病鳥の止まり木8
カインが万事上手く行ったような笑みで帰ってすぐ、まだ背中が見える時点で、メアリは踵を返した。
後ろに待機していた文官が、メアリが執務に戻ると察した瞬間、体当たりをするような勢いで駆け寄って来る。
セスには殺気すら感じられたが、メアリは文官の勢いもわかっていると軽く頷いて示す。
「メアリ様、よろしいですか」
「歩きながら聞くわ」
「はい。まず、金花園芸団第十三隊からの報告で、担当農村を調べたところ、想定より広く開拓できることがわかったとのことです。追加で五家族は受け入れられると」
「数が微妙ね。その話はヨハンに回して、送れる人間を送って。他には?」
「次は、園芸団第十一隊からで、野盗の襲撃があったとのこと。被害はありませんが、三回目なので対応して欲しいとのことですが」
「わかったわ、騎士団を派遣するけど……待って。十一隊の派遣先の近くで、別な野盗の報告もあったわね」
「申し訳ございません。すぐにお答えすることができません」
「間違いないわ。領内の治安が悪いから、個別発生の可能性もあるけれど……まとまった集団になっているかもしれないわ。騎士団には他の報告も踏まえて計画を立てさせなさい」
「騎士団の方には、資料を揃えてお伝えいたします」
話がそこまで進むと、廊下を歩き終えて執務室に到着する。
ジャンヌがさっと前に出てドアを開けて、メアリは歩みを変えないまま入室する。
文官が自分の机に座って、歩きながら受けた指示を文書に起こす間、メアリはついて来たセスに声をかけた。
「セス殿はそちらの椅子をどうぞ。しばらくお相手はできませんから、ご自由に退出なさって下さい」
「お構いなく。メアリ様のお仕事を拝見するだけで、十分な現状調査になるようですので。むしろ、内情を知る機会を頂いて本当によろしいのでしょうか」
「どうせ今のリッチモンド領の内情など、わたしが手を加えて別物になりますから」
一度掴んだリッチモンド領を離す気はない、ということか。セスは察したが、当たり前と言えば当たり前である。
もし、ここがフィッツロイなどに取られることになれば、今メアリが注ぎ込んだ金も物資も無駄になる。ならば最初から手を出していないだろう。
「メアリ様、次のご報告をよろしいですか」
「ええ、聞くわ」
「南方のブルゼ子爵領の都市が一つ、メアリ様の庇護を頂きたいとの嘆願が」
「まずアンナを面会に行かせるわ。基本方針は受け入れる方向で」
「あそこはダドリー健在の頃からずっとメアリ様に反抗的です。罠の可能性もあるかと」
「罠でもなんでも、わたしの麾下になるならわたしの命令が出せる。どうせ飢えているのでしょう。たっぷりの餌を見れば、尻尾を振る人間が出て来るわ」
向こうとしては、飼い犬に手を噛まれる、というメアリを想像しているのだろう。
だったら、飼い犬のボスをメアリの忠犬に挿げ替えれば良いだけだ。
「あなた達と同じことをする者が、向こうでも発生する。それだけのことよ」
「はい」
ダドリーを追い出してメアリに仕える文官は、事務的な角度で頭を下げる。
主従の間に漂う緊張感に、セスは驚く。
これだけ仕事ができて、両者には友好関係がないのだ。あるのは、領内の混乱という共通の敵のみ。
旧主リッチモンド家に反旗を翻した文官武官達にとって、その敵に対して単独では対抗できず、手を貸してくれそうな相手はメアリしかいなかった。
友好関係は、事態が落ち着いた後、リッチモンド領がどうなっているかで決まることだろう。
それまでは、メアリも旧リッチモンド家の官僚達も、共通の敵を叩きながら横目で相手の動向を監視しているようなものだ。
もし、メアリが彼等の目に叶わなかった時、両者の関係は崩壊する。
なんと恐ろしい主従関係。
そしてもっと恐ろしいのは、その緊張感を心地良さそうに楽しむメアリだった。
****
夕食の時間まで、メアリはきっちりと仕事をやり切った。
「最初に言った通り、もてなしはしないわ。ここでの日常通りにさせて貰うけれど」
承知しています、とセスは頭を下げる。
今日午後一日ではあるが、メアリがさばく内容を聞いた限り、とても宴席が開けるような状況ではないことは把握している。
いや、メアリがする気になればいくらでも可能だろうが、それをすればセスの目の前でさばかれていった様々な仕事が破綻する。
メアリ・ウェールズは今のところ、西部の混乱を鎮撫するため、贅沢をするつもりはない。セスにはそれがわかった。
今日のセスは、リッチモンド領の状況を把握したというより、メアリ・ウェールズの人物を把握したのだ。
その複雑怪奇な人格の、ねじくれた一部だけであっても。
「メアリ様はまだお若く、ウェールズ家を継いだばかりとお聞きします」
さらにメアリの人物を知るため、食事が届くのを待っている時間に、セスは口を開く。
場所は、食堂ではなくメアリの私室だ。
旧リッチモンド家がここから追放される際、屋敷が荒れた結果、現在の食堂は家臣達のためのスペースとなっている。
「ええ、父が死んでから一年経ったところね。わたしの中では、父エドワードの死と共に家と爵位を継いだつもりだから、当主となって一年と認識しているけれど?」
「一年目からこれほどの難事に、見たところ対応できているご様子。王都ではメアリ様は長い間、病に臥せっていると聞いたのですが、エドワード様の下で学ばれていたのでしょうか?」
セスの言葉が、メアリの心の泉に落ちる。
その反応は、静かだが、激烈だった。
数多の兄弟姉妹に無辜の民まで犠牲とし、地獄の釜の底で煮詰めるような狂気の末に成った結社の最高傑作としての矜持が、笑みの形として浮き上がる。
「学んだ、というより、造り上げられた、そう表現すべきね。恐らく――」
それは綺麗な花弁で、ほの暗い狂気の蜜を蓄えつつ、そんな自分に対する自信があふれている。
「恐らくは、今のわたしの一挙手一投足は、エドワード・ウェールズの一つの理想の振る舞いでしょう」
凄絶な笑みだった。
天上の職人が、極上の環境で鍛え上げた一振りの剣、それが人を斬った際に笑みを浮かべるとしたら、こんな笑みかもしれない。
ああ、化け物だった。
この人も、化け物だった。
それも、兄より父に近い化け物だ。セスは鏡で自分の表情を確かめようとして、指が上手く動かない。
彼女が呼吸を思い出したのは、ドアがノックされて白い侍女が食事を運び込んだ時だった。
「さて、食事にしましょう」
食事の内容は、質素と言って良いだろう。
パンとスープがあるばかり。スープは具沢山で、どうやら肉も入っている辺り粗末とまでは言えない。しかし、パンは雑穀混じりであり、貴族のパンと言われる、上質な小麦粉から作られる白パンではない。
旅路の食事ならばともかく、貴族の屋敷で食べる料理がこれとは。
公爵家の子女として育ったセスには初めてのことだ。
しかし、メアリはそれを優雅に口に運ぶ。
贅を尽くしたフルコースにそうするように、貴族令嬢と見られて問題のない美しい所作で雑穀パンを千切り、スープを口に含む。
それにならって、セスもパンを頬張って、驚いた。
不味くない。雑穀の風味で好みは分かれるだろうが、品質自体は公爵家の食卓に並ぶパンに引けを取らない。
普通雑穀パンといえば、小麦自体も痩せたものが、粉挽も手抜きをされて作られる三流の安パンである。
雑穀パンとは食感も風味も下の下、そのはずなのに、これは最上級のものだ。
これはと思ってスープも口に含めば、薄い塩と豆で作られたスープなどではない。
スープには野菜の滋味と肉の旨味が混然と一体となっており、ごろりと入った具は一種や二種ではない。それにその香りは、皿の上には見えないが多くの香辛料が使われていることをはっきりと伝えている。
パンとスープの質素な食事。確かにそうだろう。
しかし、その味と来たら、この二つだけで満足させようという強い意志を感じさせる。少なくともセスは、この味ならば皿数の少なさに文句をつけることはできないと感じた。
「これは、とても美味しいですね。驚きました」
「ウェールズ家は食事に力を入れているの」
答えたメアリは、わかっているようね、と少し自慢げだ。
「ウェールズ領では、食材も香辛料も豊富に取れるのだもの。それを利用する術も探求しなくてはね。この二皿は、栄養についても考えられたものよ」
メアリの語るところでは、スープには多くの野菜と肉を入れたので、これ一皿だけでも十分な栄養が取れるという。
パンの雑穀も、穀物を組み合わせることでそれぞれの不足を補う他、小麦粉だけのパンでは得られない栄養を取るために使っている。
「後はこれを一度に大量に作ることで、薪や料理の手間もできるだけ省力化できるわ」
「なるほど。大量というと、しばらくはこれが続くのでしょうか?」
「いいえ? 流石にそれは飽きるじゃない。この屋敷にいる全員分を一度に作ってあるだけよ。こういった煮込み料理は、一度に大量に作った方が美味しいのよ」
メアリは、自分の後ろに控えるメイドに、今日のご飯も美味しいから楽しみにしてなさい、と微笑を向ける。
その姿を、どう捉えるべきか。セスは迷う。
貴族らしくない、と言うべきか。
礼儀作法からいえば、そうに違いない。
貴族らしい、と言うべきか。
領地の守護者、領民の家長といえば、そうに違いない。
しかし、少なくとも、血染めのメアリはこれほど優しく笑うのだ。
その綺麗な薄皮の裏は、化け物に間違いないというのに。





