32.私たちのこれから
「僕は、悪魔としての使命を果たすために、貴女に近づきました。そうして真実を知った貴女は、僕に協力するのだと申し出てくれました」
ルクスは一面の星空を見つめながら、思い出すように語る。
「そうして僕たちは、つとめて好き勝手に、型破りにふるまい続けました。貴女と一緒に色んなことをするのは、とても楽しかったです」
いつも以上に穏やかな声で、彼は過去を振り返っていく。
「そうしているうちに、僕は貴女への気持ちをしっかりと自覚して……貴女も、僕のことを大切に思ってくれていると知った」
「大切に、じゃないわ。一番大切に、よ」
つい口を挟むと、小さな笑い声が返ってきた。
「ふふ、僕も貴女が一番大切ですよ、アウロラ。だから僕たちは今、とっても幸せなんです。でも少しだけ、もったいないなって思ってしまって」
「もったいない?」
「そうです。僕たちはもっと、幸せになれるかもしれない。僕はそう思うんですよ」
私の手をそっと握りしめて、ルクスはささやく。
「貴女は、母君からやっと自由になれました。でも、貴女を縛ってしまっているものはまだあります。貴女はもっと自由に、もっと楽しく生きられるはずなんです」
「……そんなもの、あったかしら」
「ええ。……他ならぬ、僕です。貴女は、僕に悪魔としての使命を果たさせるために堕落するのだと、そう宣言してくれました」
「でもそれは、私が決めたことよ。大切なあなたの力になりたかったから」
「ありがとう。貴女のその気持ちは、とても嬉しいんです。でも、僕の使命を気にしていたら、僕たちは本当にやりたいことができない。そう思いませんか?」
「……よく、分からないわ。私はあなたたちの使命がどういう意味を持つものか実感できていないから。ウェルやティナを見ていると、ああなるほど、悪魔というのはこういうものなのだなって、何となく分かる気もするのだけれど」
どう答えていいか分からずに、仕方なく思ったままを口にする。ルクスは眉を下げて、でもとても穏やかに笑った。
「そうですね、あの二人は僕のように、自分が悪魔であることを悩むことなどないのでしょう。でも僕は落ちこぼれで、しかも変わり者ですから」
「だから、私があなたの手柄になってあげたいの」
「いえ、もういいんです」
ルクスは両手で私の手を取り、こちらを向いてさらに微笑む。今までの笑みよりもずっと晴れやかな、見ているだけで胸がぎゅっとしめつけられるような、この上なく愛おしさを感じさせる笑みだった。
「僕の使命のことは、もう忘れてください。これまで通りに、僕たちは思うまま、自由に生きていきましょう。噂を広めるとか、他人にどう思われるかなんて気にせずに」
「でも、それだとあなたが落ちこぼれに……それは悪魔として恥ずかしいことだって、ウェルも言っていたし……」
「僕は構いません。でも、僕のせいで貴女が悪く言われるのは嫌なんです」
「私について変な噂が立つのは今さらだし、気にならないわ。それよりもあなたの未来のほうが」
交互に言い合って、それから同時にふっと黙る。少し間があってから、同時に笑い出した。
「ふふ……私たち、同じようなことを言ってるわね」
「前に貴女が言ったように、僕たち、似た者同士なのかもしれませんね」
笑顔を見かわして、そっと手を握り合う。
「僕が使命を果たせなければ、僕は人に堕ちます。落ちこぼれの悪魔として僕の名は残り、いつか僕は人として死ぬでしょう。でも、それでいいんです」
かつて彼が『人に堕ちる』ことを説明してくれた時、彼はとても暗い顔をしていた。ところが今では、ひどく優しく、晴れやかに笑っている。
「貴女と同じ、人として終わることができる。そう考えたら、とっても素敵なことのような気がしてきたんです」
「……あなたがそう言うなら、私はもう止めないわ。結局、やることはそう変わらないのだし」
「二人一緒に、自由きままに、幸せに生きていく。それだけですね」
「ええ、もちろんよ。もっともっと幸せになりましょうね、愛しい旦那様」
「絶対に、貴女を離しませんから。僕の最愛の奥さん」
どちらからともなく、腕が伸びていた。そのまましっかりと抱きしめ合い、見つめ合う。ルクスの若葉色の目が、ゆっくりと近づいてきた。がちがちに緊張しながら、目を閉じる。
「……やっと、こうすることができました。やっと、貴女に触れられた」
そっと触れるだけのキスの後に、ルクスが静かにつぶやく。そろそろと目を開けると、すぐ近くに、泣き笑いにゆがむ彼の顔があった。
彼は私の頬を両手で包み込むようにして、私の目をのぞきこんでいる。若葉色の目が涙で輝いて、まるで宝石のように美しかった。
「僕は、ずっと引け目を感じていたんです。貴女の人生を悪いほうに変えてしまったのだと、そう思わずにはいられませんでした。こうやって使命を放り投げてしまうことで、ようやく貴女に正面から向き合える資格を得た気がします」
思わぬ告白に、きょとんとする。そう言えば彼は最近、使命のために頑張るのだと私が口にするたびに、悲しげな顔をしていた。
その表情に引っかかるものを感じてはいたけれど、何となく尋ねないままでいた。まさか彼が、そんなことを考えていただなんて。
彼の優しさと、私への気遣いがとても嬉しくて愛おしい。そしてそれだけに、もどかしい。彼は一つ、思い違いをしているのだから。
まだ私の頬にかけられたままの彼の手をそっとはずして、両手でしっかりと握る。
「……ねえ、ルクス。あなたは私の自由な寝顔に惹かれたって、そう言ったわね」
「ええ。とても幸せそうな、素敵な寝顔でした」
「だったら聞くけど、私、それから一度でも不幸せな顔をしていた?」
その問いかけに、ルクスは目を見開く。形のいい唇を薄く開いて、一生懸命に考えているようだった。
「少なくとも私は、ずっと幸せだったわ。あの山小屋にいた頃なんて比べ物にならないくらい。まるで、夢を見ているようだった。最高に幸せな夢をね」
ほんの少し戸惑っているようなルクスに、にっこりと笑いかける。私は幸せなのだと、示すために。
「だからこれからも、夢を見せてちょうだい。……違うわね、『一緒に夢を見ましょう』」
そう言って、今度はこちらからキスを返す。普段は自由気ままで淑女らしからぬ私だが、こういった方面にはまったく詳しくない。そして、大胆になれるだけの度胸もない。
私のキスは、自分でもはっきりと分かるくらいにぎこちなかった。けれど、ルクスはくすぐったそうに、嬉しそうに微笑んでくれた。
「ええ、喜んで。二人で夢を見ていきましょう。……貴女は、強いですね。また貴女に惚れ直してしまいました」
「私は強くなんてないわ。もし強かったら、居心地の悪い実家なんてとっくの昔に飛び出していたもの。私が強く見えるのだとしたら、それはあなたがいてくれるからよ」
「僕は、貴女の力になれているのでしょうか」
「もちろんよ。むしろ、私のほうこそ好き勝手わがまま放題で、あきれられていないか心配だったのよね、実は」
「あきれたりしませんよ。むしろ、逆です。次々に楽しいことを思いついて、ためらうことなく実行してしまう貴女がとてもまぶしくて……ちょっぴり、憧れているのかもしれません」
そんな他愛のないことを話しながら、私たちはいつものように穏やかに笑い合っていた。
これで私たちは、ようやく本当に自由になれたのかもしれない。お母様からも、悪魔の使命からも、ちょっとした後ろめたさや心配事からも、もう解放された。
だったらきっと、これからはもっとずっと、楽しく暮らすことができるだろう。
二人一緒に夜空を見上げたその時、どこからともなく声がした。
『悪魔よ、油断したな!』
そうして、目の前がいきなり白い光で満たされた。




