高嶺の茨1
キャステリア王国は、旧帝国の崩壊以降、安定した国家だったと言っていい。
西部と東部に不安定な地方を抱えていたとしても、中央の盤石を脅かされたことはない。
その成果として、王都にある王城は、戦乱に備えた武骨なものではなく、政治とそれに付随する社交のための式典場としての趣が強い。
その式典用の広間の一つ、謁見の間に、白い薔薇が咲き誇っていた。
薔薇は、メアリ・ウェールズだ。
今日この日、謁見の間の主役であるメアリは、黒いドレスの布地に、刺繍を施すように茨を絡ませ、宝石のように白い薔薇の花をいくつも咲かせていた。
揺れるスカートに咲かせ、細い腰元に咲かせ、胸元に咲かせ、腕輪代わりに咲かせ、首飾り代わりに咲かせ、そして黒髪を束ねる髪留めに咲かせ……黒と白の数少ない彩りでありながら、人目を惹きつける美しさを妖しいまでに香らせている。
式典を見届けるために謁見の間に集められた貴族、主に中央貴族の面々は、メアリの美しさと妖しさを見て、納得の表情や頷きを見せた。
先の王国西部の飢饉に際しては血染めのメアリと呼ばれ、また王国東部の戦線においては西の魔女と呼ばれたという少女。
それらの噂をまとって似合う凄みが、メアリ・ウェールズには確かに見て取れた。
そんな少女が、式典の手順通り、玉座の手前に立つと、式典官が声を張り上げた。
「これより、ウェールズ家ご当主、メアリ・ウェールズ殿の爵位継承と、西部統括官就任の式を始める」
ようやくである。
本来なら、父エドワードの遺言をもって、あっさりとメアリの手に入るはずだったものが、西部の飢饉を片付けて、東部の戦場で暴れて、ようやく手に入る。
そう思えばこそ、メアリの口元には笑みがある。
ただし、彼女が不機嫌な時に見せる薄笑みだ。
並の者が羨む爵位と職位を手に入れた達成感の欠片もない。
ただ、これだけのものを手に入れるのに、随分と面倒なことをしてきたものだという、不快感がある。
そしてなによりも――
「なお、フィリップ国王陛下は現在東部の戦場におられるため、代理として第二王子、フェルディナンド殿下より爵位と職位の授与を行うものとする。異議なき場合は沈黙をもって祝福すること」
これからの式典で頭を下げる相手が、国王の代理。
しかも、王城にいる代理の中でも筆頭にあたる第一王妃でもなく、第二王子である。
(国王も、宰相も、舐めてくれるわね。少し甘い顔をし過ぎたかしら)
玉座の横にいる宰相、ノア・クリストファーに薄笑みを向けると、ノアは祝福用の笑みを全く崩さない。
だが、その横にいる娘のセスが、気まずげに眉尻を下げた。
ノアと比べてセスが甘いのではない。
メアリの不機嫌の被害を一番受けるのが誰か、自覚しているがゆえの正しい反応だ。
(わたしが不満を持っているのは、理解しているようね。ならばまあ、我慢はしてあげましょう)
自覚があるならば、まだいい。
いつか、メアリが思いのままに振る舞う時が来たならば、今日この日にメアリに頭を下げさせたことを思い出せばいい。
今日の蜜は、きつい後悔となって醸成するだろう。
(まあ、ノア殿はわたしを暴走させない自信があってやっているのでしょうけれど……)
果たして、メアリ・ウェールズが他者の思惑通りになるだろうか。
ましてや、その思惑が、安定だとか穏便だとかいう退屈な敷石で舗装されたものならば、メアリ・ウェールズがその通りになるか。
混沌の花をその身に宿した少女は、未来に向けて滋養を得て、薄かった笑みを蕾が開くように綻ばせた。
その笑みを見て、心臓が凍る思いをしたのはセスである。
その笑顔の変化を、的確に読み取った彼女は、この場でメアリが式を台無しにすることさえ懸念した。
だが、メアリは粛々と、その場で腰を落として身をかがめた。
式典は進行し、国王の代理、第二王子が玉座のそばへと立ったのだ。
「父である国王陛下が戦場を離れられない状況ゆえ、私、第二王子フェルディナンドが、恐れ多くも代理として、この式典を執り行わせてもらう。異議はないな」
若い男、少年と言っていい声を、第二王子は発した。
「異議なしと認める。メアリ・ウェールズ卿、三歩前へ」
メアリはもう一段腰を落として、無言で了承の合図とした後、顔を上げて三歩前に出る。
その時に見えた第二王子の顔は、なるほど国王フィリップの息子であるという顔をしている。第一王子と同様、美形なのだ。
ただ、第一王子のマクシミリアンは、東部の戦場にあっても違和感のない逞しさがあったが、第二王子は柔らかい印象が強い。
メアリと同年齢のはずだが、それよりも幼く見える。
第一王子を狼だとすれば、第二王子は子犬のようだ。
(ふうん……。この見た目だから、こんな小細工が必要になると言うことかしら)
いくらかの納得を得ながら、メアリはまた腰を落として首を垂れる。
「うん。それではこれより、ウェールズ辺境伯の爵位授与、および西部統括官の職位授与を行う」
第二王子が宣言すると、式典官がメアリ・ウェールズの功績を読み上げる。
爵位と職位にいかに相応しいかを周知させるためだ。
その間、ずっと頭を下げたままのメアリは、従順に見えるだろう。
キャステリア王家に対して、また第二王子に対して、十分な敬意を払っているように見える。
一度、本人がへりくだり、周囲もそうと認識すると、二度目以降も頭を下げることに抵抗がなくなるもの。
上下関係を、ここでしっかりと決めつけようとしているのだ。
わざわざ第二王子を国王代理にしたことにも、意味がある。
国王フィリップが、メアリに提案した息子との結婚、その相手こそ第二王子フェルディナンドだからだ。
同年代でありながら、メアリはすでに大功を挙げたと認識される身。
素のままの第二王子では、メアリの方が格上と見られるのは明らかである。
そのため、この式典を利用して、第二王子に上げ底を履かせようとしている。涙ぐましい努力と言っていいかもしれない。
そんな相手の都合を、メアリ・ウェールズが大人しく受け入れるかは別の話である。
「以上の功績をもって、キャステリア国王フィリップはメアリ・ウェールズ卿を辺境伯、および西部統括官に相応しいと認める。今後もその力で我が王国を支えることを期待する」
第二王子から差し出された任命書――それ自体が宝飾品にもなりうる巻物を、メアリは優雅に片手で受け取り、一段腰を落として礼を示す。
「お役目、しかとお預かりします。陛下のご判断が正しいこと、今後の働きで示しましょう」
やや短いため無愛想にも聞こえるが、定型句内の返答だ。
セスはほっとした。後は、メアリが立ち上がり、去って行けば式典は終了だ。
「それでは、御前、失礼いたします」
礼儀正しく声をかけ、メアリは立ち上がり、ドレススカートを広げながら振り向く。
たったそれだけの動きの中、一切の音を立てずに、メアリはメアリ・ウェールズ以外の何物でもないことを宣言してみせた。
白い薔薇が、メアリの全身を飾っていた白い薔薇が一斉に散る。
振り向く動作に従い、ドレスが起こした風に乗って白い花びらが広がると同時、ドレスの各所に真っ赤な薔薇が咲き直る。
頭を垂れた際の白い薔薇と、立ち上がった瞬間に咲かせた赤い薔薇。
立ち上がる前と後で、まるで別人とすり替わったような演出。
その意味するところを、参列者達が想像している中、赤く咲き誇るメアリ・ウェールズは颯爽と立ち去っていく。





