31.たぶん終わった……と思う
「私は、アウロラのことがずっと心配だったの。子供たちの中で一人だけやけに手がかかって、いつまでたってもふらふらして。年頃の娘なのに、ドレスは嫌だとかごねているし、男の子が読むような物語に夢中になっているし」
お母様が顔を伏せて、ゆっくりと話し出した。今までの話をまるで無視した、独り言のように。
「このままではこの子はどこにも嫁げない。あきれるくらいに面倒な子だけれど、それでもやっぱり私の娘なのよ。私はアウロラにも、人並みの幸せを知って欲しかった」
初めて知った、お母様の真意。驚きに、何も言えなかった。
「私と夫がいなくなった後もずっとアウロラを安心して任せられる相手はいないものかと、ずっと血眼で探していたのよ。それなのに、ちっとも縁談はまとまらなくて……」
その声は、とても切なげだった。唇をかんでうつむく私の肩を、ルクスがとんとんと優しく叩いてくれた。
「だからルクス様が、ぜひともあなたを妻に、と申し出てくれた時は、それはもう嬉しかったわ。それなのに」
お母様がうつむいたまま、視線だけをこちらに向けてくる。さっきまでのしんみりとした空気が、一瞬で吹き飛んだ。怖い。
「……まさかあなたが、ルクス様まで巻き込んでさらに好き勝手を始めるなんて、思いもしなかったわ」
その迫力に、私だけでなく、ルクスまでもがひるんでしまっているようだった。私の肩に添えられた彼の手がこわばっている。
「けれど……夫婦して平民の服を着て、平民の家に上がり込んで。私には、とても無理。そんなふるまいができる貴族の殿方なんて、私は知らないし、探し出せるとも思わない」
切なげな、どこか悲しげなため息をついて、お母様が微笑んだ。
「認めたくはないけれど、あなたはあなたなりに、幸せをつかんだのね」
もしかしてこれは、説得に成功したのだろうか。隣のルクスを見ようとした時、お母様の声音がまた変わった。今しがた優しく微笑んでいたとは思えないくらいに、はきはきと、力強いものに。
「とはいえ、私にも守らねばならないものがあるのよ」
お母様はきっぱりとそう言って、こちらをまっすぐに見すえた。懐かしささえ感じる、たいそう力強い視線に、つい身構えてしまう。
「私たちの家の名を、うかつに口にしないこと。そして、そんなおかしななりでうちの屋敷に近づかないこと。人道にもとる後ろ暗い行いに手を染めないこと。その三つは、守ってもらうわ。ルクス様も、よろしいですね?」
「お母様、それじゃあ」
「返事は?」
「は、はい!」
お母様の迫力に押されて、私たちは二人同時にこくこくとうなずく。お母様はゆったりと優雅に首を縦に振り、言った。
「よろしい」
そうして、驚くほどあっけなくお母様は帰っていった。いつまでもこんなところに隠れていないで、ちゃんとあなたたちの家に戻りなさいと、ちょっとだけお説教をしてから。
後には私とルクス、それにウェルとティナだけが残される。さっきまでの緊張感の代わりに、安堵と達成感と、あとものすごい疲労が襲ってきた。
心底おかしげに笑いながら、ウェルが口を開く。
「中々に面白い見世物だった。まさか、ルクスが怒るところを見られるとはな。また何かやらかす時は呼んでくれ」
「いえ、そもそも貴方たちは呼んでいないのですが……かなり、恥ずかしいところを見せてしまいましたし……」
にやにや笑いを張り付けたままのウェルと、複雑そうな顔のルクス。
「細かいことを気にするんだな。もしかして、こないだ俺が魔法をかけることを断ったのを、まだ根に持っているのか?」
「そういう訳でもないのですが……」
「だったらいいだろう。なあ、アウロラ?」
「良くないわよ。というか、そもそも見世物じゃないから」
しっしっと手を振ってウェルを追い払おうとしていると、頬をふくらませたティナが口を挟んできた。
「あたしはちょっと不満。まっさか、あのとんでもない母親があっさり引くなんて、思いもしなかったもの。あーあ、やっとアウロラを追い払えると思ったのになあ」
こちらが申し訳なくなるくらいにがっくりと頭を垂れて、ティナはぼやいている。しかし彼女は、すぐに顔を上げて私をにらんできた。
「でもあたし、まだあきらめてないからね? 愛し合ってたって、引き裂こうと思えばできるんだから。そのうち足元すくってすっ転ばすもん。せいぜい、一時の勝利にひたってればいいわ」
「ええっと、できればやめて欲しいのだけれど……」
「やだ。やだやだ。ルクスはあたしのだもん」
「心配しなくても大丈夫ですよ、アウロラ。ティナは優秀な悪魔ですが、友達のことは大切にするいい子です」
「ルクスー、こいつあたしの友達じゃないし。恋敵だし。魔法さえ通じたら、とっくに追い出してるもの。あといい子って言われると、すっごく微妙な気分なんだけど。褒めてもらえるのは嬉しいけどお」
そう言ってまたぷうとふくれるティナを囲んだまま、私とルクスはにっこりと笑い合った。ウェルは少し離れたところで肩を震わせている。笑いすぎて、目じりに涙がにじんでいた。
その時突然、オルフェオの声がした。
「なんかまた客が来てるらしいって聞いたから、ちっと早めに戻ってきたんだけどさ……魔法とか悪魔とか聞こえたの、気のせいか?」
オルフェオは玄関からひょっこりと顔を出して、なんとも言えない目で私たちを見渡していた。
私とルクスはまあいいとして、ウェルとティナの二人の服装は貴族のそれにしか見えない。自分の家に四人も貴族がいるのが、落ち着かないのだろう。
しかし、ちょっとまずい言葉を聞かれてしまっている。私たちは四人同時に首を横に振り、口々に言いたてた。
「ええ、気のせいね」
「気のせいですよ。僕たちはごく普通の雑談をしていただけですから」
「気のせいだな。そんな聞き間違いをするなんて、疲れているんじゃないか?」
「もちろん、あんたの気のせいよ。魔法とか悪魔とか、子供じゃないんだから」
一斉に言葉を返されて、オルフェオがさらに面食らった顔になる。
「あ、ああ、別にそんなん信じてるとか、そういう訳じゃねえんだ。ただ、死んだばあちゃんが口をすっぱくして言ってたんだよな。悪魔の話をすると、本当に悪魔がやってくるぞって。だから、ちょっとそういう話は今でも苦手でさ。聞き間違いならいいけど」
まさか目の前に本物の悪魔が三人もいるとは思いもしないのだろう、オルフェオがそう言って小さく身震いする。それがとてもおかしくて、四人同時に笑い出す。
ああ、やっと終わった。そんな気持ちを笑い声に乗せて、存分に吐き出した。隣のルクスも、それは晴れやかに笑っていた。
そうして私たちは、ようやく屋敷に戻ってくることができた。オルフェオとその仲間たちは、気が向いたらまた遊びに来いよ、あんたらも俺らの仲間だからな、と言って見送ってくれた。
久しぶりの我が家で、のびのびとくつろぐ。オルフェオの家は立地の割にはしっかりとした、中々に悪くない家だったけれど、やはり我が家のほうがずっと居心地がいい。
そんなことを思いながら微笑む私に、ルクスが声をかけてくる。
「どうしました、アウロラ? 楽しそうですね」
「やっぱり我が家が一番だなって、そう思ってたの。あなたと一緒に、こうやってのびのびとくつろいでいられる……こんな幸せなことって、そうそうないわ」
私たちは、二階のテラスに長椅子を引っぱり出して、そこに二人一緒に腰かけていた。大きくて重たい長椅子も、ルクスの魔法なら軽々と運び出せる。
このテラスは草原に面していて、私たちの目の前には一面の星空が広がっていた。ひんやりとした風が吹いていたけれど、身を寄せ合っていれば暖かかった。
「一時はどうなることかと思ったけれど、どうにか丸く収まったし。これでまた元通りの日常に戻れる。あなたの使命のために、もっと頑張るわ」
浮かれた気分のままにそう言うと、ルクスは顔を寂しげにくもらせた。
「僕、今回の騒動を経て、思ったことがあるんです」
ルクスが星空を見上げて、静かに言う。その横顔は、心配になるくらいに弱々しかった。




