病鳥の止まり木9
質素なのに十分な馳走の後、メアリは葡萄酒をテーブルに出した。
つまみにドライフルーツを並べた侍女に、もう下がって良いと伝える姿は、セスに父ノアを思い起こさせる。
中央社交界に紳士で通るノア・クリストファーも、従者を長々と後ろに控えさせる事を好まないところがあった。
「それで、セス殿」
メアリが笑みを浮かべて、そっと槍を突き出すように問いを放る。
「本当のところ、クリストファー家は何用でわざわざこんな所まで?」
「そうですね」
ワインを口に含んで、どこまで言うべきかを思案する。隠すべき必要は、ほとんど感じなかった。
西部統括官への就任承諾を保留し続けたこと、辺境伯就任の追認すらしていないこと、西部飢饉への対処を放置していたこと。
どれを取っても、メアリ・ウェールズに対し、宮廷・中央諸侯は侮っていたと言っている。
それが、ダドリー・リッチモンドを破った途端に、クリストファー公爵家の子が二人も足を運んでいる。
状況的に、侮っていた小娘が本当はどんな人物か、慌てて確認に来たとは考えつくだろう。目の前の人物が、それを察せないほど愚鈍には見えない。
元より、父ノアは最初に、メアリとの関係が悪いことを懸念していたのだ。
兄カインが喧嘩を売るような態度であったことも踏まえて、セスは正直に答えることを選んだ。
「率直にお答えしますと、メアリ様がどのような人物であるか、中央では把握しておりませんでしたので、その確認のために私は遣わされました」
「あなたは、ね」
「兄も、一応そうではありますが、私とは少々立場が違いますので」
「つまり……カイン殿がフィッツロイを推していて、中央が眼中になかったわたしをセス殿が推すことになった、と」
「お察しの通りです」
頷きながらもセスは、今察したのか、すでに知っていたのか、どちらだろうかと疑問を得る。
「わたしとしては、愉快な話ではないわ。フィッツロイ如きと比較されるというのがまず業腹だし……クリストファー家の継承問題のおかげで、西部の全権を得るのが遅れて苦労するのはわたしなのだけれど?」
メアリの言葉はごもっとも、とセスにもわかる。
彼女にしてみれば、この状況の西部に実際に対処してきたのは自分だけで、この実績以上に西部を任せるに相応しい何かがこの世に存在するのかと言いたいだろう。
「残念ながら、私ではいかんともしようがありません。父ノアの判断ですので、私にできるのはメアリ様の人物を見て、父にご報告することだけです」
しかし、西部がどうであれ、中央には中央の考えがある。
王国の統治を西部・中央・東部の三区に分けた時点で、三者の関係はどこか他人事なのだ。特に、西部は切り離されて考えられる事が多いので余計に。
「セス殿は、それで良いと思っているのかしら?」
「それ以上の権限がありませんので」
メアリの問いに、セスは本心の一部分を選んで答えた。
それを受けて、メアリはワインを口にしてドライフルーツをつまむ。
「どうぞ。うちで一番食い意地の張った者がお気に入りの組み合わせなの」
「では、失礼します」
赤ワインを口に入れると軽い口当たりだ。
さらりと喉に流れていき、舌の上に酸味が残る。そこにドライフルーツを頬張ると、濃縮された果実の甘味が、ワインが残した酸味と混じり合って強く浮き出て来る。
少々安い気がしたワインの味だが、つまみと合わせると丁度良くなる。
物足りなかったワインの味が、ドライフルーツを楽しむための口直しになっている。
美味しい。これは良い組み合わせだ。
セスは思わず頷いて感心してしまう。
「セス殿は、このワインのようなものね」
メアリが笑う。
今の段階では、セスは物足りない。これに加える何かがあれば、一気に評価が上がるだろうに。
セスは眉をひそめる。そうは言われても、自分はこれ以上のことはできないのだ。
メアリはセスから反応が来ることを期待していたが、黙ってしまったので肩をすくめる。
「まあ良いわ。それで? このメアリ・ウェールズの人物を知るのがあなたの仕事なのでしょう? 質問があるなら答えるけれど」
「ありがとうございます」
為政者としての手腕なら、明日も執務を見学させて貰えば良い。話を聞くより余程わかる。
できれば近隣を直接見て回りたいが、流石に護衛なしでは危険だろう。メアリが護衛を出してくれるかは微妙だ。
今この場でとなると、何か人柄を知れるような質問が良い。
「では、メアリ様。フィッツロイ殿のことをどう思われます?」
その人について知りたければ、友人について語らせてみろ、という言葉をセスは実践してみた。
とても友人とは言えない関係であるのは承知の上だが。
「フィッツロイ殿? 血縁というのを加味しても、好みのタイプではないわ」
「あの……」
今のは、女として男を評したのか、それとも人間としての好悪なのか、セスは戸惑う。
「冗談よ。その質問をわたしにするということは、フィッツロイ殿にもしたのかしら?」
「はい。フィッツロイ殿は、メアリ様の有能さを認めておられましたよ」
それだけ? メアリは視線で、フィッツロイが続けた言葉を促す。
「人徳には問題がある、とも」
「ふっ、人徳? それ、西部統括官についての適性を見る質問だと、フィッツロイもわかって答えたの?」
セスの前で初めて、メアリが声を立てて笑った。
「人徳は、為政者として大事なことかと思いますが……」
「なるほど。流石はセス殿」
ワインを揺らしてメアリは目を細める。
今のセスの答えも、このワインのように物足りないと重ねてからかっているようだ。
「では、メアリ殿は人徳など不要と?」
「人徳だの正義だの、そんなものは世の評判でしょう。自分に優しくする相手を、人は徳があるだの義を知るだのと評価する。わたしからすれば、このワインの影を見て味が良いと騒いでいるようなものね」
道化を見るような目が、笑っている。
「わたしは、ウェールズ領を飢饉から守った。わたしに臣従する諸侯の領地も。後からわたしに助けを求めに来た者達も、その順番と態度に応じて。そして今はここリッチモンド領で混乱から領地領民を守っている。さて、わたしが与えた恩は一体いかほど?」
そして――メアリは続けて、フィッツロイの評価を答える。
「フィッツロイは、わたしと比べてどれほどの恩をこの西部に与えた? 中央寄りの領地に向けて、王都から物資を支援した? そう、ご立派だこと。それで助かった領地領民はどれほどのもの?」
問いかけが積み重なっていく。メアリは不思議そうだ。
「わたし、これを何度も言っているけれど、中々わかって貰えないわ。世間の評判で人を救えるなら、どうして血染めのメアリよりフィッツロイは人を助けられていないの? 徳が統治の役に立つなら、徳がないわたしより人を救えないフィッツロイは、徳でも誤魔化せない無能者ではないの?」
黙りこんだセスに、メアリはワインを飲んで、ドライフルーツを頬張って見せる。
「口では何とでも言える。貴族だもの、口ではどんな危難も自分に任せれば心配無用と言うわ。でも、それだけだとただの安ワイン。味が足りないわ」
「それは、フィッツロイ殿に酷では? メアリ様のお立場があれば、フィッツロイ殿の選択もまた違ったかと」
「同じよ」
メアリは断言した。
「フィッツロイは腰が引けているもの。そもそも、エドワードが死んだ時、ウェールズ家をメアリのような小娘に任せられないと乗っ取らなかった時点で、底が見えるというものよ。その後もダドリーの影に隠れているだけで、自分は王都にこもってばかりでしょう」
「そこだけ取り上げれば、そうかもしれませんが……」
「なら、あなたはできる? やってみたら良いわ」
同じく腰が引けていると見えるセスに、メアリは誘う。
「無徳のメアリ・ウェールズは西部統括官に相応しくない。有徳のフィッツロイこそ相応しいと。そうすれば、西部統括官フィッツロイの誕生よ。血染めのメアリと、人品正しき西部統括官フィッツロイとの争いが起こるわね」
「それは私の判断することではなく……」
「それよ、セス」
呼び捨てにされて、セスは決定的に関係を決めつけられたことを知った。
「重要な決定を突きつけられると、理由を拾って逃げる。あなたも、フィッツロイも。覚悟がないから、何をどう繕っても味の足らない安ワイン」
上から言われた言葉が、ざっくりと、胸を刺した。セスは驚き、うろたえた。
自分が、これほどメアリの言葉に傷ついたことが、自分で信じられなかった。
咄嗟に叫び返す。
「か、勝手なことを仰らないで頂きたい!」
泣き声のような叫びに、メアリは血染めの名に相応しい態度を示す。
笑って、見せた弱みを抉るのだ。
「あなたは今回の西部統括官の推薦について、どちらも応援しないと考えている。全ては父親の命令、仕事をかぶせられたからやっているだけ。あくまで父の命令、どこまでも父の命令。何故なら責任を取りたくないから」
違うとセスは反駁するが、真贋は内心が知っている。
メアリの言葉に串刺しにされて零れる内心が、全てを知っている。
「クリストファー家の後継者争いについて、あなたは兄と競うつもりはないと考えている。貴族の習いで仕方なく、兄が突っかかって来るから仕方なく。そして父親の命令だから。また父の命令。何故なら責任を取りたくないから」
違うとセスは反駁するが、メアリの言葉は影のような世評ではなく、セス自身を正しく見られていると自分でわかる。
何もして来なかった。
何もしたくなかった。
それを知られている。
「恐いんでしょう? 自分の判断の結果、誰かを傷つける責任を背負うことが。嫌なんでしょう? 自分から爵位を望んで、実の兄を畜生のように憎むのが」
血染めのメアリ。何という名前を持っているのだ。目の前の、この自分より若い女は。
「教えてあげる。あなたがそれを超えられるほどの、恐怖と嫌悪を」
セスは、心臓を貫かれ、決定的に変えられていく自分に恐怖を感じた。
死による変化だ。今までの自分が殺されて、悪魔のものになるような。
しかし、どこかで、これを望んでいたような気がする。
そうでなければ、この化け物の下に単身で残ったりするものだろうか。
頬を撫でて来るおぞましい少女に、セスは青ざめながら、どこかすがるような眼差しを固定し続けた。




