17.楽しい一日を共に
町の中心近くで馬車を降り、広場に出ているカフェに向かう。
貴族なんて一人もいないそのお店に、貴族にしか見えない物腰の私たちが近づいていくと、既にお茶にしていた先客たちが、ぎょっとした顔でこちらを見た。
戸惑っているのは店員も同じだったが、私たちは全く気にせずに案内を頼む。大きな木のそばの席に、二人向かい合って座る。
メニューはどこにあるのだろうときょろきょろしていると、ルクスが店の横に立っている大きな看板を指し示す。
「ほら、あそこですよ。上半分には飲み物の、下半分には食べ物のメニューが書かれていますね」
普段貴族が食事をするような店では、席に着いたらすぐにメニューが運ばれてくるのだ。それも、一人につき一冊ずつ。だから、あんな形でメニューが置かれていることが、とても新鮮だ。
あれにしようか、これがいいだろうか。ルクスと楽しくお喋りしながら、注文を決めた。その間もほかの客や通行人の視線がぐさぐさと突き刺さっていたが、気にしないことにした。
そう長く待つこともなく、頼んだものが運ばれてくる。二人とも、リンゴを漬けた自家製のサイダーと、切り込みを入れた細長いパンにソーセージと野菜を挟んだものにした。
僕のことは気にせずに、好きなものを頼んでくださいねとルクスは言っていたけれど、私はどうしても彼と同じものが食べたかったのだ。
「ナイフも、フォークもない……これ、どうやって食べるのかしら」
皿の上にどんと置かれたパンを前に、なすすべもなくおろおろする。パンとソーセージの匂いをかいだせいで、またお腹が鳴った。早く食べたいのに、どうしよう。
「手づかみ、のようですね」
周囲を観察していたルクスが、慎重にパンを手に取る。ソーセージにかけられているソースをこぼさないように気をつけながら、そっと端っこをかみちぎった。
「あっ、これおいしいですよ。アウロラもぜひ……って、どうしました?」
お行儀悪く手づかみで、しかもパンの端っこをかじりとるなどという無作法極まりない食べ方をしていてもなお、ルクスは美しかった。
ついつい胸を高鳴らせながら彼に見とれてしまった私に、ルクスは小首をかしげて尋ねてくる。
なんでもないの、ちょっと戸惑ってただけと答え、彼と同じようにパンを食べてみる。
ふんわりしたパンは軽く焼き直してあるのか、外の皮がぱりっとしている。そしてソーセージも、そこまで質は良くないけれど、香辛料が効いていておいしい。
「ふふ、こんな食べ方は初めてだけど、楽しいわね。それに、こっちのサイダーもさっぱりしてて好きよ」
「貴族たちが飲むものより、甘さが控えめですね」
「その分、リンゴの香りが際立っている気がするわ」
そんなことを話しながら、せっせと食事をたいらげていく。追加で香草のサラダとハムの盛り合わせ、さらにリンゴのパイまで頼んでしまったけれど、それらはあっという間に私たちのお腹に収まっていた。
「純粋に質を比べるなら、ここの料理は普段食べているものに遠く及ばないわ。でも、とってもおいしく感じるの」
「はい、僕もです。案外僕も、堅苦しい貴族の流儀は苦手だったのかもしれませんね」
「……侯爵家の当主が、それでいいのかしら」
「いいんですよ、アウロラ。僕たちはこれからうんと好き勝手にやって、大いに噂になるんですから」
「それ、私だけでいいのよ? 私が堕落すれば、それであなたの目的は果たされるのだから」
「貴女と一緒がいいんです。二人一緒に、噂になりたいんですよ」
その言葉に、また胸がどきどきと高鳴る。木もれ日が、ルクスのひまわり色の金髪を美しくきらめかせていた。
そうして食事を終えた私たちは、徒歩でふらふらと町の中をさまよっていた。といっても今回は、劇場や宝飾店には入らない。
できるかぎり貴族らしからぬふるまいを、ということを最優先させようということで、あえて平民たちが行くようなところばかりを選んでいった。
最初に足を運んだのは、市場だった。日常の生活に必要なものが山のように売られているが、貴族はこんなところに足を運んだりはしない。
私のドレスは軽やかで動きやすいし、ルクスも似たようなものだ。だから私たちは平民たちに混ざって、あっちこっちの店を冷やかして回ることができた。それも、リンゴをかじりながら。
面白そうなものは色々あったけれど、魚を丸一匹とか、じゃがいも一袋なんてものを買ったところで、使い道がない。屋敷に持って帰ってもいいけれど、重いし邪魔になる。
だから買ったのは、普段見かけない焼き菓子や飴をいくつかと、小さな花束だった。私の両手にすっぽりと収まってしまう、野の花を束ねたとても可愛らしいものだ。どれもこれも素朴なものばかりだけど、その分とっても新鮮だった。
私たちは手をつないで、軽やかに笑いながら市場を抜ける。その先には公園があった。
石を切り出した長椅子があちこちに置かれ、花壇に咲いているのは小さな可愛らしい花だ。屋敷のものとはまるで違うけれど、町の人たちが丹精込めて世話をしているんだなと思える、そんな雰囲気だった。
石の長椅子に並んで座り、今まで見てきたものを楽しく話し合う。相変わらず通行人の遠慮のない視線が降り注いではいるけれど、なんというかもう、すっかり慣れた。思ったより早く慣れてしまったなあと思わなくもない。
「ああ、今日は楽しかったわ。とっても新鮮で、にぎやかで」
「ええ、僕もです。この町には子供の頃から通っていますが、こんなに面白い場所だったなんて、知りませんでした」
「お行儀よく座って劇を見ているより、よっぽど楽しかったわ。あ、こないだの劇も面白かったのだけど、どうしてもドレスが気になってしまって集中し切れなかったの」
「でしたら今度は、この格好で劇場に行きましょうか?」
「……でも、そもそも入れてもらえるかしら?」
「そうですね、もっと豪華にすれば大丈夫だと思います。ふふ、僕の腕の見せどころですね」
「あなたはとても趣味がいいから、楽しみだわ」
そんなことを話していたら、突然日が陰った。いつの間にやら、私たちが座っている長椅子のすぐ後ろに、誰かが立っていたのだ。それも、一人や二人ではない。
「よう、おかしな貴族のお二人さん。ここはあんたらみたいなお上品な連中が来ていいところじゃないぜ」
振り向くと、平民の若者たちが集まっているのが見えた。どちらかというと、いや明らかにがらの悪そうな者たち。妙ににやにやとした笑いを、顔いっぱいに張りつけている。
「お上品……にふるまってたつもりは、あまりないのだけれど」
むしろ、精いっぱい不作法に遊んでいたつもりだった。型破りで堕落した貴族になるには、もっと努力が必要らしい。
困った顔を見合わせる私とルクスのところに、若者の一人が歩み寄ってきた。
周囲の若者たちの態度からして、どうやら彼はこの若者たちの頭らしい。そこそこ整った顔をしているのに、がさつな雰囲気のほうが目立ってしまっている。
「いんや、上品だよ。化粧と香水がぷんぷんして、臭くてたまんねえ」
「化粧はほとんどしていないし、香水もつけてないわよ。あれ、確かに匂いがきついから」
私一人だったら、こんな若者たちを相手にするのは怖くて無理だっただろう。けれど、隣にはルクスがいてくれる。ただそれだけで、不思議なくらいに怖くなかった。
彼は悪魔で、魔法が使える。けれどそんなことを抜きにしても、彼の存在が頼もしいのは事実だった。
「あああもう、いちいち口ごたえの激しい女だな!」
頭らしい若者は明らかにいらだった様子で、頭をかきむしっている。なるほど、こういうのが平民らしいがさつな動きといったものなのだろうかと、つい冷静に観察してしまった。
隣のルクスもまた、冷静に状況を見ているようだった。その若葉色の目は、いつもよりほんの少し鋭い。
「ところで、あなたたちは何の用事なの?」
左手を差し伸べて、目の前の若者に尋ねる。彼は頭をかきむしるのをやめると、ふとにやりと笑った。
彼は驚くほどの身のこなしで、私の手首をつかんだ。そうしてそこにはまっていたブレスレットを、器用にすりとる。
「あっ!」
私が立ち上がった時には、彼はもうそのブレスレットを放り投げていた。近くの小川で、ぽちゃん、という音がした。




