折れない覚悟
張松の言葉が終わるか終わらないかのうちに関羽が動く。
鋭く踏み込み、一気に間合いを詰めたかと思うと連理を横薙ぎに振り抜く。
張松はその鋭く重い一撃を受けようとはせず軽く後ろに跳んでかわした。
「ほう…」
関羽の口から軽い驚嘆が漏れる。
もちろん、今の一撃で全てが終わるとは思っていなかったであろうが、そこまであっさりとかわされるとも思っていなかったのだろう。
玄が読み漁った三国志系の本の中で張松が武の達人だという話はどこにも出てこない。
典型的な文官であり、政務官としては優れていたと思われるが関羽の一撃を余裕を持ってかわせるような人物だったとは思えない。
おそらく関羽もそう考えていたのだろう。
「ほっほっほ…恐ろしく鋭い一撃ですな。
私を斬ることにも迷いがない。
本当の私なら今頃まっぷたつです」
先程までのしんみりとした風情とはうって変わって軽薄な笑みを張り付かせた張松はまるで別人のようである。
「ふん、大分あの時の張松に戻ってきたではないか」
関羽が不敵に笑う。
「ほっほっ、さっきも今も私は私なのですよ。
私の技には少々時間が必要でしてな。
会ってすぐ関羽将軍のような達人に斬りかかられたのではたまりませぬ」
「なるほど、先ほどの一連の会話はお主の策であったか」
「いえいえ、半分というところです。
会話の内容は身命に誓ってほんとですぞ」
そう言った張松の身体が徐々に霞のようなものに覆われていく。
「私の能力は『暗踊化身』と言いましてな」
張松を覆った霞はどんどんと濃くなっていき、張松を覆い隠した上に更に大きく膨らんでいく。
やがて、その霞は徐々に形を取り始め…
「な!まさか!」
その様子を見た玄が嫌な予感に声を上げる。
「対面した敵武将を完璧に模倣する力…と言う訳です」
形をなした霞は徐々に色彩を帯び、人の形を取り始める。
「もっとも…」
「まぁ…あれは」
孫仁が驚きあまりか、危機感がないのか暢気とも言えるような驚きの声をあげる。
「発動までには対象とする武将と5分程度戦闘状態になくてはいけないという、些か面倒な能力ですがな」
そう言った張松の姿は、向かい合う関羽と瓜二つである。
違うところと言えば着ている物と持っている武器くらいのものである。
関羽が青く煌めく連理を構えているのに対し張松が化身した関羽は張松自身が所持していた初期装備の剣を持っている。
「面白い…さすがの私も自分自身と戦ったことはない」
関羽が顎髭をしごきながら不敵に笑う。
それを見て玄はやや安堵する。
今まで玄が関羽を見てきて、関羽のその動作は関羽が平常心を保っているという証拠だからだ。
いきなり自分自身と正対して、憤ることも、驚愕に取り乱すこもしない。
この世界の戦いに完全に順応してきているのだろう。
「それでは些か自信はありませぬが…参りますぞ」
関羽とは不釣り合いな口調で宣言した張松が剣を身体の近くで構えて一気に間合いを詰めてくる。
「ほう?」
それを見た関羽がまたしても感嘆をもらす。
しかし、すぐさま張松の動きに対応して正面に構えた連理を小刻みに突き出す。
張松はその突きを前へと進みながら体捌きでかわしつつ、前への力を阻害されそうな突きのみをぎりぎりまで引きつけて最小の剣の動きで払う。
「身体能力だけじゃないのか?」
二人の序盤の斬り結びをみて玄が漏らす。
「どういうこと?」
「ああ…張松が化けた関羽は、関羽の連理の長い間合いに対応するために、間合いを詰めようとしてる。
それ自体は間合いの違う武器での戦いだし当然のことなんだけど…」
「入り方が見事なのです。
剣を身体の近くに構え、寸前で相手の長柄の武器を払い懐に飛び込む。
それも確かに基本ですが、普通は何合か打ち合いつつ相手の力量を推し量った上で行う戦術です。
対応を間違えば即命を落とすような危険を含む戦術でとっさに選択出来るようなものではありません」
玄の言葉を引き継いだ孫仁が冷静な解説を加える。
「うん、張松が特殊技で、関羽と同じ身体と力を真似たとしても関羽の経験や戦術的な思考までは真似ることは出来ないと思ってたんだけど…」
「おそらく、関羽将軍の武器が張松殿と逆だったとしたらおそらく、同じような入り方をしたと思います。
自らの培った武に対する自信と戦場で身に付けた戦の機微に通じていれば自然と取り得る戦術ですから」
「だよね…だけど元々の張松にそれだけの戦の経験があったとは思えない。
軍略としての知識はあったとしてもそれを実戦で、しかも自らが実行しようと思ったらやっぱりある程度の経験が必要じゃないかと思うんだ」
孫仁の言葉に頷いた玄は考えをまとめる為に思ったことを口に出していく。
そうしている間にも二人の関羽の攻防はめまぐるしく続いている。
序盤の速攻で懐に入られた関羽は、近距離で鋭い剣撃を繰り出してくる張松を相手に自らは連理を半ばに持ち替え、間合いを短くして対応している。
「となれば、関羽将軍の武とそれを使用するための経験をも真似ていることになりますね」
「え?じゃあ、関羽さんと全く一緒ってことじゃない!
…それって決着つくの?」
誰もが思う当然の疑問を茜が口にする。
「全く同じって訳じゃないと思う。
あれだけの技を使ってるんだ消費体力もそこそこあるはず。
その体力差は僅かなものだけど、関羽なら充分対応出来ると思う。
後は、こちらの体力的優位を捨てる事になるけど関羽にも必殺技がある」
そこまで言って言葉を切った玄は、あえて関羽にもよく聞こえるようにやや声を大きくして言葉を続ける。
「そして、これが一番重要なんだけど…
関羽の経験を模倣したとしても、あくまでそれは過去の関羽。
最大でも模倣した瞬間までの関羽でしかないってこと。
5分前の関羽と今の関羽が同じ強さだと思ったら大間違いだよ」
玄の言葉に孫仁がくすくすと笑い声を漏らす。
形や根拠は違えど、関羽を信頼しているという意味では孫仁も同じである。
先程からの危機感のなさもそれゆえなのだろう。
「ふん!
ひよこめが生意気を言いおって」
張松の攻めをぎりぎりで防ぎながらも関羽の口元が笑みの形に歪む。
「ひよこにああまで言われてはいつまでも遊んでいる訳にはいくまい。
そろそろ本気でいかせてもらうぞ、張松」
「ほっほっほっ、ご冗談を。
私は最初から本気ですぞ、ならば関羽将軍も本気でなければ受けきれるはずはありますまい」
関羽の宣言に握った剣を縦横無尽に振り回しながら張松が笑う。
「ふ、馬鹿を言うな。
そんなものが本気だと思われたら恥ずかしさにこの髭をむしってしまうわ!」
楽しげなその叫びと共に、関羽の動きが徐々に力強さを増していく。
張松の攻撃に対して受けるだけだった動きに攻める動きが加わっていく。
今までは攻撃を受け止めるだけだったが、徐々に受け止めるだけでなく自ら連理を剣にぶつけていく形の防御が増えていく。
受け止めるだけでは一方的に相手の攻撃を受け続けるだけだが、防御に攻撃の要素を加えることで相手の動きを少しずつ乱していく。
自らが攻撃した以上の力で武器を打たれれば攻撃の流れは滞り、やがて連続攻撃を維持出来なくなる。
張松の目論見としては、序盤に懐に飛び込んで疲労が無いからこそ出来る絶え間ない連続攻撃に持ち込み、いずれ関羽が防御の対応を誤ることを狙っていたのだろう。
力量が全く同じならば、その勝敗を分けるのは人であるが故のミス。
そのミスを、攻め続けることで引き出そうというのは力量が全く同じだからこそ出来る戦略である。
その上で、攻めのミスよりも受けのミスの方がより致命のミスになりうることを考えれば張松にとっての今の流れは限りなく勝算の高い戦いだったはずだ。
しかし、徐々に力強さを増す関羽の防御を兼ねた攻撃にとうとう張松はバランスを崩し、後方へとはじき飛ばされた。
「…ば、馬鹿な!
力も技も同じならば打ち負ける訳が」
張松が化けた関羽の表情が驚愕に歪む。
「ふん、自らのそんな顔を見ることになるとはな…」
関羽が不快感もあらわに鼻を鳴らす。
間合いの外で剣を構えたまま呆然とする関羽の姿をした張松に向かって関羽が連理の刃先を突きつける。
「張松よ、一つたとえ話をしてやろう」
「なんですと?」
「ここに名馬がいるとしよう。
身長も体格も同じ者がこの名馬を走らせたとしたら同じだけの速度を出せると思うか?」
「答えは…否ですな。
各人の馬術にも左右されましょう」
「うむ、では二人とも基本の馬術は修めているとしよう。これならどうだ」
関羽の諭すような問いかけに張松は訝しみながらも答える。
「それならば…近いものが出せるはずですが?」
関羽が髭をしごきながら頷く。
「全く同じではないのは何故だ?」
関羽のその言葉に張松の目が見開く。
「分かったようだな。
同じ名馬に同じ技量の者が乗っても必ずしも同じ力を出せる訳ではない。
馬との相性もあろうし、走る道によっては得手不得手もあろう。
それはこの関羽とて同じ」
「…むぅ…」
「我が肉体にも、得意な動きがあり苦手な動きがある。
得意とする技があり、苦手とする技がある。
当然、肉体はその得手不得手を考え鍛えられている。
得意とする部分を活かすように鍛え、苦手とする部分を補うように鍛えてあるのだ」
関羽は連理で張松を牽制しつつ更に言葉を続ける。
「我が肉体と、うわべの技や戦術を模倣したとて、その全てを使いこなせるのは全てを知る我しかおらぬ!」
「く…」
自らの優位性を完全に覆された張松はじりじりと後ずさっていく。
必ずしも勝機を失した訳ではないはずだが、完全に戦意を喪失している。
「確かに関羽の言うとおりだけど…」
「はい、だからと言ってもその差は僅か。
あれほど一方的に決着がつくようなものではないと思いますわ」
「私ならそっくりな自分が出てきた時点で既にパニックで戦いにならない気がする…」
もはや勝負ありと見た、玄達が幾分緊張を解きながら関羽達のやりとりを見守る。
「…さすがは関羽殿。
その武は噂に違わぬ」
「馬超将軍の武も並々ならぬ物、と噂は呉まで届いておりました」
関羽達の戦いを静かに見守っていた馬超が関羽の武に賞賛を送ると、孫仁が微笑みながら答える。
「おそらく、傷を受ける前の本来の馬超将軍であれば張松殿の変化の術にも同じように負けなかった思いますが?」
「…そうだ、とは言いたくありませぬ。
理由はどうあれ、勝負を避けたのは事実。 私の負けです」
自らの敗北を潔く認める馬超に孫仁は静かに首を振る。
「…そこで終わる訳にはいかなかったのでしょう?
成し遂げたいことがあったのでしょう?
ならば、何度となく苦渋を味わおうとも今は負けではありませぬ。
もし、それらが本当の意味で負けになるとしたら…
それは諦めた時です」
孫仁は視線を関羽達に向けたまま静かに言葉を続ける。
「あなたが、意地も誇りも投げ捨てそれでも生きようと思った理由…
それを諦めてしまった時、耐え忍んできた全ての敗北があなたの心に押し寄せるのだと思います」
孫仁の言葉に馬超の目が大きく見開く。
それは、まさに生前の馬超そのままであったからである。
漢王朝をないがしろにし、父や弟達をいわれなき罪で処刑した曹操。
漢王朝と仇討ちの為に曹操を討つべく兵をあげ、力の限り戦った。
しかし、曹操とその配下の武将達は強く無様に破れた。
深い敗北感と挫折に捕らわれつつも自らがやらねばと奮起してきた馬超が、劉備の人柄に触れ帰順を決めたとき、曹操打倒の宿願までを劉備に預けてしまった。
そう、この時馬超 孟起は全てを諦めたのだ。
そして孫仁の言うとおり、それまでの敗北が本当の負けとして一斉に馬超の心身を苛んだのである。
「偉そうなことを言ってすいません。
全てはあの方の受け売りです」
孫仁が照れ臭そうに微笑み馬超と視線を合わせる。
「あの方も若い頃は負けに負け続けた方でしたから…」
馬超は静かに目を閉じ軽く頭を下げる。
「いえ、おかげで一つ謎が解けました。
感謝いたします」
そんな孫仁達の会話を尻目に関羽と張松の戦いも大詰めを迎えつつあった。
「もはや、お主に勝ち目はない。
素直に質問に答えるならば、この場は見逃しても良いが、どうだ」
張松に連理を突きつけながら関羽が問う。
このゲームの性質からすれば、勝てる時に勝って装備等を強化していくのがセオリー。
しかし、玄達の目的からすれば無理に相手を殺める必要はない。
むしろ情報を得るためには戦闘不能にしてしまう訳にはいかない。
敵対の意思さえ砕いておけば充分なのである。
「ふ、関羽将軍ともあろう方が私めに何を問おうというのですか?」
もはや剣を関羽に向けて構えているだけの張松が自嘲気味に問い返す。
「うむ、我が義弟、張翼徳。
そして…我が義兄、劉玄徳の所在」
張松の目がわずかに動揺で揺れる。
関羽はその動きを見逃さない。
「何か知っておるのだな」
更に半歩間合いを詰め、張松へと詰め寄る。
関羽にしてみればようやく掴んだ手がかりである力が入るのも無理はない。
「…」
「命までは取らぬ、疾くと話せ!」
力が入る関羽とは対照的に今度は沈黙を続ける張松に関羽が苛立ちを見せ始める。
「ちょ!関羽!」
手がかりを掴んだことによる気のはやりか、相手を脅すようなやり方はいつもの冷静な関羽らしくない。
しかし、玄の呼びかけは関羽の耳に届いていない。
関羽は更にじりじりと張松へと詰め寄っていく。
「…関羽将軍、このような状況においてもまだ生前の義兄弟の契りに拘泥されますか」
静かにそう答える張松の身体がゆっくりと元の小男へと戻っていく。
変化の術を解いたのだろう。
「なんだと?」
張松の言葉に眉をひそめた関羽の声が怒気をはらむ。
「そうでありましょう。
今は漢の御代ではございませぬ。
あの時誓った大志ももはや過去のもの、ましてや死すまで共にと約したことすら、死した我らには意味をなしませぬ」
「……それ以上、我らが誓いを愚弄するならばその首はないぞ」
絞り出すように紡いだ関羽の声は恐ろしい程に殺気に満ち、張松を見据える関羽の顔は抑えがたい怒りで紅潮し、自慢の髭は逆立たんばかりである。
「いつまで縛られているのです!
あなたはあなたでこの世界でなすべきことを見つけるべきではないのですか。
あなたが思い描く義兄弟の契りなどもはやないのではないですか!
あなた以外はそんな誓いなど忘れているかもしれませんぞ!」
空気が裂けそうな程の殺気の中、張松は全く怖じ気づくことなく叫ぶ。
「…忠告はしたぞ、張松」
憑きものが落ちたかのような穏やかな顔で呟いた関羽の連理が霞む。
ピシィィィィィィィィ
と、同時に空気が悲鳴を上げる。
「きゃ!」
耳鳴りにも似たその音に茜が思わず耳を塞ぎ、張松の首が飛ぶ瞬間を想像して思わず目を閉じる。
………………
一瞬の静寂の後、茜が目を開けた時その目に映ったのは、張松の首筋ぎりぎりに連理を突きつけて動きを止めている関羽の姿だった。
「…玄、約定が違うのではないか。
我はいかなる危機にも見舞われておらん」
「ち、違う!
せっかく掴みかけた手がかりを関羽の私情で失う訳にはいかない。
ただでさえ一刻の猶予もないんだ。
俺たちの目的にとっては立派な危機だ!」
毅然と関羽に対して言い返す玄だが、関羽の動きを止める為に押しているVSのボタンを抑える指はあまりの緊張に全身の力がこもっているせいで紙の様に白い。
「関羽将軍、玄殿の言うとおりです。
張松殿に何を言われようとも自らの信ずるところに従えばよいのです」
孫仁がすっと一歩前に出て関羽へと声をかける。
張松の言葉はそのまま孫仁にも当てはまることだ。
何も思わなかった訳はない。
しかし、孫仁はすっと袖に隠した白くなるほどに握りしめた拳以外はいつもの穏やかな孫仁であり続けている。
「…聞けませぬ」
しかし、そんな孫仁の言葉に答える関羽の言葉がどこまでも静かに響く。
「むぅん!」
孫仁の制止の言葉を振り切った関羽の絞り出すような声と共に関羽の気が急激に膨張する。
と言っても玄達の目に不可視の気が見える訳ではなく、一瞬関羽の身体が大きく膨らんだかのような錯覚をおぼえたのである。
「え?」
「ちょ!ちょっと何やってるのよ玄!」
と、同時に関羽の変化に一瞬あっけにとられた玄の間の抜けた声と茜の焦った声が響く。
「な、なんで!俺は指を離してない!」
玄は自らの手元に視線を落として確認した後、姿は見えない茜に向かって叫ぶ。
「えぇ!じゃあどうして関羽さんが動いてるのよ」
茜の声に玄は答える術がない。
しかし、確かに関羽の連理は何故か避けようとしない張松の首へと少しずつ近づいている。
その速度は微々たるものだが、連理の切れ味と関羽の技量ならばそのまま張松の首を落とすことも可能であろう。
「馬超殿、お借りします!」
想定外の出来事に一瞬思考停止した玄達の空白を埋めるように動き出したのは孫仁だった。
馬超の背負っていた長槍を素早く引き抜くと一直線に関羽達へと走り出したのである。
「レン!」
その動きに気付いた茜の声をも置き去りに一気に二人の間に割り込んだ孫仁は、自分が扱うには長大過ぎる馬超の長槍を抱え込むようにして下からすくい上げた。
ぎぃぃん!
動いていたといってもわずかな動きだった関羽にその孫仁の一撃をかわせるはずもなく連理は長槍に押し出されるように張松の首から大きく引き離される。
孫仁が馬超の長槍をとっさに借りたのは関羽の力に対抗するためには自らの剣では軽すぎると判断し、武器自体の重さと遠心力を活かすためだったのだろう。
あの一瞬でそこまで判断したとすれば、孫仁の武のセンスはやはり並はずれている。
「控えなさい!関羽!」
関羽の連理を張松の首から遠ざけたことで役目を終えた馬超の長槍を足下に置くと、孫仁は未だ動きが止まったままの関羽に正対して一喝した。
このゲームで再会以降、関羽に対し常に信頼を寄せ逆らうことはおろか、ただの一度も語気を荒げたことの無かった孫仁が初めて声を荒げたことに、さすがの関羽も虚を突かれたのだろう張りつめていた殺気が薄れている。
「稚児でもあるまいし、いつまで駄々をこねているのです!
あなたの行動こそが、張飛殿やあの方を侮辱する行為だとなぜ気付かぬのです!」
「…」
「あなたのその激情は、彼らを信じ切れなかった自らの内からくるものと心得なさい!」
「む…」
一直線に関羽の目を見据える孫仁の表情は険しい。
確かに関羽にとって神聖な誓いを侮辱されたことの怒りはあるだろう。
しかし、張松の言葉に些か意外にも思える程に過剰に反応してしまったのは自らの内に張松の言葉と同様の不安を我知らず抱いていたのだろう。
孫仁もまた、関羽と同じであるが故にそのことに気付き、関羽と共に自らをも戒めるためにあえて厳しく言葉を紡いでいるのだ。
孫仁の言葉に完全に我に返った関羽から険が取れているのを感じた玄は強ばった指をゆっくりとVSから外す。
連理を振り上げた姿勢で固まっていた関羽はそれを感じてか、ゆっくりと連理を下ろす。
そしてゆっくりと孫仁に対して頭を下げた。
「心配をかけ申した」
穏やかに謝罪を述べる関羽に先程までの危うさはない。
その関羽を見て孫仁が安堵の吐息を漏らす。
「良いのです。
むしろ私も関将軍と同じ…不安は拭いされませぬ。
しかし、我らはあの方を信じて生き抜いたではありませんか。
一度死したとはいえ、同じことが出来ぬ訳はありませぬ」
「まさに…
我としたことがみっともない姿をお見せ致しました」
既に平静を取り戻した関羽はいつものように悠然と髭をしごく。
それを見て孫仁も微笑みを返す。
玄にしてみれば、今回の戦いは情報を得るためだけの戦いだった。
にもかかわらず、予想外の展開でハラハラさせられたが、これからの道行きを考えれば、今ここで関羽と孫仁の決意を固められたのは良いことだったと思う。
「…ちょっとこっちの不安も残るけど…」
自らの手元のVSを見て呟く玄。
玄のVSの制止を振り切って僅かといえど動いてみせた関羽。
何かのバグのようなものであるならば良いのだが、もしVSを使っても武将達を止められないとなれば…
そこまで考えて玄は首を振る
「まぁ、ゲームの中だけなら大した問題じゃないんだけどね…」
「ほっほっほ…これだけ言うてもあくまでも絆を求めなさるか」
「ぬ!張松!」
関羽や玄達がそれぞれの考えにふけっていたその一瞬を突くかのように張松の姿が孫仁の背後から消えている。
「どうしても行くと言うのなら好きになさるがよい。
ただし、この張松めを打ち倒せたらですがな」
いつの間にか張松は関羽達から10歩の距離まで間合いを拡げている。
「ふ、何をいまさら。
既に勝負はついておる。
今更、長槍を持ったところで勝敗は変わらぬと分かるであろう」
孫仁を再び自らの背後に押しやった関羽は孫仁が地面に置き放していた馬超の長槍を構えている張松に向かって諭すように言葉を放つ。
「まだ分かりませぬぞ、関羽将軍。
今生では窮鼠猫を噛むという諺もあるようですしな」
ほっほっほと笑いながら張松の身体が再び霞のようなものに覆われていく。
「無駄だとまだ気付かぬのか」
「確かに関羽将軍を模倣しても勝てぬようですな」
楽しげに答える張松を完全に覆い隠した霞はゆっくりと形を取り始める。
「え、あの技は絶対に必殺技の中でも大きな消費を伴うタイプのはずだ。
そんな大技を2度も使って戦えるだけのライフが残るのか?」
玄が驚きの声を上げると同時に張松を覆った霞がゆっくりと晴れていく。
「ふむ、なるほどな…
確かに再び我に化けるよりは可能性はありそうだな」
髭をしごきながら成り行きを見守っていた関羽が感心したように呟く。
「若くして西涼の錦とうたわれたその実力。
関羽将軍に匹敵するかもしれませぬからな」
そう言って長槍を構えた張松の姿は実に様になっている。
長年槍という武器を使い込んだ者だけが身に付けられる。そういう雰囲気をまとっている。
「そうか、確かに張松にとっては…正確には関羽達もそうだけど、馬超とは戦闘状態のままなんだ。
だから技の対象にすることができる。
でも…」
長槍を構えた馬超(張松)の肩が僅かに上下しているのが玄にもはっきりと分かる。
「おそらくライフは半分以下…
仮に馬超に化けたってその疲労を背負っていたら不利は否めないはずなのに」
玄にはそれでもあえて戦闘を続けようとする意図が分からない。
張松のプレイヤーは何故こんな無謀な戦いを続けさせようとしているのか。
「何故私が退かぬかわかりませぬか?」
「え?」
「安心めされよ、聞こえている訳ではない。
関羽殿達のこの世界での振る舞いから操者たる者の気質を読み取り、そのような疑問を抱いているのではないかと思ったまでのこと」
「そ、それにしたって…姿が見える訳でもないのに!」
玄の驚愕ももっともである。
張松は会ったことも見たこともない、玄の思考をこの世界において活動している関羽や孫仁だけを見て判断したというのだ。
確かに関羽や孫仁の言葉は張松も聞こえるだろうし、そこから会話の内容を予測したりも出来るだろう。
先ほどの関羽と孫仁の衝突も、もちろん判断材料の一つにはなったのだろうが、それだけでそこまで玄の思考を読めるものなのか。
玄は張松のその智にそら恐ろしいものを感じざるをえない。
当時、即座に孟徳新書を暗踊された曹操も同じようなものを感じたが故に、容姿の美醜ともあいまり張松の才を認めたくなかったのかもしれない。
「ふん、相変わらず人の機微に聡い奴よ。
その能力でもってうまく立ち回ればもっと力を振るえる場を与えられたであろうに」
関羽が連理を構えて髭を揺らす。
生前と変わらぬ張松のふてぶてしさに思わず苦笑しているのだろう。
「今となっては、そう思いますな。
しかし、生前の私は自らの外見に強い劣等感を抱いていました。
それ故、自分を守ることに精一杯で攻撃的になり、人を慮ることができませんでな…」
腰を落とし長槍を構えた張松が不動の姿勢で訥々と語る。
「此度の生においても、我が操者たる者は我を見て早々に戦を投げ出す始末」
「!」
玄は思わず絶句する。
確かにこれはゲームとはいえ実在の人物がそのまま登場している。
普通のゲームのように見栄えの良いキャラクターだけが主人公として登場してくる訳ではない。
張松のようなお世辞にも格好いいとは言えないような人物も自らのメインキャラクターとして使わなければならない人も当然出てくる。
そして、変更は利かない。
「まあ、それ自体はなんとか電源を切らぬよう交渉をまとめたのでこうして自由に立ち回ることができますが…」
確かに張松の話が本当なら無理な戦いを操者が止めない理由は分かる。
だが、それならば戦いを続けているのは張松の意思ということになる。
「ほっほっほ…それならなぜ戦いをやめぬのか。
ですかな?」
「!」
またしても思考を読まれた玄が絶句していると張松がゆらりと槍先を揺らす。
「劉備殿や張将軍の情報も何もかもを知りたければ…
私を倒すことです」
そう言い放った張松の槍先が消える。
馬超の身体能力と技術、そしてあの長槍があれば十歩の距離は充分間合いの内なのだろう。
「よかろう、それがお前の望みならば受けて立つ!」
構えた連理の一捻りで張松の消えた槍を弾くと関羽も突きを繰り出していく。
両者の凄まじい程の突きの応酬に外から見る玄の耳にはキン、キンと小気味よい音が響き、玄の目には両者の間に無数の長槍と連理の残像が見える。
凄まじい突きの応酬だが、玄が素人目に判断する限り形勢は互角。
間合いに関しては馬超が持つ長槍よりも連理は短いが、馬超(張松)の身体よりも若干大きな身体を持つ関羽ならばさほど不利はない。
ただし、武器の形状として突くことに重点を置かれた長槍と、斬ることに重点を置く連理では突きの速度に若干の差異がでる。
しかし、二度の暗踊化身で体力を消耗している馬超(張松)の突きも最高速度ではあり得ない。
結果として互いに突きを繰り出している今の状態は互角の戦いになっていると言える。
「ふん、さすがは錦馬超と呼ばれた武者だけはある。
これが、本人であったらと思うと我が武もうずくというものよ」
互角の突き合いの最中だというのに関羽は獰猛な笑みを浮かべる。
「馬超殿、あなたの目から見てどうですか」
関羽の背後から更に距離を取り、元の場所へと戻った孫仁が静かに戦況を見つめていた馬超へと振り向かぬまま問いかける。
「…確かに私の身体であり技。
見事に再現しております」
静かに答える馬超
「まあ、馬の目からみても見事な技だと思うぜ。
とてもへろへろの文官が出せる技じゃねぇ。
つくづくこの世界はおかしな世界だな」
同じように戦況を静かに見つめていた悪来も自らの姿を揶揄するように軽くいななく。
「ただ、武人としての矜持から言わせてもらうなら…
我が武はあの程度ではありませぬ。
馬氏の槍技の神髄は静に始まり、動を経て激に至る。
心技体の心を重要視するものです」
馬超の目が鋭さを増す。
「曇り無き心で戦いに赴き、いざ戦いに至れば心の赴くままに激しく戦う。
これは西の異民族であった羌族の影響を受けた西涼の土地だからこそ生まれたものです」
馬超が父である馬騰と共に青年期を過ごした涼州は屈強な騎馬民族である羌族の住む土地と隣接し、時に争い、時には手を取り合いながら共存してきた。
そんな土地柄だからこそ、漢の国の精錬された兵法や武術と羌族の野性味に溢れた蛮勇とも言えるような馬術、武術を取り入れた独特の戦い方も生まれる。
「かの技はそこで生まれ育った者の気質までは真似できませぬ。
それでは我が技の全てを発揮することなど到底かないませぬ」
馬超の声は自らの技に対する自負に溢れいている。
「やはりそうなのですね…
張松殿ほどの方がそのような技の欠点に気付かぬはずはないのに」
馬超の言葉に技の欠点について確信を深めた孫仁が沈痛な面持ちで呟く。
一方で関羽と馬超(張松)の突きの応酬は激しさを増しつつ、次なる段階へと移行しようとしている。
「ふん、らちがあかんな。
張松、我らはお前の事情に斟酌する余裕はない。
勝たせてもらうぞ」
関羽の動きが変わっていく。
突きだけの戦いでは勝敗が長引くと判断した関羽が戦い方を変えたのである。
今までの突きという直線だけの戦いから払いや斬撃等の曲線の動きを織り交ぜた戦いへと誘導しているのだ。
突きだけの戦いでは互角だった二人の戦いは総合的な武の戦いへと変わっていく。
馬超(張松)の突きを関羽は下から跳ね上げ、次の突きが来る前に連理の石突きで馬超(張松)を突く。
それを同じように石突きで受け止めた馬超(張松)が連理を払いのけつつ前に踏み出して関羽の金的を蹴り上げようとする。
それを膝を閉じて受け止めた関羽は落ちた重心をそのまま更に沈めて馬超(張松)の鳩尾へと肘を入れる。
蹴りを止められ体勢を崩しかけていた馬超(張松)はとっさに脇を締めることで急所の鳩尾を防御し、自らの左腕で関羽の肘を受け止めた。
しかし、その威力を完全には殺しきれず勢いに押されて弾き飛ばされる。
「ほっほっ!
さすがにお強い。ちょっと出来の良い物真似程度ではとてもとても…
受けた左腕がまだ痺れておりますぞ」
張松は何が楽しいのか痺れた手を自慢げに見せながら笑う。
「私の言動が不思議に思えますかな?
体格に恵まれず、智を磨くことでしか乱世に関われなかった私にとって人真似とは言え屈強な肉体と、卓越した武技でもって戦えることは実に心躍ることでしてな。
不真面目に見えたら申し訳ない」
「ふ、それだけではないように思えるがな」
張松の態度に苦笑しつつ関羽が呟く。
「では、思いがけずも死後に得たこの張松の晴れ舞台。
最後まで付き合って頂きますぞ関羽殿」
「ふん、良かろう。
かかってまいれ」
長槍を構えて突進してくる馬超(張松)に対して連理を構えて関羽は待ち受ける。
動かない関羽に馬超(張松)は驚異的な突進力であっという間に間合いを詰めると長槍をくるりと回すように下から斬り上げる。
槍先が地面をこすりそうなほどに大きな円を描く一撃。
「ふ!」
関羽はその斬り上げに対して素早く半歩下がることで間合いを外す。
「地旋…」
孫仁の傍らで攻防を見守っていた馬超が呟く。
馬超(張松)は間合いを外されたことに驚きもせず、更に一歩を踏み込みながら流れるように長槍を回転。
半回転した長槍の石突きを同じように下から振り上げた。
しかし、遠心力で更にその速度を増した攻撃にも関羽は即座に対応して回避行動に入ろうとしている。
「地摺…」
馬超が再び呟く。
「む!」
同じように半歩下がり、間合いを外そうとした関羽が唸る。
「あ!ずるい!」
茜が思わず叫ぶ。
馬超(張松)の石突きは増した速度をあえて地面を穿つことで殺し、相手の回避のタイミングをずらすと同時に削った砂礫を関羽の眼前へと放射状に放っていたのである。
茜のとっさの叫びも分からなくはないが、相手を裏切るような信義に反する卑怯さとは違う。
関羽達のように戦場に生きる者達にとっては戦場で使いうる全ての手段が勝つための技なのだ。
そして、もちろん当事者である関羽も馬超(張松)の攻撃を卑怯だなどとは露ほども思っていない。
関羽は、大小織り交ぜた砂礫をかわせないと見るや連理を小脇に抱え、横薙ぎに振り回しながらその場で回る。
目を閉じて砂礫をかわせば隙が出来る。
目を閉じずに砂礫を受け止めても視界は塞がれ、運が悪ければ眼に飛び込んできた砂礫が今後の戦闘に影響を与える可能性もある。
瞬時にそう判断した関羽が本能的に取った行動は連理を馬超(張松)への牽制にしつつ、ずらされたタイミングを調整し、砂礫の衝突を背中で受け止める。
その後、更に勢いをつけてもう半回転すれば回転の勢いを乗せた連理で馬超(張松)の次の行動を妨害することができる。
瞬時の判断(というよりは反射に近い)で選択した関羽の行動は後で玄が思い返してみても最善手だった。
「跳猿から鷹爪…」
馬超が呟く。
「な!」
「む?」
第三者の視点で全てを見ていた玄と背中への衝撃と痛みを強靱な足腰と精神力で受け止め振り向いたばかりの関羽がそれぞれ意味合いの違う呻きを漏らす。
玄の呻きは馬超(張松)の技に対する驚愕。
そして、関羽の呻きは振り向いた先に馬超(張松)の姿を確認出来なかったことによる困惑。
「関羽!上だ!」
玄はとっさに叫ぶと自らもVSを操作しようとしかけ…そしてやめた。
関羽の力を信じていることが最大の理由だが、関羽がまた操作に従わないかもしれないことが怖かったからである。
玄はこのゲームの武将達が操作出来なくなるかもしれないことに何故か説明出来ない不吉なものを感じたのである。
「ふん!」
そんな玄の躊躇いとは無関係に関羽はすぐさま視線を上げ、上空から襲いかかる馬超(張松)の姿を捉えている。
馬超(張松)は関羽が背中を見せた一瞬に自らの長槍を地に刺し、その反動で大きく跳躍し関羽の横薙ぎにされた連理をかわしつつ頭上を取ったのである。
上空から馬超のほぼ同時にも見えるような鋭い三連突きが放たれる。
関羽は一瞬相手を見失っていたせいもあり、その攻撃に対する対応が遅れた。
三連突きの初撃には対応出来ず左肩から血花が散る。
しかし、2撃目は連理で弾き、3撃目は僅かに脇腹を掠める程度に軌道を反らす。
「むん!!」
そして即座に目の前に着地した馬超(張松)に向かって連理を横薙ぎに振るう。
「驟雨…」
馬超(張松)は大跳躍からの着地後にもかかわらず、すかさず飛び退いて連理をかわす。
「ほ、さすがは関羽殿ですな。
この馬超の一連の攻めで追わせた手傷がそれだけとは」
「ふ、確かに面白い攻めであった。
型に捕らわれぬ戦法と型に裏打ちされた槍技。
本物の馬超であったならばもう少し難儀したやもしれぬな」
刺された左肩をゆっくりと回し、僅かに顔をしかめながら関羽が答える。
「馬超殿」
「…確かに私なら、あそこで引くことはせず驟雨から孤月へと更に技を繋げたでしょうが…
それが関羽殿に通用したかどうかはわかりませぬ」
孫仁の言葉からその意を汲んだ馬超が自分なりに今の攻防についての見解を述べる。
「そうですか…先ほどの変幻自在の連続技から更に繋がる技もあるのですね。
私などでは到底かないません。
馬超殿を敵に回さずに済んでほっといたしました」
そう言って微笑む孫仁に馬超は思わず目を奪われ、慌てて恐縮して頭を下げる。
(玄徳公にどことなく似ておられる)
「さて、張松よ。
もうよかろう、おまえの戦って果てたいという望み叶えてやろう」
連理を大上段に構えた関羽が微かに笑い顎髭を揺らす。
「…気づかれておりましたか」
「ふ、冷静になってみればおのずと分かる。
…先ほどの暴言が我らを試したのだということもな」
「試す?」
関羽の言葉の真意が分からずに玄は首をかしげる。
「…そこまで見破られましたか。
ならば私から言うべきことは何もありませぬ。
私の知っていることはそちらの馬超殿が知っております故」
張松の言葉を聞いた孫仁が馬超に視線を送る。
馬超はその視線に静かに頷きを返す。
「よかろう」
その様子を視界の端で捕らえた関羽が静かに頷く。
そして、ゆっくりと連理を大上段に構えたまま腰を落としていく。
と、同時に周辺の気が張りつめていく。
「ほほ!ありがたい!
本気の関羽殿と戦えるとは。
あまりの殺気に大気までもが震えておりますぞ!
この張松震えが止まりませぬ!」
関羽の本気の構えに気圧されながらも馬超(張松)の顔には喜悦の表情が浮かぶ。
「いざ!」
馬超(張松)は関羽の攻撃を受け止めるべく長槍を正眼に構えた。
「いくぞ」
そう言った関羽が一気に踏み込む。
驚くべき蹴り足と大きな踏み込み、そして連理の間合いと片手での振り下ろしで10歩の距離を一瞬で詰めた関羽の攻撃。
「ぐぉ!」
まるで山が落ちてくるような振り下ろしに馬超(張松)は長槍を頭上で横向きに掲げるようにして両手で受け止める。
しかし、その勢いを立ったままでは押さえきれずに膝を地面につく。
「まだだ!」
関羽の振り下ろしをなんとか受け止めた馬超(張松)がほっとしたのも束の間、すでに関羽の連理は馬超(張松)を薙ぎ払うべくすぐ横に迫っている。
「な、なんという速さ!くっ」
馬超(張松)はそれでも掲げた長槍を傾けて連理を防ごうと全身の筋肉へ命令を送る。
その命令に鍛え抜かれた馬超の肉体はよく応えた。
連理が自らの身体へと到達する前にかろうじて長槍を割り込ませることに成功したのである。
(防ぎましたぞ!)
馬超(張松)が自らの武技に喝采を上げた次の瞬間。
「ぐぁぁ!!」
とてつもない衝撃と共に馬超(張松)の意識は一瞬にして刈り取られた。
…………
「む…ぐ!」
激しい痛みに張松が目を開けた時、視界には青い空と心配そうに覗き込む美しい女性の顔があった。
「張松殿…」
張松はその声と表情、そして絶え間なく自らを襲う激痛に自らが長くないことを悟る。
「ぐぁ!」
無意識に痛む脇腹を抑えようとしてぬるりとした感触と痛みに思わず呻きを漏らす。
おそるおそる視線を向けた先ではすでに本来の身体に戻った自らの横腹が驚くほど中程まで切り裂かれている。
その傷を見て張松は全てを理解した。
長槍での防御は確かに間に合ったが、不十分な体勢では関羽の攻撃を受け止めきれず長槍ごと押し込まれ胴体を切り裂かれたことを。
おそらく長槍の防御が間に合ったことで張松の身体は弾き飛ばされた。
だからこそ、この程度の傷で済んだのであり、もし長槍の防御が間に合っていなければ胴体を真っ二つにされていたとしても不思議ではない。
「…まさに武神と呼ばれるにふさわしい。
感動すら覚える武でした…」
すでに意識は薄れつつあるが、張松は妙に満たされていた。
「私は…戦って…散る。
自らの持てる力…出し切って」
劉備軍が自らの手引きで蜀に入る直前に裏切りが発覚し処刑された張松。
劉備が蜀を制圧した暁にはその才を自らが認めた主君である劉備と蜀の民のためにいかんなく発揮することが出来たはずである。
「関羽殿…お手間を…」
「よい、良き勝負であったぞ。張松」
「…」
関羽の偽り無き言葉に嬉しそうに微笑んだ張松は何かを言おうとして静かに事切れた。
「ふ、自らを斬った者に礼などを言うな」
小さく呟いた関羽は、ほんの少し歴史の流れが変わっていれば共に戦えたはずの戦友に対して静かに黙祷を捧げる。
同じように孫仁や馬超、悪来も目を閉じる。
確かに敵ではあったが怨恨があった訳でも主義の違いがあった訳でもない。
張松もまたこのゲームに翻弄された被害者だということが分かっているからである。
「あ!」
3人の武将達と一頭の馬が黙祷を捧げている中、その様子を痛ましげに見ていた茜が小さく声を上げた。
「張松が変化する…多分また自らの意志で」
満足げな笑みを浮かべたままの張松が光の粒子に変わっていくのを見ながら玄が答える。
一度飛散するように舞い上がった粒子達は次の瞬間、一カ所に集約して行く。
そして、黙祷を終えた関羽の目の前で微かに光を放ちながら細長いものを形作る。
「巻物か?」
悪来が嘶きつつ呟く。
関羽が手を伸ばすと張松が変化したものの方からゆっくりとその手の中へと落ちてくる。
関羽はそれをしっかりと受け止めると感慨深げに見つめる。
それは悪来の言った通り巻物であり、白茶けた紙を丸めた巻物が細い紐でまとめられていた。
「これをお前から受け取るのは2度目だな…張松」
関羽は受け取った巻物の紐を解くと勢いよく広げる。
同時に玄と茜には効果音と共に空間に文字が表示される。
『西蜀四十一州図』
関羽の広げた巻物の中には薄墨で描かれた地形が描き込まれている。
それは詳細なもので、山や川の位置はもちろん人の手の入った林道や獣道のような裏道まで記されている。
「あの時も思ったが、相変わらず見事なものだ」
軍師に正確度の高い情報を求める関羽が手放しで賞賛する。
それほど詳細に作り込まれた地図だった。
史実においては張松より劉備に手渡され、劉備の蜀侵攻の際はもちろんのことその後の統治においても大いに役立ったものである。
「…地形がわかるのはありがたいけど、ゲーム的な視点から見たらあまり役に立たないのかもね」
玄が呟く。
そうは言っても玄にしてみれば、そもそも武将達を無理にアイテム化するつもりはない。
だから武将達が自らの意志で協力してくれたものに対して不満などはない。
ただ、その気持ちが嬉しいだけだ。
しかし、せっかくアイテム化してまで関羽達を助けようとしてくれているのだからその性能はしっかりと把握し、100%活用してあげたい。
「ヘェイ!ヘイ!玄くんよぅ!
それは浅薄ってもんだぜぃ!」
「げ!また出てきやがった」
いきなり玄の視界に煙とともに現れたのは言わずとしれた麻雀牌型ヘルプ機能のヘルプである。
今度は額に『春』と書かれ、下半分に花が描かれている。
「今度は花牌かよ…マニアックなとこ選んだな」
花牌(ファパイ、ハナハイ)とは、四季及び四君子を描いた牌であり、数牌にも字牌にも属さない特殊な牌なので普通の麻雀では使用する機会が少ない牌である。
「で、何が浅薄だって?」
「ふんふん~よく考えてみろや。
ようは永年ちゃんのあの地図によって、俺らはこの場に居ながらにして蜀の地を知ることが出来るんだぜ?」
偉そうな態度のヘルプに釈然としないものはあるが、ヘルプの言葉は意味深である。
玄はヘルプの言葉についてゆっくりと考える。
「確かに詳細な地図があれば、今後の戦略に多少の利点があるけど…
大軍を率いての戦いじゃないからそれほど地形に意味がある訳じゃない。
じゃあどういうことだ?
ん?待てよ、この場に居ながらにして?
…まさか!」
「オフコース!そのとおりだぜ玄!」
何かを思いついた玄は意味無く踊り出すヘルプを尻目に、すかさず手元のVSを操作して全体マップを表示する。
そして、そこに映し出されたものを見て徐々に玄の顔がほころんでいく。
「ちょっと玄!
どうしたの?何か分かった?」
「ああ!張松は凄いものを俺たちに残してくれたんだ」
急に黙り込んだ玄を心配して声をかけてきた茜に玄はやや興奮気味に答える。
「茜、お前もVSで全体マップを見てみな」
妙に興奮している玄に何がなんだか分からないまま茜も手元のVSを操作する。
「いったい、なんだって言うのよ…
あれ?なんだかマップの左下の方が全部明るいんだけど」
「そうだよ!
当時蜀と呼ばれていた地域、このゲームで言えばマップ左下ほぼ四分の1のエリアが到達エリアに加えられたんだ!」
「玄殿、それは私たちにとって喜ぶべきことなのですか?」
ゲームのしくみに疎い孫仁が喜ぶ玄に説明を求める。
「はい、俺たちはこれから蜀と呼ばれた地域を一つずつ歩いて回ろうと思ってました。
その地域を到達エリアにしてしまえばその範囲内にいる武将達の位置をいつでも確認出来るからです。
今回張松が俺たちに残してくれたこの地図は蜀全域を到達エリアに加えてくれました。 つまり蜀の地域に誰かがいればすぐに居場所が分かるんです」
「ってことは。もし劉備さんが蜀にいたらすぐにみつかるってこと?」
「本当ですか!玄殿」
茜の言葉に孫仁が声を大きくする。
「…すいません、残念ながらそこまではうまくいかないんです。
俺たちはまだ劉備と出会ってない。
だから蜀の中に誰かがいるということは分かってもそれが誰かってことまでは分からないんです」
「…そうですか」
いよいよ劉備に会えるかもしれないと期待を抱いた孫仁が珍しく落胆をあらわにする。
「だが、蜀の地を探索する限り、誰もいない地を探し回る必要はないということだな」
黙って玄達のやりとりを聞いていた関羽が顎髭をしごく。
「そう、これだけの広い地域をしらみつぶしに探す必要がない。
誰かがいる場所を確認したら、そこに向かって最短距離を進めば良いんだ。
少しでも時間が惜しい俺たちにとっては本当に有り難いよ」
張松は玄達に何一つ有益な情報は語らなかった。
しかし玄達にとって一番必要なものを残してくれたのである。
一時期はどうなるかと思いもしたが…
(きっと、あれは関羽達の覚悟を試すためのものだったんだ…
張松はきっと劉備か張飛、そのどちらかについて良くない事情を知っていた。
それに直面した時に関羽達がそれでも彼らを信じられるのかどうかを試した。
関羽達に何があっても動じないための覚悟をさせたかったんだ。
関羽達も張松のそんな思惑に気づいたみたいだったけど…)
張松がそこまでして覚悟をさせたかったことに対して玄は不安を抱かざるを得ない。
「レンごめん、私がうっかり期待させるようなこと言ったからがっかりさせちゃって…」
「いいのですよ茜。
私たちは張松殿のおかげでまたあの人に大きく近づいた。
そういうことなのですから」
申し訳なさそうな茜の声に、いつもと変わらぬ穏やさを取り戻した孫仁が優しく微笑む。
先ほどの孫仁の焦りもその辺の不安が起因しているのかもしれない。
それでも会いたいと望むのならば、張松が残していった不吉な予兆を乗り越えなくてはならない。
今回関羽達が思い定めた覚悟の重さは玄にもなんとなく分かる。
そんな関羽達に対して未だこのゲームをどうしたらいいかすら分からないままでいる玄。
玄は自らのあまりの不甲斐なさにきつく唇を噛むことしかできなかった。




