18.貴族だからと甘く見ないで
小川に落ちたブレスレットを呆然と見ている私とルクスに、若者はふてぶてしい口調で言い放った。
「おおっと、すまねえな。手が滑った。でも、たっぷり金を持ってる貴族様からしたら、あの程度の飾り物なんておもちゃみてえなものだろ?」
その声を無視して、小川に駆け寄る。幸い水は澄んでいて、流れもおだやかだ。ルクスもすぐに隣にやってきて、二人で小川を見つめる。
「ありました、あそこです」
彼が指さすほうを見ると、確かに川底で私のブレスレットが輝いていた。ただあれを取りに行こうとすると、川に入らなくてはならない。
「……人目がなければ、魔法で拾えますが」
周囲の人間たちに聞こえないように、ルクスが小声でささやく。すぐに首を横に振った。
「彼らがいなくなるまで待ったら、その間にブレスレットが流れていってしまうかもしれないわ。今すぐ、あれを拾わなくちゃ」
「なんだあ、ずいぶん必死だなおい」
私たちの様子がおかしいことに気付いたのか、若者の頭が戸惑いながら声をかけてきた。
「あれは大好きな旦那様からの、とっても大切な贈り物なの!」
怒鳴り返した声に、ちょっぴり涙がにじんでしまっていた。私の剣幕に圧倒されたのか、彼はそれ以上何も言わなかった。
もう一度、小川を見る。深さはたぶん私のひざくらいまでしかないだろう。そして今着ているドレスは、ルクスに作ってもらった身軽なもの。ひらひらしたすそは、ふくらはぎ丈だ。
それを確認して、靴を脱ぐ。ドレスのすそをひとまとめにして持ち上げながら、そのまま小川に入っていった。
「おい……嘘だろ……あいつ、貴族の女じゃねえか。なのになんで、あんなことしてんだよ」
ルクス以外の全員が、私の行動に驚いているようだった。無理もないだろう。貴族の女性が人前ではだしになるというだけでも相当はしたないのに、そのまま川につっこんでいくなど、私も聞いたことがない。
小川の水は冷たく、足を入れたとたんにぶるりと震えが走る。服を濡らさないように気をつけながら、川底に沈んでいるブレスレットに近づく。注意深く水に手を差し入れて、鎖をつかんだ。そろそろと引き上げる。
私の手の中では、大切なブレスレットが金と黄緑の輝きを見せていた。見たところ、どこも壊れていない。
「良かった……拾えたわ……」
安堵のため息をついて振り返ろうとしたその時、踏んでいた石がぐらりと動いた。体勢が崩れて、転びそうになる。
「大丈夫ですか、アウロラ。いきなり川に入ってしまうから、驚きました」
すぐそこで、ルクスの声がした。私の肩や腰を、彼の腕が力強く支えてくれている。どきどきしながら、何が起こったのかと辺りを見渡した。
彼は川に分け入って、転びそうになった私を支えてくれたのだ。それも、靴をはいたまま。明るい茶色の綿のズボンに水がしみ込んで、暗い茶色になってしまっている。
「ルクス、服が濡れてるわ」
「いいんですよ、これくらい。貴女がびしょ濡れにならずに済んで、よかったです」
「……ありがとう。私、幸せ者ね」
「僕のほうこそ、贈り物をここまで気に入ってもらえて、果報者ですよ」
そんなことを言いながら川から上がると、若者たちは何とも言えない目で私たちを見ていた。感心しているような、あきれているような、そんな感じの目だ。
「……あんたら、本当に貴族か? 身のこなしは貴族なのに、着てるもんはなんだかへんてこだし、やってることはめちゃくちゃだし、人前でいちゃつくし?」
若者の頭が、訳が分からないと言わんばかりに頭をぶんぶんと振りながらそう尋ねてくる。ルクスはためらうことなく、にっこりと笑って答えた。
「間違いなく、僕は侯爵ですよ。ああ、名乗るのが遅れました。僕はルクス、彼女は妻のアウロラです」
妻と言われた瞬間に、ぼっと顔に血が上る。嬉しくて恥ずかしい。両手で頬を押さえて横を向く。気のせいか、あきれたようなため息がいくつか聞こえた気がした。
「……そう丁寧に名乗られると、調子狂うな。ちっ、仕方ねえ。俺はオルフェオ、こいつらの頭だよ」
改めて周囲の若者を見てみると、集まっているのはまだ子供っぽい十四、五の者から、どう見ても二十代半ばの者まで様々だった。オルフェオと名乗った彼も、たぶん私と同じくらいだろう。この中では、やや年かさだ。
「ところでオルフェオ、貴方はどうして僕たちに声をかけたのでしょうか?」
「そりゃあ簡単だよ。貴族とも平民ともつかない妙なのが、俺らのなわばりをふらふらしてるって聞いたからな。どんなもんなのか、見極めにきたんだよ。ことによっちゃあ、追い出さなくちゃならないからな。それこそ、力ずくでも」
ルクスのほんわりとした雰囲気のせいなのか、オルフェオは意外と気軽に話している。言っていること自体は少々物騒だけれど。
「見極めっていうか、いちゃもんをつけてきただけではないの?」
「そりゃあ、あれくらいしないと本性が出ねえだろうが」
しれっと言ってのけるオルフェオを見ていたら、猛烈にいらだってきた。
「というか、今さら腹が立ってきたわ。人の宝物に何してくれてるのよ」
「すまねえな。そんな大切なもんだとは思わなかったんだよ。貴族の持ち物にしては、なんかちゃちいし」
意外にも素直に、オルフェオは頭を下げた。怒りの持っていき場所がなくなった。悔しい。
いや、ここで思いっきり彼らにきつく当たってみるのもいいかもしれない。平民を人とも思わない扱いをする侯爵夫人。これもまた、堕落した人間の姿の一つだろう。
問題は、ただきつく当たっただけでは駄目そうだということだ。オルフェオの配下は数も多いし、貴族をなめ切っている。普通の貴族であれば従者たちにオルフェオたちを叩きのめすよう命じるところなのだけれど、あいにくと私たちは二人きりだ。
ああもう、だったら駄目でもともと、一発ひっぱたいてやろうかしら。剣の心得のない私の一撃なんて、まったく効かないだろうけど。
そこまで考えて、この思いつきは却下することにした。ルクスのために堕落した人間になってみせると決めた。でも、他人を傷つけるのはやっぱり駄目だ。だって、ルクスが悲しむから。
そんなことを考えている間に、ルクスとオルフェオはあれこれと話し合っているようだった。妙になごやかな声が聞こえてくる。
「……へえ、あんたらがここらにやってきた理由は分かったよ。変な女だとは思ったけど、なんかめちゃくちゃだな、訳分かんねえ」
「僕にとっては、最高の奥さんなんですよ。とてもまっすぐで、優しくて、愛らしくて」
「うわ、またのろけかよ。……まあ、お似合いなんじゃねえか、あんたら」
口調も立場もまるで違う二人は、意外と意気投合しているように思える。他の若者たちもぐるりと私たちを取り巻いて、興味深そうに二人の話を聞いていた。
というか私も、話題が気になる。
「……ねえ、私たち、本当にお似合いに見える?」
こらえきれずにそう尋ねると、オルフェオは若干後ろに引きつつも答えてくれた。
「あ、ああ……まあ。二人ともかなりの変わり者みてえだし、そのくせ妙に仲がいいから、お似合いだとは思う……」
なんだか素直に褒められていないような気もするし、どことなく歯切れが悪いけれど、それでもお似合いだと言ってもらえた。嬉しい。
さっきまでオルフェオをひっぱたいてやりたいと思っていたことなんてきれいに忘れて、私はふわふわと夢心地でいた。私たち、はたから見てもお似合いの夫婦なんだ、嬉しいな、と、そんなことばかり考えて。
「アウロラ、行きますよ」
砂糖のできたお菓子のように甘い気分にひたっていた私を、ルクスの優しい声がそっと現実に連れ戻す。
「どこに行くの?」
ルクスの手を取りながら尋ねると、オルフェオがあきれた声で口を挟んできた。
「あんた、人の話聞いてなかったんだな。迷惑かけたおわびに、穴場の飯屋を教えてやるってことになったんだよ。ちっとばかし店は汚ねえが、ま、あんたらなら問題ねえだろ」
「もう夕方近いですし、だったら一緒に食事を、ということになったんです。みんなでご飯を食べて、仲直りですよ」
ルクスはその綺麗な顔を寄せて、そっと耳元でささやいてくる。
「地元の不良青年たちと親しく付き合っているというのも、貴族としてはかなりおかしなふるまいだとは思いませんか?」
「思うわ。そういうのもありね。知らない世界を見られて楽しいし、貴族としての評判は落とせるし。いい提案だわ」
ルクスの手助けができて、面白そうなことも体験できて。また一つ、私たちは目標に近づけたかもしれない。
面倒くさい出会いも、たまにはいいものだ。そう思いながら、ルクスと腕を組んで歩き出した。




