妖花、咲く19
「それで、そのルイという人物は、アンナから見てどうだったかしら?」
リーシル領について、アンナの報告を聞いて、メアリはそのことだけをたずねた。
「バロミ男爵の評価と同じ印象を受けました。バランス感覚の良い、普通の男性。相応の欲望があって、その欲望を叶えるためならちょっとした悪事も行うけれど、問題が起こらないように配慮をきかせられます」
つまりは、要領の良い小悪党ですわ。アンナは、好意的な表情でそう評した。
「良いわね。そういう人は嫌いじゃないわ。少なくとも、バランス感覚の乏しい善人よりもよっぽど付き合いやすいもの」
「まったく同感ですわ。リーシル領では、その要領の良い小悪党がいるところが、一番経済的に安定していますもの」
「当然よ。全くの善人が一人いたとしても、悪人はその百倍いて、さらにその百倍の善と悪の間をふらふらしている普通の人がいるんだもの」
政治とは、そんな善と悪が混交した集団生活のバランスを取る手法なのだと、メアリは語る。
「必要なのは完璧な善良さなどではなく、善と悪、美と醜、高貴と下劣、有象無象の何もかもで揺らぎ続ける天秤を修正し続けるバランス感覚ね」
恐らくは、それは偏った物の見方なのだろう。
悪逆非道の秘密結社に下に生まれ、造り上げられたメアリ・ウェールズという立ち位置から見た世界。
それを肯定するアンナもまた、人の欲望渦巻く場所で手練手管を学んだ人物である。
「達見ですわ、メアリ様」
「わたしの父は、あのエドワードよ?」
エドワードの治政当初、王国西部最大の質量は、秘密結社・混沌花にあった。結社が右に動けば右に、左に動けば左に、西部の情勢が傾くのだ。
そんな王国西部の状況を見て、あの男は結社を動かす力を手に入れることこそが、西部の不安定な情勢を解決する最短路だと判断した。一番重い存在を掌握して、天秤のバランスをコントロールしようというのは、わかりやすい理屈だ。
その結社の中で自分の地位を重くするために自分の子供を利用し尽くした男こそが、自分の父だ。
だから当たり前でしょう、というメアリの発音は、いささかの不満と、わずかな矜持が混ぜられていた。
「そういう意味では、神等教はバランスが悪いわね。神の下に人は平等だから、神の恵みを平等に分け合って皆で幸せになりましょう。大きくまとめるとそういうことでしょう?」
「ええ、ウチもそういう理解ですわ」
どうも地域によって教えや論調が微妙に変わっているが、王国西部のリーシル領を中心に集めた情報では、神等教とはそういう教えを説いている。
なるほど。神なる者が強大な存在で、その恵みが無尽蔵にあるならば、誰もが満足するだけの量を平等に与えてやれば良い。天秤はどこも同じ重さだから、安定するだろう。
だが――
「そもそも神の恵みが存在しないのだから、前提からして無理があるのよね。ないものを分ける方法を、わたしは知らないわ」
「神等教では、各自の労働の成果のことを、神の恵み、としているようですけれど」
「人の手柄を横からかすめ取るような存在が神なら、他者の作りだした栄養をかすめ取っていく寄生植物は神の使徒と呼べるかしら?」
メアリは、自分の胸元を撫でて薄く笑う。その奥に、少女の血肉と魔力を無尽蔵に吸い取る怪物が住んでいる。
これが神の使徒ならば、それを支配している自分は一体なんだ?
逆に、これに支配された不適合者達は、神の意志に叶う存在ということか?
くすりと、メアリの唇から笑いが漏れる。毒が滴るような、攻撃的な笑みだった。
「わたし、その宗教とは仲良くできそうにないわ」
「お言葉ですが、恐らく向こうでもメアリ様と握手できるような仲になろうとは思っていないかと……」
王国西部の神等教は、いずれも公認奴隷商の制度を主張しているウェールズ家に敵対的だ。
「相手の意見は関係ないわね。わたしがどう思うかよ」
他人に従うつもりはなく、他人を従える者であることを、メアリは表現する。
「メアリ様は、自分の進みたい方向が一番なのですね」
「人の上に立つ者というのは、そういうものよ」
だからなのか、とアンナは首を傾げる。
リーシル領に向かう旅路で、メアリが馬車ではなく愛馬にまたがって移動しているのは。他人の後に続くというのは、性に合わないのかもしれない。
なお、アンナは乗馬の心得がまだないので、メアリの後ろに乗せてもらって、道すがらまとめた情報を報告していた。
「ウチとしては、ご一緒させて頂いてとてもありがたいのですけれど、貴族としてはもう少し偉そうに振る舞われた方がよろしいのではありませんの?」
「十代の小娘が偉そうにしたところで、所詮は十代の小娘よ。偉そうに見せるためのお金がかかりすぎるわ」
例えば大きく飾られた馬車、彩り豊かで美しいドレス、星のように輝く装飾品を身につければ、道すがら見た人々は感心するだろう。
自分にはできないこと、持てない物を持つ相手を、人は恐れる。
「そういうのは、もう少し実績を積んで、年を重ねてからの方が安く済んで効果も高いでしょ。今は、せいぜい軽やかに動き回らせてもらうとするわ」
そうして、メアリは軽やかにルイの待つリーシル領へと馬を進めた。
****
メアリがルイと顔を合わせたのは、ルイが代官を務める都市ではなく、その都市に食料を供給する農村だった。
「この度はわざわざお越し頂き、誠にありがとうございます。あたしが、この地域の代官を務めております、ルイ・リーシルです」
自分より十は年下の客に、ルイは深々と頭を下げた。
「本来であれば、都市のあたしの屋敷でお迎えするべきところですが、あたしの力が足りずにこのような形となり、ご無礼をいたしました」
辺境伯家の令嬢を迎える場所として、農村の入り口が相応しいかと言えば、緊急時ならともかく平時では失礼にあたる。
とにかくメアリを領内にいれたくないリーシル子爵が、最大限の譲歩として、バロミ男爵領に最も近い農村ならば良い、と言ったためにこうなった。
「バロミ男爵から色々と聞いているわ、ルイ殿。今回は大変だったわね」
「はっ、お言葉、何よりありがたく。ただ、先々のことを考えれば、今ここでの苦労は何ほどでもないかと思っていますので」
「ルイ殿が思った通りになるよう、配慮させてもらうわ」
血染めのメアリが噂で聞くよりも柔らかい対応をしてくれることに、ルイはほっとする。
やはり、メアリ派と敵対するダドリー派の噂というのは、脚色がはなはだしいのだな、と思う。
無論、美しい侍女や騎士、黒蘭商会の馬車を背後に並べた少女が、花を愛でているだけの令嬢だとは、微塵も想像できないのだが。
「早速だけれど、ルイ殿が出せるだけの領内の情報を見せてもらえるかしら」
「その調査にいらっしゃったのですからね、ただちに。では、村長家をお借りしていますので、そちらへ移動を」
「結構よ。今日は良い天気だもの。ここでやりましょう」
ルイが問い返す暇もない。メアリが髪に手をやると、いくつか種が握られている。それを地面に放り投げれば、木と蔓が絡み合った椅子と机が瞬く間に育つ。
「さ、どうぞ。足りなければ追加で出すわ」
「は、はい……。あの、メアリ様の、魔術、ですよね?」
「ええ、そうよ。植物を支配しているの」
「ははぁ……。いえ、お噂は聞いていましたが、こうも自由自在に使いこなせるものとは思いませんで」
「あら、ありがとう」
当の本人は実に気安く使っているが、本来魔術とはそこまで簡単なものではない。
貴族とそれに仕える騎士のほとんどが魔術を使えるが、大半が戦闘目的のものだ。先の対旧帝国戦争の名残のため、また有史以来の魔物の脅威に対抗するため、貴族社会とは戦士社会を基本としている。
現存する魔術は、戦闘用がほとんどであり、それにしても簡単な身体強化や投射攻撃以外は、難易度が高いせいで実戦では使えない。
なるほど。これはすさまじい。
ルイは自分の都市圏の財政状況をまとめた報告書を机に乗せながら、唾を飲む。
かつて、大陸を制覇しようとした強大な旧帝国、その残党である秘密結社・混沌花。その勢力をほとんど丸呑みにした成果が、目の前にいる少女なのだ。
そこらの弱小貴族とは、保有する能力の質が段違いである。いや王族でさえも。
少女は、ほっそりとした指で報告書をつまんで眺め出す。
「様式がわかりにくいわね。カミラ、これをいつもの形に書き直せる?」
「ん~、どれどれ?」
奇跡的に禁酒を守っているカミラが、主人の肩に顎を乗せるように顔出す。
「あー、はいはい。これならできるよ。ちょっくらごめんよ」
メアリの手からさっと報告書を奪って馬車に引っ込むと、入れ替わりにジャンヌがお茶を持って来る。メアリの指示なしの、侍女っぽいムーブである。
メアリは大層満足げに頷く。
「よくできたわね」
ジャンヌの色白の顔が、ほのかに赤くなった。
「そうそう、ルイ殿。今日の夕食についてだけれど」
「あ、はい。バロミ男爵経由でうかがっておりましたが、本当に準備はいりませんでしたか?」
「ええ、事情を聞くと、リーシル子爵は資金難だとか? そんな状況で宴席を開かせたら、ルイ殿やこの村がどれだけ苦労するかわからないから、こちらで用意したわ」
メアリが、黒蘭の紋章がついた馬車を指す。
「バロミ男爵領の村に持って来た余り物だけれど、量だけはあるから、この村の人々にも食べさせてあげなさい」
遠巻きにメアリ一行を眺めている村人達に、メアリは目元と口元をかすかに緩めて視線を送る。メアリが表情筋をそのように動かすと、敵意のないことを示しながらも、迂闊な言動を許さない冷たさを含んだ表情になる。
代官のルイでさえほとんど見たことのない村人達は、その視線の一撫でだけで訳の分からない感動を覚えた。
ルイもまた、村人達とは異なる種類の感動を覚えた。
本来、高い出費になる歓迎の宴席を断りつつ、自前の食料を持って来て、村人にまで振る舞う。それだけ見れば優しい人物と評価がつきそうなのに、薄笑みと眼差し一つで「優しさを振る舞ったつもりはない」と知らしめる。
少女にとって、この振る舞いは当然のことであり、つまりは高貴な身分の義務に過ぎないというわけだ。
ルイは、十分に気を遣っていたつもりの態度を、さらに引き締める。
「バロミ男爵領に持って来られた、とのことですが……」
「ええ、川向こうの村よ」
メアリが顔を向けたのは、バロミ男爵領とリーシル子爵領の領境の一つである川だ。さして大きな川とは言えないが、雨が多く降ると暴れる川で、昔からこの地方の境界線を作っている。
バロミ領側もリーシル領側も、この川から水を取っているので、昔は仲が悪かった。
現在は、ルイとバロミ男爵が交流を持っているおかげで、大雨の時には互いに協力し合うくらいには緩和している。
「父の代から、ウェールズ家では酪農業の研究を進めていたわ。実験も一通り済んだものから、希望するところにはその研究成果を教えてあげることを決めたのよ」
「ははあ。では、今回の調査というのは、そのための準備でもあるわけですか?」
「ええ。こちらの研究成果で期待できる以上の生産力があるなら、変にお節介を焼いても迷惑なだけでしょう?」
「ごもっともで」
ルイは大きく頷いて、メアリの差し出した釣り餌に涎が出そうになった。
今の状況でも、バロミ領側の農村の収穫量が多いのだ。それより上向いた成果が期待できる研究とは、一体どれほどすごいものだろうか。
これから先、この村の農民もルイ同様に涎を垂らすことになる。
こんなところまでわざわざメアリがやって来たのは、敵対領の目の前で高い収穫量を見せることによって、力の差を見せつけるためなのだ。
「あやかりたいものですなぁ」
農村の収穫量が上向けば、当然、ルイだって今よりもっと贅沢ができる。物欲しそうなルイの表情は、とても素直だったので、メアリはくすりと笑った。
「バロミ男爵は、ルイ殿のそういうところを気に入っていると言っていたわ」
「いやぁ、お恥ずかしい。リーシル家の冷や飯食らいですんで、どうにもあたしは兄のようにお上品にはなれませんで」
「わたしは気にしないわ」
メアリは、侍女っぽくない自分の侍女達の方に視線をやってから、はっきりと頷く。
「それに、一般的に、素直という資質は美徳だと聞くわ。時と場所によっては、上品であること以上に」
「そう言われると、期待しちゃいますよ、メアリ様」
「ええ、たっぷり期待していなさい。メアリ・ウェールズは安く見られるのが大嫌いよ」
へへえ、と芝居がかった口調で、ルイは頭を下げた。その額が机にぶつかり、わざとらしい音が鳴ると、メアリは面白い芸を見たような顔をした。
そこに、カミラが紙束を二種類振りながら戻って来る。
「はーい、お待たせお待たせ。お、メアリがご機嫌じゃん?」
ルイが用意した報告書をルイに、カミラが書き直した報告書をメアリに投げ渡しながら、カミラは状況を見て感心する。
「中々の役者がいるみたいだな」
「いえいえ、しがない代官でございますよ」
「本当にそうなら、代官にしとくのがもったいないね。ウェールズ家お抱えの芸人に興味ないかい?」
「お手当はいかほどですかねぇ」
カミラとルイが、お互いに立場がないかのように話している間に、メアリがリーシル領の財政確認を終える。
「ルイ殿、資料はこれだけかしら」
「ええ、面目ございません。うちのはありったけ出しましたが、うち以外は兄が頑として頷きませんで」
「あなたでダメなら、仕方ないわね」
バロミ男爵同様、メアリはルイのバランス感覚を評価した。この男の愛嬌で引き出せないなら、無理に聞き出さない方が良さそうだ。
それに、そこまで重要でもない。
「アンナから聞いた話だと、今のリーシル領ではルイ殿のところが一番まともな状況だとか?」
「中から見た感じだと、そういう気はしなかったんですがね。生産量自体で言えば、うちは可もなく不可もなくのはずです。ただ、よそでは例の宗教ががんばってることを確認しました」
報告書にない部分をルイの言葉から引き出して埋め合わせ、メアリはリーシル領の全体評を出す。
「ルイ殿。あなたが今、こうしてわたしと話したことは決して無駄にならないわ」
これなら、ウェールズ家の研究成果を取りこんだバロミ男爵領が、経済的には圧倒的に有利になる。
「あなたが今と同じ判断を続ける限り、あなたの個人的道楽をより楽しめるようにしてあげる」
リーシル子爵家の家臣程度に払う賄賂に、当分困りそうにはない。




