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第58話 アリアとの約束

 孤児が書いたネウマ譜——。

 それを見てアリアはどう思ったのだろう。

 反応が怖い。

 でも、知りたかった。

 僕に対する感情を——。 

 

「素晴らしいわ」

 アリアの顔がぱっと明るくなった。

『ありがとう』

 頭を下げながら、僕はほっとした。

 アリアはダレッツォと同じ感覚の持ち主だと思いながらも、一抹の不安を抱いていた。

 見るからに令嬢の雰囲気が漂うアリア。

 だから、孤児を下に見てもおかしくない。

 いや、むしろそうなるのが当たり前。

 それなのに、アリアは対等に近い態度で接してくれる。


「若いのにこれほど採譜できるなんて。もしかして、修行中なのかしら?」

『違うよ』

「そう……才能があるのにもったいないわね」

『違う』

 僕は激しく首を横に振った。

「違うの? だったら……採譜師なの?」

『当たり』

 僕は笑ってみせた。

「私、ネウマ譜は読めるんだけど、全然書けないの」

 アリアから向けられる眼差しが、なにやら暖かい。

 ……僕が勝手にそう感じているだけかもしれないけど。

「レオ、凄いわ」

『ありがとう』

 お礼を伝えようと軽く頭を下げた。


 嬉しい。

 ダレッツォに認められたときと同じくらいに……。

 ううん、もしかしたらいまのほうが嬉しいかもしれない。


「このネウマ譜だけど……」

 アリアは言いながらネウマ譜を丸め、僕に返そうと差しだした。

『プレゼントだよ』

 差しだされたネウマ譜を僕は受けとらず、首を横に振った。

「私に、くれるの?」

『うん、受けとってくれる?』

 僕は両手で差しだすようなポーズを取った。

「ありがとう。いただくわ」

 丸めたネウマ譜を大切そうに持った。

「この曲ね、私が作ったんだけけど、採譜できなくて困っていたの」

 アリアがこれまでで一番の笑顔を浮かべた。


 アリアが作曲した?

 僕は驚いた。

 歌う能力に加えて作曲にも秀でている。

 まさに多才。

 そのうえ、美しい。


「既存の聖歌じゃないから、採譜するのはとても困難なの」

 話しながらアリアがネウマ譜を抱きしめた。

 なぜか僕の体がぽっと熱くなる。

「私が採譜できれば一番なんだけど、習う機会がなくて……」

 残念そうに顔を歪めるアリア。

 そんな表情でもとても絵になる。

「採譜師を雇えばいいんだけど、そうなるとこの場所を教えないといけなくなるし」

 視線を斜め下に落とし、ふっと息を吐く。


 ——この場所は私とレオだけの秘密ね。

 脳裏にアリアの言葉が浮かんだ。

 前にアリアが言っていた。

 ここは秘密の場所。

 僕とアリアだけの……。


「だから、ネウマ譜に残すことをあきらめていたの。それなのに……」

 アリアが視線を真正面に戻し、僕を見た。

 青い瞳が輝いている。

「レオが採譜してくれた。ありがとう、本当に」

 アリアがそっと僕の手を握った。

 柔らかくて暖かい。

 感謝が伝わってくる。


『ありがとう。聖歌を聞かせてくれて』

 身振り手振りで思いを伝える。

「歌? もしかして、私が歌う聖歌を気に入ってくれたのかしら」

 アリアが小首を傾げた。

 

 ちょっと違う。

 でも、アリアが歌う聖歌が美しくて好きなのはたしか。

 だから、首を縦に振った。


「ありがとう。レオと出会えて本当によかった」

 アリアが微笑む。

 ただお礼を言われただけなのに、とても嬉しい。

 日々の疲れやストレスが吹き飛んでいく。

 ヴィヴィの笑顔は元気や活力を与えてくれる。

 それに対し、アリアは癒しだ。

 

 僕はアリアの笑顔に見惚《みと》れた。  

 ずっと見ていたい。

 最初は見た目に惹かれた。

 でも、いまは違うと断言できる。

 一緒にいるだけで心が安らぐ。

 癒される。

 そんな風に感じられたひとは初めてだ。


「また会えるかしら?」

 アリアの言葉に僕はびくっと体を震わせた。

 いま、アリアが僕にまた会えるかって聞いてきた?

 聞き間違い……だよね。

 まじまじとアリアを見つめた。


「この教会には十日に一度くらい来るの」

 一旦、口を閉ざした。

 僕の反応を待っているようだ。

『うん。会いにくるよ』

 大きくうなずくと、アリアが少し視線を落とした。

「また会えるといいわね」

 少し寂しげに微笑む。

『会えるよ』

 僕はヴィヴィの笑顔を真似て笑ってみせた。

 ヴィヴィの笑顔は元気をくれる。

 だから、真似てみた。

「……そうね。この教会で会いましょう」

 アリアは別れの挨拶をし、教会から去っていった。


 十日後にまた会えるかもしれない。

 そう考えると、いま感じている寂しさが少し和らぐ。

 早く時間が過ぎないかな。

 別れたばかりなのに、もう次の出会いに思いを馳《は》せた。


 アリアと教会で出会ってから三日が経過した。

 次に会えるまで、まだ一週間もある。

 僕はため息をついた。

「どうしたの、レオ。なんだか憂鬱《ゆううつ》そうだな」

 ヴィヴィが声をかけてきた。

『そんなことないよ』

「いや、絶対なにかある」

 ヴィヴィが僕の顔を覗きこんでくる。

「ははぁん、悩み事があるって顔だ」

 にやりとヴィヴィが笑った。


 見透《みす》かされている?

 僕はどきっとした。

 いや、それは絶対にない。

 いくらヴィヴィが僕の心を見抜いたところで、アリアとの出会いは知らないはずだ。

「よし、気分転換しょう!」

 そう言うが早いか、ヴィヴィは僕の手を引っ張った。

 強引に小屋から連れだされ、どこかに向かって歩きだす。

『どこに行くの?』

「どこに連れていくのかって? ふふん、それは行ってのお楽しみだよ」

 ヴィヴィは鼻歌を歌いながら歩き続ける。


 数分ほど歩いたのち、屋台が立ち並ぶ市場に辿りついた。

「ここが荘園内で一番栄えている市場通りだよ」

 ヴィヴィの説明を受け、僕は辺りを見渡した。

 市場に来るのは初めてで、見るもの全てが新鮮に映る。

 様々な物を売りさばく商売人たち。

 商品を笑顔で物色する客たち。

 とても華やかな雰囲気が漂っている。

 僕は特に目的もなく、立ち並ぶ屋台を眺めながら歩いた。

 物を買わなくても見ているだけで楽しい。


「レオ、必要な物があるなら買ってあげるよ。自立したお祝いに」

『ありがとう』

 お礼を伝えた。

 とはいえ、ヴィヴィに買ってもらうつもりはない。

 ジェロからお金をもらったし、いまのところ欲しいものがないから。

 

 市場の雰囲気を楽しみながら歩いていたそのとき——。

 前方からアリアが歩いてくるのに気づいた。


 教会で会った記憶のなかアリア。

 僕がいま目にしているアリア。

 どちらもアリアだ。 

 それなのに、近づいてくる姿はどこか違う。

 金髪碧眼、美しい容姿に令嬢然とした雰囲気。

 同じはずなになぜ?

 

 じっとアリアを見た。

 すると、アリアが表情ひとつ変えずに視線を逸らした。

 見知らぬ人に対する態度だ。

 それでも僕はアリアを見続けた。

 でも、アリアは応えてくれない。

 

 なぜなんだろう。

 僕は悲しくなった。

毎日更新。

*カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16817330647661360200)で先行掲載しています(毎日更新)。


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