16.さあ、新しい私たちのお披露目よ
新しいドレスを手に入れた次の日、私たちは意気揚々と屋敷を飛び出していた。一刻も早く、このドレスをお披露目したかったのだ。目指すは、先日訪ねたあの町だ。
前回は箱型の馬車だったけれど、今回はちょっと変わった形の馬車だ。ちょうど、ふかふかのソファに車輪と屋根をつけたような形をしている。
この馬車は壁がないから、ドレスをよりたくさんの人目に触れさせることができる。お披露目にはぴったりだ。それに、何といっても風が気持ちいい。
「……少し、緊張します」
隣のルクスは、そう言って困ったように微笑んでいる。
「やっぱり、あなたはいつもの格好のほうが良かったかもしれないわね」
初めて作ってもらった淡い紫のドレスを風になびかせながら、ルクスに笑いかける。
彼もまた、私と同じように身なりを改めていた。貴女一人を好奇の視線にさらしたくはありませんからと、そう言って。
今彼がまとっているのは、優しい黄緑色の柔らかな裏革のジャケットに、生成りの綿のシャツ、それに明るい茶色の綿のズボンだ。
えり元で申し訳程度に輝いている小さな家紋のブローチがなければ、誰も彼が侯爵家の当主だなんて思わないだろう。それくらいに、ふんわりとして素朴な格好だった。
「いいえ、僕はこの格好が気に入ってるんです。貴女が言っていたことが、ようやく実感できたように思います。着心地もいいですし、何といっても自分好みの格好をすることが、こんなに心浮き立つなんて」
貴族の男性は、普段から絹をふんだんに使った正装を、それもぴしっと折り目のついたものを着るのが一般的だ。
色も白や赤、鮮やかな青などの、ぱっと目を引くものが多い。絹の光沢と相まって、この国の貴族は、男性も割と派手なのだ。もっともそれは、女性たちのドレス姿に合わせてのことなのかもしれないけれど。
だから今のルクスの格好は、相当に型破りだ。光沢のない裏革に柔らかな綿、町中よりも森の中にいるほうが合いそうな柔らかな色味、そしてゆったりとした作り。
「なんだか、悪い道に引きずり込んでしまったようでちょっと申し訳ないけれど……でも、似合っているわ。とっても素敵」
お世辞ではなくそんな言葉を言えることが、とても嬉しかった。優しい色の服をまとい昼の光の中で微笑んでいる彼は、どこからどう見ても悪魔だとは思えなかった。どちらかというと、心優しき森の妖精といった雰囲気だ。
「ありがとうございます。貴女のドレスに合わせて、柔らかい雰囲気にしてみたんです」
ルクスのとびきり優しい笑顔を見ていたら、どうしてももうちょっと彼に近づきたいと思ってしまった。
少しだけ悩んでから手を伸ばし、隣に座る彼の左手を握った。繊細で柔和な雰囲気の彼だけれど、その手は意外とがっしりとしていて大きい。私のものとはまるで違うその感触に、胸が高鳴り始める。
「ふふ、貴女のほうから僕に触れてくれるなんて、嬉しいですね」
ルクスはあでやかに笑うと、私の手を右手で握り直し、その甲に口づけた。それから目にも止まらぬ速さで、私の肩をしっかりと抱く。
「あ、あの、恥ずかしいのだけれど」
「人前で過度になれなれしくするのも、堕落の一環としてありだと思いませんか?」
どうも彼は正体がばれた辺りから、少々大胆になっているような気がする。元々さわやかで素敵な好青年だった彼だが、最近では時々こんな風に色気を漂わせ始めた。おかげで、私としてはとても心臓に悪い。
「ありと言えばありだけれど、その、心の準備が……」
もじもじしながらそう言うと、ルクスはひときわ楽しそうに笑って私をさらに引き寄せる。あっという間に、私は彼のひざの上に座らされていた。
「えっ、言ってるそばからこれは何!?」
「これくらい堂々といちゃついたほうが、分かりやすいかと思いまして。それに僕も、こうしているととても幸せですから。……もしかして、貴女は嫌でしたか?」
「い、嫌じゃない、恥ずかしいだけ!」
しょんぼりと切なそうな顔をされてしまっては、もう抵抗のしようがなかった。ルクスはまた嬉しそうな笑みを浮かべて、私をぎゅっと抱きしめる。
行く手には、見覚えのある町の姿がどんどん迫ってきていた。
ざわざわ、ざわざわ。あちこちから、小さなささやき声が聞こえてくる。やけにざわついた町の大通りを、私とルクスを乗せた馬車が進む。
「やっぱり、ちょっと恥ずかしい……」
「でしたら、僕だけを見ていてください。僕の声だけを聞いていてください」
うっとりとした顔でそう言って、ルクスは私の手を握りしめる。周囲のざわざわが、少し大きくなった。
道行く人々がざわついているのは、もちろん私たちのせいだ。質はいいのに風変わりな格好をした二人が、姿が丸見えだというのに仲良くべったりと寄り添っているのだから。
町に入る寸前、頼み込んでどうにかひざの上から降ろしてもらったものの、彼はやはり嬉しそうに私の肩を抱いていた。
「ねえルクス、あなた今日はなんだか浮かれてない?」
周囲の人々の視線から気をそらそうと、とっさにそんなことを尋ねる。しかしその拍子にすぐ近くにあるルクスの顔をまじまじと見てしまい、余計に恥ずかしくなってしまった。
「ええ、貴女とまた遊びにこられたのがとても嬉しいんです。それに、もう貴女をだまさなくてもいいですから」
ルクスは最初から、私にあれこれと良くしてくれた。でもそれは悪魔としての使命を果たすためだった。
きっと彼は、ずっと良心の呵責に苦しんでいたのだろう。悪魔と良心、矛盾しているような気もするけれど、ルクスはそういう人だ。
でもこれからは、気兼ねなく私と一緒に過ごすことができる。普通の貴族であれば到底できないようなあれこれを、二人で体験していける。そうして私の評判が悪くなれば、言うことなしだ。なんだか変な話になったなとは、いまだに思うけれど。
「……そうね。私もまたあなたと来ることができて嬉しい。今日は、前とは違うところもいっぱい回りましょう」
「はい。平民たちの行きつけの店に顔を出してみるのも楽しそうですね」
ルクスの言葉に、ふとよみがえる記憶があった。子供の頃の、ちっちゃな夢の話だ。
「……あのね、私……リンゴを店で買ってかじりながら歩くのに憧れてたの。子供の頃に本で読んで、いいなあって思ってた。お母様は絶対に許してくれないって分かってたから、本当に憧れでしかなかったのだけど」
「素敵ですね。では、あとで試してみましょう」
あまりにも無作法なそんな夢を、ルクスはすぐに肯定してくれる。ただそれだけのことが、飛び上がるくらい嬉しい。
と、不意に横から呼びかけられた。浮かれた気分に水を差す、偉そうな声だ。
「お前らにしては、案外いい線いってるじゃないか。身なりといい、いちゃつきかたといい。いい感じに注目を集めてるぞ。ああ、なんともはしたない、型破りな夫婦だ」
声の主は、もちろんウェルだった。ゆっくりと走る馬車の隣を大股で歩きながら、にやにやと笑っている。
「僕たちこれから、二人っきりの逢瀬なんですよ。ひとまずこの町を中心に、顔を売っていければと、そう思っています」
「それで、この人ごみの中を馬車でやけにのんびり進んでいるという訳か。ならば、俺も協力してやろう。『あの侯爵は、新妻の尻に敷かれてあんなことになってしまった』とかなんとか、噂を流すのもいいな」
「協力には感謝、と言いたいところだけど、なんだか悪意を感じるのよね……」
「それはまあ、俺はあれだからな」
そう言い残すと、ウェルはまたぶらぶらと立ち去っていった。貴族たちが社交の場として使っているサロンの中に、彼の背の高い姿が消えていく。
それを見送って、また前を向く。その時、ルクスが耳元でささやいた。
「ところで、そろそろお昼にしませんか。あそこのカフェなんか、どうでしょう」
ルクスが指さしたのは、店の前の道に椅子とテーブルをいくつも並べて客席にした、中々にしゃれたお店だ。
どうやら平民向けのお店らしく、椅子もテーブルも、出されているお茶やお菓子も、みな質素だ。けれど、とてもおいしそうに見える。
そこでは軽食も出しているらしいと気づいた時、私のお腹がくうと鳴った。ルクスはおかしそうに笑いながら馬車を止め、私に手を差し出してきた。
型破りでおかしな一日が、いよいよ本格的に幕を開けようとしていた。




