再会
「え、じゃあホウ統はお留守番?」
聞こえてきた茜の声に玄は頷くが、すぐに頷いただけでは相手には伝わらないと気付いて口を開く。
「そう、戦場ではかえって足手まといになるからって」
「ふむ…士元には思うところがあるのだろう。
確かに少数戦のこの戦いで身体能力を制限されたままでの士元は足手まといに成りかねぬ。
安全なところで知恵を巡らせてもらった方が有意義かも知れぬな」
蜀の地の険しい山道を歩きながら玄達の会話を聞いていた関羽が髭をしごきながら答える。
「戦場に軍師がいることの利点も大きいのですが…
そのために軍師を危険に晒すようでは本末転倒というもの。
戦場に出ていただく為には身の安全を我らで確保しなければなりませんが…」
悪来の背の上で孫仁が困ったように眼を伏せる。
「二人しかいないんじゃ、どっちかが護衛に付くしかないもんね…
それじゃあ相手が2人以上いたときには対応出来ないよね」
「はい。
本来であれば戦場には多くの兵士がいて、その者達に護衛をしてもらうのですが…」
茜の言葉に孫仁は頷く。
「俺も馬の姿じゃ、さすがに守りきれる自信はないしな」
悪来が本来の典韋の姿であれば護衛としては申し分ないだろうが、馬の身体でここまで勝ち残ってきた武将達を相手にするのは荷が重い。
「一応うちにある本は全部、ホウ統に見せて来たから、今もいろんな知識を吸収してると思う。
帰ったら、ていうか画面さえ切り替えればホウ統とは話は出来るから何かあれば聞いてくるからいつでも聞いて」
玄の軽い口調の言葉に関羽がピタリと足を止め厳しい視線を虚空へと向ける。
「玄よ。
士元が仲間になったからと言って自らもひよっこ軍師だと言うことを忘れてはおるまいな」
「え…」
「士元に頼るな。
お前には、お前の智があるはずだ。
士元に頼るあまりに自らの責任を放棄するようならお前との同盟もここまでだ」
関羽の厳しい口調から、その言葉が紛れもない本気だと分かる。
「ちょ、ちょっと待って!
確かにホウ統軍師が味方になったことで肩の荷が軽くなった気がしてたのは事実だけど、現代の知識はまだまだ俺たちの方が詳しいはずだし…何より」
関羽の突然の言葉に思わず動揺した玄だが言葉を紡いでいく内に落ち着きを取り戻していく。
そして、最後は自信を持って答える。
「ゲームに関してならホウ統が孔明だろうと負けるつもりはないよ」
自信に溢れた玄の言葉に関羽は髭に隠した口元に微かな笑みを浮かべる。
「ならばよい。
士元に頼って何もしなくなるのなら同盟の意味はないからな」
「分かってるよ!
この戦いは俺の戦いでもあるんだって思ってる。
誰かに任せきりになんてしない」
そんな関羽と玄のやりとりを聞いていた孫仁は袖で口元を隠して笑う。
「関将軍もお人が悪い…
既に充分、玄殿のことを認めてらっしゃるのに」
孫仁のそんな呟きを拾った茜も同じように微笑む。
「なんだかんだ言って良いコンビよね」
「?…こんび?」
「二人組のことをこっちの言葉でコンビって言うのよ」
孫仁は茜の言葉になるほどと頷く。
「コンビ…
確かに玄殿と関将軍は良いコンビですわ」
「うん。
でも私達だって負けないくらい良いコンビだと思わない?」
「茜…
そうですね。私達だって良いコンビです。
関将軍達にも負けません」
茜の屈託のない言葉に孫仁は嬉しそうに笑う。
「して、玄よ。
士元との情報交換はどうなった?」
関羽の言葉に笑みを浮かべていた孫仁の表情が引き締まる。
「ごめん、大して有益な情報を導き出せた訳じゃないんだ。
分かったのは、影の男が制作者サイドの人間に操作されてるだろうってこと。
そして、やつらは影の男の喉にあった傷からも分かるように武将達をかなり好き勝手に人体の構造を無視するレベルまで改造出来るってこと」
「…ひどい」
茜の小さな呟きが妙に重苦しく聞こえる。
その思いは玄の中にも強くある。
「武将達をアイテムに変えられるシステムがあるんだから予想は出来てたんだ…」
玄の言葉に孫仁が身にまとう比翼を愛おしげに撫でる。
「後は、ホウ統が何となく感じたことみたいなんだけど…」
「ほう、あの士元が感覚的な事を口にするとは珍しい。
言ってみよ」
そう言って関羽は髭をしごく。
「うん…この世界は試験的なものなんじゃないかって」
「どういうことだ?」
関羽が怪訝な表情を浮かべる。
「ただ楽しむためのゲームじゃないってこと。
何か別の目的のために、ゲームの形を取って行われている実験なんじゃないかって…」
玄も、売られている本数の少なさ、情報の秘匿性、ゲームオーバー後の買い取りシステム等から、このゲームは体験版的なものだという認識はあったが、あくまで次の新作ゲームのためのものという認識しかなかった。
しかし、ホウ統に言われてみて改めて考えてみるとゲームの内容はあまりにもゲームの範囲を逸脱しすぎている。
R指定すら付けずにリアルに傷つけあう武将同士の戦いをさせたり、大喬や小喬達のようなことを可能にさせているのは明らかに世間の常識には当てはまらない。
「ふむ…士元の言うことだ、あながち的はずれではないのだろう。
ならば目的とは何か」
「その辺をもう少し詳しく調べるためもあってホウ統は今回の出陣を見送ったんだ。
もっと電子関係…パソコンやインターネット、更にはプログラム関係の知識を重点的に身に付けたいって言ってた」
「ふん、ならばそちらは士元に任せておけばよい。
我らは当初の目的通り、一刻も早く殿を見つけ出すまでだ」
「はい。
私達はなんでも出来る訳ではありません。
任せるべきところは任せて私達に出来ることに最善を尽くすべきです」
関羽の言葉に孫仁も頷く。
「了解。
二人の言うとおりだと思う。
俺は俺なりにまた調べてみるけど、二人は戦いに集中してくれればいい。
茜も暇なときはネットで情報収集を頼む。
なんか気になることを見つけたらいつでも知らせて」
「りょ~かい。
あんまり詳しくないから役には立たないと思うけど、だからこそ気付くこととか有るかも知れないしね」
「そう言ってくれると助かるよ。
正直ネット関係は情報が無くて手詰まりだったんだ。
違った角度から見てもらえば、何か分かるかもしれないしね」
玄のインターネットを使っての調査方法は、武幽電関係の単語を検索条件にして、ヒットしたサイトを片っ端から見ていくという方法である。
しかし、思いつく限りの単語を検索にかけても思わしい結果は得られなかった。
だが、別の人間が同じように調査をすれば調べたいことから連想する言葉が微妙に異なってくるため、思いもよらぬ検索ワードから手がかりに繋がる可能性がある。
その可能性は高いものではないだろうが、そもそも玄とは性別も違うし、社交性のある茜なら全く違った角度から何かに繋がることもあるかもしれないと思っている。
「奥方」
「はい!」
そんな話を玄と茜がしていると、突然関羽が厳しい視線を右手の樹林に向けて孫仁へと声をかける。
孫仁はその声がかかる直前には、既に悪来の背から飛び降り、自分たちの背後に悪来を避難させている。
関羽達の様子から樹林の中に誰かがいるのだろうと推測した玄はすぐさまVSを確認。
しかし、画面上のどこにもマーカーは表示されていない。
それもそのはず、関羽の見ている方角は玄達の未到達エリアである。
玄はそれを確認して心中で後悔の舌打ちをする。
関羽達が歩いていた道は隣接エリアとの境界付近だった。
このゲームのルールを考えれば道などない山中だったとしても関羽を一度隣接エリアに向かわせて到達エリアを広げておくことが出来たはずである。
そして、そうした指示をすることこそが関羽と同盟していることの意義だと玄は思っている。
それを怠ったことに対しての後悔である。
だが、反省することは後でも出来る。
「関羽!影の漢か?」
「いや…違うな。
むしろ全く気配を隠していない。
それどころか…そろそろお前達にも聞こえるのではないか」
「え?」
関羽が言っていることの意味を考えて玄は首をひねる。
こちらに全く気付いていないのか、それとも気付かれても構わないと思っているのか。
「…あ」
短く声を上げた茜とほぼ同時に玄もそれに気付く。
ガサ! パキッ! ザザザ…
「誰かが林の中を凄い勢いでこっちに近づいてくる?」
「違うな、こちらに向かっているのではなく向かわされているのだろう。
後方に気配がもう一つ…」
玄の言葉を静かに否定した関羽は孫仁達の立ち位置を誘導していく。
「…誰かが追われている?ということですね」
「おそらく。
我らが動いても向こうは動きを変える様子がありませぬ。
我らの存在には気付いてないのでしょう」
「関羽、このまま隠れてやり過ごすことも出来そうか?」
相手がこちらに気付いてないのなら、無理に戦う必要はない。
追われてる相手の後ろにもう一人いることを思えばやり過ごせるならばやり過ごした方がいい。
「いや、今の現状を思えばやり過ごすのは得策ではなかろう」
玄の言葉を否定する関羽に悪来も頷く。
「だな、こうしてるうちにもどんどん武将達は減ってるんだ。
多少の危険はあっても積極的に敵とぶつかって情報を集めた方がいい」
関羽も悪来の意見に賛成らしく否定しない。
現在の残り武将は51名。
おそらく今日にでも半数を割り込むことになるだろう。
武将の数は減ってきたが、それぞれにエリアを拡げることで敵武将の索敵もしやすくなってきているはずで遭遇率はむしろ上がっている可能性もある。
そして更に武将数が減れば今度は、各武将が敵を求めて計画的な移動を繰り返し、武将達は収束していくことが予想される。
そうすれば勝ち残ってきた強敵達との遭遇率も上がり、一気にその数は減りだすはずだ。
少しでも早く劉備と再会したい関羽達にとってはその時が来てからでは遅いのだろう。
「…確かにそうだね。
わかった。どうなるかわからないけど、迎え撃とう。
今から来るのが追う者と、追われる者ならどちらかに味方をすることで友好な関係を築ける可能性もある。
そうすれば情報も得やすいはず」
現在の状況を理解した玄の言葉に関羽は頷く。
「問題はどちらにつくかですが…」
孫仁が樹林の先に注意を向けながら呟く。
「普通に考えれば追われてる方を助けるのがセオリーよね。
…あ、セオリーってのは常識とか常道みたいな意味だからね」
「関羽、茜の言うとおりだと思う。
恩を着せるにしても困ってる方を助けた方が効果的だからね。
どっちが悪い、悪くないって問題もあるのかもしれないけど…とっさに迷わないようにひとまずは追われてる方を助ける方針で動こう。
状況が動き出してからの判断は関羽達に任せる」
「うむ、よかろう。妥当な判断だ。
まずは追われてる者の足を止め、こちらが敵対する意思がないことを伝えねばならぬ。
奥方」
「はい、関将軍」
「相手の力量が分からないので危険を伴いますが、私が行くよりも奥方の方が適任でしょう。
ただ、相手も逃げることに必死でこちらの言葉に耳を貸さない可能性もあります」
「承知しました。
攻撃をされることを念頭におきつつ、守りに重点をおき、説得にあたりましょう」
「かたじけのうござる。
私も連理の届く位置にて警戒しておりますゆえ、めったなことはないと思いますが…」
確かに、追われている人物が好意的な人物とは限らない上に、更に逃げているとなれば立ち塞がる者にはなりふり構わず攻撃を仕掛けてくる可能性もある。
少しでも敵意のないことを分からせるために、見目麗しい女性である孫仁が相手の眼前に立つことは効果的であるが、危険を伴うことは間違いない。
「心配などしておりませんよ、関将軍を信頼しておりますし、覚悟もありますから」
微笑みながら答える孫仁には本当に全く不安が無いように見える。
関羽はそんな孫仁に対し、小さく頭を下げた。
「関羽!」
「わかっておる」
そう言うと関羽は孫仁と共にわずかに立ち位置を変えた。
聞こえてくる音は徐々に大きくなってきている。
「奥方、正面より出てきます。
逃走の勢いは私が止めますゆえ、後はよろしくお願いいたす。
追っ手との距離はそうありませぬ。時間はわずかです」
「承知いたしました」
「ま、そんなに気張る必要もないぜ。
最悪二人とも締め上げちまえばいいんだからな」
軽い調子で悪来が笑いつつ嘶く。
悪来の気遣いに孫仁は優しく微笑みを返す。
「来るぜ」
悪来が小さく呟いたと同時に関羽が鋭い呼気を吐き上段から連理を振り下ろす。
ぐおん!
そう効果音が聞こえてきそうな重々しい一撃だ。
力を重視して気を込めた一撃は速度こそさほど速くはないものの枝葉を飛び散らせながら樹林を駆け抜けて飛び出してきた人物の目前約1メートルに剣圧だけを叩きつけて地面に直撃する寸前にピタリと打ち込まれた。
叩きつけられた剣圧は地面で拡散。
砂塵を巻き上げつつ、下からの風圧となって周囲を走る。
樹林から飛び出してきた人物にしてみれば視界の悪い樹林を必死で駆け抜け、開けた場所に出たと思った途端に空気の壁にぶち当たったようなものである。
実際に飛び出してきた人物は不可解な現象に驚き、警戒して足を止めた。
そして、警戒の視線を巡らせれば正面には見るからに屈強な武将である関羽を脇に控えさせた女性、すなわち孫仁が静かなまなざしを自分へと向けている。
ひとかどの武将なら一目で関羽がただ者でないことは分かる。
その上、この世界には珍しい女性がいることで更に警戒心は増し、結果と
して飛び出してきた人物は後方を気にしながらも、その場を強行突破することは出来ず足を止めるしかなかったのである。
逃走を途中で阻まれた人物は、肩で大きく息をしながらも手に持った長槍を油断なく構えて様子をうかがう。
そこでようやく、玄は飛び出してきた人物をゆっくり観察することが出来た。
長槍を構えているのはまだ若い漢だった。
もっともこの世界ではほとんどの武将が肉体年齢が若く設定されているので、そのことでその人物が誰かを判別するのにあまり役には立たない。
肩で息をしながら孫仁達へ鋭い視線を向けているが、その疲労は追われていたからではなく、それまでに負った傷によるライフゲージの減少によるものだろう。
ぱっと見ただけでも長槍の漢の身体には大小の様々な傷が見て取れる。
中でも最大の傷は左胸から左肩にかけての傷で一体どういう攻撃を受けたものか抉られたような傷がある。
しかし、それほどの傷を負う程の戦いに破れ逃げて来たにもかかわらず、その眼から力は失われていない。
客観的に見れば、孫仁達と追っ手に挟まれ絶望的な状況に置かれているはずだが全く諦めの色がないのである。
「この状況を切り抜けられると思える程、よっぽど腕に自信があるのか…もしくは」
「余程の覚悟を持ってこの戦いに臨んでいるということだ。
うむ、悪くない」
関羽の呟きを聞いた玄は自らも内心で頷いた。
どうせ助けるなら助けがいのある人物を助けたいからだ。
孫仁も関羽の呟きが聞こえたのだろう、小さく笑みを浮かべるとゆっくりと口を開いた。
「武器をお下げください。
私達はあなたと敵対するつもりはございません」
「……」
孫仁の静かな語りかけにも、目の前の漢は警戒の構えを解こうとはしない。
「あなたが今、追われていることは承知しています。
時間はあまりありません、信じて欲しいなどと図々しいことは言えませんが話を聞いてもらうことはかまいませんか?」
孫仁は自らに敵意の無いことを示すように両の掌を相手に見えるようにして軽く手を拡げて見せる。
相手に自分が武器を隠し持っていないことを示したのだ。
孫仁の場合は着ている比翼自体が武器にもなり得るし、脇には連理を手にした関羽がいるのだが、敵対する意思がないことを示すには充分だろう。
その様子を見ていた長槍の漢はゆっくりと長槍の構えを解く。
完全に警戒を解いたわけではないが、話を聞く気になったということだろう。
「ありがとうございます。
時間がありませんので、単刀直入に言います。
私達は、人を探しています。それも早急に見つけ出したいのです。
そのためにあなたから話を聞かせて欲しいのです。
どんな些細なことでも構いません。
あなたがどこでどんな方と出会い、どんな話をしたかを私達に教えて欲しいのです。
協力していただけるのならば追っ手は私達が引き受けます」
孫仁の言葉は何の虚飾もない真っ直ぐなものだ。
しかし、その言葉には早く見つけなければという焦燥や、再会出来なかったらという不安、そして何よりも劉備に対する愛情が込められているのだろう。
その穏やかな口調とは正反対に激しいものを感じさせる言葉だった。
その激情は長槍の漢にも伝わったのだろう。
表情からは警戒の色が薄れ、明らかに戸惑いが見て取れる。
しかし、その返答を待たずして漢の背後の繁みがガサリと音を立てて揺れる。
「関将軍!」
「承知!」
「!!!」
孫仁の言葉に関羽が素早く行動をおこす。
連理を構えつつ長槍の漢の後方へと礫を放ったのだ。
長槍の漢はその礫が自分に向けられたものではないことを知ってか知らず
か、関羽の動きには全く反応を示さず孫仁の言葉にただ驚愕している。
長槍の漢を無視して放たれた礫は鋭い風切音をたてながら樹林に吸い込まれる。
「ぐ!」
と、同時に樹林の中からくぐもった声がこぼれる。
関羽の礫の先制は追っ手に何らかの影響を与えたのだろう。
これで追っ手の勢いは止まり、警戒をするようになる。
邪魔が入ったことを察し、撤退するようならそれでよし。
それでもなお、この場に姿を見せるようなら戦うまで。
関羽達にとって一番ありがたくないのはまだ話のまとまっていない今、追っ手がその勢いのまま戦闘を始め、乱戦に巻き込まれることである。
それを避けるためには、むしろ警戒心たっぷりにこの場に出てきてくれた方が都合がいい。
「時間がありません。
お答えをお願いいたします」
追っ手が間近に迫ったこの時も孫仁の声に焦りはない。
放心していた長槍の漢は、孫仁のその声に我に返る。
「ご婦人、一つだけお教え願いたい」
「なんなりと」
長槍の漢が突然発した言葉に軽く微笑みつつ答えた孫仁に漢はかたじけないと頭を下げつつ口を開く。
「無礼を承知でお尋ねする。
我は姓を馬、名を超、字を孟起と申す。
ご婦人とそちらの武人の方の名前をお教え願いたい」
「ば、馬超だって!!」
玄の驚きの声が響く。
孫仁も思いもかけぬ名前に一瞬眼をみはったがすぐに気を取り直すとはっきりとした口調で名乗りをあげる。
「わたくしは姓を孫、名を仁と申します。
孫仲謀(孫権)が妹君にして、劉玄徳の妻でございます。
そしてこちらは」
「姓を関、名を羽、字を雲長」
孫仁の言葉を引き継いだ関羽が重々しく名乗る。
それを聞いた馬超の眼が一瞬大きく見開かれる。
そして、真剣な面持ちで孫仁達を見据えると小さく頭を下げた。
「ご助力有り難くお受け致す」
「馬超殿、お顔をお上げください。
我々にも利あってのことなのですから」
「そうと決まればまずは、あいつを退けねばならんな。
馬超、お主は手負いだ。我らの後ろにおれ」
ゆっくりと樹林から現れた人影へ殺気で牽制をしながら関羽が言う。
「承知した」
手に持った長槍を背負い直した馬超が肩で息をしながらも足取りだけは確かに孫仁達の後ろへと移動する。
「これはこれは…」
と、同時に完全に姿を現した追っ手が驚き
の声を上げる。
「ほう、お前が追っ手であったか…
その顔、見覚えがある」
「ほっほっ
こんな顔ですからな、一度で覚えて貰えてありがたいことです」
ぺしぺしと自らの顔を叩きながら苦笑する漢に関羽は真顔で言い返す。
「うむ、特徴的な顔であることは確かだな」
「…ほほ、本当に劉備殿の陣営の方は素晴らしい。
この容姿を見て『おかしな顔だな』と正直に言う方はおられても、誰一人それを蔑む者がいない」
漢は口元を微笑みの形に変える。
「ふん、我が君の臣下が人の身なりだけでその人物をはかるなどあり得ん。
つまらぬことを言うな、張松」
張松 永年
後漢末期の政治家。
益州刺史の劉璋に仕える。
背が低く、出っ歯で鼻も低いという風采の悪い人物だったとされる。
漢中の張魯が西川に軍を向けたため、曹操を説いて張魯の背後を突かせようと使者として赴く。
だが曹操に冷遇されたことから、楊修の前で曹操が書いた『孟徳新書』という兵法書を全て丸暗記してみせ、曹操との謁見時にも愚弄する発言を繰り返したために百叩きの刑に遭い、怒って魏から荊州の劉備の元へ赴く。
この時、劉備の厚遇に感動した張松は
「玄徳殿はこのように寛仁で士人を愛している。どうしてこの人物を捨てるべきであろうか。」
と考え、益州を劉備に譲り渡す決心をする。 劉備を益州の新たな君主として迎えようと、友人の法正や孟達と共に画策し、順調に計画は進んでいた。。
しかし、張松の兄で広漢太守であった張粛のもとを訪れた際、酒の席で劉備への手紙が発見され、劉備入蜀計画が漏れてしまい劉璋に密告されてしまう。
張松は「兄には大望が見えないのか」と嘆き、怒った劉璋により張松とその妻子は処刑された。
「そうでしたな…私は残念ながらその劉備殿達が蜀の民を安んじる治世を眼にすることは出来ませんでしたが」
「うむ、殿もお主の訃報を聞いたときは大層残念がられておられた。
同族を討つことに最後まで躊躇していた殿に大事なことを思い出させてくれたのだからな」
関羽は油断なく構えながらも当時のことを振り返りつつ言葉を紡ぐ。
「…有り難いことです。
私のあまりにも愚かな失敗で事が露見してしまったことは悔やんでも悔やみきれませぬ。
そのために劉備殿に入蜀の際にいらぬ戦いをさせてしまったのですから」
風采の上がらないその容貌を更に歪めて悔恨を口にする張松だが、醜さよりもその眼に宿る知性の光が目を引く。
「そのことは良い。
やむを得ぬことであった。
いずれ我らは孔明の天下三分を成し遂げるためにも蜀を平定する必要があったのだ」
関羽の言葉に張松は黙って頷くと静かに関羽と目を合わせる。
「引けぬのか?」
「残念ながら。認められておりません」
「勝てると思うのか?」
「まさか!私ごときがかなう訳もありませぬ」
「ふむ…以前ならば、か」
「はい、普通ならば、です」
互いに視線をそらさぬまま淡々としたやりとりが続く。
「では、やるか」
「お手柔らかに」




