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22.それぞれの、家族のこと

 ティナは結局、しばらくルクスにべったりだった。にこにこと笑いながら、彼にまとわりついて甘えている。その様は、彼女の正体を知っている私であっても、つい微笑まずにはいられないほど愛らしかった。


 間違いなく、彼女は自分の魅力を正しく知っていて、しかもそれをどう生かすかも分かっている。


 あと十年、いや七年もすれば、彼女は評判の美女になるだろう。そしてその色香で、周囲の男性を片っ端から堕落させて回るだろう。そう確信できる姿だった。


 ところが彼女は、おかしくなるくらいルクスにぞっこんだった。


 彼女の言葉から察するに、どうも彼女はルクスと結婚して、それから男性をたらしこむつもりだったらしい。そのほうが、より相手の罪が重くなって素敵でしょ、と彼女は主張していた。


 私にとっては幸いなことに、ルクスはそんなティナにずっと同じ言葉を返していた。僕はアウロラの夫です、彼女を裏切る気はありません、と。


 おかげで私は、落ち着いてティナの相手をすることができた。正直、少しでもルクスが揺らぎそうになっていたなら、私は気が気ではなかっただろう。


 七歳の少女を恋敵扱いするなんてどうかしているとしか思えないけれど、彼女はそれだけ魅力的だったのだ。


 結局夕方頃になって、ようやくティナは帰っていった。今日のところは引き分けにしてあげる、でも次は私が勝つんだからね、と微笑ましい捨て台詞を残して。




 そうしてまた、私たちは元通りの日常に戻っていた。


「貴女もすっかり乗馬がうまくなりましたね」


 屋敷のそばに広がる明るい森の中で、私たちはのんびりと馬を歩かせていたのだ。若馬に乗って危なげなく進む私を見て、ルクスが嬉しそうに笑っている。


 私たちはこのところ、毎日のように乗馬の練習をしていた。最初は屋敷の馬場、それから庭に出て、森の中へ。そうやって少しずつ、遠くへと出るようになっていた。


「ルクスの教え方がうまいからよ。それにこの子も、私にあわせてゆっくりと動いてくれているし。本当にいい馬ね」


 そう言いながら、目の前にある馬の首を優しく叩く。若馬は甘えるように軽く首を振ってこたえてくれた。


「その若馬は、僕が今まで見てきた中でも一番おっとりとして優しい子ですから。貴女と仲良くなってくれて嬉しいです」


「……この子、ちょっとルクスに似ていると思うの。だから、すぐに仲良くなれたのかも」


 言わなかっただけで、実は最初からそう思っていた。しかしルクスは私の言葉にかなり驚いたようで、若葉色の目を真ん丸にしていた。


「えっと、そうなんでしょうか……? 僕が、その子に……嬉しいような、何だか貴女を取られてしまったような、複雑な気分です」


「私はあなたの妻よ。誰にもとられたりしないわ。でもそうやって気をもんでもらえて、ちょっぴり嬉しい。私、悪い女かしら?」


「いいえ、素敵な女性ですよ」


「ありがとう。でも、あなたのためには私、頑張って悪女にならないといけないのよね。難しいわ」


 何気ないそんな言葉に、ルクスの顔がくもる。どうしたのだろうと問いかけるよりも先に、彼はことさらに明るく笑いかけてきた。


「こうやって乗馬を覚えただけで、十分過ぎるほどですよ。せっかくですから、もう少し奥まで行ってみましょう。この先に、見晴らしのいい崖があるんです」


 彼が一瞬だけ見せた表情が気になったけれど、そのことについて口にすることはできなかった。森の奥へ向かっていく彼の背中は、問いかけを拒んでいるようにも見えたから。




 明るい森を進んでいくと、突然視界が開けた。ルクスが言っていた通り、そこは小さな崖になっている。さわやかな風が、軽く汗ばんだ体を冷やしてくれる。


 馬を降りて、二人並んで草地に腰かけた。ルクスはまたいつも通りに、穏やかに話しかけてくる。


「ここは亡き父が教えてくれた、僕のお気に入りの場所なんです。貴女と一緒になる前は、よくここに一人で来て、ぼんやりと空を眺めていました」


 少し寂しげに、ルクスは目を細めている。その横顔を見ていたら、胸が苦しくなった。


「……あなたのご両親は、どんな方だったの?」


 その問いに、彼は少しだけためらってから答えた。こちらを見ずに、空を見上げたまま。


「二人は、年を重ねてから生まれた僕のことを、それは可愛がってくれました。けれど決して甘やかすことなく、しっかりと必要な教養を身につけさせてくれて、色々なことを経験させてくれて、惜しみなく愛を注いでくれて……」


「……立派な方たちだったのね」


「はい。だから僕は、あの二人を堕落させることができなかった……どれだけウェルにせっつかれても、それだけはできなかった」


 ルクスが目を閉じて、ため息をつく。その声には、かすかに涙がにじんでいるようにも思えた。


「けれど両親は元々体が弱かったので、母は二年前に、父は去年、それぞれ病で亡くなりました」


「それで良かったのだと、私はそう思うわ。あなたは最後まで、ご両親の自慢の息子だった。それでいいの」


「……ありがとう、ございます。励ましてくれて」


「お礼なんかいいわ。いつも、あなたにはとても励まされているもの。自由でいていいんだ、好きなように生きていいんだって」


 この前、ティナが来た時に気がついてしまった。私は自分で思っていたよりもずっとずっと、お母様に縛られていることを苦しいと感じていたということに。そしてそこから離れられたということが、どうしようもなく嬉しくてたまらないのだということに。


「私のお母様は、私を一人前の令嬢にしようと必死だった。それなのに、私はこんな変わり者の娘だった。相性は最悪で、私とお母様は顔を合わせるたびにもめていた。ちなみにお父様はただの空気で、言い争う私たちを、ただおろおろと見ているだけだった」


 ふうとため息をついて、ひざを抱える。うつむいて、言葉を続ける。


「私ね、もうあきらめていたの。こんな私を妻とするような人間はいないだろうし、ずっとあの家で、ただひとり一生を終えるんだろうな、って」


「そんな風に、考えていたなんて……」


「だって、私がうっかり本音を口にすると、そのたびに縁談が壊れてしまうのよ? それも、あっという間に。あきらめるほか、ないじゃない」


 くすりと笑って、隣のルクスを見る。彼は戸惑いながらも、それでもまっすぐに私を見つめ返してきた。


「だから、あの山小屋では気楽に過ごせたの。お説教もないし、自分が変わり者である現実からも目をそむけていられたし。できることなら、ずっとここにいたいとまで思っていたわ」


「ふふ、そうだったのですね。……あの、貴女が望むなら、あそこと似たような場所も用意できますが……」


 明らかに、ルクスは本気でそう言っていた。それがおかしくて、さらに笑みがこぼれてしまう。


「いいえ、私は今の暮らしを気に入っているの。あなたが私のために選んでくれたこの屋敷は、あの山小屋よりも、ずっと、もっと素敵だわ……それに、あなたと一緒なら、どこだって楽しいから」


「そう言ってもらえると、僕としても光栄です。僕としても、もう貴女のいない暮らしなんて考えられません」


「ふふ、嬉しいわ」


 そんなことを言い合って、二人一緒にくすくすと笑い合う。先ほどまでの暗く重たい空気は、もうすっかり消えてしまっていた。




 そんな風に過ごしていた、ある日のこと。私たちのもとに、一通の手紙が届けられた。


「ティナのご両親から、僕たち二人にあてて、ですか……いったいどういった用なのでしょう?」


 ルクスが首をかしげながら、手紙を開封する。中からは、美しい飾り切りが施された厚紙が出てきた。そこにはとても美しい文字で、こう書かれていた。


『私たちの最愛の娘、ティナの七歳の誕生日を祝うパーティーに、どうぞお越しください』

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