病鳥の止まり木7
リッチモンド家の旧臣、領内の農民と商人、それから敵であった神等教のマシな派閥(同教比)を取りこんだ。
反発して抵抗したところも、もちろんある。
それらがどうなったかは、この余裕のない状況で、メアリが世間で何と呼ばれているかを考えれば、結論は一つしかない。
メアリ・ウェールズの懐には、他者が悪魔の所業と見間違えるほどの蓄えがあったが、刈り取る鎌にも困りはしない。
さて次はどの問題に対処しようかと、尽きぬ悩みにメアリが手を伸ばそうとした頃に、中央からの来客はやって来た。
「遅かったわね」
メアリは嘲笑うように言ったが、これは単なる罵声だったろう。
未だに西部統括官を任命しない中央に対し、メアリはいっそ独立してやろうかと思い始めているのだった。
先触れによると、来るのは王国宰相から命令を受けたカイン・クリストファーとセス・クリストファーだという。メアリは先触れに問うた。
「どのようなご用件でお越しか、お聞きしても?」
「西部の現状調査とお聞きしています」
「あなたが預かった言葉はそれだけということで、よろしいですね?」
先触れが頷いたので、メアリもそれ以上は追及しなかった。
どうやら、まだ西部統括官に任命するつもりはないらしい。そうわかったため、中央の来客に対する心象は著しく傾いた。
そして、旧リッチモンド本邸にやって来たのは、護衛をたっぷり連れた男女だった。
珍しいことに、女性の方は男装している。違和感がないことから、今回の旅のための装いというわけでなく、普段から男装なのだろう。
中々絵になるわ。メアリはまだ若い(といって自分より年上なのだが)女性に、少しばかり興味が湧いたが、それ以上の関心は増えなかった。
「初めまして、ウェールズ家当主、メアリ・ウェールズと申します」
本来であれば、ウェールズ辺境伯と名乗って良いのだが、西部統括官同様に宮廷からの承認が来ない。
それを含めて、どうなってんだ、というメアリの言葉が隠れた挨拶である。
「カイン・クリストファーです。メアリ殿、お初にお目にかかります。そしてこちらが妹の――」
「セス・クリストファーです。ご多忙のところ、大人数で押しかけてしまい、お手数をおかけいたします」
この兄妹、不仲ね。メアリは一幕だけで察した。
カインという兄の方が露骨だ。
自分が上で、妹が下だと周囲に知らしめるように紹介を主導している。妹の方は、それを知りながら受け流している、というところか。
クリストファー公爵家。
もちろんメアリも知っている。王国宰相で中央のまとめ役、実質の宮廷業務の支配者と聞いている。
そんな大身の貴族だから、家中の争いも当然の事。しかし、それならそれで中央でやってくれないかしら。メアリは社交用の笑みを浮かべる。
自称・淑女教育をしっかり受けた令嬢なので、見知らぬ他人をいきなり罵倒したりしない。所作もしっかりしたものだ。
血染めのメアリの、意外とまともな令嬢ぶりにカインは驚いた顔をする。
「ほう、メアリ様はお美しいですね。王都や道中で聞いた噂からは想像できないお姿でした」
兄の言葉に、セスは眉を顰める。初対面のメアリに対して選ぶには、怪しい話題だ。
どんな噂かと問われたら、どうしてもメアリに対する悪評が混じる。無遠慮すぎる。
「左様ですか? 西部で聞く血染めのメアリの噂には、容姿が醜いとは一言もなかったと思いますが」
これは少々痛烈だ。失礼な台詞はもちろん、内容の怪しい噂を元に話をする能力について揶揄している。
カインの表情が引き締まった。自分より若い女を相手に、無意識に見下していたところを平手打ちされた心地だ。
「それで?」
玄関で出迎えたまま、メアリはわざとらしく首を傾げて見せる。
「ご用向きは現状調査と伺いましたが、何かわたしが対応することがありまして?」
「当然でしょう?」
何を言っているのかとカインは言い返す。
「メアリ様にはお聞きしたいことが多数あります。また、各地の案内、領民や代官などにも聞き取りしたいですし、近隣領主との面会も調整して頂きたい。それと我等の宿は?」
「そちらの要求はわかりました」
にっこり、メアリは笑みを見せた。
「全て、お断りします」
「なんですと?」
「全てお断りする、と。用件がそれだけならばお帰りを。ああ、領内で調査をするなら、安全は保障しかねるのでお気をつけてどうぞ。ただし、クリストファー家の乱暴狼藉が確認されたらわたしの権限で裁くのでご留意下さい」
「メアリ様、西部の状況を調査に来た我々にあまりに無礼ではありませんか。ご自分の立場をわかった上でのお言葉とは思えませんね」
「わかっていないのはわたし以外のどなたかである、という考えもあるのでは?」
「メアリ様! クリストファー家を敵に回すおつもりか!」
声を荒げ始めたカインに、セスは視線を向けて諫める。
クリストファー家の権勢の強い中央なら、兄が不機嫌を表すだけで大抵は譲歩を引き出せるが、西部でそれを試すにはまだ早い。
それもわからないほど頭に血が上っているわけではないらしく、カインはメアリを睨みながらセスに発言を譲った。
「メアリ様、理由をお聞かせ頂けますか?」
「本気でわからずに聞いているのかしら……。忙しいからに決まっているでしょう?」
メアリの口調は、不機嫌というよりクリストファー家を案ずるような響きがあった。
「お忙しいのは重々承知ですが、そこを何とか。我が家は中央でも発言力が強いと自負しております。ご協力を頂ければ損はないかと」
「損はない。なるほど」
セスの言葉に、本気でわからずに聞いているのだとメアリは判断した。
実に腹立たしいので、メアリの作った笑みは消えなかった。
「あなた方と今こうして話している時間があれば、わたしは各地からの報告に目を通して、支援の量を調整することができる。わたしの判断を待っている部下へ命令を出して、彼等が動き出すことができる。わたしに協力を求める諸侯の無能と有能を見極め、取捨選択ができる。どれもこれも一秒でも早くこなせば、領地領民の安寧に繋がる案件が、執務室のドアの向こうでわたしを待っているわ」
メアリは軽く屋敷の奥の方に顎を向けて、セスとカインを視線でなぞる。
「飢饉の影響で畑を捨てた農民が都市に押しかけスラムを形成し、農村から食料が届かない都市はスラムを支える余裕はない。文官は農民を畑へ戻し都市の経済を再生させるために机をベッドに日夜指示を出し続け、武官は悪化した治安を取り戻すために東奔西走、馬上で寝る始末。そこに物見遊山に来た中央童の相手をしろと? 当然、わたしが送った報告書は読んだのでしょうね? あの報告書で今の状況が想像もつかぬような残念な頭に、現在の西部はこのように苦しい状況ですと、教え諭す時間を取れと?」
頭が、高い。
メアリは、噛んで千切るように告げた。
「客分のつもりで来たのならば、今の西部は観光地ではないわ。無駄飯喰らいの護衛を大勢連れて、西部の穀物を食い荒らしに来たのならば虫のように追い散らす。この西部の状況を打破するために協力に来たと言うならば、その能を見せなさい」
今のところはマイナスだ。メアリ・ウェールズは、自分を調査に来た相手に、第一印象の評価結果を突っ返した。
セスは心臓に痛撃を入れられた気がした。
いけない。呑まれる。若いセスは、自分より若い少女に危機を覚える。
初手から間違えていたのだ。
自分達はメアリを評価する側で、その逆ではない。何故なら王国の力は中央にあり、西部はその従属者。クリストファー家の力はウェールズ家より上。
そう思っていて、そうではない事を考えていなかった。
少なくとも、今目の前のメアリ・ウェールズは、自分の見解とは違う。
驕っていたのだ。
公爵家としての権威を思う様に振るう兄を見て、自分はそうはならないと引き締めていたはずなのに。
西部が苦境にある事。メアリが自分より若い同性である事。
王国の宮廷を牛耳る一族である事。
父から任された仕事をメアリの評価と捉えていた事。
理由はいくらでも思いつく。そして、事実は一つ。メアリ・ウェールズの失望を買った。
――わたしに手間をかけさせるのに、相応の手土産もなくよくもノコノコとやって来られたものね。
そう言われた。事実、そうだったろう。
普通であれば、ここまで相手の都合に構わず押しかけたりはしない。押しかけるならば、国王陛下の指示書なりを掲げる必要がある。
だが、今回はない。何故ならば――
「我々は客として来たわけではない!」
兄の怒声の通りだ。
今回、リッチモンド領を乗っ取ったというメアリの異常な行動を確かめに、慌てて出て来たのだ。
「こちらが穏便に済ませようとしていれば増長しおって! ならばこちらも容赦はしないぞ!」
「初めからそうして頂ければ、わたしも時間を節約できたわ」
兄の怒声をいなすメアリに、セスは自分と同じほどの慣れを見た気がした。
カインの恫喝する大声に、効果は見られない。
「それで? 容赦しないとどうなるのかしら」
メアリは、かかって来なさい、というように促す。
「そも、何故お前がここにいるのか、説明をして貰おう! メアリ・ウェールズ、ここはリッチモンド家の屋敷であり、お前の領地ではないのだ!」
「わたし以外に、リッチモンドの血を引く人間が他にいないからよ。わたしがここへ来たらここは空っぽ、残った家臣や領民に請われてこうしている。……報告書は送ったはずよ?」
「報告すれば他人の領地を乗っ取って良いと言うものではない!」
「報告せずに領地を放棄する人間よりマシだと思うけど……。なに? あなたは、わたしが臨時代行しているリッチモンド伯爵領の管理をやめろと言いたいのかしら?」
メアリが差し出した質問は、引っかけだ。
ハイと答えてはいけない類の、言葉の罠。
メアリがリッチモンド領の采配を握っているのは、前主ダドリーを殺害したのが彼女自身と言うことを考えれば、限りなく黒に近いグレーだが、明確に王国法にも慣習法にも反するわけではない。
この辺りの貴族の法は、負けた方が悪いのだ。
ダドリーとて、メアリが自分の姪だと言う建前で、ウェールズ家の継承に口を出し、メアリを討ち取って家を乗っ取ろうとしたのだ。
敗れたリッチモンドの人間が、ここにいないのは事実だろう。
メアリが追い出したにしろ、逃げ出した後に乗りこんだにしろ、ここにいるとしたら墓の下だ。
メアリ以外に政務を取れないなら、メアリが領主代行をしていても、それはいない者が悪い。少なくとも、メアリにそれを保持する力が伴っている限りは。
勝てば罷り通る。貴族にとって、それは継承の一つの手順である。
一方で、今のカインには、非常時の手順ながら道理をぎりぎり保っているメアリをやめさせる権限が何もない。
あくまで、王国宰相ノア・クリストファーからは、事実確認の仕事しか任されていないのだ。
「いや! いいや、そこまでは言わん! そこまでは言わんが……!」
カインもそれに気づいて、ぎりぎりで踏みとどまった。
メアリは、面倒事が長引いて残念そうに小さく嘆息する。
「それなら、一体何を言いたいのかしら? 簡潔に伝えてくれない? 忙しいわたしの貴重な時間が、まるで下手くそが皮むきしたジャガイモみたいに無駄遣いされているわ」
「ジャガ、なに……?」
メアリの素朴な比喩を理解し損ない、カインは目を白黒させる。だが、戸惑っている場合ではない。
「いや、だから……リッチモンド領は、王国西部でも中心で、その存在は大きく……そう、重要な地点だからこそ、もっと貴様より相応しい者がいるのではないか!」
相応しい者とは?
カインはメアリが聞き返してくれることを期待した。しかし、期待は裏切られた。ここは王都ではなく、メアリはカインの機嫌を取る必要を感じないためだ。
「……? あ、いちいちわたしが続きを促さないと話せないの? いやだ、この人、面倒」
続きを待っていたメアリと、メアリからの反応を待っていたカインで、奇妙な間が挟まった。
「しょうがないわね……。それで、わたしより相応しい者って?」
「フィッツロイ殿だ! ウェールズ家の分家の預かるフィッツロイ殿!」
「だったら、あの役立たずをここに連れて来なさい」
役立たず、と自分が後援する人物を馬鹿にされて、何と無礼な、とカインがますます熱くなる。
「貴様のような小娘が、中央諸侯の信頼厚いフィッツロイ殿に何たる言い草か!」
「それが本当なら中央諸侯の人を見る眼が心配だわ。今回の西部の混乱は、わたしがさっさと西部統括官につければこうも酷くはならなかったもの。王都に常駐し、我がウェールズ家から多額の資金を与えられながら、何の成果も上げられぬフィッツロイがそれほど評価されているなど、理解に苦しむわ」
メアリの足を引っ張るためにわざと、というのは誰もが承知だが、それを明言してしまってはフィッツロイの命はない。
ウェールズ本家とウェールズ分家、ある程度の独立は認められているが、やはり上下関係は強い。
本家の人間に逆らったという大義名分があれば、フィッツロイはすぐに追放されるだろうし、分家ごと潰される可能性もある。
「大体、フィッツロイは一体どんな理屈でリッチモンド領の上に立つつもり? わたしの認識だと、フィッツロイが西部統括官にならない限りは名目が立たないと思うけれど?」
「つまりそういうことだ! お前に西部の大事を任せるくらいなら、より優れた人物であるフィッツロイ殿を西部統括官にする!」
「ああ、リッチモンドの生き残りもいるはずだけど、もうそちらは見捨てるのがクリストファー家の見解だと」
残酷、とメアリが笑う。
「実際の能力を見てのことだ! 現状として、リッチモンド家の人間が領地を放り出して逃げている。ならばその資質に疑いがあるのは当然であろう!」
「つまり、能がない者は貴族足りえない、と。同感だわ。では、頑張って自分とフィッツロイの能を証明してからここへ来なさい」
メアリは、フィッツロイを役立たずと罵った。それと並列にするということは、カイン・クリストファーもその評価であるということ。
カインは湧き上がって止まない憤懣に、体を震わせる。
「ここまでクリストファー家を虚仮にしたのだ! この俺に屈辱を与えたこと、覚えているが良い!」
「お断りよ。クリストファー家を継いでもいない坊やが何を吠えたところで、いちいち真に受けていられるわけがないでしょう」
それとも――メアリは自慢の黒髪を払って、次の瞬間、愛用の薔薇槍をその手に握る。
「あなたの父君も承知の上での言だったのかしら。クリストファー公爵にして王国宰相であられるノア・クリストファー閣下は、このメアリ・ウェールズに宣戦布告をすると」
突然握られた凶器に、クリストファーの護衛達が身構える。
その気配を背に、カインは冷や汗を堪える。
「威勢が良いな。我がクリストファー家の兵を相手に、一人で戦う気か?」
「たった五十人足らずで、血染めのメアリの相手をしようなんて勇敢だわ。クリストファーの兵と、リッチモンドの兵。どちらが強いか比べてあげましょうか」
六十倍の戦力差を、味方に死者なく撃退した血染めのメアリの微笑は、余裕に満ちている。
「……父からは、まだ開戦せよとは言われていない」
開戦どころか問題を起こすなと言われているのだが、カインはそう強がる。
「帰るぞ! このような野蛮な女に西部統括官は任せられぬと父に伝えねばならん!」
カインは吠えながら槍に背を向ける。クリストファーの矜持にかけて、凶器から目を離す緊張を見せないように、ゆっくりとした動きで去ろうとする。
だが、自分の隣の妹を見て、カインの足が止まる。
「セス、お前はここに残るんだろう?」
兄の言葉に、セスは自分が滅多にないほど間抜けな顔を浮かべたのではないかと思われた。
慌ててコンパクトミラーを開き、視線を落とす。
幸いないことに、鏡の中の自分は、思いの外平静な顔をしている。それを見て落ち着くと同時に、兄の意図を理解する。
ああ、そうか。先程までの高圧的な態度も、半ば演技か。
兄がここまで印象を悪くしてしまえば、妹への態度も硬くなる。ろくに情報収集もできないだろう。
血染めのメアリの悪名が正しければ、目障りな争い相手が処分されるかもしれない。もちろん、そんなことをメアリがすれば、クリストファー公爵家としてメアリを非難できる。
兄の乱暴な態度も、計算づくか。
いや、どうだろうか。公爵家の権勢を使った威圧以外、兄のやり方を見たことがないから、偶然と言う可能性も捨てきれない。
いずれにせよ、ここでセスが取れる態度は一つだ。鏡で、自分の笑みを確認して顔を上げる。
「そうですね、メアリ様のお話を聞かなければいけませんので……。メアリ様、しばしご厄介になれますでしょうか」
「食い扶持が増えるのが困るのだったな。護衛は全て連れ帰る。妹一人も受け入れられないほど、ウェールズ家は困窮しているのか?」
兄が勝手に付け加えた挑発に、セスは背中に冷や汗をかきながらメアリの表情を伺う。
薔薇槍を消したメアリは、意外なことに怒りの温度を全く感じさせない目でセスを見つめていた。
「良い度胸をした厄介者ね」
これだけ兄が険悪にした空気の中、一人で滞在しようとする男装の女性を、メアリはそう評価する。
控えていたジャンヌがその表情を見て、ご機嫌そうで良かった、と頷く。
「良いでしょう。もてなす、とまではいかないけれど、あなた一人の面倒は見ましょう。このメアリ・ウェールズ、痩せても枯れてもそれくらいの度量はあるつもりよ」
「ご迷惑をおかけします」
セスは丁寧な角度で頭を下げる。
血染めのメアリという悪名の割に優しそうなので、神に感謝する心地での一礼であった。




