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新興住宅が建ち並ぶ小奇麗な一角。
広々とした空き地に、古びた蔵がある。
土壁はところどころ剥がれ落ち、落ちた屋根瓦が散乱している。
登坂佑真は扉がわりに置かれているベニヤ板を外し、中へ踏み入れた。閉じ込められていたかび臭い湿気が鼻をつく。
「……ひどいな、これは」
むき出しの地面は連日の雨で湿り、一歩進むたびに腐敗した生ごみを踏んでいるような気持ち悪さがある。土壁には腐りかけたベニヤ板が無造作に放置されていた。
天井にはところどころ穴が開き、薄曇りの空がのぞく。わずかな日差しが入り込み、室内には日没を迎えた薄闇のような心もとなさがある。
蔵の四隅に残る闇の色が濃い。
得体の知れないなにかが、じっとこちらを見つめているような気がする。それは足音もなくゆっくりと近づき、踏み入れた者の命を狙っている……。
佑真は軽く頬を張った。
落ち着け。ここはただの蔵だ。幽霊がいるとか、おかしな噂が立つのは不気味な雰囲気のせいだろう。
佑真はたちばな葬祭株式会社に勤務している。今日は上司からの指示で蔵の供養に来た。
新しい葬儀式場を建てる計画があり、社長が土地を購入したのだが、蔵の解体が進まず困っているのだ。
重機が入るとエンジンが止まる。
ベニヤ板を撤去しようとするとうめき声がする。
おかしな黒いもやを見た。
不可思議な現象から、解体工事に入った者は全員逃げ出した。
解体工事を請け負う企業と話し合った結果「葬儀屋なのだから供養してくださいよ」と言われてしまったそうだ。
社長はさっそく、信頼のおける住職に供養を依頼。佑真は立会いを指示された。
供養は速やかに、内密に行うように言われている。
気乗りはしないがやるしかない。
「幽霊なんて非科学的なもの、いるわけがないだろ。こちとら葬儀を何度も担当しているが、そんなものは見たことがない。みんなビビりすぎだっつーの。こっちは忙しいんだぞ。今日は通夜を担当した後に会議資料をまとめなきゃならない。ほかに手の空いた社員に任せればいいのに、勤務地が近いからってなんで僕が……」
不満を呟いていると、一台のスクーターが停まった。
供養を依頼した生願寺の住職、幸円だ。葬儀式場で何度か顔を合わせているので、お互いによく知る仲でもある。
「お忙しい中ありがとうございます」
「いえいえ、よろしくお願いします。では、さっそく参りましょうか」
蔵をのぞきこむと、幸円はぐるりと中を見回した。すぐにその場を離れ、顎に片手を添える。
「つかぬことをうかがいますが……ここは事故物件ではないですよね?」
「事故物件というと、誰かが亡くなっていたということですか? まさか。アパートや一戸建てなら分かりますが、蔵ですよ」
さすがの社長も購入する土地の情報は調べているはずだ。
葬儀会社はその職業柄、まわりからのイメージを気にする傾向がある。死を扱う会社だからこそ、ネガティブな話題は避けたい。
事故物件の跡地に式場を作った日には、近隣住民に噂をされ、企業の評判が落ちるだろう。
たちばな葬祭は創業百年を迎える老舗だ。積み上げた信頼を損なう行いはしないと信じたいが、幸円は眉を寄せたままだ。
「私はやや霊感がありましてね、蔵にはたくさんの思念を感じます。漫然とお経をあげても効果は見込めないので、対象が何か探る必要があります。お手数をおかけしますが、こちらの蔵について調べていただけませんか?」
「調べるって……」
霊の存在を認めない佑真にとっては、理解しがたい理由だ。
「お忙しいのは承知しております。ですがこのままでは読経はできません。私も方々へ声をかけ、倉庫について聞いてみますので……どうかこの通りお願いできませんか」
「頭を上げてください。……分かりました。生願寺様がそこまで言うのなら、調べます」
気乗りしないが仕方がない。取り壊すためだ。
本日はひとまず解散となった。幸円はヘルメットをかぶりながら、ふと思いついたように口を開く。
「それにしてもここに式場を作るとは、なかなか挑戦的ですね」
「それは、まあ……僕もそう思います」
新興住宅が並ぶ一画に式場を建てるのは、住民の反発が予想される。
目の前で遺体が搬入されて出棺されるのだ。ベンツやクラウンなどの乗用車型の霊柩車が増えたとはいえ、建設を容認する人は少ないだろう。となれば、土地を手に入れたかったのかもしれない。
土地を買わずに放っておくと同業他社に取られてしまうリスクがある。
超高齢化社会を迎え、葬儀会社の競争は激しさを増すばかりだ。異種業界からの参入もあり、近年は利用者のニーズに応じた火葬式や家族葬に特化した式場をあちこちで見かける。新しい式場ができれば顧客を奪われるため、空いた土地をひとまず購入するのも企業戦略ではある。
しかし老舗の企業が何の考えもなしに購入するのだろうか。
「たちばなさんはしっかりと考えたうえで事業を展開している印象があります。突発的に土地を購入するとは考えにくいので、事情があると思うのです。なにか分かりましたら連絡をください」
幸円と別れ、佑真はため息をつく。
「……まいったな。一筋縄ではいかなさそうだ」
ひとまず上司に現状を報告してから考えよう。佑真は社用車に乗るとエンジンをかけた。




