第５９話 アリアのもうひとつの顔
どうして無視するんだろう。
胸がちくりと痛んだ。
教会ではあんなに笑顔で応じてくれたのに。
もしかして、みすぼらしい孤児と知り合いだと思われたくないの？
僕はアリアを見た。
こちらに歩いてくるアリアの少し後ろに、付き従うようにして屈強な男がいる。
背が高くて筋肉質な体。
とても強そうだ。
誰だろう？
疑問を抱いたのと同時に、視界の隅にダンテの姿が飛びこんできた。
ダンテ？
笑顔を送ろうかと思ったけど、すぐにやめた。
ダンテと面識がないように振るまわなければならない。
それが暗号師としてやっていく条件だから。
僕は視線を逸らし、もう一度アリアを見た。
アリアはまっすぐ前を見据え、優雅に歩いている。
脇目もふらずに進んでいく。
その様子を僕だけじゃなく、ヴィヴィも注目していた。
美しい容姿に加えて、誰も寄せつけない高貴な雰囲気。
市場にいる誰もがアリアに注目している。
アリア——。
僕に気づいていないの？
ううん、そんなわけない。
だったら、僕を無視するのはなぜ？
気になる。
僕はつかつかとアリアに向かって歩いた。
『アリア』
僕はアリアに近づいた。
それと同時に、アリアの背後から屈強な男が飛びだしてくる。
驚いたときにはすでに男は僕の目前。
後退する間もなく、男は僕の胸ぐらをつかんだ。
男に服を引っ張られ、首が絞まっていく。
く、苦しい。
じわりと首が絞めあげられていく。
なんとかして逃れようと、反射的に男を叩いた。
二の腕付近に当たったけど、ダメージはゼロ。
それならば引っ掻いてやろうと手を動かす。
だけど、うまくいかずに服の袖が捲れただけだった。
抵抗できない。
どんどん息苦しくなっていく。
脳が酸欠を起こしはじめたのか、目の前が真っ白になった。
脳裏に市場の景色が消え、突然ある記憶が浮かんだ。
転生直後、覆面男に首を絞められたときの記憶が——。
あのときも胸ぐらをつかまれ、息苦しいくなって……。
「エトーレ、やめなさい」
突き刺さるようなアリアの声が聞こえてきた。
真っ白だった景色が次第に色づいていく。
なんだったんだ、いまの記憶は。
息苦しさがきっかけとなって、あのときの記憶が浮かんだのかもしれない。
「はい、お嬢さま」
屈強な男——エトーレが手を離した。
胸元を解放された僕は、息苦しさから喉を押さえた。
「レオ、大丈夫か⁉︎」
ヴィヴィが僕の背中をさすった。
『大丈夫』
僕は引きつりながらもヴィヴィに笑ってみせた。
「エトーレ、行きましょう」
アリアが抑揚のない声で言った。
氷のように冷たい。
「はい」
エトーレが僕を睨みつけてくる。
「ちょっと待ちなよ、そこのお嬢さま」
ヴィヴィが喧嘩腰の口調で叫んだ。
アリアがちらりとヴィヴィを見た。
「小領主さまの娘だからって、無礼すぎるだろう」
食ってかかりそうな勢いのヴィヴィ。
すかさず、エトーレがアリアの前に立ちはだかる。
小領主の娘？
アリアが？
たしか、僕がいる荘園を支配する小領主はパッツィだったと思う。
アリアはパッツィの娘……。
教会で出会ったとき、見た目から令嬢だろうことは想像できた。
でも、荘園で一番の権力者の娘だとは思わなかった。
「エトーレ、放っておきなさい」
アリアの一言でエトーレは引きさがった。
表情ひとつ変えず、アリアは歩いていく。
その背後を歩くエトーレは、ヴィヴィを警戒しながら付き従っている。
「ちょっと……」
ヴィヴィは我慢ならずなにか言いたげだけど、言葉を飲みこんだ。
「小領主の娘じゃなかったら、とっちめてやるのに」
憤慨が止まらない。
ヴィヴィの怒りは理解できる。
当事者の僕だって腹が立つ。
でも、相手がアリアだから怒れない。
怒らないけど、疑問を感じる。
教会で会ったアリア。
市場で会ったアリア。
同一人物なのだろうか？
もしかして双子とか？
『ヴィヴィ。あのひとは誰？』
「あの女？ ああ、パッツィ小領主の娘でアリア」
ヴィヴィの答えに僕は落胆した。
双子じゃなく、同一人物だったから。
別人であってほしかった。
「鼻持ちならないお嬢さまだから、あたしは大嫌い」
声からただならぬ嫌悪感を感じる。
ヴィヴィはものすごくアリアを嫌っているようだ。
僕は小屋に帰り、眠くもないのに寝床に寝転がった。
天井を見つめ、ため息をつく。
アリア、どうしたんだろう？
教会で会ったアリアは、天使のような微笑みを浮かべて優しく接してくれた。
それなのに……。
市場で出会ったアリアはその欠片もない。
無表情で突き刺さるような冷たい声を発していた。
アリアにはふたつの顔がある。
表と裏。
僕が見たアリアはどっち？
戸惑いと悲しみ。
その思いをアリアに伝えたい。
それと知りたい。
どうして、僕に冷たい態度を取ったのかと。
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