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犬鏡外伝 Side By Side ―双璧―  作者: 奥瀬
第二部 星を継ぐもの
10/13

兄の死と兄の死

 五月、氏政の耳に不穏な噂が耳に届く。

 火種は遠く京の都からだった。

 前関白藤原経忠は、南朝の和平派として両朝の間を取りなそうとした。しかし北畠親房を頂点とする武断派の妨害に遭い、吉野に居場所をなくした。仕方なく北朝に復帰するも誰からも相手にされず、失意の反動からか尊大な妄想を抱え込む。

「南でも北でもない第三勢力、藤原氏中心の世の中に変えてしまうのだ!」

 藤氏一揆の発想が生まれた。

 それには武力が必要であると、関東の藤原氏、小山と小田へ勧誘の手が伸びる。特に朝氏へは、鎌倉府の関東管領に対抗してか『板東管領』なる職名まで提示したという。

 ――藤氏一揆なんて馬鹿げているよ。まさか私は、兄上をそこまで追い込んでしまったの?

 孤立無援となった朝氏らは、今や南北両朝から浮き上がっている。思い詰めて経忠に同心しないとも限らず。

 兄は無謀な賭に出たのか、氏政は心配でならない。

 この藤氏一揆の件は常陸小田城の北畠親房の耳へも届く。当初は負け犬の戯言とうち捨てていたが、最近になって、自分の住まう小田城へも使者が訪れ、城主治久とやり取りがあったと聞き、慌てふためいた。高邁な思想と遠大な計画をもって南朝の復権を果たすべく、日本中の諸大名に使者間者を送り、彼らの動向を掌握する親房だったが、

 ――同じ城内にいながら、この大事に気付かなかったとは、私は笑い物か。

 恥ずかしさで顔から火の出る思いだ。

 さっそく治久を問い詰めたが、

「藤氏一揆などに私が与同するものですか。報告を控えましたのも、ご多忙な大納言殿のお耳を患わせたくなかったまでのことです」

「それでも一言くらい報告があってもよかろう」

 親房の心に不満がうずまく。

 小田氏が一揆に与する気はない。それは事実だろう。

 しかし、

――劣勢の続く南朝とも少し距離を置きたい。

 治久の本音をこのとき感じた。だが今、それを蒸し返す余裕はなかった。

「小田・小山が藤氏一揆に参加するなど巷説(こうせつ)に過ぎぬ」

 親房は噂の火消しに躍起(やっき)になる。東国の大名たちの不信感を拭うべく、長文を書きまくり、送りまくる。

 だが彼は、この騒動が与えた教訓を見過ごしていた。わざわざ常陸まで下りながら、城に籠もり、土地の武将と交わることもせず、彼らの生活を理解しようともしない、ただ相手に己れの理念を押しつけるだけでは、誰も親房に従わないということに。

 彼の頑迷さに小田治久の心は離れていった。

 六月、すでに同国内に陣を構えていた高師冬が筑波に進軍。後背から小田城を攻めた。

 城主の治久はこれを迎え撃ち、師冬軍を退ける。

 味方の勝利に、ほっと胸をなで下ろす親房だった。が、治久は全く別のことを考えていた。

 ――これで武家方への恭順の条件が有利になった。

 本領が安堵されれば、いつでも和睦に応じると、尊氏の意向を探りに京へ使者が送られる。

 親房は切り捨てられたのである。


 下野小山では、盛夏を過ぎ、涼風が吹くころになっても、祇園城の朝氏は沈黙したままだった。

 まるで口を閉ざした貝のように反応がない。

 だが、氏政も兄にばかりかかずらってもいられなかった。

 南北の勢力が入り乱れる下野・下総・常陸の国境付近では合戦が激しさを増した。

 氏政へも鎌倉方から軍勢催促が届く。

 鷲城に少しばかりの兵を残し、結城郡内の小山家が所有する出城に入った。

 最盛期ほどではないにしろ、小山氏は名ばかりの権門と違い、北は津軽(青森県)から西は播磨(兵庫県)まで、さらには京鎌倉にも邸を置く、関東屈指の土地持ち城持ちである。

 氏政は城に着いてすぐ、結城城の少年城主直(ただ)(とも)を訪問すると言い出した。

「五郎さまが、結城七郎殿のもとへですか?」

 野崎はいい顔をしない。

 氏政は一門の主である。むしろ直朝を呼びつけるくらいに思っていた。

「そんなふうに考えるなよ。七郎殿は年長だし、官職だってあちらは衛門尉だ」

 直朝は衛門尉の別称、判官と呼ばれている。それに引き替え、氏政は元服の際、北朝へ位官の申請をしたものの、未だ無位無官。直朝と肩を並べるのは当分、先になりそうである。

 氏政は家臣らを説得して、結城城へ向かった。

 結城城では自ら足を運んでくれた一門の本宗家を直朝が喜んで迎える。

「ようこそお出で下さいました、五郎殿」

「いいえ、五郎でよいのですよ。私の方が年下なのですから」

 直朝は今年十七歳だが、すでに一族の主らしい堂々とした貫禄が身に付いており、四つ年下の氏政には眩しく見えた。

 ――私もあと何年かしたら、これくらいの振る舞いができるかな。

 そこへ、直朝の小さな弟たちも挨拶を述べにやってくる。

 ころころと子犬のようにかわいらしいチビらだが、結城の一族も男児は幼名に『犬』の一字をつけることが習わしとなっている。この直朝も数年前までは犬鶴丸と呼ばれていた。

「いいですね、七郎殿は兄弟が多くて。私には兄一人しかいないから羨ましいかぎりです」

「父は早くに亡くなりましたが、兄弟をたくさん遺してくれたことに感謝しています」

 直朝は少し誇らしげに答えた。

「この他に次弟がおりますが、今年元服して小塙城の主となっています」

 彼の次弟は小塙八郎太郎直光(ただみつ)と名乗っている。

 結城一族も壮年の男たちが次々と戦死し、少年たちが城主として各地を守っているのだ。

「五郎殿の一つ下になりますが、近々挨拶に上がらせようと思います。その折はよしなに」

 五人兄弟の長男。彼が年よりも大人びている理由がわかる気がした。

 氏政は合戦中、直朝と行動を共にするため、彼の提案で結城城に留まることになった。せっかくの小山・結城連合軍、二城に別れて駐留するよりも(はか)がいくと。

 結城城は直朝の心遣いで居心地よく、弟たちともすぐ馴染んだ。

 直朝は、氏政へ、

「いうなれば、我々は小山・結城六人兄弟ですね」

「私も兄弟の中に入れてくれるんですか!」

「私こそ五郎殿を弟と呼べて、うれしく思います」

 直朝の言葉にお世辞めいたものは見あたらなかった。

 ――私は一人じゃないんだ。

 兄を奪われてから初めて覚える、ともに歩む仲間の存在。

 己れにつきまとっていた孤独感から解放され、氏政の心は世界の拡がりを感じた。


 暦応四年(一三四一)十一月、小田治久と高師冬の和議が成立し、小田城は開城。これより前、北畠親房は常陸国内の関城へ移り、間近の大宝城へは、彼の縁者で吉野から呼び寄せていた武将の春日顕国を充てた。二つの城は、それぞれ大宝沼の南北に、向かい合うように築城されている。

 同十二月、降伏した小田氏を先陣に、師冬軍は関・大宝城の攻撃を開始した。もっとも真冬の戦闘にあって士気は上がらず、本格的な攻防戦は翌年春まで持ち越される。

 両城は下総結城と国境を挟んで接していた。当然、鎌倉方の攻撃命令は、直朝や氏政のもとにも下される。

 彼らが結束を強める一方――

 大宝城は小山氏庶流、下妻氏代々の居城。また、関城の地所は源頼朝より結城氏の初代に与えられたもので、(のち)に庶流が移り住み、城主は関氏を名乗った。

 両城へは南朝方の長沼一族も加わり、小山一門は血族同士の争いを深める。


 康永元年(一三四二)、氏政は十四歳になった。

 春先、下野で勃発した小競り合いを征し、小山・結城勢が関城の攻撃に参じたのは、同年六月のことである。

 盛夏。

 床几を並べる直朝が、ことのほか眩しく見えるのは日差しのせいばかりではない。四つ違いの従兄の身体はすでに成熟し切って、陽に焼けた肌は精悍さを増し、(はなだ)色で威した鎧がよく似合う。

「ふぅ。暑いな」

 直朝は竹筒の水を一口呑んだあと、直垂の襟を崩し、うなじから背中へ水を流し込んだ。

 氏政も彼を真似て、水筒で涼をとる。

 お行儀が悪いですよと、目で訴える野崎は無視した。

 自分も初陣以来、それなりに成長してきたつもりだが、直朝と比べれば、まるで未熟だ。きっとこれからも直朝の背中を見て、彼の後を追いかけ続けて行くのだろう。このころの氏政の直朝への思慕は実兄朝氏へのそれを越えていた。

 さて、高師冬が指揮する関城攻撃である。

 関・大宝城間の陸上連絡路を絶つことに成功したものの、城内は堅く木戸を閉ざし、籠城戦の構えを見せた。

 無駄に日数を過ごすことに業を煮やした師冬は、

「城塀の下から穴を掘り、城内への通路をつくれ」

 兵士らへ、弓や太刀の代わりに鋤鍬を持たせ、坑道を掘らせた。

 昼夜を問わず横穴を掘り進めて行くも、城内の兵士らに異変を気付かれる。

「何だか地面の下から物音がしないか?」

「きっと師冬が穴を掘って城内へ侵入しようとしてるのだ!」

 そうなっては一大事と、城方は音のする地面の上を、ここぞとばかりに跳びはね、馬を走らせる。坑道の天井は振動に耐えきれず崩落し、工兵らを生き埋めにした。

 小安を得た城方の部将らは、

「どうする? この件、亜相に報告するか?」

「やめておけ、どうせ、あーだのこーだのうるさいこと言われるだけだ」

 どこに行っても、誰からも煙たがられる親房だった。

 師冬の坑道作戦は多数の死傷者により中止され、北朝勢は兵糧攻めによって落城を目指す。


 康永二年(一三四三)、北朝勢が関・大宝城を囲むこと足かけ三年、城内は困窮を極めていた。親房は相変わらず、盟友結城宗広の息子、親朝を始めとする奥州の南朝方へ救援の催促をしていたが、もう何をしても無駄だった。伊達・南部は北朝勢に進路を阻まれ、白河結城には尊氏からの使者が往来している。他の武将らも、神将と仰ぎ見た顕家が西国で使い捨てにされたのを目の当たりにしていた。

 よほどの利害もしくは遺恨でも絡まぬ限り、彼らが南風になびくことはなかった。

 親房による東国経営は終焉に近付いていた。


 同年四月、ついに関城の糧食は尽き、城兵たちは飢え死によりも討ち死にをと、覚悟を決する。

 城戸が開かれ、騎馬も歩兵も我先にと討って出る。

 死戦に身を投じる関城の軍勢は、幽鬼のような形相で北朝勢に迫った。正面にはちょうど小山・結城の軍勢が展開していた。不意を衝かれた彼らは一瞬体勢を崩しかけたが、

「ひるむなっ。敵は小勢だ。逃げずに立ち向かえ!」

 直朝は大声で呼ばわった。結城勢は陣形を立て直し、関城の軍勢に打ちかかった。

 籠城で疲弊した関城勢と、数に勝る壮健な連合軍。勝敗は時間とともに明暗を分け始めた。

 けれど、そこへ、大宝城から軍勢の一部が乱入する。

 対岸の味方の苦戦を見かね、敵将の春日顕国が少数の先鋭部隊で駆け付けたのだ。当然関・大宝城間には北朝方の軍勢があったが、それを物ともせず突破すると、結城勢へ襲いかかった。

 神将顕家の再来とも言われる顕国。

 憧れの従兄と同じ一字を持つ彼は、亡き顕家に恥じぬ果敢な武者振りを見せた。

 顕国が顕家と違ったのは、公家とは思えぬ実戦派だったことだ。後醍醐天皇は生前、文武両道を旨とし、公家らにも弓馬の訓練を受けさせた。それが今花開いたのだ。全くの(あだ)(ばな)であるが。

 敵兵を追い散らし、返り血を恐れず手当たり次第に太刀で叩き切る。顕国の廻りには血煙が渦巻いた。

 彼の血走った眼球が素早く左右に動く。雑兵(ざこ)だけでは飽きたらぬと大将首を探す。

 その目が一人の若武者の姿を捕らえた。

 二つ巴の紋、(あて)やかな甲冑、年齢から、名門結城氏の当主と知る。

 このとき氏政と小山勢は後方に退いていた。顕国の乱した陣形を整わせ、再度反撃に出るためだった。

 しかし彼らの行動は悠長に過ぎた。

 小勢ゆえ、短時間で決着を付けようと顕国が目指すは、連合軍の要たる直朝の首である。

 直朝の郎等らは、主を討たせてはならじと身体を張って守ろうとしたが、顕国の敵ではなかった。

「殿、ここは危険です。すぐにお逃げ下さい」

 郎等が轡をとって馬首を巡らせようとしたとき、

「卑怯だぞ、結城判官! 臆病者と呼ばれたくなかったら、私と勝負しろっ」

 顕国の呼び声に、直朝は大きく振り返った。

「いけませんっ。殿! ここは涙を呑んで退いてください。陣形を整え、奴らを囲み直せば、敵とも言えぬ小勢なのですから」

 なおも轡をとる郎等の手を、直朝は鞭で叩いた。

「悪く思わないでくれ。弟が見ている。無様な真似はできないんだ」

 氏政のいるはずの後陣へちらりと視線を送ると、騎馬を顕国の正面へ向けた。

 両将は互いに怯みもせず相手へ突進した。双方の馬はともによく肥えた精力旺盛な駿馬だ。激しくぶつかり合い、跳ね飛ばされて当然のところを、ともに腕伸ばし、組み合った。

 地面に叩きつけられたとて、若い二人は力を緩めることなく直土(じかつち)の上を転がり廻る。周囲の誰もが目を見張る中、一人、顕国の郎等の動きは素早かった。主人のもとへ駆け付け、顕国が直朝を組み伏せた瞬間、鎧の隙間を狙い、左脇腹へ短刀を突き入れた。

「ぐっ・・・・・・」

 直朝の目が見開かれ、腕の力が弛む。

 顕国はすかさず直朝の首を掻こうとしたが、郎等が彼の腕を取り、立ち上がるよう促した。

「何をっ」

 合戦の一番の醍醐味を邪魔され、怒鳴りつけそうになったが、

「まわりをご覧ください」

 結城勢の包囲陣は完成しつつあった。

 顕国は愛馬に飛び乗ると敵勢の囲みを蹴破り、大宝城に戻らず、そのまま関城へと入った。


「七郎殿! 七郎殿!」

 合戦の全てを見ていた氏政は泣きながら直朝のもとへ駆け寄った。

 直朝はまだ息があった。氏政の声に、片目だけ開けて、

「涙は無用です。五郎殿。私はまだ生きております」

 笑ってみせた。

 しかし、急所は外したものの脇腹の傷は深く、どくどくと流れ続ける血は、当て布を瞬く間に朱に染めた。

 盾の上に寝かされ、陣屋へ運び込まれる直朝に、氏政はぽろぽろと涙を流しながら、付き添った。


 帷幕の中で横たわる直朝の頬はすでに死んだように青ざめていた。こうして息をしているのが不思議なくらいだった。

 小塙城の直光のところへは先刻使いが出された。直朝の万一に備えて。いや直朝の生命が助かることの方が万に一つだろう。

「逃げようと思えば、逃げられたはずだったのに・・・・・・」

 今さらとわかっていても、そう呟かずにはいられない。

「・・・・・・武士が地面のために命を懸けられなければ嘘ですよ」

 意識があるとは思えなかったのに、直朝は答えた。

 氏政は直朝の側へにじり寄り、一言も聞き漏らすまいと顔を彼の口元に近づけた。

「関城の奪還は父の悲願だった・・・・・・」  

 関郡は彼の父朝祐が建武二年の戦功により尊氏から譲られたものだ。だが敵対する関氏は、この地に居座った。  

 朝祐は関城を取り戻す機会を伺いながら、西海で没した。今回の関城攻めは父の遺領を回復するまたとない好機だった。

だが―――

 直朝は小さく息を吐くと、目を薄く開いて、氏政を見た。

「五郎殿は私の真似などしてはなりません。何しろ私と違って、小山の嫡流はたった二人しかいないのだから。命は大切になさってください」

 そう言って目を閉じた。

「七郎殿、七郎殿」

 氏政は、直朝の身体を揺さぶったが、再び彼が応えることはなかった。

 その夜、直朝は静かに息を引き取った。


 結城郡の南にある小塙城から関城はさほど遠からず、直光は馬を飛ばして兄直朝の死に目に立ち会った。

 兄が身罷ったとき、直光は号泣した。

 辺り構わず大声を上げて泣く直光のそばを、氏政は離れた。陣幕の外、松林の中に紛れ、唇を噛んで嗚咽をこらえた。直光のように遠慮なく涙を流すことができればどんなによいか。しかし、直光は直朝の本当の弟で、自分は『弟のような』存在でしかなかった。直光と同じほどに嘆き悲しむことは許されない気がした。

 松の幹に額を押し当てる。ごつごつした表皮に押し返され、少し痛いくらいだったが、松の香が心を落ち着かせてくれた。だから、涙が頬を伝っても、しばらく放って置いた。

 どれくらいの時間が過ぎたろう。

「五郎殿、五郎殿」

 自分の名を呼ぶ直光の声に、慌てて頬を拭い、振り返った。

「八郎太、何か?」

「兄上が最後に言葉をかけたのが、五郎殿って聞いたから。ねぇ、兄上はどんなことを言い残したのですか」  

 直光の真剣な眼差しに、少し怯む。それでも氏政は、真っ直ぐ彼を見返して言った。

「八郎太や弟たちのことをとても心配していたよ。武士とはいえ、戦場にあっても命は大切にするようにと。その上で、父の領地を回復するようにと」

「命は大切にしろって、自分は死んじゃったじゃないか!」

 直光の目には憤りの色があった。

「だから真似はするなと言ってた。もう犠牲は一人で良いからって」

「そんな、自分だけ格好つけて・・・・・・」

「皆が皆、簡単に命を投げ出したら、子孫が残らなくなる、という意味だと思う」

 蛇足だと思いつつも、氏政はそうつけ加えずにいられなかった。

 ――もう、誰かの死など見たくない。  

 その思いが彼に嘘を吐かせていた。   

「命は大切に・・・・・・」

 直光は兄の言葉を噛みしめるようにして押し黙った。


 関・大宝城は、その年の十一月に陥落し、関城の城主親子は自刃した。北畠親房は辛くも城を脱出し、吉野へ逃げおおせている。勇将春日顕国はしばらく行方不明となっていたが、翌年三月四日、大宝城を急襲、占奪するも、翌日武家方の猛攻撃を受け、生け捕られて断首に処された。

 戦いには氏政、直光も参じ、直朝への弔いを果たす。この戦功により直光は関郡一帯を与えられ、父と兄の悲願を達した。


 関東は北朝の勝利によって平和を取り戻した。

 しかし、ここで浮かび上がってくるのは、南朝に与した武将への処遇である。

 氏政も、今までうやむやにしていた兄の処遇について正面から向き合わねばならなくなった。小山一族の多くは氏政を領主として認めている。しかし国司・守護等の所職は、公的には未だ朝氏にあった。

 朝氏、いや彼は数年前から改名し、朝郷と名乗っている。

「南朝方として、敵となった将軍家からの一字を捨てたのでしょう。代わって、嚢祖秀郷公にあやかろうと・・・・・・」  

 家臣らは噂したが、氏政は兄の性格から、それは違うと思った。

 尊氏から武家方の主将として期待されながら、裏切らざるを得なかった心苦しさ。そのために、名前を変えたのだ。

 小山家は岐路に立たされていた。

 名のみとはいえ、正統の当主たる朝郷は反北朝と目されている。幕府から咎めを受ける可能性すらあったのだ。

 だが一方で、小山兄弟合戦は領内に留まり、一族の内紛の域を出ていない。朝郷は親房の軍勢催促にも動かず、対外的には中立を貫いているのだ。

 固く閉ざされた祇園城の(なか)は知りえない。それでも宮方の終焉の予感に暴走しかねない叔父たちを、朝郷が抑えているのは確かだろう。あの貝のように押し黙った祇園城の情態は、鷲城からの防御のためではなく、鷲城の氏政を守るための姿勢にさえ思えた。

「違うか。野崎」

 氏政はかたわらの近侍に訊ねるが、返事はなかった。

 野崎は祇園城に間者を持つらしいが、詳しいことは氏政にさえ秘密にしている。

 貞和二年(一三四六)正月、朝郷は二十歳、氏政は十八歳になった。もう子どもではない。自分が成長した分、この六年間で兄にも変化が起きているはずだ。

「そろそろ、兄上とも使者を交わそうかと思うんだが」

 と切り出したのは、氏政が小山家の当主としての自信を持ち始めたからだ。

 和解したとしても、朝郷が返り咲くことはない。その兄の居場所を一族の中に作り、日々の安寧を図る。叔父秀政のことは吉野へ帰るのであれば見逃してもよいとすら考えている。

 家臣らも氏政の意見に概ね賛成である。もう一族内の争いには倦み疲れていた。

 祇園城へ書状を送ると、間もなく朝郷から返書が届いた。

 氏政は久しぶりの兄の消息に涙が出そうになった。

 それをひた隠して朝郷の手蹟()を見る。当たり前だが大人の洗練された文字。六年間の時間(とき)の隔たりを思う。  

 内容は、小山家を分裂させたことへの謝罪から始まり、折を見て祇園城を解放し、鷲城に投降すること、郎等たちの今後は氏政に任せ、己れは出家するとあった。

「出家か・・・・・・」

 朝郷がそれを申し出るのは予想していた。幕府から睨まれている事実を自覚し、小山家の数年来の矛盾を全て背負って世を捨てようと。

 一番、妥当な決着。  

 この場合、出家は隠居と同義語である。退屈ながら平穏な日々が待っているだろう。  

 当然、小山家の政務から一切身を引くが、ほとぼりが冷めたら女性をそばに置くこともできる。もし兄に子どもが生まれたら自分の猶子に迎え、成長の暁には小山一族として下野の経営に参加させよう、氏政はそこまで考えていた。

 もう一度、兄の書状に目を落とす。

 自分は戦いで死んでいった郎等たちの冥福を祈ることに専念したい。小山一門をよろしくと、結ばれていた。

 全ては過去のことに。

 これで兄弟の苦悩の時代は終わった。

 小山家の誰もがそう思っていた。


 しかし、鎌倉府の旧宮方への処分は厳罰を極めた。

 小田氏は、何事も鷹揚(おうよう)な尊氏との約束で領地を安堵されたはずが、鎌倉府の主、義詮を補佐する(こう)や上杉がそれを許さなかった。豺狼のような彼らは、小田氏から様々な理由をつけて領地を奪った。彼らの手元に残ったのは所領の十分の一ほどの土地だけだった。あまりの厳科に、小田氏の一部が反乱を起こしたほどである。

 同様に、小山一門の長沼氏も武家方への投降後、所領所職を奪われた。宗家として一族の命運を踏み惑わせた秀行は、下野に居場所を失い、奥州南山に隠棲した。

 振り返って、小山氏は?

 現在(いま)のところ、鎌倉から沙汰はない。

 だが、朝郷の件で難非を問われるのは時間の問題だろう。

「小田殿ほどではないにしろ、降参半分の法で、あちら(朝郷)方にあった祇園城以北の領地を寄越せなどと言われるのではないか」

「国守は、守護職はどうなる」

「四郎殿が出家されたくらいで許されるものだろうか」

 再び、小山氏に内紛の予感。

 家臣らの不安が募るなか、野崎は主に尋ねた。

「覚悟はよろしいですか」

「わかっているよ。何があっても、私は兄を守る」

 鎌倉からの圧力だけではない。

 家臣の中には、朝郷に全ての責任を取らせようと言う者もいた。

「野崎、祇園城と連絡をとってくれ。気の逸った者が(こち)()から実力行使に出ないと限らないから。兄上の身辺警護を強化させるようにと」

 土地を奪われるという恐怖に、武士がどれほど陰惨なことができるか知っているつもりだった。

 けれど、遅かった。

 同年四月十三日、祇園城の自室にて朝郷は死んだ。

 突然の訃報を、氏政は信じることはできなかった。

「兄上に会いに行くっ」

 たった一人で祇園城に向かおうとする主を、野崎は引き留めた。

「無駄です。もう四郎さまは荼毘に伏されたとのこと。今さら行ってどうするというのです」

 それでも。

 氏政は野崎の腕を振り払った。

 兄の死を確かめられずにいられなかった。

 郎等らも主の後を追う。

 祇園城への備え。

 だが、それもあまり意味がない。

 朝郷のもとからは兵らの漏泄が相次ぎ、さらに主の死が留めを刺した。祇園城には、彼を悼む近侍の者がほんのわずか残るばかりだった。

 平伏する朝郷の家臣らを立たせ、兄の自室へ案内させながら、死の経緯を説明させる。

 兄の死は服毒によるものという。

「全身の浮腫・変色の状況から、砒霜(砒素)のような毒物を召されたかと」

 朝郷の居間は飾り一つなく、ひっそりとしていた。

 もたれかかるように死んでいたという文机のかたわらに、氏政は座り込む。

 ――ここで、兄上が自害したって?

 それは氏政には受け容れられない現実だった。

「誰が兄上を殺したんだ。お前か! お前か!」

 自分の郎等や朝郷の家臣たちに指を突きつけた。

「殿、四郎さまは自裁なされたのです」

「嘘だ。毒をもって死ぬなど武人にありえない」

「四郎さまはこちらへ移る前より、お身体が弱っていたのはご存じでしょう。なまじ刃にて自裁損ね、醜態をさらすよりは確実な方法をと」 

「遺書は? 遺書はなかったのか?」

「ありません」

「そら見ろ。やっぱり・・・・・・」

 言いかけて思い当たる。

『――郎等たちをよしなに恃む。私は道を誤ったが、お前は小山宗家を正しき道へ率いてくれ』

 朝郷からの手紙。

 あれは兄の遺書ではなかったか。全てを見越しての。

 氏政は文机の表面を撫でた。

 ここで書かれた手紙。すでに覚悟を決めていたのか。

「違うっ」

 固めた拳で文机を殴りつけた。

 父が死んだと聞かされて、二人で抱き合って泣いた、あの日。

 領地よりも官職よりも、もっと大切なものがあると知った。

 互いに同じことを考えて、生きてきたのではなかったのか?

 ――それなのに、兄上は私を遺して・・・・・・

 氏政は七歳(ななつ)の子どもに還ったように、ぼろぼろと涙を抑えることができなかった。

 

 氏政は朝郷の遺骨を小山家の菩提寺万年寺に運んだ。

 ――いつか兄上を迎える日が来ると思っていたのに。それがこんなかたちで・・・・・・

 たった一人の兄が死んだ。

 氏政は、本当に本当に独りぼっちになったのだ。


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