第45話 異世界から来た僕ならではの暗号
日々、ネウマ譜を書いている。
それをカリファに確認してもらい、そのあと商人であるジェロの手に渡る。
教会側から納品——ネウマ譜の受けとりを終えると、ジェロは必ず僕を訪ねてくる。
一番の目的は、客先からの依頼や今後の納品時期などの話をするため。
それが終わったら、教会での暮らしなどプライベートな会話をする。
心身ともにリラックスできる貴重な時間だ。
今日はネウマ譜の納品日。
きっとジェロはやってくる。
そう信じて、昨日の夜、必死になって考えたことを頭のなかで反芻した。
まず、話を聞いてほしいということを伝える。
次に説明だ。
話せないから、事前に書いたものを差しだす。
ジェロがどんな反応を示すかは未知数。
出たとこ勝負だ。
臨機応変に対応しよう。
「よぉ、レオ。元気だったか?」
予想通り、ジェロが保管小屋に顔を出した。
商売がうまくいったのか上機嫌だ。
『うん、元気だよ』
笑顔で答える。
「それはよかった。困ったことはないか?」
『ないよ』
首を横に振ってみせる。
「本当に?」
ジェロが僕の顔をのぞきこんでくる。
遠慮して言わないのではないだろうかと疑っているようだ。
鋭いなぁ。
たしかに困り事がある。
教会から自立したあとの生活についてだ。
それを解決するため、昨日は寝ずに考えた。
あとはどう伝えるか、だ。
準備はすでに整っている。
ジェロも僕がなにか言いたそうだと気づいているようだ。
だったら、やろう。
僕は意を決し、ジェロをまじまじと見つめた。
「なんだ?」
『これを見て』
夜を徹して書いた紙を机に置いた。
説明できないから、見てもらうしかない。
一見してなんであるか判別できるか?
そこがポイントだ。
ジェロはじっと紙を見つめている。
「このネウマ譜がどうかしたのか?」
不思議そうな顔をしている。
そう、これはネウマ譜だ。
問題はその先にある。
ジェロは気づくだろうか?
僕はジェロの問いに答えず、ただじっとしていた。
「……あれ? これ、なんか変だな」
ジェロが首を傾げた。
「新作のネウマ譜……いや、違うな。見覚えのあるネウマ譜だ」
独り言を言いながら、ネウマ譜を手に取った。
それを顔に近づけ、至近距離から調べるように見ている。
「失敗作?」
一旦、ネウマ譜から視線を外し、僕を見た。
『違うよ』
僕はゆっくりと首を横に振った。
「同じ縦軸に記号がふたつ? たしか、普通はひとつだったような」
顎に手を置き、ジェロは考え続ける。
そう、正解。
普通はひとつ——単音しか記さない。
「これって失敗作? いや、だったら書き直すよなぁ」
ジェロが悩んでいる。
僕はあえて反応せず、ジェロを見守った。
「あっ、もしかして、間違いを訂正する前の状態なのか……」
誰に言うでもなくジェロがつぶやく。
これ以上はわからない、降参だとばかりに僕を見つめた。
これを見てなにか気づくのは、ある程度ネウマ譜に精通している者だけ。
そのほとんどは、ジェロと同じ反応を示すだろう。
書き損じ、または失敗作ではないかと。
ネウマ譜を見慣れたジェロでさえ、秘密に気づかなかった。
上々の出来だ。
ジェロが失敗作だと指摘したネウマ譜には、同じ縦軸に記号がふたつ。
それは、単音で書かれたところに記号を足した結果だ。
つまり、和音——ハモリを記した。
僕のいた世界では当たり前のようにあった表記方法。
だけど、ジェロは和音が表記されたネウマ譜を知らない。
その結果、このネウマ譜は間違っていると認識した。
カリファと同じように……。
それを僕は利用した。
僕はネウマ譜の隣に別の紙を置いた。
全部で二枚。
一枚はネウマ譜。
もう一枚は数字を書いたもの。
すぐさまジェロがそれに気づき、見つめる。
「ネウマ譜と数字?」
ジェロが顎に手を置いた。
クイズを解くように三枚の紙を凝視している。
僕はしばらく待った。
でも、謎は解けないようだ。
心のなかでガッツポーズをした。
そう簡単にわかってしまっては意味がない。
とはいえ、このままでは日が暮れてしまう。
ヒントを出そう。
僕は最初に見せたネウマ譜と、あとで出したネウマ譜を重ねてみせた。
「重ねる? それがどうした……あっ、もしかして見比べろってことか?」
ジェロはぽんっと手を打ち、二枚のネウマ譜を並べて置いた。
視線を左右に走らせ、見比べていく。
そこまで来れば答えに辿り着くのは時間の問題。
「そっか、わかったぞ。これは同じ聖歌を記したネウマ譜だ」
正解を確信した力強い口調で言った。
でも、すぐさま首を傾げる。
「正しいネウマ譜と書き損じのネウマ譜……それがどうしたっていうんだ?」
ジェロは正しい道順で答えに向かっている。
あと一押し。
僕はあとから出したネウマ譜の記号を次々と指差していく。
それをジェロが目で追っていく。
指した記号は、書き足した重音部分だ。
全部で十個。
「この十個がどうかしたのか?」
ジェロが聞いてくる。
答える代わりに、数字が書かれた紙を指した。
そこには、重音が記された場所と数字が併記してある。
『見て』
僕は二枚目のネウマ譜と数字の紙を並べ、次々と指差していく。
書かれた数字は一から始まり十で終わっている。
僕は一を差し、それから指をネウマ譜に書かれた記号に移す。
次に二を差し、指をネウマ譜の別の記号に移動させる。
そうやって次々と指し示し、十まで終えた。
「まさか、これって数字をネウマ譜に仕込んだ暗号か⁉︎」
ジェロが目を見開いている。
『そうだよ』
ゆっくりとうなずく。
「じゃあ、この紙は解読文書ってわけか」
ジェロが数字を書いた紙を指した。
「これなら、商品として運べるから暗号だと疑われにくい」
商人ならネウマ譜を持っていても不思議じゃない。
たとえ疑われても、ネウマ譜は普通に聖歌として歌うことが可能だ。
ハモリのパートを書き加えただけだから。
ただ、ネウマ譜に精通した者が見たら疑問を持つ可能性はある。
和音を記したネウマ譜は、少なくともこの荘園内では流通していないから。
そのときは、新たな記法を編みだしたと言えばいい。
「あとは、場所を暗号化できれば完璧だな」
ジェロが満足げにうなずいている。
いまのところ作戦通り。
あともう少し。
残るは場所を暗号化する方法をジェロに伝えるだけ。
難しいけど、これができれば認められる。
暗号も僕のことも。
毎日更新。
*カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16817330647661360200)で先行掲載しています(毎日更新)。




