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願わくば、同じ君へ  作者: 凛々花
第三章
22/41

真田陽太郎 僕の予測と、自負と自信と 

 ここ最近は、梅雨らしい天気が続いていた。太平洋高気圧の北への張り出しが弱まり、西日本の日本海側から東日本付近にかけて梅雨前線が停滞しているためだ。これが抜ければ梅雨明けとなるが、それはまだ先のようだ。

 流石の僕でもクラスの異変に気がついた。正確にいつだったかわからないが、いつも一緒にいた四人組から梅崎氏が抜け、別のグループに加入した。そして、矢野氏と佐藤氏が一緒にいて、瀬山氏は一人でいることが多くなった。ここ最近に至っては、昼休みは教室から姿を消す。

 少し前の瀬山氏は、十分休みも昼休みも大体教室にいて、自分の興味の赴くままに、誰とも構わずよく質問をしていた。例えば僕には毎日天気のことを聞いてくるし、本のことは足立氏に、漫画のことは島田氏に、筋トレのことは西山氏と園田氏に聞いていく。その他、女子が得意とする話題については、時に全グループを巻き込む勢いだった。側には大抵、矢野氏がついて回り、その少し間の抜けた質問を補佐する。会話に渦が生まれ、次第にその場に人が集まる。そんな教室は温帯高気圧に包まれたような暖かく明るいものだった。

 例えるなら、ひつじ雲の瀬山氏がいなくなると、教室には閉塞前線が張り巡らされたようで、気温も湿度も決して不快ではない。けれど、無風状態が続いているのだ。春先のそよ風のような心地よさは、このクラスには本来よく似合うと僕は考える。

 そんな瀬山氏が今朝、僕のところへ来て聞いてきた。

「明日の天気は?」

「今日みたいに曇天だよ、ところによりにわか雨」

と僕が答えると、瀬山氏は安心したようだった。

「そか、なら行けそうだね。試合、頑張ってね」

 瀬山氏はそう言うと自分の席に戻り、一人の世界に入っていった。瀬山氏なりのエールと僕は捉えた。

 こんなこともあり、その日の昼休みに僕は最近のクラス事情について足立氏に聞くことにした。彼は詳細漏れずに教えてくれた。

「こうなったのは、矢野さんも梅崎さんの好きな人が被ったからで、それは園田くんなのだけど、彼が現在梅崎さんと付き合い始めた事が発端だ」

 足立氏はつぶさにと言い終えると、眼鏡を押して、僕にドヤ顔をしてみせた。文芸部かつ図書委員の足立氏は、学校の諸事情に詳しい。曰く、それは各クラスに散らばる文芸部員の読書の合間の観察の賜物らしい。

 彼らは図書整理を行いながら、それらの情報を多角的に検討し、仮説を立て、最終的には限りなく事実に近い結論を導き出す。文学を嗜む彼らにはなんてことのない遊びであり、そこに一切の悪意はないと足立氏は言う。図書整理の長である足立氏も必然的に学校の諸事情に詳しくなるのだった。なんとも文系的で知的な遊びだが、そこで収集された情報の精度は侮れない。

 しかし、そんな彼でも瀬山氏が教室に不在の理由はわからないと言う。僕は、部活終わりに瀬山氏と親交の深い佐々木氏に聞いてみようと思った。


 明日は予選大会二回戦というのに、僕らはいつも通りの雰囲気だった。弓道場の梅の木はいつの間にか剪定を終えてすっきりしている。先輩というのが板についてまだ間もない。そんな時に自分たちが最上級生となるのは、なんとも歯がゆい感覚だ。それにしても、新入生が七人も入ってくれたのは嬉しい限りだった。

「最近、瀬山氏が休み時間教室にいないんだ。どういう訳か知ってる?」

 すこし意外だったのか、佐々木氏は歩みを止め、僕を見る。他意がないとわかったのか、すぐまた前を見て歩き出した。

 「瀬山は、最近昼は部室棟にいるよ。女バスは先輩引退したから、部室に気兼ねなく入り浸れるようになったんだって。部室じゃなくて今も階段下にいるんだけど」

 一本桜の葉桜が風に揺れる中、佐々木氏はさらに付け加える。

「まぁ、それは言い訳なんだ。本当はクラスの雰囲気が悪くなるのが嫌なんだって。ほら、三人でいつもいると、どうしても梅崎さんをハブいてる感じになるから。本当は瀬山はそういうのが嫌なんだ」

 その訳を知り、僕は安心した。瀬山氏らしい理由だと思ったからだ。それから僕らは無言で歩いた。部室まで来ると、先輩たちがグローブの手入れをしていて、僕らも何となく先輩の真似をする。下級生とはそういうものだ。

「それで、瀬山氏は一人で食べてるの?」

 そう言いながら、適当なスペースにコンクリート直に座り込む。佐々木氏も隣に座ると、入念にグローブの汚れの位置を確認する。

「いや、たまに俺も一緒に食べたりする。高橋もいたりいなかったりするけど。あ、他のやつには言うなよ」

 佐々木氏は小声で言った。

「無論、邪魔などしないよ。あの秋雨の最中、僕は佐々木氏の奇行を見てたからね。それにしてもあれは思い切ったね」

 佐々木氏は右の手で頭を擦る。僕は続ける。

「分かるよ。瀬山氏はひつじ雲みたいな人だから。彼氏の有無などは確認したの?」

「ひつじ雲は褒めてるの? 聞いたことないけど、多分いないよ」

「へー。意外だな。絶対いるもんだと思うけど。うん、僕の中では最上に近い褒め言葉だよ」

「それは真田も? そういうこと?」

 佐々木氏は手を止め僕を見た。

「違うよ、僕はどちらかといえば矢野氏がタイプなんだ。瀬山氏のタイプは聞いたことあるの?」

 僕がそういうと、佐々木氏はグローブに目線を戻す。

「まさか、聞けないよ。そういうのって、普通に聞けるものなの?」

「いや、普通はそういうのから話すんじゃないの?」

「ええ、そうなの? 俺も何も聞かれたことないし。やっぱ脈無しか」

「いや、瀬山氏はズレてる人だから、一般論は当てはめてはダメだと思う。嫌いな人とはご飯食べないって。僕からすれば、二人は脈しかないよ、自信持って」

「自信か、最近さ、なんかわかってきた」

「なんだよそれ。自信って意味が分かるとかの問題なのか?」

「真田の天気予報と同じだよ、瀬山が言ってたよ」

 今度は僕が佐々木氏の方を見る。佐々木氏は完全に手を止め、言葉を思い出すように、空を見ながら続ける。層積雲が東へゆっくりを流れていく。

「自信があるってことはさ、自分がどこまで出来るかわかるって感覚なんだ。自分が上手いとか思うんじゃないんだよ、毎日やってきてるから、少なくともこの場面ではこうすれば、こうなるとか、そういうのが積み重なって、自分を形作るんだよ。根拠が自分の中にあるみたいな、そんな感じなんだ。自負に近いのかもしれないけど。真田ならわかるだろ?」

 気象予報は技術であり、日々の予報作業を着実に実施しながら、経験知として、積み上げていくものだ。観察記録を始めてから今までの数年間、僕には積み重ねたことで得られた何かがある。それを自信というなら、そうなのかもしれない。それでも僕などでは到達し得ない境地があり、いつかそこに辿り着きたいとも想っているわけで、それに関してはまだ旅の途中だ。

 彼は以前に増して正確で素早い捕球、送球をするようになった。口で言うのは容易いが、いざやるとなると話は別だ。経験に驕ることなく基礎を重視し、体幹を絶えず鍛え、練習では実践を意識し、常に限界点を探る。なるほど、確かに、根拠があるというのは分かる気もする。僕はこの確かな実力者に言う。

「自負か、それなら僕にも分かるよ、気象予測のことではあるけど」

 僕はそう言いながら、天気図の線が徐々に意味を持ち始めたときの感覚や、上昇気流が言葉のように見えたときの興奮を思い出した。

「明日やるだけやろうな」

 そう言うと、佐々木氏はグローブを空にかざした。

「うん。フライは絶対落とさないよ」

 僕もグローブに手をはめ、空にかざす。

「先輩たちはいつも通りって感じだな」

 佐々木氏が部室前にたむろする先輩たちを見ながら言う。東山先輩はボールを持って投球の動作を繰り返している。

「横浜桜蔭か。田中先輩のくじ運は良いとも悪いとも言い難いね」

 と僕が言うと、佐々木氏は帽子を被り直して言った。

「中途半端なとこ当たるより、俺はいいと思うよ、絶対打つし、盗塁は絶対させない」

 いつからか、二年生五人が円になって座っていた。来週には僕らがあの席に座るのかなと、僕は何となく思ってしまった。

 今年の一年は要領がいい、すでに用具を運び終えて、僕らに指示を仰ぐ。この後は、おそらく田中先輩が皆を集めるだろう。

 明日が最後だと誰が言うわけでもないが、それはおそらく変えられない事実だ。いつになく静かに時間が過ぎた。とうに磨き終わった皆のグローブが等しく鈍く光る。


 翌日、関東は厚い雲が広がり、雨はいつどこで降ってもおかしくなかった。最高気温はそれほど上がらず、二十七点三度と予測より低かった。それでも、第百五回神奈川県予選大会、第五日目は、全二十二試合、時刻通り開始され、途中雨天中止もなく終えた。全百六十八チームの出場校のうち、百四校がトーナメント表から姿を消した。

 全ては僕の予測通りだった。僕はセンターフライは落とさなかったし、佐々木氏はヒットを打ち塁に出た。僕らの先輩は予定通り引退し、僕らは目を赤くして泣いた。

 田中先輩はコールド負けしたチームの主将には見えない自信に溢れた様子で、実に淡々と想いを告げた。この点だけは予測外だった。

「精一杯野球ができて楽しかった。このチームの主将でいられて幸せだった。皆を誇りに思っている。ありがとう」

 先輩の頬に一筋の涙が流れた。僕らはやはり目を赤くして泣いた。

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