかな?)
ねぇ、と王太子は子供の顔に戻って側近の青年を振り仰いだ。
「そういえば、このご令嬢って今年デビュタントだったんでしょ?普通婚約期間を経るものだけど……何か急がなきゃいけない事情でもあるのかな?」
「どうでしょうか?……殿下のお耳に入れるのも汚らわしい、下世話な噂が一部で囁かれているようですが……お調べしておきましょうか?」
「うん、そうして。そうだな、でもその『一部』の話だけじゃ真実とは言えないだろうし。できるだけ多くの証言を貰ってきてくれる?」
「かしこまりました」
王太子の言葉を意訳するとこうなる。
『一部の貴族達が噂してるだけじゃ、社交界には広まってくれない。だから、できるだけ多くの貴族に接触して、その噂を広めてくるんだ。恥ずかしくて、とても社交界になんて出てこられないくらいにね』
王太子は腹黒ドSに違いない。




